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2011年5月31日火曜日

活動。

以前から要求していた患者待合室のフロアのコンクリートがきれいに塗りなおされていた!

やってくれるやん院長!

十分な水がない中で、モリンガたちが懸命に育っていた!

やってくれるやんジファニャ君(畑のオーナー)!

2週間ほど任地を離れている間に、少しずつではあるがよい変化が見られてうれしい今朝だった。

今週は病院の実態調査ということで、来院患者を対象に「病院の環境やサービスについてのアンケート」をユースグループメンバーと始めた。

大量に印刷されたアンケート用紙を片手に様々な科に出向きランダムに選んだ患者に質問する。

「この画期的なアンケート!なんていい試み!院長あなた、ついに火がついてくれたのですね!」

と思ったが、聞いてみるとそれはケニア政府の保健省が全土にわたって調査しているとのこと。

なんと、最も意外なお言葉が返ってきた。

今日が初日。

ユースグループメンバーも出来るだけ患者の真の声を伝えるために、いい雰囲気で患者に接していて何かよかった。


それにより続々集められた患者たちの本当の声、いわゆる不満、不満、不満、たまに満足・・・。

この1週間の集計がこれからのケニアの医療体制をどのように変えてくれるだろう。

と、つい期待してしまう。けど・・・。


午後はエスタの活動に同行した。

1件目は夫からの家庭内暴力で保護された年配の女性と警察と病院を行ったりきたりした。

5日間の入院を経て顔の腫れは引いたらしいが、まだまともに歩けないでいる女性。

2件目はレイプの被害に遭った女性と警察と病院を行ったりきたりした。


ケニアにいると女性の立場が弱いってこと痛感する場面によく出くわす。

いや、日本にもあったのに見てこなかっただけかな。



エイズ対策という名の活動は、色んなものを見せてくれる。

2011年5月28日土曜日

孤独。

今回の旅の中でザンビアにいるエイズ対策同期隊員の活動に1日同行させてもらった。

彼女の活動内容は配属されている地域で活動する在宅訪問診療ケアサービスグループの巡回。

その日はその中で最も活発に活動しているグループを見学させてもらうことができた。

事務所に挨拶にいくと、その敷地内にはマッシュルームの菌床栽培のための立派な冷暗室が並んでいた。自分たちで活動資金を得るIGA(収入向上)として、マッシュルームの栽培・販売によりしっかり運営されている。
5年前にアメリカの支援団体により設営され2年間の技術指導を経て今に至るということだった。
育成期間別に3棟のハウスが並ぶ

とっても立派
購買層は近くの観光施設だろうか

培養した菌を詰める作業中のメンバー達

これだけ現地のグループメンバーだけでしっかり運営されているところをみると、初期段階での十分な設備・資金・人材・技術力の投資の重要性を感じたし、その反対に中途半端な支援ほど現地の人々を混乱させるものはないと痛く感じた。

その地域には徒歩15分圏内に所狭しと住宅が立ち並んでいる。

行く先々で交流が生まれる
イモ虫に興味津々のケニア隊



路上ではたくさんの人々が井戸端会議を楽しんでいてグループメンバーとも顔見知りで、
まさに地域に根ざした活動という気がした。

問診と健康チェック











血圧を測る



結核の自己ケアの方法を説明するザンビア同期

今回訪問した中の1件は、結核の治療を自ら中断してしまったがために歩くのも困難な若い男性だった。

結核と共に他の病気も併発していると予測される男性には、その場で翌日病院へ運搬する手配がされた。
(無料の自転車タクシーを使用するとのこと)

この体制には、とても感心させられた。










 この様に訪問診療ケアといえば「病院に通うことが出来ない重病患者の自宅を訪問する活動」だと思っていた。

しかし、その日新規登録した一人暮らしの70代の男性からはまた別の需要があったように感じた。

他と比べても大きな家に住み、見た目はとても元気に年を重ねているように見える男性。


聞き取りの序盤は健康に関する不安を少し口にしたものの、話のほとんどは妻に先立たれた後に常に襲ってくる孤独感だった。

「話し相手が欲しい。」
「人と関わりたい。」

子供は2人いて、結婚して孫もいるが同居はしていない。
頻繁に会うこともない。

毎日読書をして、TVを見て、ようやく一日を終える。

一歩外に出れば、たくさんの人々がおしゃべりを楽しんでいるのに。


塀をひとつ隔てて存在する大きな孤独。


「定期的にグループメンバーが自分を訪ねてくれる。」
「他人との約束がある」 

このことが、この男性にとっては大きな救いになるのだろう。


日本と変わらない。

人との関わり方は、人生を豊かにも貧しくもする。

3、2、1、GO!。

ヴィクトリアフォールがあるザンベジ川に架かる橋
川面からの距離111m。











飛び降りたいと思うのは人間の性なのでしょうか?

売り出し中のお笑い芸人ならリアクション連発で1時間40分は粘れるおいしい場面。

しかし、我々一般JOCVは、いともあっけなく

『3・2・1・GO!』の掛け声で、

 

小さいけれど、大きな一歩を踏み出しました。

『うひょ~~~~!!』


飛ぶ前が線のこっちザンビアで
飛んだ後の線のあっちがジンバブエ。
吊り橋効果というのでしょうか。
2人の愛は一層強まりましたとさ。



2011年5月26日木曜日

ザンビア。

アフリカの街角で 
ゴミ箱が設置されてるのを初めて見せていただいたザンビア。
わ!人々がそのゴミ箱にゴミ入れてるやん!?

え?村のおばあちゃんが英語理解してるやん!?

路上でワイロせびる警官いんやん!
二車線の道路を自動車がそのまま二車線で走ってるやん!
道が整い過ぎて、バス乗ってもマタツ乗っても揺れんやん!
子供達が横断歩道を横断してるし~!
えっ、うそ?!
今、運転手が道をお互い譲り合った!!!
ありえん・・・。

巨大ショッピングモール!?
何!?ケンタッキーフライドチキンって!?
SUBWAYまであんの!?
スーパーにデリカコーナーある・・・・。
豚しゃぶ、ポン酢に大根おろしって~なに~!!??

驚きの連続。

これらは全てザンビアの首都ルサカで、一緒だったケニア隊の全員が呆然とした場面である。

ここが日本なら全く何とも思わない。

しかし、同じアフリカでここまで違うものか。
ここまで違うものなのか!
いま、2回言った。


首都なのに空気がきれいでいかにも安全そうな町。
建物、道路環境、人の身なり、全てが整って映り、貧富の差を感じさせる対象を街角で見かけない。
空気が肺いっぱいに吸える。
これからもさらに発展していきそうな雰囲気がビシバシ伝わってくる。

はっきりいって、ザンビアを完全に見くびっていた。

互いにイギリスの植民地だったケニアとザンビア。
『この無理のない発展ぶりは、最近までイギリスの植民地だったからなのよね?』
という予想に反して、ケニアもザンビアも独立したのは共に1964年。

この違いは、何が生み出したものなんだろう。

発展しているといえばザンビアよりはるかに発展しているケニア。
しかし、発展している方がイイなんてことは決まってない。

平均寿命は38歳(2007年)と聞くと、まだまだ知らないことがいっぱいありそうだけど、
国民の歩幅に合わせて、一歩ずつ発展してきた雰囲気を感じたザンビア。

世界平和度指数ランキング、アフリカでもっとも平和な国の一つとして評価されている


対するケニアの首都ナイロビは、世界でも名高い治安の悪さを長年維持し続けている。


この違いを肌で感じたまでのことか。

初日のショックの大きかったことといったらない。

2011年5月25日水曜日

ルナレインボー。

この9日間、任国外旅行でザンビアとマラウイという国にいってきた。

この旅の最大の目的は、『ルナレインボーをみること』。


雨季で増量したヴィクトリアフォールの水しぶきの中に、満月の月明かりに照らされて虹が架かる。

それが『ルナレインボー』 。


曇っていては見えない。

水量が足りなくても見えない。

全てはその日の運。


雨季 + 満月 + 晴れ


自他共に認めるケニア同期の観光スペシャリストが導きだしてくれた今年のベストは『5月17日』。

半年以上前からこの日に向けて計画を立ててくれた。



『見れたらいいな。』


そんな思いを胸に、同じくその日を目指してザンビアに集まった同期組の中に

ふと星空スペシャリストのディエゴ隊員の姿を見たとき、その期待は確信に変わった。


南半球では、ウサギは逆にはならない。




その日は、雲ひとつない晴天の満月。

どの角度からもはっきり見えた虹。


滝の上流付近にも虹
滝下流:虹とオリオン座




































自然が創り出すその幻想的な雰囲気に、心底酔いしれた夜だった。


アフリカにきてから、これらの大自然にどれほど魅了されていることだろうか。



2011年5月16日月曜日

野外シャワー。

報告するまでもないことだが、先日、森の中で全裸で体を洗うという経験をした。

イルカを見た常夏のシモニでの宿泊。

同期隊員と共に宿泊した施設の共同シャワーは野外で電灯がなかった。


ということで、同期隊員と共に月明かりと満点の星空の下、全裸で水浴びを決行。

暗闇で察知できないケニア人の出現にビクビクしながら、

途中、全身泡まみれで水が出なくなるアクシデントに見舞われ係員に来てもらうというスリルを味わいながらも、

2日目は『森で全裸』にすっかり慣れたもので、

シャンプーしながら散歩することに開放感すら感じながら爽快に水浴びをした。


同期隊員が生まれたままの姿で森と一体となっている画は、

女性週刊誌の素人ページのような、大変美しい光景であった。

2011年5月14日土曜日

再会。

協力隊は任国によって許可されている近隣諸国へ年間20日の任国外旅行が認められている。

この制度を利用して、同期のサキ隊員が隣りのウガンダから遊びに来てくれた。

女子度の高さは天下一品。

相変わらずのかわいさ100%全開で、サキ隊員はナイロビ空港に降り立った。


国は離れていても、心はいつも一緒。

約1年ぶりとは思えない再会だった。

同期隊員といっても他国隊員との付き合いは、二本松訓練時代のたったの2ヶ月間。

この2ヶ月の結束感は他の何にも変えがたいもので、派遣後もどんどん強さを増している。

この仲間たちとは、土台が一緒という安心感がある。

その土台にそれぞれの視点や想いや想いが乗っかって、触れ合いの中で相乗効果も加わって、

自分の中にまた新たな世界が広がっていく。



ウガンダからナイロビへのフライトはたったの40分間。

到着したその日は朝8時から夜中までたっぷりとナイロビ自慢をして、

次の日はナイバシャのヘルズゲートで自然を満喫して。


東アフリカの玄関口ナイロビのあまりの都会さに、みやげ物の充実度に、寿司のうまさに、ケーキのクオリティの高さに、

終始興奮冷めやらないウガンダのサキ隊員。

私もまた他国隊員の目を通して、また新しいナイロビを発見する。


買い物して、おいしいもの食べて、動物をみて、楽し過ぎる再会だった。

任地ナイバシャのヘルズゲートへ


アドベンチャー気分で


水が作った芸術品に囲まれて


はしゃぐ31歳コンビ

たくさんの草食動物に囲まれて、3時間のサイクリングと2時間のウォーキング



ケニア隊員一押しのオーダーメイドのサイザルバックのお店
 

お寿司!!!!!!!!!!!!



ナイロビのど真ん中でアイスを頬張る
 

生ヤギ。

先日、マサイ村を訪問した。

ここでは歓迎ダンス、ジャンプ競争、火おこしなどの体験をさせてくれる。

ジャンプ大会

その中のひとつ、『ヤギをさばく』。


とどめを刺す

さっきまで生きていたヤギの血を飲む。

採れたて
口の中にヤギの体温を感じつつ、ドロっとした舌触りにギョギョッ!!としながら。


コップの衛生状態が保たれているのか、保たれていないのか。

ヤギの血がうまいとか、まずいとか、という問題ではない。




ザ・根性試し。
 

目玉のオヤジ
引き続き、ヤギの生腎臓と生肝臓にもカブリつく。

甘みと共にほのかに感じた塩味は、ヤギのものなのか、さばいてくれたおっさんのものなのか。

わからないし、考えたくない。
 
いただきます
ゴマ油プリーズ!!塩プリーズ!!

欲をいえば、もっと冷えていれば・・・

ああ、生ビールがあれば・・・


日本の焼肉屋のレバ刺しが恋しい。


血の生臭さは一日中、口の中から消えることはなかった。

何よりも「ヤギはご馳走だ」といっているマサイ族自身が、

最後、若干無理して血を飲み干していたような気がしたことが印象に残った。






2011年5月7日土曜日

イルカと泳いだ日。

♪汽車を待つ君の横で僕は~ 時計を気に・・・・

おっと、すいません。

先日、何頭ものイルカを見てしまったもので、ついイルカ気分に浸ってしまいました。


マサイマラでライオンを見た1週間後には、コーストのシモニという場所の海でイルカを見ました。

そして、見ているだけでは物足りず、なんと一緒に泳いできました。


これは、シモニの観光業で働いておられる先輩隊員でさえ驚くほどの幸運だったようです。


海に勢いよく飛び込んだものの、イルカとのあまりの近さに大興奮し、呼吸が乱れ、危うく溺れそうになりました。




ピョンピョン飛び跳ねて


7頭ものイルカがお出迎え


イルカたちに遊んでもらっている人間たち


シモニの夕日

折り返す。

本日、元生徒のケニアの旅が幕を閉じた。


彼の乗った航空機がナイロビ空港を飛び立った。

普段たくまし過ぎる協力隊仲間に囲まれすぎているせいか、18歳の彼がとても小さく見えた1ヶ月。

機上からアフリカの大地を見つめながら、彼はこのケニアでの日々をどう振り返っているだろうか。

『彼の目にはどう映るか?』

そんなことを考え続けたこの1ヶ月は、正直とても疲れた。


しかし、その分、楽しかった。


自分の人生の中のほんの2年間を協力隊として過ごすと選択した人たちに、一度にたくさん出会った彼。

ケニアという国で、色んな人との出会いの中で、様々な人生観に触れた約1ヶ月だったと思う。

何かひとつでいい。

何年かかってもいい。

これからの彼の努力で、形にして欲しい。


この期間、彼にとても貴重な経験をさせてくれたユウヘイ、りさちゃん。

同じ時期に日本から来て本当にお世話になったナナちゃん、マリのお姉ちゃん。

彼にたくさんの話をしてくれた協力隊のみんな、ありがとう。

また幾度もメールをいただき、かえって多くの気を遣わせてしまった彼のご両親へも

本当に感謝の気持ちでいっぱいである。




気つけば今日はケニア生活の折り返し地点。

ケニアに来て319日。帰国まで319日。

ケニアという場所で、自分自身の勝負のために全てを使える貴重な時間を過ごしていることを

元生徒の存在が改めて教えてくれた。




またここから、自分の前半の日々に負けない日々を積み重ねていきたい。


ケニア生活、後半戦のはじまり。

2011年5月5日木曜日

夢探し、自分探し。

元生徒が孤児院の子供たちと交流した4泊5日。

子供たちはとても不思議がったそうだ。

「この日本の少年は、なぜケニアに来たのか?」

「夢を探しているんだよ。」

「日本人は夢を探しに、わざわざ外国に行くの?」



これは嫌味ではない。

ケニアの子供達と話してみると

「夢がないことを悩む」

この感覚が、どうも理解出来ないことらしい。


夢があってもなくても、生きるために自分に出来る目の前のことをするのが人生。

貧しい生活の中で、選択肢などない。


ふと、この間行われたフェスティバルでの出来事を思い出した。

その中に、ケニアの子供たちの夢を絵に描いてもらおうというブースがあった。

そこではこちら側の趣旨とは違って

子供たちがみんな揃って「将来住みたい家」か「将来乗りたい車」を描きだした。




日本では当たり前に出てくる

「夢さがし」

「自分さがし」



今まで出会った全てがその材料になる。

材料が足りなければ補充して?


しかし、どれだけ追い求めても自分の外側に答えはみつからない。

「夢」も「自分」も

最終的に答えは自分の内側にあるのだから。

人間inマサイマラ。

先日、マサイマラ国立公園に行った。


動物が活動する時間帯に合わせて朝方と夕方に行われるゲームドライブ。

朝日や夕日に照らされた果てしなく広がるサバンナの中をサファリカーで爽快に走る。


プライドと呼ばれる集団をつくり、列を成して堂々と歩くライオンたち

小鳥たちを背中に乗せてのんびり歩くクロサイ

朝日に照らされながら獲物を捜すチーターの親子

木に登り捕らえた獲物にかぶりつくヒョウ

黙々と草原で食事を続けるインパラやバッファローの大群

おびえながらチョコチョコと走るイボイノシシたち

母親同士で仲良く子供たちを囲みながらのんびり歩くゾウの親子



なんて贅沢な時間だろうか。



マサイ族のガイドさんが色んな話をしてくれる。


『世の中で一番奇妙な動物は何だと思う?』



『…… 人間?』

『正解。』


他の動物たちは自然に背くことはないから。

人間は時折?いつも?理解できない行動をする。


人間が自然のままに生きるって、どんな状態を指すのだろう。

人間の習性、進化の過程、現時点では何を指すのだろう。


ヒトとヒトの”間”が影響し合い、紡ぎだされる不自然の連続。

だから”人間”はとても難しく、とても面白いのだけど。



実物以上でもなく、実物以下でもない。

ありのままの自分を受け入れること。

難しいことだろうか。



大自然の圧倒的な存在感の前で、ちっぽけな存在の私は、

色んなことに思いを巡らさざるを得ない。

ただ、ただ、生かされている自分に気付く。


言葉で伝えられない、感動がある。







2011年5月3日火曜日

大きくなれ。

彼はもう高校生ではない。

高校を卒業した社会人である。


教室の中での教師と生徒だった1対大勢の関係ではなく、

人間同士として1対1のどんな再会が出来るかとても楽しみにしていた。


しかし、いうならば「家族旅行の子供枠」のような感覚で、元生徒がケニアに来てしまった。

関西空港から飛行機を乗り継いでナイロビに来た時点で、彼の冒険は終わったのかもしれない。

それからというもの彼の目には常にケニアではなく、私が映っている。

そう気付くのに2日もかからなかった。



今からちょうど一年前に、訓練所に入った4月を思い出した。

常に思考回路の中に「生徒」がいる日常から離れて、

自分だけのことに時間を使える贅沢さと常に自分が主体となって動ける身軽さを感じた。

そしてそれ以上に、自分との真っ向勝負を突きつけられる毎日に厳しさを感じた。


他人の成長を心から期待して喜べるのが教師かもしれない。


そういった意味では、数多くいる元生徒の中でも、

教師だった頃の自分の感覚を呼び覚ますのに十分過ぎる彼がやってきてくれた。

手がかかるヤツほどかわいい。

未熟すぎる彼に、完全に眠っていたと思われる私の教師魂は十分かき立てられた。



「さて、どんな環境を用意しようか。」


あれこれと説明してわかるようなことを習得するために彼はケニアに来たのではない。

たっぷり感じてもらわなければ。


これまで完全に観光一色だった前半戦は終了。

そんなわけで先日、彼と寝台列車に乗ってモンバサに移動した。

そこで同期隊員の活動先の孤児院にお願いして彼を置いてきた。

日本人は誰一人いない孤児院での4泊5日のボランティア生活。


最初からかかってきても対応しないと決めた電話は、2日目からはもう鳴らなくなった。

彼の孤児院生活は明日でいよいよ最終日を迎える。

便所事情。

久しぶりに任地ナイバシャに帰った日から怒涛のおもてなし業が始まった。


ケニア隊員と日本からのお客様たちのナイバシャ観光の宿泊先となった我が家。

みんなの行き先は以前紹介した人気スポットロンゴノットヘルズゲート


3日間で延べ18人のゲストに泊まっていただきながらも、

その間まったく水の出ない生活に申し訳なさが募る。


貴重な水の使用量を減らすために、水洗便所しかない我が家では『尿は流さない』というルールを定めたため、

公衆便所と同じにおいが自宅の便所に充満するという悲しい事態。

何しろ3日間で18人分・・・。

ここまでくれば、尿で尿を流せたりすればいいのだがそれ程の量も勢いもない。



みなさんはご存知でしょうか。

水洗便所が一回の洗浄に使用する水の量の膨大さを。

その一回で水浴びも洗濯物のすすぎも出来ちゃう驚きの量であることを。



最上級の便所の形は日本製のウォシュレットではなく『ボットン便所』。

間違いないと思います。