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2010年9月30日木曜日

新隊員歓迎。

ケニアに来て3ヶ月がたった。
私たちの次の隊次、平成22年度2次隊の歓迎パーティーのため、これからまたナイロビに行く。
早いものでもう新隊員から先輩隊員になった。
パーティーでは幹事となる同期メンバーで、そろいのユニフォームと発注したハッピを着てUFOを踊り、盛大に盛り上げるつもりだ。

そして、もうひとつの目的。
今度日本で開催されるバレーボールのワールドカップに、ケニア代表女子チームが出場する。
その練習を見に行く。
今回、アフリカ予選を勝ち抜いての出場であるが、そのチームの監督をJICAシニアボランティアの入澤さんという方が務めているため、前回のナイロビ滞在時に色々話を聞くことができ、今回練習を見に行かせてもらうことになったのだ。

この入澤さんは、実業団で選手として活躍後、高校の教師もされていたそうで、久しぶりに体育教官室いた頃のようにスポーツの指導者談義に夢中になってしまった。

ケニアのトップ選手たちに日本語が炸裂する練習風景。
とっても、楽しみである。


職業病。

今まで日記を長く続けられたことがない。
実はこのケニアでも一生の記念になる記録を残そうということで日本を出発した6月21日から日記を書き始めたのだが、なんと7月に入るまでに終わってしまった。自分に甘い私・・・。

そこにきて、まだ序盤ではあるが、このブログの持続性には自分でも驚いている。
最初はたった3行でもいいから続けよう。と、思っていたことが嘘のように
長々と書き綴ってしまう今日この頃。
親しい人たちに「ブログを始めるつもりでいます。始めたら連絡します。」
と言ってしまった手前
やるしかないか、と思って書き始めたブログだが、やってみるとこれが意外、
まったく苦ではない。

色んな方からメールをいただいたり、コメントをいただいたりと、反応があることで、
親しい人たちが日本で読んでいてくれているんだ。と実感できる嬉しさもあるし、
なかなか上手く言葉では表現できない想いが渦巻く毎日だけれども
何とか文字にして表現しているうちに、
自分の気持ちが整理できて客観的に捉えることも出来る。

・毎回大変じゃない?
・とっても暇なの?
との質問を友人から受けるのだが、
この作業、学級で発行していた学級通信を作る作業に非常に似ている。
毎回、「生徒に届け。」とばかりに、自分の想いをただ綴っていたあの感覚。

日本の教師は、とにかく忙しい。
小・中・高のどの校種の先生でも、どの時期でも、それぞれ違ったアホみたいな忙しさがある。
教室内の仕事はほんの一部、それ以外の仕事はいつも山のように用意されている。
その合間をぬって、短時間で書いていた学級通信。

しかし、今は溢れんばかりの時間がある。
書けないわけがないのだ。
(自分でまたハードルを上げてしまった感アリ・・・)

青年海外協力隊は年に4回の派遣が行われていて、隊次でいうと私たちは平成22年度1次隊となる。この1次隊は、4月から国内訓練に入るとあって唯一現職の教職員の参加制度が利用できる隊次である。なので、約2ヶ月の二本松訓練で同期として過ごした約200名の仲間には、非常~に教師が多い。
みんないい具合に変で、突き抜けている。
それに協調性がプラスされている感じの、そろいに揃った超個性的な面々。
出会えたことに感謝せずにはいられない人たちばかりだ。

右にずらりと並ぶ、「世界の協力隊仲間」のブログリスト。
更新の頻度が高い隊員、それが日本で教職員だった人たちである。
現職教員参加制度ということで、通常よりは3ヶ月短い派遣期間を終え
平成24年4月の新学期には日本の学校の教壇に戻り立つ人たちのブログ。

皆さんにも是非読んでほしい!
どの隊員も、世界各国で自分らしく活動している記録。
私もいつも励まされているブログの数々。
学級通信のように各先生の個性がにじみ出て、伝えたい想いが溢れていて、
元気になれて、励まされるブログばかりです!

2010年9月29日水曜日

お医者さんごっこ?

午前中の業務をしていると、昨日意気投合したイギリスの研究者Ms.ローラの姿!

「MIHARU! 明日の会議の連絡だけど、中止になったみたい。今度は1ヶ月後だって。」

「あ、そうっすか・・・。」

やはりここは、ケニアであった。

「ひらけてない。・・・か。」
昨日のブログを思い出したが、そんなことで落ち込むような今の私ではない。
そうなれば1ヵ月後に向けて準備を進めるのみである。

ところで、
本日は私の仕事で使う血圧計のバッテリーが切れて使えなくなってしまった。
そう。バッテリーということは電子式である。
なぜがうちの診療所、極端に血圧計だけが近代化を遂げていて、毎回オムロンの自動血圧計を使っている。使用後はカギのかかった引き出しに厳重に保管される貴重品だ。
そこで今日、代わりに登場したのがアナログ式の血圧計と聴診器。
手でプシュプシュと空気を送るタイプのアレである。

「MIHARU、これの使い方わかる?」と聞かれ、

何年か前に、1度だけやったことがあったかな・・・・。と思うより前に、
「もちろん。できます。」
と、しゃべっていた。
記憶をたどってやってみたが、記憶違いではなかったようで無事に一人目を終えた。

白衣を着ている上に、聴診器を首からぶら下げて、完全に見た目は女医。
若干、自分でもなりきっている。
おまけに隣りでは、パートナーDr.ギトンガが記録をとっている。
「ん?何か、違う?立場逆転?」と思いつつも、測定を続ける。

午後からは、なんとDr.ギトンガが外出した。
そこで患者と2人きりの間を持たすために、
「最近、調子どう?」
と、タモさん風に聞いてみる。

そうすると、患者は聞いて欲しい話をベラベラとスワヒリ語&民族語で話し出す。
その話をこれ以上ない笑顔でケニア風の相槌を打ちながら聞き流す。
まったく理解できるレベルではない。
しかし、なぜかこちらが理解できていないことは、まったくバレない。
そしてもちろん、体調のよさそうな人にしか聞かない。

ようやく血圧の数値が出ると
「うん、問題ない。とっても良好ですよ!」
といって送り出す。
適当~~。

でもなんとなく、患者もうれしそうに帰っていく。

またまた、笑顔の威力と、白衣の威力を思い知った。

アナログ式の血圧計は非常に手間がかかるため、
とっても仕事している気になった本日の血圧測定であった。

2010年9月28日火曜日

ひらけた。

白衣デビューを果たした今日、どうしても書き留めたいことがあるのでまた更新する。

今日はセンターで、外部団体と接触することができた。
何やら患者のカルテをもとにせっせと作業する所に、
とにかくまとわり付いて接触の機会を伺う私。

午前中に陽性者団体のリーダーと話し込み、午後にイギリスの研究者と話し込む。
興味のあるHIV関係の話は、スワヒリ語でも英語でも理解力が上がる。
何より相手から伝わってくる熱意に、こちらのモチベーションが上がる。

ここナイバシャで同志を見つけた気がした。
とにかく深く関わりたい。
と、思う人に出会えて興奮した。
赴任して1ヶ月。
このタイミングで話せたことに感謝している。

話せば話すほど、自分の視野の狭さに気づく。
診療所に来られないHIV陽性者の人々の抱える問題。
差別、貧困、妊娠、死・・・。

自分のいる場所しか見ていなかった。

見なければよかった、知らなければよかった、
と思うことに出くわすかもしれない。
でも、ケニアにきて一番興奮した。

早速今週の午後は、その人たちの会議に連れて行ってもらうことにした。
なんせ午後、暇ですから。

ユニフォーム。

先週の金曜日のこと。
お医者様がおフルの白衣をくださった。
患者と接触することも多々あるので、購入を考えていた矢先のこと。
感激のあまり、「Asante sana!!」(ありがとう)を連発した一日。

早速週末に念入りに洗濯をし、隣人にかりたアイロンで糊付けした。
新品同様に変身。

最後に胸のポケットにでかでかと刺繍。
《日本の国旗+MIHARU+レッドリボン》

ちょっと目立つかなと思ったが、
「日本人」で「黒人でない」ということだけで十分目立っている日常である。

ということで今日は、このユニフォームを着て勤務した。

袖を通し、気分はすでに女医。
身なりを整えると、気が引き締まることを実感。
まわりの感触もとてもよかった。

この白衣が真っ黒になるほどやってやろう。
改めて、気合いを入れなおす。

日本に興味をもってもらい、多くのことをケニアから学ぶ1年半にしたい。

1年半だ!!


2010年9月26日日曜日

オーダーメイド家具。

マットレスとカーペットだけだった我が家に本日、待ちに待ったオーダーメイド家具が運ばれた。
ベッドフレーム3000シル(3500円程)、オフィスデスク3500シル(4000円程)
2人掛けソファ8000シル(9000円程)、ガスコンロテーブル2000円(2400円程)
思い出は、プライスレス・・・。

オーダーメイド。
とても贅沢な響き。
しかしここケニアでは町に多くの家具屋があり、既製品を買うよりずっと安い。

当初の完成予定の9月3日から店に足を運ぶこと10回以上。
毎回訪れるたびに、その進行状況をチェックしては
(明日、出来るわけないだろう・・・。)
と思いつつ、
職人の言葉に合わせて
「ついに明日できるんですねぇ。楽しみだなぁ。」
というセリフを繰り返してきた。

そしてついに今日、本当に完成した。

トラックへの積み込みから、家への運び込みまでの間
9割の人に「チャイニーズ!」
1割の人に「ジャパニーズ!」
と叫ばれながら、
明らかなリッチ振りを魅せつけてしまった道中。

家に帰ってから気がついたのだが、
脚の長さが違いガタガタするオフィスデスク。
クッションのボリュームがありすぎて座ると滑り台みたいに落ちてしまうソファ。

それについて今更クレームを付けにあの店に行く気力はもう残されていない。
恐るべしケニア。

机の脚に紙を詰め、クッションの3分の1の綿を抜き
少しの修正を加えた今、
一気に日本の自分の部屋を越えてしまった充実感はある。

しかし、1ヶ月以上マットレスのみの空間だったので、部屋がとても狭い。
相変わらず、3LDKのうちの2LDは使っていない状態のままである。

(パソコンのWEBカメラで撮影してみました)

2010年9月25日土曜日

マイパートナー。

朝一番。
私の仕事場は赴任以来の定位置となっている「血圧測定係」。
というより、「Dr.ギトンガの横」といったほうが適切かもしれない。

というのも、このスーパーキャラDr.ギトンガのパートナーとして
私はもはや欠かすことの出来ない存在となっているからだ。
悪口と思わないでいただきたいのだが、私の日常であることには間違いなく、既にこのマイパートナーには深い愛着と哀愁を感じる存在であるのであえて述べることにする。

この最年長のおっちゃんDr.ギトンガの動きは「志村けんのじい様コントか!」と、
思わず突っ込みを入れたくなるほど動作がままならず、全てが超スローなのだ。
任地訪問で初めてDr.ギトンガが採血をしているのを見学したときは超衝撃を受けた。
上の説明と採血をあわせて想像していただきたい・・・。
一体いつまで患者の腕に注射針が刺さり続けるのだろうか・・・、ということと、
床に落ちた患者の血液が流れていく先を注意深くじ~っと見守っていた私。

赴任前にこの診療所の改善点として「患者の待ち時間を減らす」が挙げられていたが、このDr.ギトンガが全ての混雑を引き起こしているのではないのか?!と思わず疑ってしまうような存在なのだ。(現実には原因は他にある。詳細はまた、追々と・・・。)
ゆえに、私とDr.ギトンガはいつも2人3脚で「血圧測定」の作業を行うことになっている。

Dr.ギトンガは紙をめくりながら文字を書くという作業が同時に出来ない。
なので私の役割は、患者を待合室から呼び、イスに座らせ腕を出させ、血圧をはかり、次の身体測定へ運ぶという基本の仕事に加えて、Dr.ギトンガが毎回文字を書く動作だけに集中できるように徹底的にこだわって、カルテの紙をめくって記入が終わるまで持ち上げ、終わったら閉じてその横に置き、次のカルテをすかさず手元に滑り込ませるという作業も担当する。
まるで餅をつく人と、こねる人のような息の合ったコンビネーションの繰り返しである。

私がタイミング悪く席をはずし他の部屋で仕事をしていると
遠くから「み~は~る~!!」とDr.ギトンガが呼ぶ声がする。
不思議と日本語に聞こえてしまうくらい愛着があるこの声。
まるで、母親が「ご飯の時間やで~。」と呼ぶ声に
わかった~今行くって~!」と答えるような感覚で
いつも「はいは~い!」と日本語で答えて待ってもらう。

この瞬間、私は確実に必要とされているな。と感じると同時に、
失礼ながら、
はるばるこのおっちゃんの補助をしに来たのか~と感じてしまうこともある。
そして、このままで終わっちゃいかん!と、強く思う。

しかし、最速で「血圧測定」の仕事を終えた後に2人でゆっくりと雑談する時間は好きだ。
マイパートナーは日本にも私にも本当に興味をもってくれて、私のつたないスワヒリ語と英語のどんな話もいつも最後まで楽しんで聞いて、色んな質問をしてくれる。
マイパートナーの前では恐れずにどんな話もしてみようという気になる。
本当にありがたい存在なのである。

毎朝のスタート時、「ギトンガ!準備はいい?!」と聞く私に、ゆっくりイスに座り定位置にボールペンをかざしてから発せられるギトンガの「準備OKだ!行くぞ!!」という言葉と、それに引き続き「オー!」と2人でやたら大きな声で気合いを入れて調子付いている瞬間が結構好きである。


2010年9月23日木曜日

アクティブ。

3週間前から職場に研修に来ている栄養士の22歳の女学生。
使い終わったボールペンを、掃除をしている私の横でポ~イ!っと投げ捨ててしまう彼女。(教師時代に戻ったかのように、拾いに行かせたのはいうまでもない)


しかし、昨日は彼女の動きがいつもと明らかに違っていた。
いつもの彼女といったら仕事は2の次なのに、
昨日は患者を待たせまいと俊敏な動き。
カルテを取りに来るのにも勢いを感じる。
気づいた他の同僚が、「今日はどうしたの?!」と彼女に聞くと、

「アクティブ・ミハルの真似してるの!」
との返答。
フフ・・、どうりで・・・。
思わずニヤリとした、うれしい出来事だった。

赴任してから出張などもあり活動自体まだ1ヶ月たっていないが、自分の気付く範囲で何かしら診療所に手を加え続けている。
まだ来てすぐということもあるので、大きく出るのは決して得策ではない。
しかし、ほんの少し「これなんて、いかがっすか?」という感じのお試しグッズ的なものを忍ばせ続けている私の日常。そして、若干ではあるが手を加えただけの変化が感じられるようになってきている気がする。

まず①待合室のイス。
毎日、毎日、そこらへんの石やら木の板やらを集めては組み立て、修正を加え続けてきたオンボロのイスの数々。
待合室の患者の負担緩和に!と思って作り続けてきたが、座る位置どりを一歩間違うとイスは総崩れし患者にも若干の危険を伴う、もしかしたら無いほうが安全かもしれないイスたち。
今回その危険性が認められたのか、それを見た他の病棟の人が立派な長イスを2つも寄付してくれた。そして、迷うことなく自作のイスはゴミ捨て場行き。
これで、いいのだ。

②診察券受付BOX。
来て早々3日目に作った診察券受付BOX。
日本の病院の受付には必ずある診察券受付BOXがうちの診療所にはない。
そのため受付の机上にカルタのように診察券が並べられ、誰が最初に来たのかもわからず、改めて患者自身に来た順番を聞き直すという作業が入る。
そこで、登場させたのがこの「診察券受付BOX」。
何度も端っこに追いやられるのを目立つ中央に戻し続ける日々。最初は同僚もあまり進んで使用していなかったが、ここ最近は患者にBOXに入れるように指示している姿を見かけるようになった。ようやく定着した今は、朝からの混雑時でも順番が入れ替わるというストレスもなく、患者に順番を聞く作業もなくなった。
これは、いいのだ。

③日めくりカレンダー。
ナイロビのスーパーで見かけた「日めくりカレンダー」。
月・日付・曜日がそれぞれあり、半永久的に使えるアレだ。
そういえば、日本の受付によく置いてあるのを見るよな~。
ということで、購入して帰ろうと思ったが
「購入は一瞬のこと。しかし、作る作業は半日楽しめる。」
ということで、早速職場で午後の空いた時間にいらないボール紙を使って製作、受付の机にスタイリッシュにのっけてみた。思いのほか好評を得ていて、うちの診察室にも欲しいと注文が入ってきている。
なかなか、いいのだ。

④掃除係
暇があったらとにかく掃除。カルテの整理やPCのキーボードのゴミ掃除など、毎回一部分のみを徹底的に掃除する、自己満足の活動。
そして、帰る際に続けている芝生のごみ掃除。
最近は同僚が目立つゴミを拾ってくれるようになった。
しかし、患者たちは本当に平気でゴミを捨て続ける。
日本人にはゴミだらけの場所には平気でゴミは捨てられるが、きれいに整備されている場所には捨てないような感覚があるように思う。状況や大多数に従うといったような・・・。
しかし、ケニア人は日常的にそこら中にゴミを捨てるので、まず芝生がきれいに掃除されているということに気付いてはくれない。
気付いたところで捨てるのを止めてくれるのかもわからない。
患者は3ヶ月サイクルでやってくるので、何とか浸透させたいものだ。
植えたデイジーも花開く3ヵ月後に向けてがんばりたい。
まだまだ、これからなのだ。

教師をしている時も本当によく感じたが、やってもやらなくてもいいような、どうでもよさそうな物事の中に、色んなことを結びつけるきっかけがあるような気がしている。
上記のことを通してだけでも、色んな会話と交流が生まれている。
普段の行動にひと手間かけてみる。
そこからの気づきや自分自身の楽しむ気持ちが、次への新たなきっかけを生み出すことはとても多い。

「2年間しかいないミハルが、一番変化を与えているわ!」

いかに変化のない職場かということの表れでもあるが、
同僚からこんな言葉までいただき、本当にうれしかった。
さて今度は何をしてやろうか。と思っている。

今は言語もままならず、ひと手間を加える作業しか出来ないのも事実だが、これからもちょいちょい手をかけてはいろんな報告が出来る活動にしたい。



2010年9月22日水曜日

ヒョウ。

今日は午後からヒョウだった。

サラリと雨が降ったことのように述べてみた。
が、まさかケニアでヒョウが見れるなんて思っていなかった。

ここはケニアといえど動物のヒョウではない。(念のため・・・)
空から降るヒョウは10分間以上激しく降り続き、トタン屋根の診療所は爆音だった。

ここナイバシャは標高2000Mの位置にあるため、アフリカのケニアといえど寒い。
ここ3週間ほどは毎日のように午後から雨が降っている。
にもかかわらず、出ない水道水。

今朝、近所のおばちゃんに「水が出なくなって、もう1週間になりますねぇ。」
と世間話をしたら、おばちゃんが
「もう3週間たってるよ?まだ、1ヶ月は続くんじゃないかしら。」
といっていた。
そういえば、先週ナイロビにいった際に勝手にリセットしていたが前後とも続けて出てなかったなぁ。と改めて気づいた。
そして、そこからさらに10日が過ぎている。

1週間じゃなくて、3週間だったか・・・。

不憫に思っていた同期に追いついていた。
自分の持ち前の鈍感力にも驚いた。

2010年9月20日月曜日

成長。

赴任してから早1ヶ月。
その間、断水の日々を何度経験しただろうか
「え~っ。今日も水出ないの?!」
と嘆いていたレベルから
「やっぱり、今日も出ないよね。」
と、この状況を非常に冷静に受け入れた上に
「で、何よ?私にはまったく支障なし!何なら明日も来い!」
と、水道水に対し挑戦心を持つまでに成長した。
大体、蛇口などあるから、つい水が出てくるものだと勘違いしてしまうのだ。
本日で、たかが一週間である。
しかし、こうして平然としていられるのも、前回ナイロビに行った際、同期隊員から3週間ずっと水が出なかったと聞いてきたからだ。
同期が集まると自分の家がいかに不便であるかという自慢大会になり、人の不便さを聞いては「下には下がいるもんだなぁ。」とお互いが感じて、「これだったら自分の方がまだマシだな。」とお互いが納得し、なぜか最後にはみんな心が穏やかになる。

そして本日、雨水で頭と身体を洗っていたら視界に足の長いクモが出現。
「クモだっ~!」と思う前に
「ぎゅぎゅっ!」と、手でひねりつぶした自分がいた。
確か日本では、こんなこと出来なかったはずなのに・・・。
いったいこの成長ぶりはどの過程で身についたのだろう。
まさかケニアどうこうではなく、30代の幕開けと同時に身についたのか?
などと、なんとなく違う方向にも成長してきている。

続いて、
病院に植えたデイジーたちも続々と芽を出し成長している。
何よりも同僚たちがその成長を喜んで観察してくれて、
「ミハル!もう少し水をあげたほうがいいんじゃない?」
などと気にかけてくれるのでうれしい。

さらに引き続き、
自分の庭に作った畑の野菜たちも成長し、先週から元気に芽を出し始めた。
蒔いたタネの数だけ実になったら、到底一人で食べられる量ではないなぁ。
と、のん気に思っていたのだが、恐れていたことが的中してしまった。

とういうのも、何センチずつ離して蒔くように!と袋にわかりやすく図説までしてあった
「タネを蒔く」という一番大事な作業を最も適当にやってしまったからだ。

たった1.5m四方の狭い畑にウネを4本も作り、そのウネの山の部分と谷の部分の両方に、一袋に畑一面分入っている大量のタネを、まるでふりかけをご飯にかけるかのごとくザザ~ッとふりかけてしまったのだ。
おかげで、牛糞の肥料も効果を発揮してか、どの野菜の芽も束になって土を持ち上げ、地上に噴き出し、まるで地割れを起こしたようになっている・・・。素晴らしい生命力・・・。
(カメラ不備のため、載せられないのが非常に残念)

これも文字通り、自分でまいたタネ。

しばらくは、ひたすら「間引き」を繰り返し、
最もたくましい芽を残す作業に徹するつもりだ。

収穫が楽しみである。


2010年9月18日土曜日

HIV/AIDS。

私が登録している日本のHIVコミュニティサイトには、自分の最近の無防備な(コンドームを使わない)性行為からHIVに感染してしまったんではないかという不安や後悔、HIV検査の結果が陽性だったがどうすればいいか?などの相談が毎日のように書き込まれている。

「日本では1日に約4人がHIVに感染している」
「日本は先進国の中で唯一、新規HIV感染者が増加し続けている」

いまいちピンとこない、この文句。
そう思うのも、無理はない。

HIV検査にいったこともないし、HIVなんて他人事。
そう思うのも、無理はない。

HIV検査率自体低すぎるのでこれも氷山の一角だろうが、
報告されている日本のHIV感染者率は人口の0.01%以下である。

20~30代では異性間性行為で感染者が増えている事実があっても
日本の感染者の95%は男性同性愛者だと知ったら
なおさら他人事だと思う人が大部分だろう。

今から29年前の1981年。
世界で初めてエイズの発症が確認された。
今から27年前の1983年。
その原因となるHIVウィルスが発見された。

そして現在、世界で報告されているエイズによる累計死者数=約25,000,000人。
昨年度報告された世界の現時点でのHIV感染者数=約33,400,000人(推定)。

保健の教科書に記載されているこの内容。

より一層ピンとこない、のも無理はないだろう。

それが日本に住んでいる私たちの感覚だ。

しかし、

世界中のHIV感染者の3分の2が住むサハラ以南アフリカ地域の
ケニアという国の小さな町の病院のHIVケアセンターにいるとどうだろう。

毎日入れ替わるHIV陽性者を約50人前後見ていると
この人たちの体内に棲みつくHIVウィルスというのは、
本当に30年前に地球上に存在しなかったウィルスなのか?

という疑問がフツフツと湧いてくる。

それほど日常的にHIVが存在する世界が目の前にある。
短時間でのここまでの世界的な感染拡大を誰が予測できただろうか。

そして、あまりにもHIVに対して無関心な日本の現在の姿が重なる。

予測できなかったからこそ多くの死者を出し、各国の平均寿命を縮め、自国の発展に危機感を感じるまでに至った。
完全に対策が遅れた!と気づいたところで、ようやく始まったエイズ予防教育。

ケニアにいると、子供から大人までのHIVに関する知識の高さと
3ヶ月ごとにHIV検査をするという若者の意識の高さに驚く。
遅い。だったら何でもっと早く手を打たなかったのか?という想いも湧いてくる。

しかし、ここにきてそれがようやく実を結び出して、
いまやアフリカのエイズ患者とHIV感染者数は少しずつではあるが確実に減少してきている。
年々増加し続けている日本とは違って。

ケニアでは約10人に1人が陽性者。
世界で一番感染率の高い国スワジランドでは約3~4人に1人が陽性者。

身近になったからこそ、政府が動き、人々が関心を持ち、教育が行き届いた。

日本は何ができるだろうか。
まだまだ身近でない今、何ができるだろうか。

身近でない中で、政府は動かない。

身近でない中で、人々に関心を持たせ、教育を行き届かせる。
ここに、何とかして迫りたい。

感染したら必ず知る、HIVの正しい知識。
感染したら考える、愛する恋人や家族のこと。
感染したら気づく、自分の命の尊さ。
感染したら感じる、健康の大切さ。

自分でなくても、身近な人が感染したら見えてくること・・・。

教育とは「感染する前に」自分のこととして捉えさせること。

そんな教育には、どんな工夫が必要か。
ケニアにいることで日本に何ができるか。
ケニアにいたことで日本で何ができるか。

これからも、とことん考えていきたいと思う。

そして、このブログをみてくれている私にとってとても大切な皆さんに。

多くの先生方やお医者さんや教え子や親になる人なった人、愛する家族や恋人がいる人、感染率の高いアフリカ・アジア地域に派遣されている協力隊仲間たち。
周囲に影響力のある人は私が知っているだけでもたくさんおられます。
これをきっかけに一人でも多くの人にあなたの感じたことを伝えていただけたらと思います。

HIVは感染力の弱いウィルス!
正しい知識と行動で必ず予防できる感染症!

小さいけれど、
確実な一歩であることを信じて。

では、皆様よい週末を!

2010年9月16日木曜日

うんち。

人間のうんちより大きいうんちが道に転がっていることなど
日本では見たことがない。

たまに出くわすことがあっても、たかが小さいペットの犬のうんち。
想像の範疇である。

しかし、ケニアでは毎日見る。
軽く想像を超えてくる大きさと量。

中でも大きい牛のうんちはバケツ一杯の泥をひっくり返したような感じで、
転がっている、というより、盛られている。

家から病院までの往復の道のりは

転ばずに目的地に到着することと
動物のうんちを確実に避けて歩く

ということが目的である。


                (うんちの画像ではありません)
  
動物達はうんちのためにわざわざ停止するということをしないのか
とにかく罠のようにうんちが一帯にバラ撒いてある。

本日は、病院に救急車が何台も運ばれてきて騒然となった。
道路を横断する牛を、45人乗りのバスが避けきれずに横転したためだ。
牛は大きなケガを負ったようだが、乗客は大きなケガにはつながらなかった。
運ばれてきたのは、もちろん人間のほう。

信号がないこの町では、車を運転するのに他車と人間と動物の動きを常に予測しなければならない。
訓練所でよく言われる「~かもしれない運転」の徹底である。

とにかく毎日、牛にヤギにロバに羊に鶏にと、
うんちの種類と数の分だけ色んな動物が散歩しているのをみる。




そして今日、帰宅してみると私の家の庭のど真ん中に牛のうんちがひとつ。

いや、・・・ひと盛。


きれいに整備している私の庭なので、
つい牛も、ほっと一息ついてしまったのだろう。


しかし、決して悪気はないにしろ

一人暮らしの自分の庭に
あの大きさのうんちというのはなかなかショッキングな画だ。


ここ最近毎日雨だが、とにかく完全に乾くのを待つことにする。

油断している自分の庭で、間違っても踏まないように心がけたい。

            (犯人画像?)

2010年9月15日水曜日

ムエアチャリティマラソン。

私は元気です。

無事にモデムが復活。
そして携帯も新しくなって、引き続きデジカメも新しくなりそうな事態・・・。

で、先週末はナイロビからマタツで2時間ほどいったところで開催された
ムエア・チャリティマラソンに参加してきた。
このムエア地区は古くから日本と交流があり、ケニアでも有名な稲作の盛んな地域。移動中のマタツから見える景色は見渡す限りの水田。
水の豊富さが伝わってくる。
どことなく、懐かしい雰囲気の漂う道中。



今回で第2回の開催となるこのムエアチャリティマラソンの大会委員長は、
世界陸上で2度の優勝とソウルオリンピックの銀メダリストである
ケニアの星☆ダグラス・ワキウリ選手。

「ケニアでワキウリ選手に会いたい!」というのが、そもそもの参加動機であったため、会場でしっかり記念写真を撮ってもらった。

ワキウリ選手の異様なまでに流暢な日本語に戸惑い、なぜか片言のスワヒリ語で話し続ける私たち。
目は閉じているが、この大会に参加した目的のほとんどを果たした瞬間である。

今大会は10km、ハーフマラソン、フルマラソンの3レース。

ケニア人というだけで十分速そうな集団が、整備されていない道をシューズや裸足で駆け抜けていく。

今回の私の参加はランナーとしてではなく、JICAブースのお手伝い。
日本文化の紹介ということで「おりがみ」のお手伝いをさせてもらった。
「おりがみ」の制作過程はそこそこに、最後に登場した色とりどりのクレヨンに一層眼を輝かせる子供たち。
制作した折り紙のシャツを1色には塗りつぶさずに、全ての色を使いたい欲求から線ごとに色を変えてストライプ柄やチェック柄を描いていく。



そして気が付くと、明るい原色のクレヨンが持っていかれて無い。それどころか、折り紙の本など開始早々無い。

果てしなく貪欲で向上心のあるケニアの子供たち・・・。


JICAブースはその他にも廃材を利用した竹とんぼや凧などの遊び道具作りや、浴衣、植物の紹介など常に満員御礼であった。

特に各自が持参した昼食(主に菓子パン)を食べている休憩時間中は、多くの人垣が私たちを取り囲み食べ物と口元だけをじっと見つめられ続けるという緊迫した状況・・・。


「ひとくちだけちょうだい!」

意を決したように一歩前進して沈黙を破ったのは、なんと一人の中年男性だった。

おっちゃん…、子供が見てますから…。


その勇気、他の事に使ってください。


他のブースには、VCT(モバイルHIV検査)のテントやダンスや劇、テコンドーの大会もあり、イベントの面白さとパワーを存分に実感できた一日だった。

2010年9月10日金曜日

SO NO GO.

SO NO GO modem ga kowaremasita.

Ima, net cafe ni kiteimasu.

Shibaraku kousin dekimasen.

Kono syuumatuha MWEA CHARITY MARATHON ni sankasite kimasu.


HAVE A GOOD WEEKEND!!

2010年9月7日火曜日

パソコン故障。

昨夜から今朝にかけて、私の愛用するパソコンが買った時の状態に戻りました。

急に画面が真っ暗になったと思えば、何度スイッチを入れても起動しない・・・。
いわゆる最後の手段、リカバリーというやつを使いました。


よく言えば、新品の状態に戻りました。

し~ん、・・・。

                (画面にとっても切ない私の姿が確認できます)


しかし、本当に不思議なことに。
虫の知らせというのでしょうか、
その前日の夜、外付けのHDDに初めてバックアップを作成しておいたのです。

バックアップって、いつも学校では習慣的に作成していましたが、
素晴らしい働きを使用するのは今回が初めて。

そのBACK UPぶりに感動しています。
特に、UPのほう。

これを読んでらっしゃる、隊員の皆様。
悪いことは言いません。
とにかく早くバックアップの作成を!

是非この感動を、いつの日か、共有いたしましょう!

2010年9月6日月曜日

一夫多妻。

木曜日の仕事の帰りに任地訪問の滞在先のホテルで知り合った友人に誘われ、
家に遊びに行った。彼女はすでに2人の子供を持つシングルマザーである。

彼女の実家には母親が2人いて、合計16人の兄弟がいる。
一方の母親が9人、もう一方が7人生んだとのことで、
どちらの母親も、毎年毎年妊娠中であったとのこと。

そして、すでに父親は他界しており、残された2人の母親は一緒に住んでいるらしい。
さて、この状況は一体、どう解釈すべきだろうか。
嫁姑でもなく、嫁小姑でもない、この状況。
お互いが、夫の愛した女性と共に暮らしていくというこの状況。

とても、想像しがたい。

そして彼女の友達で、現在の夫の第一夫人であるという女性も遊びに来てくれた。
実際のところ第二夫人とは仲良くやっていけるものなのか聞いてみたところ、
女ならではの実に微妙な返事であった。
「嫌いではない。」とのこと。


「やはりな。」と思った。

日本にこの制度があれば、確実に昼ドラの材料になっているであろう。

家庭ひとつをとっても日本と大きく違うケニアである。

2010年9月5日日曜日

手打ちうどん。

午前中は畑仕事をして、しばし休憩のあと1週間の食材の買い出しに出る予定が、突然の雷雨に見舞われた。
止みそうにないため急遽予定を変更し、余っている小麦粉を利用して手打ちうどんを作ることにした。
就職してからの8年間、実家暮らしにどっぷり浸かっている間は
微塵も見せることのなかった料理への情熱は未だケニアで衰えるところを知らない。

このブログをみて、誰よりも驚いているのは私の家族であることは間違いない。

今日の昼で三日三晩食べ続けたカレーはようやく終わりを迎えた。
家族には嫌がられた香辛料のやたらと効いたカレー。
もちろん最後までおいしくいただけた。
食の充実を貪欲に求めるがあまり、1人暮らしが始まってからというもの毎日胃がもたれている状態である。なんとか体重の現状維持に努めたい。

思い返せば小学生のころから教師になりたいと一筋に思っていたが、2度ほど数日ではあるが将来の夢が変わったことがある。
中学校の頃に専業主婦を夢見たのと、高校生の時に料理人を夢見たことだ。
思い返せば、懐かしい過去の夢。

今から思えば、一番簡単になれると思っていた専業主婦が一番難しい・・・。



高校時代の友人と讃岐うどん食べ歩き旅行で香川県に行った際に、
金毘羅さんの麓で教えてもらったうどんを作る技術が、
まさかケニアで役立つとは思いもしなかったが、記憶をたどり作ってみた。

足で何度も踏み、しっかり寝かして、切り、大量の湯で茹であげる。

ナイロビの韓国食材店で購入した麺つゆにつけていただいた。

大変コシも強いうどんでおいしく頂くことができた。
こうして家でのんびり生活していると、ケニアの同年代(25~30歳ほど)の女性たちが家庭を持ち、すでに2~3人の子供を待っている現状が理解できる。その第一子はすでに小学校高学年や中学生であることも少なくない。
ケニアの田舎に住む人々は裕福ではないうえに、お金を使う場所もなく、その使い道も数多くない。
言い方はとても悪いが、結婚して子育てをする他にすることがない。

日本は、本当にやれることが溢れているなぁ。としみじみ感じる。

2010年9月3日金曜日

キッチンガーデン。

よく考えたら、9月に入って日本の学校も新学期を迎えたころだ。
日本の教え子たちは今頃、大学受験に向かっていいスタートを切っているだろうか。

隣りのルーシーも来週から学校が始まるということで、朝から出発していった。
また会えることだし、「いってらっしゃ~~い!」と爽快な感じで送り出した。
(左がルーシー、右が姉のモーリス!)


仕事も休みの本日は、なぜか朝6時に目覚めてしまい、雨のため伸ばし伸ばしにしていた畑作りに没頭した。今週一週間が本日のための温存期間だったのかと思うくらい、本日の午前中の畑作りは全体力を投入して取り組んだ。
この写真がうちの中庭である。
この奥に映っている木の根元に畑を作っている。

購入してきたクワでエイヤー!とばかりに庭の一角を掘り返す。
大きな石が、ゴロゴロと出てくる。
しかし、畑を作る!と決めた以上やり抜く!

電球に電池にプラスチックのコップに動物の骨にカミソリに・・・と色んなものが出てくる庭。袋いっぱいに集まった前住居者のゴミの数々・・・。

先週ルーシーと作った焼却炉で再び枯れ草を燃やす。

そして、おそらくいつも近所で見かける牛たちからのご餞別。庭にある大量の牛フンと、この灰で畑の肥料を作る。



自分でも欲張りなのはわかっているが、まずはとりあえずやってみるべし!

ということで、今回はこの狭いスペースに玉ねぎ、トマト、トウガラシ、コリアンダー、パセリ、ニンジンの種を蒔いてみた。説明書によると2~3カ月もすれば収穫の時期が訪れるということだ。
これだけ蒔いておけばどれかひとつくらいは上手く育つだろう。


収穫がとても楽しみである。

職場案内③

水曜日はチャイルドデーということで、0~10歳までの陽性者の子供たちを中心に診察することになっている。一般の診察と重なり、一週間の中で一番込み合う曜日だ。そして、その子供の数の多さに圧倒されると同時に、死ぬまで薬を飲み続けることを約束された彼らの笑顔をみて色んな想いがこみ上げてくる。

相変わらず待ち時間の長い中、仲良くしているおばちゃんナースに「ちょっとこっちにおいで」と待合室に手招きされた。何だろう?といってみると
「はい。今日はこのお姉さんがみんなと一緒に遊んでくれますよ~。芝生に移動しましょう!」という完全な無茶ぶり。
教師経験を買われてのことであるが、相手は専門外の2歳から12歳までと幅広く、みんなスワヒリ語か民族語しか話せない。
変な緊張感の中、とにかく言葉がなくても楽しめるアルプス一万尺やら手品やらの手遊びと、腕相撲やカバンに忍ばせておいた折り紙でなんとかしのいだ。解散した後も自慢げに折り紙で作った「だまし舟」や「カメラ」で遊び続ける彼らを見てほのぼのとした。
来週はもっと盛り上がるものを用意してやろうと思っている。
(小学校隊員の皆さん、何かいいアイデアがありましたら是非!)

本日、周りのスタッフに絶句されたこと。

「日本ではHIV陽性者の幼児に対して、どんなケアがされているの?」
という、質問に対し、
「日本でHIV陽性者の幼児を見たことがありません。」
と、私が答えたことに対しての絶句。

それと、チャイの時間に
「MIHARUはうちの娘(19歳)と同世代だわ。仲良くしてあげてね!」
という、ナースの言葉に対して
「私は、30歳ですが。」
と、私が答えたことに対しての絶句。

そして、本日、私が絶句したこと。

この1週間この施設を参考にするため視察に来ている他の機関の職員に(年配の男性2人)Dr.デイビッドがソリティア(パソコンゲーム)の方法を丁寧に教えていたこと。

そして、視察している側も頑張って挑戦していたこと。

ま、色んなことが起きてます・・・。

2010年9月2日木曜日

職場案内②

昨日は無事にデイジーの種まきを終了させた。
集まってきた同僚たちがみんな種を欲しい欲しいというので(Dr.デイビッドも含む)分けてあげた。

希少な日本の花の種ならともかく、近くのスーパーナイバスで購入した「アフリカンデイジー」という名の種だと説明したのに、みんな大事そうに紙に包んでカバンにしまっていた。20代の女性から55歳のおっちゃんまで、かわいい。

相変わらず、同僚との職場トークは充実している。

日本では昼過ぎの休憩時間に、10分程度うたた寝している人をよく見かけたものだが、よく考えるとこちらでうとうと昼寝をしている人を見かけたことがない。 どの人を見ても、慢性疲労がたまっているような人はいない。

まるで女子高生の昼休みのように、たわいもない会話が一日中、延々と続く。
隣りのクラスに遊び行くような感覚で、色んな部署の人たちも遊びに来る。
よくいえば、人とのコミュニケ-ションをみんなとても大事にしている。
今日はDr.デイビッドが日本語を教えてくれというので、ひらがなと数字を教えた。
発音なども含めて、かなりの時間をかけて日本語に挑戦する彼。

日本にはこんなおっさん、絶対いない。
「日本人って、本当によく働くなぁ。」としみじみ感じる。

そして今日は、日本映画が大好きでよく見ているという別の医師から
日本の忍者について詳しく教えて欲しいと言われた。

え。。。忍者について?!しかも、詳しく!!?

私、忍者についての引き出し、持ってないんですけど・・・。

とりあえず、彼らが活躍していたのは現在ではなく大昔の武家時代のことなのでよくわからないし、忍者自体が秘密組織なのでなおさらよくわからない、ただ彼らは忍術を使うんだ、ということを説明した。

この施設では唯一の若手医師(30代後半)だっただけに、
忍者に対してあまりにも無知な自分を悔やんだ。
(忍者に詳しい方がおられましたら、是非ご一報を。)

そして引き続き、ショー・コスギと藤岡弘についても教えてくれといってきた。
その名前がケニア人の口から出てきたことにビックリする。

私が見たことのある日本映画には一切出演していなかった彼らが、
彼の見る日本映画にはレギュラー出演しているようだ。

ショー・コスギの息子はケイン・コスギであり、藤岡弘は初代仮面ライダーなのだよ。という、彼に対していったところで全く意味のない私の知識は、披露しないという判断に落ち着いた。

とにかく「彼らはすでに年寄りだから、よくわからん。」と伝えたら、
それに思いがけず衝撃を受けていた。

一体、どの時代の映画を見ているのだろうか。

このような感じで、いつも思いもよらぬところから切り込まれてくる日本に対しての様々な疑問に楽しまさせてもらっている。
ケニアから一度も出たことがない彼らが、遠く離れた日本にこうして興味を持ってくれていることが、単純に嬉しい。