2011年3月31日木曜日

コンドーム。

「性行為を行う際にコンドームの使用することは、最低限の予防法です。

 HIVを含む性感染症に関しても、望まない妊娠に関しても。」

日本で保健体育の教師として8年間、保健の授業を通して生徒に話してきたことである。


今から8ヶ月前に初めて任地訪問でうちのセンターに来た時、半日HIV陽性患者への診察を見学した。

HIV陽性の患者さんたちが診察の最後に、希望するだけ無料配布のコンドームを持って帰る。

30~50歳くらいのおばさんたち。(たまたま私が見たときは若者はいなかった)

ガサッと両手で30個ほど、ポケットに忍ばせた黒いビニール袋に一気に詰め込む。

その遠慮のなさと、希望するコンドームの量の多さに驚いた。

HIV陽性者は性行為をしてはいけない、というわけでは決してないので、

とても語弊のある言い方だが、

「HIV陽性者なのにやる気満々じゃねえか。」と思ってしまった。


冒頭で述べた「コンドームは最低限の予防法」という言葉が、この行為にも当てはまる。

HIV陽性者の人々にとっては、HIVを他の人に感染させないための手段としてあるコンドーム。

ゴム一枚の向こう側に、HIV感染源として最も危険性の高い精液か膣分泌液がある。

「コンドームってすごいんやな。」と、しみじみ感じた。




昨日紹介したソフィは現在メルーという町で、 Discordant(カップルや夫婦間で片方がHIV陽性、片方がHIV陰性)の調査をしている。

現在12組のDiscordantカップルに定期的にインタビューを行ったり、治療に向けてのアドバイスなどを行ってその実態調査の結果をまとめている。

そのカップルたちでさえもなかなかコンドームを使用しないらしいとのこと。

片方がHIV陽性者だと分かっていてさえも。


そんな人たちに、これ以上予防について言及する必要はあるのか。

彼ら自身でHIV感染確率の高い方を選択しているのだ。


HIVに感染するということは、その人たちにとってなんなんだろうか。

私たちが海外からわざわざきて防止する程のものなんだろうか。と、頭が痛くなる。


ならHIV感染したときに海外援助の無料治療や無料治療薬に頼るなよな。と、思ってしまう。


しかし、感情にまかせて腹を立てていてもしょうがない。

そのカップルや夫婦から産まれてくるかもしれない新しい命には全くその責任はないのだから。


新規感染者を一人でも多く生み出さないために。
今までも、これからも、それでも予防教育を地道にやっていくしかない。

2011年3月30日水曜日

作戦会議。

3日前の土曜日は、友人と会うべく任地からマタツで1時間半のナイロビにふらりと出かけた。

待ち合わせをして、コーヒーショップでゆっくりとマンゴージュースを飲む。

この友人というのは、以前このブログで紹介したイギリスのローラ教授(以前ブログ「ローラ。」)と共に
昨年までうちの病院でHIV/AIDSと妊婦に関する調査をしていたソフィというケニア人女性である。

赴任して以来、同じ目線で色んな改善点が語り合えるこのソフィの存在は私にとってとても大きなものだった。
カレンダーのスワヒリ訳をしてくれたのもソフィ、私立病院に見学に連れて行ってくれたのもソフィ。
彼女はいつも確実で迅速だ。

病院の調査を昨年末に終えイギリスに帰っていたローラが最終報告をしに3週間前うちの病院にきた。
院長や各幹部といわれる人たちに研究調査を公開していたその時、たまたまデフォルターの調査結果報告を持っていった私と院長室の前でばったり再会したのだ。
なんという偶然だろう。

実はそこで、HIV/AIDSセンターの問題点が大きく浮き彫りになり院長との会議が決まったのだ。

先日その会議が延期になったので、この際その会議に向けてあらゆることを明確に伝えられるように現在院長に向けての原稿をせっせと作っている。
それをソフィに見てもらって、色んなアドバイスをもらいたかったのだ。

今年になってから一度だけ、私がいない日にセンターに来てくれていたらしい。
そして、スタッフのみんなから完全に無視されたとのこと。

ははは・・・。陰湿な中学生女子グループみたいな・・・。

ヤツらならやりかねん。明日は我が身・・・。


でも、そんなことも笑って話してしまえる仲間との久々の再会だった。

文字にするということは、あやふやさがなくなる。それだけにとても注意が必要である。
スタッフのモチベーションや患者への気遣い、勤務態度など、数値として計れないものは今回は言及するつもりはない。

集計したデフォルターのデータを再び提示することと、そこに至った原因の提示。
素晴らしい環境を作るために、上を見た視線で、あくまでも改善点、強化すべき部分への提案と、この分野において成功している他の施設のシステムの紹介に的を絞ったものを考えている。
その実現にはどうしても金銭的な部分を含めた病院側の協力が必要なもの。

そう、私はハナっからスタッフの怠惰なんて眼中に入れてませんよ~という作戦なのだが、

最後に一文として、
「これらの実現に関してはスタッフの今まで以上の協力が
必要不可欠であるが、それに関しては全く問題ではない。
それは彼らの意識が変わればいいだけのことなので、
非常に簡単なことである。」


と付け加えた。

間接的に思いっきり「彼らはそういった意識がありません」といってるけど・・・。

ま、そこはさらりと。


他にもソフィと色んな話ができて、やる気はもちろんアップした。


さて、先日延期になった会議は来週の月曜の予定。

予定!!

2011年3月27日日曜日

「がんばろう日本。チャリティTシャツプロジェクト。」

日本で起こっている大震災に対して、遠く離れているから何も出来ないというよりも、
日本にいたときの自分は、そんな時たいして何もしてなかったじゃないか、と思います。
しかし、日本を飛び出して世界中に散らばっている協力隊仲間と共有しているメーリングリストやブログでは、
海外にいるからこそできる募金活動や世界中の国々と日本とを橋渡しする活動が報告される毎日です。

刺激があり、発見がある。
色んな思いを共有できる。
何でも出来そうな気がする。
海外でも、日本でも、変わらない。

以前のブログで書いていたことが、またまた実感されます。(我ら協力隊。

さて、そんな仲間に後押しされて始まった「がんばろう日本!チャリティTシャツプロジェクト」。
これはケニア協力隊のコミュニティや企画されている様々なイベントを通して、
ケニアに住んでいる人々の想いを日本の被災地に届けようというものです。
Tシャツの販売を通して皆さんから集まった義援金は私たち協力隊が訓練所中に公演してくださった
「地球のステージ」の主催者・桑山紀彦先生の東北国際クリニックに全額寄付されます。

今回の震災においては桑山先生自身も被災され、現在は宮城県名取市で奇跡的に残ったクリニックを拠点に、
24時間体制で診療、避難所への移動診療にと最前線で活動しておられます。

震災から日を追うごとに過酷になっていく被災地の状況。
是非、先生のブログからマスコミでは報道されない被災地の現状を多くの方に知っていただけたらと思います。
HPからも義援金の募集を受付されています!!
(地球のステージHP:http://www.e-stageone.org/
(桑山先生の活動ブログ:http://blog.e-stageone.org//英語版:http://www.stage-earth.ca/


前面のデザインは、「世界中の大きな愛に包まれている日本。これからの再出発と新しい日本に向かって“がんばろう!日本”という言葉をみんなで分かち合う。」という意味。
背面のデザインは、「We pray for JAPAN.」の文字と共に、「日本の象徴である力強い富士山。朝日は必ず昇り、日本を希望の光で包み込 む。どんな困難な状況でも未来を担う新しい芽は育つ。」という意味を込めました。

Tシャツは1枚1500Ksh。(1,500円)
これを見てくださっているケニア在住の方で購入を希望される方がおられましたら、是非こちらまでご連絡ください。(gutssmile@gmail.com
また、ケニア以外にお住まいの方で送料がかかっても購入したいという方も、直接メールでご連絡いただければ郵送方法や振込方法などご相談させていただきます。

また、このデザインを使用して自分の国でもチャリティ活動を始めたいという他国の協力隊員がおられましたら、喜んでシェアしますのでご連絡ください!

Tシャツ隊員。

エイズ対策隊員改め、もはやTシャツ製作隊員です。

思い返せば5年前、大学3年生の頃に初めて売り出した第1号【変わらなきゃTシャツ】をスタートに。
あ、それ10年前でした。

顧問していた部活動でデザイン。

協力隊の訓練所でデザイン。

先日はエイズ対策でデザイン。

ついでにレッドリボンずきんちゃんもデザイン。

気の赴くままに、墨で書いたり、ペイント機能を使ったりして製作してきました。

そして、今回ケニアの協力隊で日本の大震災のチャリティTシャツを作ろうというプロジェクトが発足しまして、

なんと

私にオファーがきました。

すいません、言ってみたかっただけです。オファーって・・・。



何か出来ないかと思っていた矢先、私にはTシャツをデザインすることぐらいしかない!

と、これもまた、言ってみたかっただけですが。

お役に立てるなら喜んで!ということで、今回のプロジェクトが動き出しました。


こんな紹介になりましたが、プロジェクト自体は至って真面目なものです。

詳細については、次のブログで!!

2011年3月26日土曜日

行き着くところ。

物事について深く考えすぎるがあまり、思いもよらない結論に行き着くことがある。
会議の中で討論が白熱すればするほど見当違いのところに着地してしまい、終わってからハッとするような。


先週の英語の授業での話。

HIV感染率を下げるために、もっと新しい切り口から攻められないか?

ケニア人の性欲を如何にしてコントロールするべきか?

コンドームなんて一向に使ってくれない彼らに対して、論点はひとつ。

理性
VS
本能
それに加え、一切を神様に任せる無責任さ
(明日は神のみぞ知る、今が楽しけりゃいいじゃん。っていう。


結果、先生とあれこれ話しながら行き着いてしまった答えが、

ケニア人向けの過激なポルノ雑誌の創刊。

ミラーを有効活用していくこと。
(ミラーとはケニアでは合成麻薬の植物の一種であり、街で茎を噛んでいるケニア人をたまにみかける。
 欲求がすべてなくなるという代物らしい・・・。女よりミラー・・・。)

あくまでも、机上の話。


日本の高校の保健教科書に紹介されている昇華やマスターベーションという技(解消法)。

ケニアではマスターベーションという概念もなければ、痴漢もない、娯楽もない。ということらしい。

中間がないということか。

やるか。やらないか。

う~~ん、だったら、やる!!みたいな・・・。


ポルノ(アダルトビデオ)を見たことがないと言い張る先生に、

「知り合いの男性協力隊員に頼めば、誰からも大量にデータが出てくるはずです。

 ジャパニーズカルチャーですから。」とアドバイスした。


 グラビアもないんだって。

「未来を予期する力」と「妄想力」は同じだろうか。

妄想の膨らまし方を伝授したいものだ。

2011年3月25日金曜日

ニセレッドリボンズキンちゃん現る。

*序盤は読んでくださっている皆さんを不快にする内容かもしれませんので、ご注意ください。
 

先週は1週間ナイロビに滞在していたこともあり、今日は久々に病院に行った。

案の定、いつも何かと気に障ってくるドクターが

「日本にビックウェ~ブがきたらしいじゃないか?
 みはるを東京で見かけたってヤツがいたぞ!津波は見れたのか!?」と、喜んで聞いてきた。

カチンときたのはいうまでもない。
こみ上げる怒りを、全てため息に変えて吐き出した。
ただ無言でにらみつけて、「私はとても悲しいです。」とだけ告げた。
本当に悲しかったのだ。

彼はどうして医者になろうと思ったのだろうか。と、いつも疑問に思っている。

他のオフィスに行くと、私の手をとり涙ぐんで日本のことを心配してくれる人、
家族の安否を聞いてくれる人が多くいた。

いつも感じることだが、住んでいる環境や国がどうこうではなく、要は人間の話だ。

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今日は今後の改善点に向けて直接、病院長とセンターのスタッフとが会議がもてるということになっていて、少々、いや、、、かなり期待して行ったのだが、院長に突然の来客があり来月に延期となった。

それに関してはたいして不満でもなかったが、その返答を待っている間に 

「誰が院長に私たちのセンターが問題だと告げ口したのか?」
「例えばの話、ミハルが誰かに告げ口されたらどう思うか?」
「私たちは日々、改善に向けて努力しているじゃないか!?」
「患者は私たちのサポートに満足しているわ。」
「ミハルから、そう言ってくれよ。」
「私たちは誰もサボってないし、昼食の時間も1時間しかとっていない!」
「それを言うなら、他の科もサボっているぞ!」

と、全ての疑いと不満が私にきた。(完全に後のほうは、よく分からない言い訳)

30分間、じ~っと黙って一通り聞いた後、

「あなたたちが、なぜ私にそれを一生懸命説明しているのか理解できないけど、

 要は、ここにいる患者に対して行動で示せばいいことです。」と、話した。

彼女達は、平気で嘘がつける。

来月に延期になった会議では、どのように院長とスタッフの前で話そうかと今日はずっと考えていた。


その夕方には気持ちを切り替え、なんとレッドリボンずきんちゃんのTシャツのサンプルが既に出来たと聞いたので、ワクワクしながらお店にチェックに行った。

拡大データを送って、何度も間違えないように念押しした漢字の「青年海外協力隊」の文字。

ケニア人には到底難しいであろうその日本語が、完璧に印刷されていた。

そんな、細かい仕事が出来るんだ!!と感心したのも束の間。


前面の重要ロゴ、レッドリボンずきんちゃんを見て驚愕。



思てたんとちが~~~~~~~う!!


まぁ、クスッと笑わせてはいただきましたけれども。

その他にも大きな修正点を5つ確認し、次の来店は月曜日となった。


鳥人になって、どこかへ飛んでいきたい、そんな一日だった。

あ、飛べないか・・・・。

2011年3月23日水曜日

レッドリボンずきんちゃん登場。

今回は皆さんに、かわいいお友達の紹介です。

その名は「レッドリボンずきんちゃん」。


★レッドリボンずきんちゃんプロフィール★

身 長 :スクマウィキ1束分

体 重 :愛情小さじ3杯分

年 齢 :まさかの30さい。人生の酸いも甘いも承知だよ!



モットー:「ONE STEP AT A TIME.」
      (小さなことからコツコツと。)

ひとこと:日々笑顔で、ケニアでのHIV関連活動に精を出しています。

      みんな!「ずきんちゃん」って呼んでね!



特にHIV感染率の高い地域にお住まいの皆様、
よろしければ、このロゴをどこかで是非使ってやってください。


只今、ケニア国内にて、グッズも大好評販売中!


1枚410シリング!


こうして、色んなものを考案してみたりして・・・。

楽しみながら活動することが、一番ですね。

2011年3月22日火曜日

愛国心。

先週受けた英語の授業を担当してくれたケニア人のジャスタスは、世界のことも、ケニアのことも日本のこともよく知っている。JICAのボランティアも長年教えているので、日本人のことも、とてもよく知る先生である。

そのジャスタスが授業の中で、「子供は4人産むのがベストだ。」と、私に言ってきた。

4人以上の子供をもつ家庭が少なくないケニア。その中で、何で特別に「4人」なのか?

理由を聞くと、

「ケニアの年齢別人口分布はきれいなピラミッド型をしているが(年齢が上がるにつれて少なくなる)
 
日本の場合は、つぼ型からコマ型に変わってきている。これは危機的状況だ。

だから日本人であるミハルは日本の未来のために最低4人は産まないと、国が滅びるじゃないか。


たとえ、自分の意志に反していても
日本のために子供を最低4人産むことが当然だ。」とのこと。

「責任も持てないのに“国のために4人産め”なんて無理でしょうよ。
 そして、国のためっていわれても・・・・。
 子供どころか、結婚もしていない人もわんさかいるのに。」と答えると

「今の日本は結婚したくないなんていってられない状況だろう。
 日本のために結婚するんだよ。
 それが愛国心だよ。」との結論。

十分に異国にいるので、異国を感じるのは当然だが、

これは以前「宗教。」について受けた衝撃と同じくらい、ケニア人のいう「愛国心」について衝撃を受けた。

先生が話した内容自体にも驚いたが、何よりそれらの言葉と態度に、一切迷いがなかったことに「強さ」というより「危なさ」を感じた。

ジャスタスにとっては、むしろ今まで出会ってきた日本人のほうが理解できないらしい。

日本人に「日本を愛していますか?」と聞くと、

大抵の日本人は「はい、好きです。外国に住んでから一層、好きになりました。」と答えるので、

「では、日本政府があなたに銃を渡して“他国を倒せ”といってきたら、あなたは日本のために戦えるのですね。」

と聞くと必ず「それは出来ない。」と返ってくる。

そこでいつも、彼らの愛国心とは一体なんなんだろうか。

愛しているなんて嘘じゃないか。と疑問に思うらしいのだ。

彼は小さい頃から学校で国への忠誠を固く約束する授業を毎週一回受けてきて、そこでは何度もその内容を全員で復唱してきた。

「ケニア国は他の何よりも上回る。

 家族より、恋人より、個人より、何より優先すべきはケニア国である」と。

私「それは、本心か?」

ジ「ケニア人でも、特に男性は9割が本心からそう思っているでしょう。」

 私「では、こういう時はどうする?

  ケニア国が戦わなければならない相手が、あなたの友人がたくさんいる“日本”だったら。

  例えば私が目の前にいたとき、あなたは殺せますか?」


私としては究極の質問として彼に問いかけたのだが、彼は実にあっけなく答えた。


ジ「それは、殺すだろう。個人の意志より、国に従うまでだから。」

私「あ、そうですか。」


「ガーン・・・。」とはならなかったが、

ショックを受けるとすればこうした教育が奪ってきたものの大きさにだろうか。

戦争となれば、悠長なことは言ってられないのかもしれない。

しかし、私だったらその相手が知人でなくとも考えるだろう。

ここにいる私と同じように、相手にも大事な家族や友人や恋人がいて、今まで育ってきた大切な故郷があり、守るべき祖国の文化や言語や慣習があるってことを。

もし私が物心がついてから毎週のように、ケニアへの忠誠を誓う授業と、神への忠誠を誓いに教会に行くことをそれぞれ1回ずつ集団で続けていたら、私の思想は今頃どうなっていただろうか。


そんな中で、個々の感性が育つ場所は残されているのだろうか。


日本でも数年前、教育基本法改正のときに話題になった「愛国心」。

愛することに定義などなく、その程度も人それぞれ。

服従させたり、義務づけたりするものでは決してなく、


国民全員が一定であることのほうが不自然である。




現在、日本から発信されている数多くの大震災のニュース。

それに対して寄せられる、懸命に復興活動に従事する人々の様子や、国内外からの支援の申し入れや、被災地を勇気づけるメッセージの数々。


確かにそこには日本への「愛国心」があふれているように私には映っている。




*あくまでも、ここに登場するものは全て個人の意見です。

1年後は。

「1年後は、自分たちの番かぁ・・・。」

と、ず~っと想像しながら、

今週末に任期を終えて帰国する先輩方のお別れ会と壮行会に参加した。

充実した表情で2年間を振り返る先輩たちの言葉は、シンプルだけど心に染みる。

どの先輩も涙ではなく、笑顔であふれていた。

この2年間を振り返っているのだろうか?
それとも、もう既に次のステージを見据えているからか?
私自身の憧れか?

何か、とっても輝いて見えた。

ここでの別れはとても寂しいけれど、こうして出会ったからには一生の友。

日本でまた会える。


これから先も、3ヶ月ごとに先輩隊員が去り、新しい隊員が来る、の繰り返し。



本日の昼過ぎ、ケニアに初めて来たときに乗せてもらったJICAのワゴン車がドミトリーに迎えに来て、

来た時と同じように最小限にまとめた荷物をさっと詰め込んで先輩達は去っていった。


2年間、本当にお疲れ様でした。

同じ職種の先輩には様々な方向性を指し示してもらいました。
本当にありがとうございました。

今、元気が一番必要な日本。

先輩たちの力が必要な場所で、変わらずご活躍くださいね。



さて、泣いても笑っても後1年。

任地に戻って、またやるか。

2011年3月17日木曜日

日本人魂。

今週は語学研修のためナイロビに1週間滞在している。

スワヒリ語と英語のどちらにするか自分で選択できる。


ケニア人は英語を話せるが、ケニア人同士の日常会話では全く使わない。

スワヒリ語に比べると、聞く機会のほとんどない英語。

しかし、学校へのHIV教育や上部機関の人々と対等に話すにはもっと詳細を表現できる英語が必要。

CPにしっかり思いを伝えるには英語が必要。

ただ仕事量を消化する活動ではなく、現地の人々の価値観を揺るがすものを残したい。

少しでも大きい影響力を持っている人と色んな目的を分かち合いたい。

そんな欲求が高まっている私が帰国まで1年間を残し選択した言語は、英語。



以前、スワヒリ語研修でお世話になった語学学校で、新しい先生に英語を習っている。

8時半から15時まで、とにかく自由に色んなトピックについて討論し続ける。

日本の政治から世界の動きまでとても詳しく知っている、物知りのジャスタス先生。

日本で起こった地震のこと、ケニアの教育制度、価値観、愛国心、恋愛事情、性欲解消術、HIV教育、それらの文化との関わりなど。

話せば話すほど、両国に浮かんでくる問題点に共通点が見つかる。

先進国も途上国も関係なく、どの国でも人間同士の繋がりに問題を抱える時代に突入したようだ。

何より話している内容に興味があることばかりで毎回白熱して討論している。

ブログに書き切れないことや書けないことがいっぱいある。

これが、ま~、かなり楽しい。


その中で、ジャスタス先生が私に質問した。

「あなたの2年間の活動の中で、ケニア人の価値観の何%を変えられると思っているか?」

私にとって、厳しい質問だった。

価値観なんて、そうそう変わらないと思っている。

というか、思ってしまっているのかもしれない。

と思い、ハッとした。


「今回の地震について、日本人のあなたがケニアに伝えるべきことは、

被災した人数の多さでも地震の津波の恐ろしさでもない。

それよりもっと大事なことは、この機会に日本の魂を伝えること。

この混沌とした状況の中でさえ、食べ物や水の略奪が起こらないこと。

被災地の住民同士の争いが起こらないこと。

それは、ケニアにいる私には信じられない状況なんだ。

なぜ、盗まないんだ?なぜ、強奪しないんだ?しかも、誰も。

これはケニア人なら、誰もがありえないと感じる出来事だ。

しかし、あなたの国「日本」は十数年前に起きた神戸の時もそうだったように、

人々は誰に言われるでもなく自らの意志で、色んな我慢の中で、

周囲の人々のことと次に起こることを予期して冷静に行動している。

こんな素晴らしい国民はいない。

是非、ケニア人たちに伝えて欲しい。

あなたが日本人として持っている価値観は、必ず彼らの価値観を変える手助けになる。」

普段、当たり前だと思っていることが、当たり前でないということがここにいると確かによくある。



先日行った生徒対象のワークショップで、

60年前に戦争で負けてから、戦後いかにして日本がここまで急速に発展したか?

それまでにどんな絶望があり、どんな決心があり、どんな努力があったか?

それらを支える精神力と人々の結束はいかなるものだったか?

自分が生まれるずっと前の日本の姿を、写真や言葉で聞いた話として伝えてきた。



これから先は、ケニア人だけでなく世界中が知っているこの東北地方太平洋沖地震から色んなことを伝えることが出来る。

私たちにとって当たり前の価値観を、今の私の実感として彼らに伝えることが出来る。

自分がそうであるように、人は全く異なるモノや想像できない出来事に出会ったとき、大きなショックや感動と共に一瞬にして価値観を覆されることがある。


「なぜ私たちが先進国と呼ばれる国にいて、あなたたちの国は途上国と呼ばれるままなのか。」

という問いかけを、行動を通して問い続けたい。

この先は、ケニア文化に溶け込むことよりも、その中に異彩を放ちながらでも、強烈なスタイルを見せ付けてやろうと、また心の中で誓った。


その時はもちろん、洗練された英語と共に・・・・。

2011年3月15日火曜日

がんばれ日本。がんばれ東北。

今、世界中が注目している「日本」。


世界中がエールを送っている。
「がんばれ日本。がんばれ東北。」
「不屈の精神で、乗り越えてくれ。」

この3日間、日本のことを知ったケニアの同僚からも続々とメールが届いた。

「MIHARUの家族は無事か?」
「こんなメールをしてすまない。JAPANのことを心配しています。」
「MIHARUの国にどうか神のご加護を」

他人事ではないと。

日本の知り合いが私を通してケニアを身近に感じていてくれているのと同じく、

ケニアの彼らも私を通して日本を身近に感じていてくれる。

そして、祈ってくれる。


4日前、ケニアJICA事務所から携帯に突然届いたSMSメール。

『 Nihonjikan 2011.3.11,2:46pm ni miyagiken hokubu de shindo7
  (Tokyo shindo5) no jishin ga arimashitanode renraku shimasu. 』

そこから立て続けに日本大使館からのメールが届いた。

事態の大きさに気づくのに時間は掛からなかった。

今やアフリカでも、インターネットで簡単に見られる日本のニュース。

おそらく被災している人々よりも多くの情報を、はるか遠いケニアでキャッチしている。

「壊滅的」、「遺体が打ち上げられている」、「原発爆発」、「1万人不明」、見るたびに増えていく「死者数」・・・・。

それらが一体どんな状況を表現しているのか想像しがたい言葉の数々。

そして、想像するまでもなく画像を通して目に飛び込んでくる信じがたい光景の数々。

大自然の脅威の前では日本もケニアも関係ない。


実は地震が起こったその日、仙台出身の同期隊員がうちに遊びに来ていた。

 鳴り止まない彼女への電話。

日本からもケニアに住む日本人からも。

とにかく、彼女の家族は無事だったとのこと。

「よかった」


けど、「よかった」では終わらない。

彼女の故郷。

私たちの母国。

史上最大規模の地震と津波によって奪われたものの大きさ。

被災地の人々を襲い続ける大きな疲労と不安。


ケニアに来て何度も停電、断水を経験している。

赴任当初の2ヶ月間、水が出なかった生活。

生活に必要な水の大切さを痛感した。

そして、水の確保の仕方も、節約の仕方も、毎日の生活の中ですっかり慣らされた。


しかし、そこはアフリカでなく、日本。


この時期、東北地方のまだまだ身にしみる寒さの中で、

水も生活環境も確保出来ない状況の中で、

大切なものを失った状況の中で、

被災地の人々をさらに襲う大きな疲労と不安を想像するといたたまれない。

昨日TVのニュースで見た、遠くを見つめてたたずむ日本人男性の映像。


言葉がでない。

考えると涙が出る。

そして、どれだけ想像しても何も出来ない自分。



政府の援助、海外諸国の援助。

きっと、それらを待つだけでなく。

決して、それらに頼るだけでなく。

住民同士で支え合い、助け合い、

しっかりと動き出してる、被災地の人々たち。



それが、日本国民。



そんな風に語られることを誇りに思いながら。

日本の協力隊として何も力になれない自分をもどかしく感じながら。



被災地の皆さんに笑顔が戻る日と、一日も早い復興を、

ただ、ただ、祈るばかりです。

犠牲になられた多くの方へのご冥福をお祈りするとともに、


どうか皆さん、

がんばって。


朝刊(3月13日付)
見開きで日本の地震の記事

朝刊(3月14日付)

朝刊(3月15日付)

2011年3月11日金曜日

学校へ。

本日は、ユースグループ担当のナースであるエミリーとナイバシャ内の学校訪問に行った。

てっきり小学生に授業をするもんだと思っていたが、聞いてみると教師に向けての講義とのこと。

今回、生徒たちが参加する健康クラブが発足するとのことで、教師の知識の充実のために学校がユースグループのエミリーに依頼をした形である。

学校の敷地内に入って驚いたのが、まったくゴミが落ちてないこと。
ケニアでこれは、かなり珍しいこと。
校舎の中に入っても、机の上も、黒板に書かれている文字も非常にきれいに整理されていた。

エミリーによる講義は3時間続いたが、先生たちはみんな真剣に聞き入り、ある程度の知識がないと決して出てこないようなマニアックな質問をエミリーに投げかけていた。

例えば、
質問A.レイプにあった際、犯人がHIV陽性だった場合にARV(HIV治療薬)をすぐに摂取することで感染を防ぐ効果はどれほど期待できるのか?
質問B.母親ではなく父親のみがHIV陽性だった場合、感染する可能性は考えられるのか?その予防策は何か?
質問C.CD4カウントが減少しなければ、ARVを飲まなくても健康な生活を送れるのか?

・・・・など。

それに、的確な板書を含めながら分かりやすく説明していくエミリー。
見ていて非常に頼もしかった。

これらは全てエミリーが独自で行った活動である。
このように教師たちに直接働きかけることは今後より多くの生徒達への波及効果が期待できる。

最後に先生たちから「正しい知識は力になる」「また来てください」と口々に言われた。

きっとこの学校の生徒たちは幸せだろうな。
と、先生達の雰囲気をみて感じた。

これらを管轄するはずの私のCPに、今後こういった有意義な活動の計画を提案していきたい。

2011年3月9日水曜日

数値のすごさ。

継続して調べているデフォルター患者数も、その後毎月約40人ずつ増え続けている。

以前作成したリストによって、わずか5名の患者が通院を再開したと報告を受けた。

この喜びを担当ナースと共有できたことはうれしかったが、喜んでいる場合ではない。
たった、これっぽっちの結果で満足するために私はこれをやっていない。

今までデフォルタートレーシングが本当に行われているのか?という真相を知るために色んな公共機関に足を運んできた。どこへ行っても、システムは問題なくまわっているという素晴らしい説明を受ける。
そして、いざ担当者に会うことになれば、たらい回しにされて結局明確な担当者が見つからないまま終わることの繰り返し。しかし、これらは少し考えれば容易に想像がつく。

そもそも肝心のデータ自体がセンター内に放置されたまま数年間、外部の機関に一切提供されてもいないのに、それに追随する他の機関がそれを元に活動すること自体不可能だからだ。
今まで何度も架空の団体の話を聞くような感覚で説明を聞いてきた。

決して減ることのないHIV陽性者や決して減ることのない貧困層を広告塔に援助を募り、私腹を肥やしている中間層が目に付く。想像し難いことではあるが、HIV陽性者や貧困層やスラム層が減少の一途をたどり、その後すっかりいなくなれば、ケニアに溢れかえっているVCTやHIV治療や、支援団体や、NGOや、保護施設などは全て必要なくなる。ケニアの一大ビジネスが消滅することで路頭に迷う層は相当多いはずだ。
しかし、こういったシステムのカラクリは広告塔となっている層に全く理解されることのないまま、繰り返されていく。
貧乏と金持ちの位置関係は決して逆転もせず、並びもせず、ただ同じ状況を繰り返す。
以前「俺、コンドームは使わねぇ。」といっていたスラムの若者に出会ったときもそうだったが、時々こんなことを考える。

さて、話が若干反れたが、これではいかん!ということで年始早々、表とグラフをまとめて作った。
以前、全ての患者をチェックした際に判明した1,000人以上の1年以上来院記録のない患者も含めて今まで調べたデフォルターの全データを掲載した。

出来るだけ見やすく、大きく、印象的に。
来ていない期間ごとにグループ分けした横に無表情に並んでいる信じがたいほど大きな数字。 
それをこの年明けから出来る限り役職の高い人物に見せて周り、改善策を提案し続けている。

全患者数2450名
・1年以上来院なし1108名・6ヶ月以上来院なし41名
・6ヶ月来院なし60名・5ヶ月来院なし65名・4ヶ月来院なし92名
2010年5~11月デフォルター258名・2010年11月~2011年1月新デフォルター125名

言葉は必要ない。
数値が示す絶対的な説得力。
現実をこれでもかと突きつける。

そして、立場が上になればなるほど、この数字への衝撃と喰い付きはよくなる。
彼らの多くは、現場で起こっていることを知らない。

毎月約40人もの新しいデフォルターが生まれている。
しかし、この病院のセンターにはそれを見つけるシステムがない。
私はこれに危機感を覚えている。
私はこれらの問題を解決できるソフトウェアがどこにあるか知っている。
そこへレコードオフィス(データ処理)のスペシャリストを同行させて欲しい。


そして、ようやく、大きな山が動いた。

昨日話しに行った病院長の一声で、本日私はレコードオフィスの技術者タビサと共にナイバシャ内にある他の病院に向かったのだ。そこは以前、私が勝手にライバルと位置づけた私立病院である。(過去ブログ「ライバル。」

初めて見るシステムに、私以上に興味を持ってくれたタビサ。
私立病院のスタッフも、相変わらず自分達の病院に誇りを持って働いている様子で、出し惜しみする様子もなく丁寧にソフトウェアの使い方を説明してくれた。

説明を真剣に聞くタビサ(左)と親切な私立病院の職員ケン(右)

USAのHIV支援団体が作成したこのシステムを導入するには少しお金がかかるらしい。

「導入は難しいだろうか?」そう聞く私に、
タビサが「お金は何とかしてもらいましょう。だってこんな素晴らしいシステムはないわ。」と力強く答えてくれた。

実現するかどうかわからない。
また、実現してもそれがいつになるのか分からない。

毎日裏切られることの多い活動だけど、これってどうしようもないじゃんってことの多い活動だけど、そんな中でも、たまに同じ夢を語り合える人や、前を向いてひたむきに頑張っている人との出逢いがあるから頑張れる。

強気でも、弱気でもなく。
ありのままの自分は、いつ崩れてもおかしくないもろさがある。

自分が何のためにここにいるのか分からなくなるような不安定さを常に持ち合わせている毎日。

だからこそ、ここでは自分の夢や強い信念を持つことの大切さや強さを、日本にいるときより実感する。


タビサと過ごせた今日はとてもいい日だった。

さて、思い切り期待して、明日はもっといい日にしたい。

女の強さ特集号。

本日、3月8日はINTERNATIONAL WOMEN'S DAY(世界女性の日)だということを、今日の朝エスタからの電話で知った。

そして、本日の朝刊にはWOMEN'S DAYということで全面15ページにおよぶ「女の強さ大特集」が組まれており、それにでっかく載せていただいてました。以前のTV出演と同じく知らぬ間に・・・。
わたくしケニアにて「強い女」に認定されました。


こっちを見ているのはJICAのボランティア、Ms.MIHARO...
って書いている。なんかもう少しマシな説明なかったんかい!
ん?!ミハロって書いているけど....、ま、そこはご愛嬌。
内容は学校に通う女子生徒のために布ナプキンの活動をこれから展開していくというもの。

そして本日は、それに伴う式典とパレードに参加した。
何やら張り切って女装をしているバイロンたちと一緒に「女性たちよ!目を覚ませ!立ち上がるんだ!」とキクユ語で歌い踊りながら病院から町の中心までみんなでパレード。

沿道の多くの人に見守られながらパレード

その後の式典では、バイロンたちのコント、グループのパフォーマンス、長い数々のスピーチ、それと同時進行で会場にはVCTと乳がん検診が無料で受けられるブースが設置されていた。人手も上々。

笑いどころが未だ謎のコント。
しかし、会場は大うけ。

女性のみが集まって踊る




















そして、最後はエスタが締めてその場はお開きとなった。

本日はピンクのスーツで決めていたエスタ。
「やる気! 元気! エスタ!」と聞こえてきそうな・・・。
人々を巻き込む演説は相変わらずウマイ。

女性へのエンカレッジということで様々な団体からの出席者がいたが、ほとんど知っている顔ぶれで驚いた。
もう8ヶ月もナイバシャにいるんだということを実感する。

今回の式典によってイベントに必要な結構な機材がうちの病院や近くの団体にあるんだということがわかった。
今後、何か企画してみたい。

2011年3月8日火曜日

第2回エイズ教室inニャフルル

この週末は、なんと自称チェ・ジウを名乗る同期、ヨウコ隊員のいるニャフルルにエイズの授業&スポーツ大会に参加してきた。滞在中の3日間、私は実家にいるかのごとくダラダラさせていただきながら、モテる女とはこうあるべきだという見本のようなものをこのヨウコ隊員から教わった。
今後の参考にしたい。

今回訪れた学校は、ニャンダルア・ボーディング・プライマリー・スクールである。

ケニアにはこのボーディング(寮制)をもった学校が非常に多く、特に両親共に働いて裕福な暮らしをしている家庭の子供はこういった寮完備の学校に預けられている。

ここでの初日は、7年生(中学2年生あたり)の3クラスに対してのエイズの授業3コマ。

2回目となる今回は、内容ももちろんバージョンアップ。

HIV教育とは、自分が感染する前に自分の問題として捉えさせること。

ここにどれだけ迫れるか?

前夜を含めて何度も話し合いを持ちつつ当日を迎えた。


前回からの変更点は、グループワークを3つ入れた点。

①性的ネットワークでHIV感染があっという間に広がっていく擬似体験
②性的にアクティブな人物の立場でどのように感染を回避していくかのディスカッション
③結婚、出産、死を含めて自分の人生プランを立てる

ということを含めた結果、授業をする側の私たちも興味の尽きない授業となった。

興味深かったのは、③の人生プラン。

乳児死亡率が高いため、平均寿命が51歳のケニア。

子供たちが何歳までのプランを立てるかが非常に興味深かった。

結果、ほとんどの子供たちは将来なりたい職業を含めて90~100才までの人生を見積もってプランを立てた。

実はこの人生プラン、日本の高校の保健の授業でもやったことがある。

「一生独身がいい。」「子供はいらない。」「70年も生きれば十分、あまり長生きしたくない。」

などの、少数ではあるが日本の高校生が描くプランはケニアの14歳にはみられなかった。

年齢の違いだけではない気がする、この違い。

ケニアの子供たちと日本の子供たちの捉える現実にはどんな違いがあるのだろう。


そして、将来何人の子供が欲しいか?

一番多かった答えが、「2人」。

しっかりとした教育を受けるためには、子供一人当たりにかかる養育費がどれほどのものかよく周知している印象をここの子供たちから受けた。

スラムの子供たちに聞けば、どのような回答がでるだろうか。これも興味深い。


そして今回の最後の締め括りは、エンカレッジ!!

自分の人生は自分次第で変えられる。

何にでも挑戦できる。

結婚も妊娠も、女性の人生にとって一大イベント。けれど、それが絶対ではない。

それすらも含めて、みんなは全て選択できる。

HIVに限らず自分の人生を、自分のために、相手のために大切にして欲しい。

60年前に感染症が蔓延していた頃の日本と同じ状況の現在のケニア。

まだまだ平均寿命が51歳のこのケニアを君達自身で変えていって欲しい。



君が変わればアフリカが変わり、アフリカが変われば世界が変わる。

すべては、あなたから。


そんなメッセージを込めた。

真剣な眼差しで話を聞いてくれた子供たち。

ケニアに来て、ものすごく実感させらること。

教育の大切さ。

援助に頼る習慣を身に着けた大人たちを変えることの難しさ。

夢を見ないフリ、夢を持たないフリをしていると、そのうち本当に夢が見れなくなってしまう。

いい意味で何も知らない子供たちに、感じてもらうこと、意識してもらうこと、挑戦してもらうこと。

この子たちが、これからのケニアを作り、これからのケニアを盛り上げていく。

この子供たちの純粋さや元気さに、多くの力をもらった。


そして何より今回うれしかったのは、何人もの先生が私たちの授業を見に来てくれたこと。

そして、目を輝かせて聞いてくれたこと。

私たちに興奮して感想を伝えてくれたこと。

この先生たちの存在こそが、今後のエイズ教育の継続を確かなものにしてくれる。

子供たちに確かなきっかけを与えてくれる。


たった1校のたった1学年に行った授業。

けれど、この小さな一歩がなければ何も変わらない。

自分達が出来ることへの可能性を感じた今回のニャフルルだった。

さらにパワーアップした次につなげたい。

(今回の模様を、他の隊員もブログに書いています!是非ご覧ください!☆をクリック!
 招待してくれたヨウコ隊員のブログ いつも私と双子に間違われる美人のマリ隊員のブログ

空手を入れて心と体のウォーミングアップ!

今回は、最新プロジェクターを導入!
プリントが印刷できなくても、大丈夫!
感染予防のために何をすべきか?みんなで話し合い。

じっくり自分の人生プランを練ります
40歳と60歳の欄には、「お年寄りを大切にする」とある
とってもいい瞳をしている彼ら。
ケニアの未来は君たちにかかっている!

2011年3月4日金曜日

何が起こったか。

今週の火曜日、ナイロビのチャリティ団体の事務所に訪問しエスタ議員と共に布ナプキンの紹介をした。
手ごたえは十分であり、多くの資金を材料費に回せることが決まった。

私の行きつけのスーパーナイバスは、ケニア国内に40店舗を構えるスーパーである。
そして、その第1号店にあたる本店が私の任地ナイバシャにある。
早速エスタと本店に出向いてマネージャーと話し、布ナプキンに必要な材料を一式注文することが出来た。
ナイバシャ内の学校を対象にしているため注文も結構な量である。
こうして地元の企業と連携できることは今後大きなメリットが生まれると思う。
何より、継続的に残っていく可能性を感じる。

そして、いよいよその実践の日ということで久しぶりに行く学校訪問を楽しみにしていたその日の朝。

病院の事務所に行くと普段あまり見かけない私の書面上の本当のカウンターパートが、
「MIHARU Kuja」(ミハル、こっちに来なさい)と言った。

この女のCPはいつもきれいなスーツを着ている。
出張も多いのだが、最近は事務所にいることも多い。しかし、机から立ち上がる姿を見たことがない。

そして、一番言葉が通じない相手だ。

私との会話は、相手の寛大な優しさがあってこそ成り立つものだからだ。

いつからだろうか、このCPとまともに話すことをあきらめ出したのは。

私の他にもう一人ケニア人がいる場合は、必ずこのCPはキクユ語を選択する。

私が一番理解できない言語である。

地域についてや、ヘルスワーカーについて、こちらから具体的な質問をすれば必ず「担当ではないから、担当者に聞きなさい。」となるし、

「住民のため」とか、「患者のため」に、などとこちらが情熱をもって話せば話すほど、鼻で笑われる。

この態度は世界共通で、馬鹿にされているのがわかる。

このCPは上位機関に認められるために仕事をしている。

患者のためでも、住民のためでもない。


そこが、違う。


「ミハル、あなたエスタ議員と何の活動をしているの?
 議員もあなたも医療のスペシャリストではないのだからHIV/AIDS教育はやってはならないわ。
 議員と病院の職員が共に活動するのも、世間的によくないことだから、やめなさい。」

との内容だった。
こんなことを言われて、黙るわけにはいかない。

「あなたは、学校教育の必要性を感じていますか?
 今すぐやめろというなら、あなたにプランはあるのですか?
 今までどんな教育活動をしてきたのですか?
 私はここに来て、ここ数ヶ月間色んな機関に出向いて、積極的に活動している人を探しましたが実際に活動している人を見つけられませんでした。
 スペシャリストが必要というならあなたのプラン上のこの病院の学校教育のスペシャリストが誰か教えてください。」
と聞いてみた。

事務所で大声で話しているので、周りのスタッフはじっと私達の会話を聞いている。

CPが大きく笑った。
「あなたが何を言ってるかわからないわ。」

絶対そんなハズはない。
その証拠に、周りのスタッフは誰もそれに賛同して笑うそぶりを見せていない。

そうやって、CPは都合の悪くなったときにいつも発するセリフを言い残し、いつものように去っていった。

結局、エスタ議員が役所の車をうまく配車できなかったということで2時間事務所で待ったあと帰った。

いつもよく話す事務所のスタッフは、そんな私に気を遣って色んな言葉をかけてくれた。


面白かったのは、YOU TUBEで日本の歌をわざわざ検索し大音量で流してくれたことだ。

Kiroroの「未来へ」と、夏川りみの「涙そうそう」。

おいおい、選曲よすぎるやろ・・・。

しかし、どちらも歌っているのはラオスのアレクサンドリアっていう歌姫。

誰やねん!!


とまぁ、日本の歌を口ずさみながら色々物思いにふける3時間だった。

この金曜~日曜は、同期隊員の学校へHIV/AIDSのワークショップに行く。

私、スペシャリストではないらしいけど、頑張るぞ!!くそ~っ!!

私、へこたれへん!

2011年3月3日木曜日

発言。

月一回行われるユースグループの会議内において、昨日は熱く語った。

支援してもらう団体が見つからないからという理由で全く進まない学校への巡回教室。

巡回に行くための指導法を学ぶために、講師を招いて5日間トレーニングを行うという計画。

それにかかる資金を、どこかの援助団体にお願いしようとしている。

その申請のために作成するプロポーザルに必要な見積りがいつになっても手元に来ないので、
「いつになったら来るんだ?」と聞いたら超適当にその場で概算する彼ら・・・。

そして、それによってはじき出された合計金額のうち、2割が講師代、
8割が参加者25人分の5日間の昼食代・・・。

ふざけんじゃない。
「この参加者の昼食代とジュース代っていうのは、いらないんじゃない?」
と、代表のナースに聞いたところ

「セミナーに昼食は必要よ。こっちで用意しないと
 ランチに出かけたっきりみんな戻ってこなくなるからね。
との回答。

は?は?は?
みんなって、この子たちですよね!?
わたくし、非常に理解に苦しむんですけど・・・。

普段、ロクに昼食を食べてないのに、なんでこの時ばかり食う気満々やねん?!
(ケニア人の多くは1日1~2食とチャイしか飲まない人が非常に多い。1日3食は稀。)

そして、そんな意識の低いやつらに講座を開く意味なんてあんのか?!

と、あっという間に多くの疑問でいっぱいになった。

と、ここまでは、前回の会議。

*****************************************
そして、昨日の会議。

同期のエイズ対策隊員たちでHIV巡回教室のために制作した数々のお手製グッズを持参。
会議が始まる前に、メンバーにすべてを披露。

完成度の高さに、かなり興味津々のメンバーたち。

その中でも小学校の子供達に向けて作ったクイズの答えを知り、かなり驚いた様子だった。

特に、世界のHIV陽性者の60%がサブサハラ以南のアフリカに集中しているという事実。
これをどのメンバーも知らなかったらしい。
「60%のHIVがアフリカにあるなんて!!」と驚く彼ら。これは、大変意外だった。

そして、会議が始まりいつもの「活動資金がない」という話になった。

「MIHARU、何かアイディアはない?」と聞かれる。
今まではプロポーザルについての提案をしていた。
しかし、今日は違った。なにやら、とても我慢できなかった。

「活動資金がないなんて、全く理由にならない。
 私は資金援助に頼った活動をすることは、好きではない。
 援助がもらえないと決まれば、結局活動もしないのか? 
 今日みんなに見せたグッズは1000シルもかかってないもの。
 私が伝えたかったのは、意欲とアイディアさえあれば今からでもすぐに活動は始められるってこと。
 そして、私達は巡回教室をするための特別なトレーニングなんて受けていない。
 色んな機関にいって参考になる資料をいっぱい借りて、自分自身でHIVについて勉強した。
 それらは、すべてタダ。
 こんなにHIVが多い環境の中で、HIV教育を受けてきたあなた達のほうが知ってることは多いはずだ。
 お金が先で、活動が後ではなく。活動が先で、援助は後からついてくるもの!
 すでに動いている団体はそうしている。

 本気でやろうと思えば、なんだってやれる!自分達から変えていける!」
 (全体的に下手な日本語訳みたいになりましたが・・・。)

ということを伝えたら、とっても
しーん。と、静まりかえった。

後半は、自分がDr.杉下先生になったかのようだった。
そして、大変すっきりした。

昨日は、バイロンをはじめとする幹部2名がいなかったけれど、何かしら伝わっていればいいなぁ。と、淡い期待を抱いて今日の会議は終了した。

さて、いよいよエスタ議員との学校訪問が始まる。
そして、週末は同期隊員の任地にワークショップに出かける。

何が起こるか楽しみだ。

種蒔き。

先日のWS(ワークショップ)に後押しされ、ことあるごとに自分から発言する勢いが止まらない。

一緒にWSに参加したセンターの所長は今や一番の味方になり、会えばどのようにセンターを改善していくかの話題が尽きることは無い。しかし、WS後2人とも研修や出張が重なり会うこと自体が難しいこの頃。

その理解者である所長がいないセンター内で、私がふと発言した言葉。
「このセンターには、サービスが欠けているよね~。」

これが、多くのスタッフの怒りを買った。
もちろん失言ではない。
思ったままのことを、ず~っと思ってきたことを「このタイミングだ!」とばかりに言ってみたのだ。

「私達のサービスのどこが問題だというの!?ちゃんと出来ているじゃないの!?」
というスタッフたちに

・患者の待ち時間が長いこと
・患者のプライバシーが一切守られていないこと
・患者に対して何の情報提供もできていないこと
・デフォルターになる人が毎月約40人もいるのに何の手立てもしていないこと
・ただでさえ狭い施設が有効に使用できていないこと

などを、非常に淡々と説明した。

そうすると怒りはさらに収まらず、言い訳!言い訳!言い訳!がひたすら続く。

私はもちろん、それを全く軽く聞き流す。

そして、引き続き

「私はここで働くスタッフはよく働くし、問題なんてないと思っているのよ。
 ここに足りないのは、よりよいサービスを提供するためのシステム。
 システムに問題があるのよ。そして、私にはそれらを改善するプランが既にあるわ。」

と加えると、どうなるか。

びっくりするくらいに
「ほほう。問題はシステムなんだな!?」となり、

「で、どうすればいいのかね。」となる。

「よく働く」の部分になぜ誰も違和感を持たないのだろうか?という疑問は今回は置いといて、
期待が高まったことを確認し、
「今度所長がいるときに、そのプランについてじっくり話しましょう。」
と、かなりもったいぶってその場を去ってみた。

実質、3週間後にしか会議を開くことが出来ず、実施はその後になる。
随分先のことになるのだが。

壁に貼ったポスターが彼らに何かの始まりを予感させていたらいいのだが。

大改造!劇的ビフォーアフター!の始まりを。 そう、劇的に!

2011年3月1日火曜日

卒業おめでとう。

自分の直感のみに任せて、ふらふらと活動している。ような、毎日。

知れば知るほど、知らないことが増えていく。
おかげで興味が尽きることはない。
自分が興味をもつ絞られた焦点に深くどっぷりとはまっていくケニアの生活。

ケニアをTVや本でしか見たことがなかった時は、ケニアがどんな国であるか説明しやすかった。
しかし今は、説明するのが難しい。

それでも約1年後に、たかが2年しか生活していないケニアを知ったつもりで帰るよりはずっといいと思っている。

自分の中で落としどころのないような現実をもっともっと見ていきたい。

それを考え続けることで、感性が磨かれる。

最終的にその答えは、いつも自分の中から絞り出す。


3月1日。

今日は、教え子たちの卒業式。

ケニアに行くことが決まっていた学校生活の中で、目の前にいた彼らからもらった刺激がいっぱいあった。

高校卒業という節目の今日。
彼らの目の前には、一体どんな夢が広がっているのだろうか。

家を出て知ることが、いっぱいある。
学校を出て知ることが、いっぱいある。
日本を出て知ることが、いっぱいある。

そして、

家を出て初めて考えることが、いっぱいある。
学校を出て初めて考えることが、いっぱいある。
日本を出て初めて考えることが、いっぱいある。

日本の様々な組織で繰り返される複雑な出来事に、
世界の様々な国で同じ人間が営むシンプルな生活の中に、
学ぶ環境はいつも誰の前にも広がっている。

興味が湧けば、そこに身を置き、
心をひらいて、自分の目で確かめてほしい。

客観的になんてならずに
思いっきり主観的に
自分の心で感じてほしい。

そこで実感したことこそが自分の本当の力になる。

そこで磨いた感性が、次の感動をまたさらに大きいものにしてくれる。


自分が高校を卒業したとき、
30歳の自分がケニアにいるなんて想像もしなかった。

しかし、色んな物事や人との出会いを経た結果、私はここにいる。

彼らの15年後は、彼ら自身の想像をどう超えてくるだろうか。

想像を超えるところにこそ、新しい気づきがあり、感動がある。

これから先、世界や日本や滋賀を盛り上げていく彼ら。

そんなこれからの期待が持てる彼らとの日々に感謝したい。

ありがとう。

いつまでも応援しています。


卒業、おめでとう。



劇的大改造ビフォーアフター。

今日も病院外での活動だった。

そして、本日の夕方6時。

病院のスタッフがみんな帰ったであろうこの時間帯を見計らって私は動き出した。

作りためて置いた患者向けのポスターを一気にセンターに貼る作戦を決行したのだ。


 
非常に殺風景な待合い場所
そこに、



VCT促進と場所の説明ポスター

あなた最近どうなの?
YESならこうしてね!
っていうポスター


HIVと共に人生を送る
ための秘訣ポスター

なぜ毎日薬を飲まないと
いけないのか説明したポスター
大きくなって再登場!
「とにかく長く生きて、あなたが色んなことを証明してくれ!」
という熱いメッセージを込めたカレンダー

 これらのポスターを貼った。


ジャーン!!こんな感じでイスもきれいに並べてみたのに・・・。

家で制作していたときは大きく見えた各ポスターも、野外の壁に貼ると案外しょぼかった。


 想像以上に上手くいったのは、ペンキのように塗ったボンドとその上にかぶせたラップ。

毎晩、暴風が吹き荒れるナイバシャだけにぴったりときれいに貼れたことに感動した。


おかげで経費をかけずに制作した感じしかしないポスターが仕上がった。


しかし、こうして写真でみると味しかないポスターに見えてくる。

今後何点か追加して、何とか華やいだ雰囲気に挑戦していきたい。



明日はエスタ議員とナイロビに活動に行くので病院にもセンターにも行く予定はない。

明日の朝、センターのスタッフは「誰の仕業だ!!?」と驚いてくれるだろうか。

何より、患者さんに何かしら伝わればいいと思う。

楽しみだ。