2011年5月5日木曜日

夢探し、自分探し。

元生徒が孤児院の子供たちと交流した4泊5日。

子供たちはとても不思議がったそうだ。

「この日本の少年は、なぜケニアに来たのか?」

「夢を探しているんだよ。」

「日本人は夢を探しに、わざわざ外国に行くの?」



これは嫌味ではない。

ケニアの子供達と話してみると

「夢がないことを悩む」

この感覚が、どうも理解出来ないことらしい。


夢があってもなくても、生きるために自分に出来る目の前のことをするのが人生。

貧しい生活の中で、選択肢などない。


ふと、この間行われたフェスティバルでの出来事を思い出した。

その中に、ケニアの子供たちの夢を絵に描いてもらおうというブースがあった。

そこではこちら側の趣旨とは違って

子供たちがみんな揃って「将来住みたい家」か「将来乗りたい車」を描きだした。




日本では当たり前に出てくる

「夢さがし」

「自分さがし」



今まで出会った全てがその材料になる。

材料が足りなければ補充して?


しかし、どれだけ追い求めても自分の外側に答えはみつからない。

「夢」も「自分」も

最終的に答えは自分の内側にあるのだから。

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