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2010年7月29日木曜日

続。ケニア観光。

一番満喫できる金曜の夜。
ケニアンダンスショーが楽しめるホテルに出掛けた。

大音量の音楽の中で瞬時に繰り出される「人間の塔」の数々。
とってもおいしいお肉も、ケニアンダンサーたちの肉体美の前ではナイフが止まる。


「リズム感が違う」「体の構造が違う」とういう言葉を何度も口にする。

女性トップダンサーの腰振りダンスは、上半身がそのうちバコっと外れて飛んでいくんじゃないかと思うほどくびれていて激しかった。

観光気分満載の夜。みんなでナイロビにいるのもあと少し、満喫した夜だった。





2010年7月23日金曜日

任地訪問最終日。


4日間お世話になった宿舎の人々に別れを告げ、今日は余裕を持って7時45分に病院に到着。

案の定、8時20分頃にみんなが揃い出した。
この日も昨日の続きで、2つの施設をまわった。
そのうちの1つの診療所には、産科があり分娩室や治療室などを見て回った。
今まで見た中でも衛生環境は整っている方だ。生涯平均で4~5人の子を産むといわれるケニア。赤ちゃんを連れた母親をどこの病院でもわんさか見てきた。
しかし、5つほどあるベッドはガラ空き状態。入院中の妊婦の姿はなく、産後の人も見かけない。
なぜ?
聞いてみると生む直前に病院に来て、生んだその日に家に帰るかららしい。
そして、産婆さんに家に来てもらって出産する人も多くいるとのこと。

日本の場合は、母子ともに確か1週間ほど病院で安静にしていたような・・・。
無菌室に入った日本の新生児を想うと、恐るべしケニア人の生命力。



ケニアでは10時と3時頃にチャイ(お茶)の時間があって、昼食にも2時間程かけると聞いていた。が、この2日間は車で移動していたためそれらがなかった。
同僚に確認してみると、なんと「休憩はないし、昼食も基本的には摂らないよ。」とのこと・・・。
ちょっとびっくり。
「ミハル、お腹がすくようならスナックをつまんでもいいよ。」との事だったので、仕事が始まったら茹でたトウモロコシでも持っていこうかと考えている。

移動中の車内では、日本のことについて色んなことを質問してくれた。
宗教は何を信じているのか。
中国からいつ独立したのか。
マタツはどれくらい走っているのか。
家畜は何が主流か。
などなど・・・。

これらの質問だけでも、いかに日本のイメージが薄いのかがわかる。
これらの質問に皆さんなら何と答えるだろうか?

私なりに一つ一つに答え、大変驚かれながら予定から1時間遅れて帰りのナイロビ行きのマタツに飛び乗った。
これから同僚となる人々は、大変優しかった。いつも私を気遣ってくれて、分かりやすい言葉で声をかけてくれる。帰りのマタツやナイロビに着いてからのことも細かく教えてくれて、無事に着いたら連絡をするように声をかけてくれた。
私には、自分たちの仕事に誇りを持っていて信頼できる集団に映った。
この人たちと一緒に働ける喜びを感じられる活動にしたい。
そのためには、医療用語を含めた英語力の向上は急務だ。
それに加え意外なまでに必要性を感じたスワヒリ語もさらに勉強しなければならない。

多くの危機感がちゃんと次につながっていくように、赴任に向けて準備していこうと思う。

2010年7月22日木曜日

任地訪問3日目。

朝、宿舎から走って15分、高地トレーニングにはいい環境だ。
少し汗をかき、病院に昨日約束した8時半に到着した。

そして、そこには誰もいなかった。
聞いていた通り、これがケニアンタイムか・・・。

日本は死者が出るほどの猛暑と聞いているが、この日のナイバシャの気温は16~18度。
ナイロビよりも少し標高が高く寒い。汗が引き体が冷え始めたころに事務所の人たちがやってきた。
時計は9時過ぎ。みんなジャケットやセーターを羽織っている。
私は頼みのヒートテックにポロシャツで、みんなからとても心配された。

今日はナイバシャ県内の小さな病院をまわるというものに一日同行した。
他の機関(USAID)の職員も合同の事業で、3か月ごとに抜き打ちで施設を2時間ほど要しチェックし、改善点や運営状態、HIVに関する患者の検査結果を集計し、今後どうすべきかを含めて全員で話し合うというものだった。
患者はどの病院にもあふれている。
しかし、私たちが尋ねると医者の1~2人しかいない診療所は診察をストップし、案内や説明を最優先にする。
これが縦社会を重んじるということなのか、とても違和感があった。

この日は施設を4つまわった。
一行はトヨタのランドクルーザーで颯爽と赤土のデコボコ道を猛スピードで各施設に向かう。
車で30分近く何もない景色が続き、ぽつりと病院と学校が見えてくるという感じで自分が住む町とは違い、いつか本で読んだような「一日かけて病院に歩いてきました。」という世界が現実にあった。
サファリでは遠くでしか見られなかったシマウマやガゼルも車のすぐ横で群れをなしている。
ここはケニアだと実感するには十分な環境だった。
   

私が所属するのは県の機関で、他の施設の問題点を的確に指摘していき、改善を提案し、時に励ましたりもする意識の高い集団だった。
訪問先には、使用後のハサミやゴム手袋が放ってあったり、薬品が棚の中で散乱していたり、信じがたい状況も目の当たりにし、訪問先の関係者との間に意識の温度差があることを実感した。





明日は昼の1時にナイロビに向けて出発することを告げると、集合時間は8時に繰り上がった。
色んな施設で見た、芝生に寝っ転がった患者の映像が頭から離れることなく、本日は眠りに就いた。



2010年7月21日水曜日

任地訪問2日目。

さて2日目、いよいよ職場に挨拶に行く。
9時から勤務先の病院へ初めて行った。
担当者は夕方にならないと帰らないということで、代わりのドクターが院内を案内してくれた。
ナイバシャでは一番大きな病院で、敷地はとても広い。
その中で私の働くことになるHIV包括的ケアセンターはとても小さい建物で、HIVの検査から診察、投薬、カウンセリングなどを行っている施設だ。

朝早くから多くの患者が待合室から溢れていた。
実際に目の当たりにする患者たちは重病ということもあって疲労感が漂い、
それに設備の悪さがリンクして劣悪な状況に映る。
ここに広がる芝生は景色を和やかにする日本の芝生とは違い、患者が順番を待つのに寝っ転がる第2待合室だ。
やはり今までの職場だったこれからの未来を担う生徒たちのいる学校現場とは全く違う。

陰と陽。
ここでの業務内容の説明に始まり、実際の診察や治療の場面にも立ち会うことができた。
10人に1人はHIV感染者であるというデータは、間違いではなさそうだ。
いやそれ以上かもしれない。

職場の人たちには自分のバックグラウンドを説明する機会も多く、
高校教師としての経験をどのようにこの職場で生かせるかということと、
この職場で新たに自分のできることを早くみつけることが課題だとつくづく実感した。


その後は町の中を案内してもらった。
銀行や郵便局など、ナイバシャの町はとてもこじんまりとしているが、
生活に必要なものが小さい範囲内で簡単に揃うので住みやすそうな町だった。
先輩隊員にも会うことができ、スーパーやマーケットにも連れて行ってもらった。
野菜と花の栽培が盛んなこの地域では、週に2回マーケットが開かれる。
そこは人でごった返し、多くの野菜が大量に並べられていて、今まで想像していたケニアの風景が広がっていた。
写真を撮りたかったのだが、カメラを出すのに躊躇する。ここでも日本人はとにかく目立つ。
もう少し慣れてきたら撮影してみたいと思う。

この2日間で町の主要部分を大抵見て回ることができた。
明日は8時半に集合と聞いてこの日は宿舎に戻った。
ナイバシャは観光スポットも多く、自然に囲まれたいい所である。
今回の任地訪問はまだ住居に入れないということでゲストリゾートハウスに宿泊。

1か月ぶりに、アフリカではあきらめていた「入浴」が出来た!
ぐっすり眠り、翌日に備えた。

2010年7月20日火曜日

任地訪問1日目

さて、いよいよ待ちに待った任地訪問。
バックパックに4日分の荷物を詰め込んで元気よく出発した。
と思ったのも束の間、治安の悪いナイロビの中心にある巨大マタツステーションまで行くと、人と車がごった返していて緊張感が一気に高まった。

ここから一人になる。
ナイバシャ行きのチケットを購入し、日本人であるがゆえに、周囲がじ~~~っとこちらを見ていることを感じつつマタツへ乗り込む。
パンパンのバックパックを膝の上に抱えギュウギュウ詰めになりながら出発した。

私の任地、ナイバシャまでは1.5~2時間と聞いている。
今回の隊員の中では最もナイロビから近い任地だ。
JICAからは、犯罪被害防止のためマタツの中では寝てはいけない。日本とは違うということを肝に命じよ!
ということを再三言われているので、約8時間とか一晩かけて移動する他の隊員に比べれば非常にありがたい移動距離である。
横に乗っているケニア人はじろじろ見てくるが、この人と話すまでもなく2時間くらいは起きていられるだろうとじっと窓の外を見つつ、
ナイロビ市内とは全く違う大自然の景色を楽しみながら向かうことにした。

40分程走ったところで運転席から“ピーーー”という電子音が鳴り続いた。
続いて“プスッ”といって、エンジンが止まった。
しーんと静まりかえる車内。
何度キーを回しても復活しないエンジン、どうやらオーバーヒートしたようだ。
旅にトラブルはつきものだなぁ。と割とのんびり思いながら、このトラブルで1時間ほど待機することになる。
乗客はみんな仕方なく、車内で休んだり外で寝転がったりして復活するのを待った。
そして何かを施したわけではないが、頃合いを見てみんながマタツに乗り込み、先程から何の学習力もないまま再びぶっ飛ばして走り出したマタツ。
まぁ、動いたからいいか、と私もホッと胸をなでおろしウトウト・・・・。ちょっとひと眠り。
もう、そろそろ着くころかなと目覚めたもののバスが止まる雰囲気ではないので、ようやく横のケニア人とスワヒリ語の練習を開始。
自己紹介を済ませ、日本の紹介を済ませ、

“Ninaenda Nivasha”  “Nitafika Naivasha saa ngapi?”
(私はナイバシャに行きます。ナイバシャには何時頃到着しますか?)

と聞いたら、返ってきた答えが

「ナイバシャは、もう過ぎましたよ。」

というものだった。

寝過ごした~、初日からやってしまった~~。笑いが止まらない。

「Kweli?」(本当?)
覚えた言葉もむなしく響きわたり、現実を受け止めることに。

“Do you have any idea?”(何かいい方法はありませんか?)

そう聞く私に、マタツの乗客みんなが「この日本人をどうすれば安全にナイバシャに行かせることができるのか」を相談してくれて、最も安全そうな場所で運転手がパッシングを送り続け反対車線の空いてるマタツを見つけてくれて、逆方向へ30キロほど戻りナイバシャに無事到着!
ケニア人優しい!!

さて、これから1年半働く土地に一歩降りると、大勢の物売りや運転手をが取り囲む。
それを振り切るようにして大家さんのもとへ。

まだ準備中の住居はなかなかよい物件だった。


とにかく、部屋数が多くゲストルームもあるので、御覧の皆さんでこちらに来る予定の方はぜひ家に!
びわ湖を思い出させるような、ナイバシャ湖が一望出来る素晴らしい環境!

その後、近所の警察署に挨拶をする。
事前に聞いていた担当者は転勤のためそこにはいなかったが、別の警察官としっかり連絡先の交換をして宿舎にチェックイン。

なんとか無事に?1日目が終了した。

2010年7月19日月曜日

明日から。

そういえば日本は本日、海の日で祝日か~。
そう思ったものの、ケニアには全く関係のないことで
今日もスワヒリの授業を5時間受けた。

今日出題された例文のひとつ
Nairobi hakiko Kenya.
(ナイロビはケニアではない)

ポカンとしている私たちに、Mwita先生は「ナイロビは快適過ぎて、まるで日本だ。だから、ナイロビはケニアではない。ナイロビを見てケニアだと思ったら大間違いだよ。」と説明してくれた。

なるほど、どうりでやけに快適だと思った。

さていよいよ明日、初めてナイロビを出る。
いや、初めて本当のケニアを見にいく。

3泊4日の一人旅。
「任地に行って自分で情報集めてこい!健闘を祈る!」
という、ここにきて非常に熱く盛り上がるミッション!
すべきことは、
・勤務先への挨拶、今後の勤務内容について確認
・大家へ挨拶と家賃の支払いと防犯のためカギをつけてもらうよう交渉
・近所の警察に挨拶、その町でどんな物が手に入るのか見てくる
などなど。

防犯の都合上パソコンは置いていくことになる。
おっちょこちょいぶりを発揮しすぎないよう無事帰ってきますので
皆さま応援をお願い致します。

2010年7月18日日曜日

Matumaini

今日は午後からMatumaini Children's Home(児童養護施設)に遊びに行った。Matumaini(マトマイニ)とは、日本語で「希望」という意味。ここは孤児や貧困層の子供たちを対象にした保護養育を行うと同時に、彼らを生みだしているスラムのシングルマザーたちへの自立支援の活動を継続して行っている施設である。


興味があって行ったにも関わらず、施設の案内をしていただいている間に子供たちと遊んでいたため、しっかり説明を聞けていなかったが、その中でも印象に残った言葉は、

「ものつくりは人つくり」

「私たちはシングルマザーに仕事そのものを与えるのではなく、仕事の見つけ方を教えます。たとえ低賃金でも、売春などではなく社会的に認められている活動を通して得た収入で生活することが彼女たちの自信につながることに大きな意味があります。」

「ここにいる子供たちに同情の目を向けることはないです。私たちの想像以上にこの子供たちは強く元気に生活しています。」

ということだった。・・・ように思う。今度行ったときに詳しく聞きます。

販売グッズもかわいいものが多く、思わずストラップを1つ購入したが、何よりも広大な敷地の中でヤギや牛が飼われていて、子供たちと話したりグァバの実をとってもらったり、サッカーをしたり・・・。
良い天気の中でのんびり過ごせたことがよかった。




さて、明日から月曜日。任地訪問も控えている!
頑張れ、今週の私!

2010年7月17日土曜日

任務に向けて。

今日の休日はとっても忙しく、3本立て!

1.同期隊員が以前働いていたHIVの治療も行っている診療所の見学
2.同期隊員が以前活動していたNGO関係の専門家たちと昼食
3.ナイロビの都会へ買い物にいく


実はこれらは全てJICAのカリキュラムではなく、エイズ対策の同期隊員がアポイントを取ってくれたものばかり。

ここ最近、スワヒリ語の負担をいかにして少なくするか。ということと、
いかにしてナイロビ生活を堪能するか。ということだけを考えて生活していた私。

しかし、よく考えるまでもなく私のミッションはケニアでの「エイズ対策活動」!

同期のエイズ対策隊員5人の結束は固く、
来週の任地訪問に先駆けて、ぜひケニアの医療に触れてみよう!とみんなで出掛けた。

↓ 車が路肩に上がってくることもしばしばなため、きれいに縦に並んで歩く。



↓診療所の受付と待合室


プライバシー保護の視点から、外にはHIVについての看板は一切みかけない。


診察室



同期隊員が働いていたのは今から5年前のこと。
久しぶりに訪問して、いくつかの変化に気付いたらしい。

大きな変化はHIV専用の診察室・カルテ棚が出来ていたこと。
ここ数年で政府の焦点がHIVにあてられたこともあるだろうが、何よりこの診療所内での需要が増えたことが一番の原因だろう。

この診療所の一日の外来患者数は約100人、そのうち6割ほどがHIV治療患者とのこと。
いままで勉強してきたものの、「HIV患者が半分を超えている」という点でやはり多いという印象をもった。
施設内の設備については充実していない部分もあるが、治療に携わっている人々のサポート体制は非常に充実していた。
また、HIVの治療は無料で、薬も無料に近い額で購入できるという。
同じ日本人の医者やスタッフが働いていて、このような理想形をケニア国内で見られたことは非常に参考になった。



その後、ケニア・スーダン・日本など様々な所で活動中のNGO関係者や協力隊OBの方たちと海外生活を語りながらの昼食。

料理が来るまでの1時間半、習ったスワヒリ語で「まだ?」「おなか減った!」を連発してスワヒリの実践練習。
ハエが飛び交う中ではあったが、ケニア料理とおいしい焼き肉をいただいた。




そして、最後の締めは既にそこへ行ったことのある隊員がみんな口を揃えて
「あそこはもはや、ケニアではない。」と言い切るスポットへ・・・。



終始まぶしいそのショッピングモール内には人工の川が流れていた。
屋上にはプールや逆パンジーのアトラクションがあり、自分が途上国にいることを疑った。



しかし、すぐに切り替え、中国料理を満喫して解散!


今日を振り返ってみて・・・、

ケニアで出会う日本人たちは独特な人生を歩んでいる。

ケニア以外の国も転々として現在に至るという人ばかりで、長期間住み、さらに結婚している人も多くいる。


さて、その人たちの視点は、今のケニアをどのように捉えているのだろう?

初めてケニアに来た私との違いはなんだろうか?


いつも、興味深く感じて、色んな質問をぶつけている。



2010年7月16日金曜日

金曜の午後

3時に授業が終わり、みんなで心待ちにしている金曜の午後!
終わった途端にとにかく学校外に遊びに出掛けるのが最近のスタイルになりつつある。
今日は、多くの隊員に大評判のケーキショップに行ってみることに。

宿舎から徒歩15分圏内に数々の飲食店やスーパーがあって、地元の滋賀県のように自動車がないとどこへも行けないという感じではないので、立地条件は非常にいい。
着いてびっくり!ここはケニアか?!と疑うような店内の清潔感とケーキの繊細さに感動した。


そこはまるで、日本にいるような雰囲気。緑色した抹茶ケーキまである。
そして、中庭には広い芝生がありブランコまである!
それも赤いブランコ!


そして、嬉しいことにこの店のコーヒーは、まずくなかった!!
というのも、ケニアではチャイを飲むのが一般的なため、ケニアはコーヒーの原産地でありながら一般的にコーヒーを飲む人が少ない。コーヒーを頼むとホットミルクがマグカップ一杯注がれていて、そこにインスタントコーヒーを自分で入れるというスタイルもあったりで、コーヒー好きな私にとってはとても残念な思いを度々していたからだ。
聞いてみると、日本語の上手な韓国人のオーナーさんが経営する店で、東京の専門学校に行っていたということで、とても納得してしまった。
とにかくケニア的でない。

日本的なものをつい求めてしまう日常です。

2010年7月15日木曜日

サプライズ大作戦

昨日の授業で、時間や日付の学習をした。
Mwita先生に聞いてみる。
Ulizaliwa lini ?
(あなたの誕生日はいつですか?)

答えるMwita
Nilizaliwa tarehe kumi na moja , mwezi wa saba , mwaka elfe moja na mia saba.
ふむふむ・・・、各自、頭の中で訳してみるクラスメイトたち。

(私は生まれた、15日の7月の1970年か・・・・。)

あっ、明日やん!

ということで、今日はMwitaの誕生日を朝からサプライズで祝うことに。
昨日のうちにクラスメイトと準備を済ませ、いつもになく授業が待ち遠しい。

Mwita、教室入場と共にギターの演奏付きで、オリジナルのBirthday Songを大合唱!
もちろん、スワヒリ語で!!

↑これが考えた歌詞。
日本語訳♪
①あなたは今日 しあわせ~
 今日はあなたが生まれた日~
 Mwita は 41歳
 老人のはじまり~

②私たちは 今日しあわせ~
 今日はあなたが生まれた日~
 私たちは未来も笑っている~
 問題はないさ~

飛び跳ねて、踊りながら聞くMwita

続いて、ケーキの登場!
昨日ケーキ屋さんに注文したデコレーション。

下書き?!と思わせるくらい雑!!

奇抜な色のクリームには砂糖がぎっしり!!
続いて、プレゼント贈呈!

1.赤のボールペン
2.授業で使える指差し棒 (手作り)
3.トヨタ車(マーク手作り)
大変、喜んでくれました。

特に、トヨタ車にいたっては

It's My Dream!!
My Dream comes true!!
Thank you !! Thank you!!
と、スワヒリ語を忘れ、英語で叫ぶMwita!

今日の授業中はただでさえ小さい黒板の隅っこに
Mwitaの似顔絵がずっと消されずに笑っていました。

1970年生まれのMwita。しかし、両親の誕生日はMwitaも本人も知らないとのこと。それは、ちょうど1970年から誕生日を記録することになったからとのことでした。年齢は大体のところで、生まれた日に関しては全く分からないのでケニアでは誕生日を祝う習慣がないそうです。
ケニアについて知らないこと、まだまだたくさんありそうです。

2010年7月13日火曜日

来週、任地訪問。

来週の20~23日の3泊4日で今後の活動拠点となる赴任先の様子を下見に行くということで、今日は語学の授業はお休み。赴任先までの交通手段や安全についての再確認、実際に住むことになる住居の点検項目などを聞きにJICA事務所へ行った。
私の場合はナイロビからマタツで約2時間で到着するところだが、中には約8時間かけて移動する隊員もいる。休憩や食事などを挟みながら、犯罪に合わぬよう寝ずにバスで長旅をすることを考えると・・・、移動するだけで大仕事である。
しかし、他の国には語学研修を早々に済ませもう赴任している隊員もいるため、とにかく早く任地へ行ってみたいというのが今の心境である。

早速各自、スワヒリ語漬けの毎日でさらに薄れつつある英語で、職場先に「来週伺います!」という確認の電話を済ませた。電話口の担当者は、願望もあってか、なかなか優しそうな声に聞こえた。

とにかく早く会いに行きたい。
その他には、マラリア対策として自分でマラリア陽性か陰性かを調べるキットを使う練習などをした。
地方の病院は、検査をせずに副作用の強い薬などを処方したり、盲腸と勘違いして手術したりすることがあるという。
「医師免許取り上げなさいよ。」
とは言わずに、それを、医者に頼らず自分で見極めるための練習。


         使わないことを祈りたい
     線が1本なら陰性、2本以上出たら陽性

マラリアに特徴的な3つの症状は、全身がブルブル震えるほどの悪寒、頭がはち切れるような頭痛、38~39度の高熱。
その中で、自分の症状を診断する自分の姿を想像すると、まさにサバイバル!
強くなれそうです。

2010年7月12日月曜日

床屋事情。

こちらにも美容院はある。オシャレな髪形といえば編み込みが断然多い。
編み方にもいろんなタイプがあるようだ。
早速、ケニア隊リーダー(男性)も約600円で編み込み完了。
とにかく、かゆいらしい。

彼の日本人離れした顔立ちからか、なかなか似合ってて素敵。
私も、一度くらいは挑戦してみたい気もする。

男性の短髪は、ほとんど坊主のため隊員同士で髪を切りあって安上がりに済ませることも多いとのこと。
で、今日は授業が終わってから隊員の髪を切る事に。
経験は無に等しいが、迷うことなくバッサリと切り落としていく私。
天気も良く気持ちいい。
なぜ、こんなに笑っているのかは不明。


                        左右の長さの最終確認。




     Before               After

たったの20分足らずで、
さえない表情の体育隊員が、笑顔の似合うブルースリー似に大変身。


これから需要が増えそうな予感がするミハル美容でした。

2010年7月11日日曜日

初サファリ

本日は前々から予定していたNairibi National Parkに野生動物を見に行った。
ケニアといえば野生動物。朝の5時から支度して、6時に出発!10分後には現地に到着!

ケニアにはいくつかのNational Park がある。
日本にあるSafari Parkのように肉食・草食などによってパートが分かれているわけではなく、広大なサバンナで野生動物が生活している所に人間が車でお邪魔しに行くという感じである。地域によって見ることの出来る動物が異なっているので、地域や季節によってもそれぞれ違った楽しみ方ができる。

今回の首都ナイロビにある国立公園の売りは何といっても『ビルと野生動物のコントラスト』。
野生動物のバックにそびえ立つ高層ビル群というのが特徴である。

ガイドブックによると生息している動物は多々いるが、ライオン・バッファロー・クロサイが見られる確率はかなり低いとのこと。さて3時間半の初サファリ。どんな動物に出会えたか、結果は以下の通り!


奇抜な彩の小鳥         雄ダチョウ、求愛ダンスも魅せてくれた
                 (補足:お肉も美味 9日のブログ参照)

ガゼル               中盤で雌ライオン登場!!

大群でくつろいでたバッファロー  のんびりと散歩中のキリン
雄ライオンの行動をじっと見守る草食動物たち。
拝啓ライオン様:本日はありがとうございました。
こんなにテンションが上がったのはあなたのおかげです。

メンバー全員がにんまりと「自分にツキがある。」と勘違いしてしまうほど、マレな動物達は総出演で私たちのことを歓迎してくれた。その現れ方の時間配分は、中に人間が入って演出してくれているんじゃないの?
と思うほどで、ガイドさんもびっくりの結果にみんな大満足。

帰宅してすぐメンバー全体で本日撮った写真の選評会。

ここにきて、やはり一眼レフが群を抜いていた。

皆さん、ケニアにお越しの際は、世界に誇る日本製の一眼レフを持参されることを強くお勧めします。