元生徒が孤児院の子供たちと交流した4泊5日。
子供たちはとても不思議がったそうだ。
「この日本の少年は、なぜケニアに来たのか?」
「夢を探しているんだよ。」
「日本人は夢を探しに、わざわざ外国に行くの?」
これは嫌味ではない。
ケニアの子供達と話してみると
「夢がないことを悩む」
この感覚が、どうも理解出来ないことらしい。
夢があってもなくても、生きるために自分に出来る目の前のことをするのが人生。
貧しい生活の中で、選択肢などない。
ふと、この間行われたフェスティバルでの出来事を思い出した。
その中に、ケニアの子供たちの夢を絵に描いてもらおうというブースがあった。
そこではこちら側の趣旨とは違って
子供たちがみんな揃って「将来住みたい家」か「将来乗りたい車」を描きだした。
日本では当たり前に出てくる
「夢さがし」
「自分さがし」
今まで出会った全てがその材料になる。
材料が足りなければ補充して?
しかし、どれだけ追い求めても自分の外側に答えはみつからない。
「夢」も「自分」も
最終的に答えは自分の内側にあるのだから。
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