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2010年8月31日火曜日

職場案内①

職場について、気付いたことをまとめていくことにする。
先週から勤務が始まったが、カウンターパートの不在のため全く私のことを把握していない彼らに「とにかく約2年間ここで働く。」「毎日来るから。」ということをアピールし続けた先週の4日間。
そして、週末をはさんで今日で5日目の勤務。

日本で8年間教師をやっていたころは、
常に優先順位を考えて、
時間をいかに効率的に生みだすかということを考え、
「忙しい。」という言葉は、
決して口に出すまい。
と思って仕事をしていた。

ケニアの病院では、
常に自分に出来そうなことを考えて、
時間をいかにして有効的につぶすかということを考え、
「暇だ。」という言葉は、
決して口に出すまい。
と思って立っている状態である。

私の1日の仕事量=日本:ケニア=100:13
場所の違いやボランティアとして立場の違いもあるが、
全体を見てもざっとこんなもんな気がする。

【この施設の一日の動き】         【私の仕事】
日替わりで健康ミニ講座          ・スワヒリで展開される講座を横で聞き流す。
9時から受付開始              ・受付業務
データ入力・カルテ準備           ・データ入力・カルテ準備
〈HIV陽性患者に対して〉             
血圧・体重                   ・血圧をひたすら測る
栄養指導・カウンセリング          ・体重も測る
診察作成                   ・処方箋作成を手伝い
〈HIV感染をチェックしに来た人に対して〉
採血・検査・診断
カウンセリング
                         ・10時過ぎからチャイの準備にいくことも
11時頃からチャイ              ・チャイを飲む・歓談
12時頃からランチ              ・目の前にいる人とスワヒリ語でお話
2時過ぎに再びみんなが揃いだし     ・やれそうなことをひたすら探す
患者がいれば午前の続き          ・4時が来るのを待つ
いなければ
各部屋で歓談やパソコンゲーム。
4時過ぎ片付けはじめ、           ・片付けの手伝い
4時半頃順次帰宅し始める。        ・帰宅

この施設に定期的に通う患者数は約4,500名。
それとは別に、5歳以下の子供が約400名。
全てHIV陽性者である。

それに加え、検査をしに来た人の中で発覚した新規HIV陽性患者が1日約5人ほど増えていく。患者たちは3カ月置きに診察と治療薬(無料)をもらいにこの施設へやって来る。

陽性であることが前提であるようなこの施設内で、プライバシーの保護は一切考慮されていない。
今日も患者の名前を、遠くの部屋から叫んでいる状態である。

思うところは、多々ある。

しかし今はじっと我慢して、人間関係の構築に努めている。
押さえるべき(敵に回してはいけない)女性集団についてもしっかり把握し、その辺は本当に楽しくやらせてもらっている。

それにしてもこの施設、午後からのパソコンゲーム熱中率は高い。
ソリティアとスパイダーが人気を二分している状態である。

私の午後はというと、とにかく出来ることからコツコツと。
日本の体育教師らしく(?)
「環境の乱れは、心の乱れ!」と言わんばかりに、
先週は待合室のイスの修理と新たなイスの作成、バナナの皮からトウモロコシの芯までやりたい放題に芝生に捨ててあるゴミ拾いをした。
本日は、ドライバーセットを持参し、閉まらない受付のドアを取り外し付け替えた。
明日は、庭にデイジーの花を植えるつもりだ。

みんな「MIHARUが今度は何をしだすのか」ということを気にかけてくれて、
(というより、存在意義をかけて!
 気にかけてもらえるようにわざと目立つようにやっている。)

「いい仕事だ!」
と、今のところは喜んでくれている。

「少なくとも、最初の半年~1年は様子を見る期間に。」
と、JICAからも担当者からも先輩隊員からも言われていて、
自分の社会人経験からしても
「最初1年間の1クールは見ないと把握は難しいだろう。」 と思っていたが、
なんとなく、なんとな~くだが任地訪問および先週の4日間でこの施設の働きが大体分かってしまったんではないか、というような錯覚に陥いってしまう。

それほどやることが限られているということと、
何よりも以前紹介した、このおっちゃん医者Dr.デイビットが本当に
何でも懇切丁寧に教えてくれるからである。

すでに冗談をいう仲。(スワヒリ語ではあるが、おそらくおやじギャグの域)

2010年8月29日日曜日

マイフレンド。

ルーシーが初めて家に遊びに来たのが5日前。

それからというもの
「MIHARU~!!」
そういってルーシーは、毎日家にやって来る。

ルーシーは、日本の小学5年生と同じ年齢。

自分の小学生時代を思い出す。
アポなしで友達の家に行き、玄関口で
「マ~イ~ちゃ~ん、あ~そ~ぼ!」(マイちゃんは私の幼馴染の名前)
という、あの感覚。
で、
ルーシーは今日もやってきた。

昨日は庭に穴を掘ってごみを焼却するのと、畑作りの準備を手伝ってもらった。
そして今日は折り紙をした。
日本の小学5年生の折り紙レベルを知らないが、
私の技を、己で盗みやってみるべし。
ということで、一切手を貸さなかったが、
初めて知り、初めて作る折り紙に悪戦苦闘し、無事完成したのがこの「鶴」。


なんとか羽ばたいていけそうな「鶴」が完成した。

そして2時間ほどのんびりお話した後、帰って行った。
ヤツはきっと明日もやって来るだろう。


と思った矢先、
夕飯時にまた来た。

あの、本日、2回目ですけど~・・・。

2010年8月28日土曜日

初もてなし。

昨日は、今月4日に行われた国民投票の結果承認された新憲法の公布日ということで、急遽祝日となり仕事も休みとなった。植民地時代にイギリスが制定した憲法に従ってきたケニアが、1963年の独立以来初めて独自の憲法に改正したということで、国中がお祝いムード一色の日であった。

そんなわけで、昨夜は隣りのルーシーを夕飯に招待した。
1人では気合の入らない料理だか、食べてくれる人がいると一気にモチベーションが上がる。
午前中に家のことを済ませ、午後から市場まで買い出しに行った。
ナイロビ滞在時に、350シリング(約400円)でオーダーメイドしたどっちが前だかわからないズボンをはいて出掛けた。



キャベツ1玉 10シリング(約12円)、
ジャガイモ1盛 10シリング(約12円)を購入。

念のため、ルーシーにリクエストがあればと聞いてみたが、
「チップス」(フライドポテト)
との回答だったため、却下。

本日のおもてなしメニューは、すでにドミトリーで作ってみたことのある
お好み焼きと焼きそばと肉じゃがにした。
私的にはお好みソースの味が最もこだわるべきポイントなのだが、今回も当然のごとく上手にできた。

肉屋での肉の購入の仕方と、評判のよい肉屋がどれかいまいちわからないため、今回はウインナーやハムを使ってみたが、肉じゃがにいたってもルーシーにとって初めての日本料理は好評に終わった。
締めの焼きそばもいただき、最後は広島焼きを作ってルーシーの家族にもおすそ分けした。


これぞ近所付き合い。

2度目の断水以外は・・・・、充実した日々を送っている。

(本日の朝食・焼きそばパン)

初訪問者。

コンロを買った翌日、すでに目を付けていた絨毯と冷蔵庫を買いに行った。
行き先はもちろん、ナイバシャのスーパー「ナイバス」。

すでに知り合いとなった定員、というより昨日重い物を一緒に運んだ同志に、
まず本日はちゃんと配送車が押さえられるのかどうかを尋ねた。

本人もさすがに昨日はしんどかったのか、「今日は、あるぜ!!」 と力強い返答。
そして昨日の長い道のりが嘘のように、車でたった5分で家に到着した。

やはり日本人として、床でゴロゴロできる環境は最高である。
一気に充実した気がした。


そして早速その夜、隣りに住む10歳のルーシーが遊びに来た。

このルーシーは家から遠く離れた学校に通っているため、普段は寮暮らしをしているが、現在は学校が長期休みのため家に帰ってきている。5人兄弟の末っ子でいつも大変暇そうにしており、この近所では私と暇人同士、一番多く話したり遊んだりする友達だ。この日も日本の話や、学校の話、お互いの家族の話などをして、日本からのお土産に持ってきた扇子をプレゼント。


ルーシーのリクエストに応えて、ギターの弾き語りで日本の歌もプレゼントした。
披露したのは最近練習してはまっている
美空ひばりの「川の流れのように」と、森山直太朗の「さくら」である。

何度もつまりつつ、しかも、若干物マネを入れながらの曲の披露に
完全に戸惑うルーシー。

本物を知らないのに、物マネされては戸惑うのも無理はない。
ましてや、ひばりに直太朗である。
日本の10歳でも、おそらくポカンとするだろう。

空気を読んで、とっておきのアンジェラ・アキは今回控えたが、



ギターにも興味を持ってもらいそれなりに楽しんでもらえた。

どこかの新人歌手のコメントではないが、
異国の人にも、日本の歌で感動を伝えられる演奏ができたらいいのになぁ~。 と思った。

2010年8月27日金曜日

断水とエコ。

それは突然起こった。
その日、風呂に入るのを伸ばし伸ばしにしていた末の断水。

それも、出張から帰ってきたその夜。1人暮らしをして2日目の夜のことである。
前回まで勢いよく出ていた水だったので、なんの疑いもなく完全にこのまま出続けるものだと
思い込んでいた水。
ケニアや他国の同期隊員の、水なし生活の話を聞いても、完全に人ごとのように聞いていたのに・・・。

本当に、突然起こった。
しかも3日間連続。

ビックリするというよりも、ただむなしい。
ここナイバシャは標高が高く朝晩冷えるため、なおさらむなしい気分になる。
何度も蛇口をひねりすぎて、もはやどっちが出るのか止まるのか分からない。
町内アナウンスなどは存在せず、水道がいつ休止していつ再開するのかも全くわからない。

ミネラルウォーターで歯を磨き、コーヒーを飲む。

風呂は、庭にあるタンクの雨水を使用しバケツ1杯で体も頭も洗うことにした。

コップを使って少量の水をまんべんなく身体に流していく。
そもそも雨水とは、どれほど汚く、どれほどキレイなものなんだろうか。

続いて、バケツ2杯の雨水で洗濯物を洗ってすすぐ。
1人暮らしをして初めての洗濯。
この時までわざわざとっておいた日本の液体洗剤を初めて使った。


節水とエコをうたった宣伝文句に、力のない笑いがこみ上げた。



タンクの水量を気にかけて、雨が降ることに喜びを感じ、
その後、3日ぶりに水道の蛇口から水が出たことに安堵した。
停電はしょっちゅうあり、昨夜は大雨で一晩中の停電に見舞われた。

私はアフリカにいる。
というより、

ここは、日本ではない。

と強く感じた3日間だった。

2010年8月26日木曜日

配達サービス。

大型バスでの長距離移動を終え、無事にナイバシャの町に到着。

町の中心からは家までは、徒歩で25分。そこまで遠くはないが、面倒な距離である。

そのため、前々から目星をつけていたガスコンロと大型ガスボンベ、トースターを購入しに町のスーパー「ナイバス」にそのまま向かった。
既に前回来店時に確認済みの無料配達サービスを利用して、自分も一緒に家まで運んでもらおうという作戦である。
店に着いてもう一度無料配達サービスがあることをしっかり確認し、瓶ジュースや調味料、5リットルの水など普段は重くて買わないものを優先的にカゴいっぱいに詰め込んだ。
欲しかった圧力鍋もしっかり購入。レジを済ませる頃には辺りはもう暗くなり始めていた。

さぁ、ここからはお願いします。
駐車場はどこだったかな?

と、背中には出張帰りの大型リュックサックを背負い、既に指に食い込んだ袋を両手に持って歩く私と、それよりもはるかに重いガスコンロやボンベやトースターを運ぶ2人の店員。

あれ?駐車場はここではなく、もっと先だったかな?
えっ、私の家の方向はあっちですけど・・・。この角を右に曲がり、次のこの角は左に行って・・・・。

って、おい!!!
ひょっとして、もう無料配達サービス始まってました??!
この徒歩の!!

超手厚いサービス。
あざ~っす!!
・・・・。

てな感じで、配車が上手く出来なかったらしく、徒歩のまま、気を遣いまくり、しゃべりまくりの無料配達サービスが始まった。
かつ、彼らが重過ぎる物を反対の肩に持ちかえるための小休憩を2回はさみつつ、
「何だ。この状況は!」と幾度も自分に突っ込みを入れながらの道中。

暗闇の中で、どんどん見えなくなっていく黒人の彼らを確認することはもはや不可能となり、
ラスト3分の1は、疲れすぎて3人とも終始無言となり、30分を要し無事に家に到着した。

こんな真心のこもったサービス、受けたい方がおられましたらケニアのナイバシャまで。
本当に一切、無料です。
ナイバシャのスーパーといえば、この「ナイバス」しかありませんので間違うこともありません。

是非、ご検討を。








2010年8月25日水曜日

大型バス移動。

キスム出張からの帰りは大型バスを利用した。
たまたま最初に声をかけてきた切符売りが格安な値段で交渉してきたためである。
満席になると出発するというシステムのため、マタツにもバスにも時刻表は存在しない。

よってこの日、座席で太陽に照りつけられながら出発するまで2時間待った。
もう決して大型バスを利用しないと、1時間半を過ぎたあたりで強く心に誓った。

同じバスに乗っていたアラブ人は、朝早くから4時間車中で待っていたらしく、怒り疲れていた。
恐ろしい・・・。
4時間もあれば、夢の乗り物「新幹線」で滋賀から東京を往復できてしまう。

日本の大型バスと大きく違うのは座席の配列である。
日本のように両サイドに2人掛け席ではなく、通路をまたいで2人掛けと3人掛けの配置となるため1人当たりのスペースが狭い。前後の間隔も然り。

それに加え、2人掛け席の窓際に座った私の隣りには、これでもか!!と言わんばかりの、ダイナマイトバスト&ダイナマイトヒップの女性がお座りになってしまい、
すでに脚が前の座席にぶち当たっているその女性の肉体はもちろん横に広がる。
結局、その女性と窓にキュウキュウに挟まれながら約5時間移動する羽目になった。

ケニアにきて初めてエアバック付きの座席に座った錯覚であった。
しかし、既に開ききっているエアバック。
衝撃以外に色んなものを吸収された気がした。

貴重な経験であった。

2010年8月23日月曜日

MIHARU JAPAN。

いよいよ、待ちに待った初勤務日。
8月23日月曜日!
気合を入れるべく、この先もう2度と着ることはないだろうと思っていた
エンブレム付きの「JOCVジャケット」を身にまとい初出勤した。

今日も朝から混雑しているCCC。
≪Comprehensive(包括的)
  Care(ケア)
  Center(センター)の略≫
私が働くことになるこのCCC施設は、県立病院の敷地内にある。

このCCC施設ではHIV・AIDSに関わる、受付、カウンセリング、HIV診断簡易テスト、診察、小児HIVケア、栄養指導、家族計画指導、処方箋などの全てのケアが行われる。
HIVは一旦治療が始まってしまえば無料に出される薬をしっかり飲み続けることで元気に過ごすことができる。いわば、糖尿病などの生活習慣病のような位置づけである。
そのため雰囲気は決していいわけではないが、他の病棟の外来患者と比較しても、本当に調子の悪そうな人は少ないように見える。
とにかく笑顔で元気に攻め込もうと決めていたので、
まるで学校にいるかのごとく「おはよう!」「調子はどう?」と、
目の前にいる患者たちに声を掛けまくってみた。

すると皆顔をあげて、患者ではあるが「Nzuri .(好調です!)」と形式的に返してくれる。
英語で言うところの「I'm fine.」、
関西弁でいうところの「ボチボチでんなぁ。」みたいなところである。

当たり前のことではあるが、こっちが笑顔であれば相手も笑顔。
しかも「あなたの笑顔は最高に素敵だわ!」と
知らないおばちゃまに褒められてしまったため、初日からひとり勝手に勢いづく私。

本日の業務は任地訪問の時にも何でも懇切丁寧に教えてくれたおっちゃん医師に導かれ、血圧の測定、受付のファイル準備、処方せんの作成など、なんやかんやと手伝わせてもらった。

そして本日、挨拶以外にもうひとつ連発した重要ワードが、
「Jijunge!(お大事に)」。

日本の医療現場では当たり前に聞くこの言葉だか、ケニアにはその習慣がない。
そのため言われる患者よりも、一緒にいる医師や看護士のほうがびっくりしていたが、
この言葉も患者を笑顔にする力を十分持っている。

検査の関係で午前に患者が集中するため、
2時過ぎからは完全に業務終了時刻5時を待つ体制になる。

この間は世話してくれたおっちゃん医師の暇つぶしの話相手になり
このCCCに関する様々な情報を得る。
話はケニアと日本のことにもおよび、このおっちゃんの知る日本は、お金持ちとハイテクノロジーというより他に原爆が落された唯一の国ということであった。
他のケニア人にも同じく、広島・長崎の知名度は東京と同等かそれ以上に高い。

ところで、私のカウンターパート(色々お世話してくれる担当者)は、
この記念すべき私の初出勤日に遅刻!ではなく、
なんと無断欠勤で一日姿を見ることはなかった。
(どの人にもよくあることらしく周りの人も全く気にしていない様子)

そのため本日は多くの人に関わってもらい親交を深めた。
その度に、一度に覚えられない顔と名前をノートに書き込み、携帯番号の交換をする。
とにかくケニア人はすぐに携帯番号を教えたがる。

彼らの携帯に登録してもらった私の名前は「MIHARU JAPAN」

この小さな町で、私は日本代表である。

2010年8月22日日曜日

Go West ケニア西部へ出張。

前泊と後泊を入れた18~21日の4日間。
ケニアのエイズ対策隊員19名が一同に集う「第1回HAPA会議」に出席してきた。

今回の開催地は、ケニア第3の都市キスムということでウガンダまですぐの場所、
ビクトリア湖のある西部に初めて向かった。

しかし、このような詳細な位置を知ったのは着いてからのこと。
今回は先輩隊員と一緒ということで全く下調べもしていなかったため
まさか6時間もの間、バスに揺られることになるとは思ってもいなかった。

その6時間の内訳は、
先輩隊員とのおしゃべりに30分、
超固いトウモロコシ(メイズ)を休み休み食べるのにアゴが疲れきって1時間、
その他の4時間半は、もちろん爆睡。ZZZ・・・。

マタツでの移動は狭すぎるがゆえに身体が固定されて、むしろ寝やすい。
激しく揺れるマタツの中で、
鈍感に寝続ける私を大変うらやましがる先輩隊員。

嫌味ならともかく、本気でうらやましがられてしまい恐縮する。
「先輩が隣りにいてくださったおかげですから。」
全く理由にはなってはいない。むしろ、逆に失礼・・・。

日が暮れる前にキスムに到着し、エイズ対策の同期隊員とたった1週間ぶりの再会を果たした。

標高の高いナイロビやナイバシャからは西部に向かうのも、東部に向かうのも山を下ることになる。
そこは、私たち日本人が想像する赤道直下の国、灼熱の国、ケニア。

恐るべしマラリアの蚊が主に生息する地域である。

ホテルでは、贅沢に扇風機をつけながらネットの中で就寝。
めずらしく頭痛がする。しかも、とてもひどい。

車中で食べたメイズに疲れ切ったコメカミが熱を帯び、悲鳴を上げていた。

自身のアゴの退化と、頭蓋骨が歪んでいることを、
ズキズキと実感させられた夜だった。 (in モスキートネット)

2010年8月18日水曜日

ケニアの朝。

日本のみんなが眠りについている頃、
私はケニアの午後を過ごしている。

日本の一日が動き出す朝の6時。

その時、

ケニアは一日が終了する夜12時。

遠く離れた日本とケニアの物理的な距離を、一番実感する瞬間。

私はいつも、耳をすます。





~朝のリレー~
                谷川俊太郎

カムチャッカの若者が
きりんの夢をみているとき
メキシコの娘は
朝もやの中でバスを待っている

ニューヨークの少女が
ほほえみながら寝返りをうつとき
ローマの少年は
柱頭を染める朝陽にウィンクをする

この地球ではいつもどこかで朝がはじまっている

ぼくらは朝をリレーするのだ
経度から経度へと

そうしていわば交替で地球を守る

眠る前のひととき耳をすますと
どこか遠くで目覚時計のベルが鳴ってる

それはあなたの送った朝を
誰かがしっかりと受け止めた証拠なのだ

2010年8月17日火曜日

ナイバシャ到着。

振り返ってみると何の混乱もなく済んだ国民投票で赴任延期となっていたため、
嬉しいことに私たちの隊次の赴任移動はマタツではなくJICA専用車での移動となった。

朝8時にドミトリーを出発。よく走るJICAの日本車。
前回の任地訪問で寝過ごしてしまったことが嘘のように
たった1時間という速さでナイバシャに着いてしまった。

まず職場に挨拶をし、本日は家の準備のために帰宅することと、
明日からJICAのエイズ関係の会議で3泊4日間も出張することを伝える。

最初に聞いた時、この日程には私もびっくりだったが、
待っていてくれた職場の人たちはもっと驚いていた。

国民投票で赴任が1週間も遅れていた上に、到着早々のこの報告・・・。
でも、仕方のないことなので笑顔でその場を退散。

早速、徒歩20分の所にあるスーパーで電化製品についての情報(値段・宅配・設置)を収集し、
掃除用具を買い揃えて3LDKもあるだだっ広い家の大掃除に取り掛かった。

「ここから、ひとりか」
一心にフロアを磨く。
のも、束の間・・・。
なんと、出張していたJICAスタッフさんがナイバシャに寄るということで、ランチに誘われ外出。
2人の先輩隊員も来てくれて楽しいひと時となった。

そして、先輩隊員の不要になるベッドと机を譲っていただけることに!
帰りにマットレスと電気ケトルを購入し、JICA車で家まで運んでもらえるという充実ぶりだった。
これで今日の寝床は確保。

帰って、再び掃除。
1人なのに、部屋数も多く、とにかく広い家。
土足禁止にするために全てのブラッシングと水拭き。

このリビングだけでも、18畳ほど?!



全ての窓に、カンガをカーテン代わりにセッティング。
マットレス以外のものは、出張から帰ってきてから買いそろえる予定。


掃除終了後から現在まで、このマットレスからほとんど降りていない。
夕飯は電気ケトルで沸かしたお湯で、ラーメンを食べた。
とにかく眠い。

明日は先輩隊員と共に、マタツで約4時間かけてキスムという町に移動する。
同期エイズ対策隊員4人とも、早速会えてしまう。

嬉しいような、悲しいような・・・。
しばらくは、日本語の生活が続く・・・。

2010年8月16日月曜日

明日、赴任地へ。

いよいよ明日、赴任地ナイバシャへ引っ越す。

このナイロビでの準備期間で、
ネットのモデム登録や、
レアな調味料の数々や、
新品の毛布や、
カーテンや、
いくつかの防寒着や、
ナイキのジャージ上下セットや、
部屋の大きさを測るメジャーなど、
しっかり購入を済ませた。

その事前準備は、完璧である。



赴任地ナイバシャに到着したらすぐに町に出かけ、
冷蔵庫や、
マットレスや、
食器や調理器具(圧力鍋!)や、
コンロなど 、
家具の一切ない家に必要なものを揃える。

そのシュミレーションは、完璧である。



赴任地ナイバシャでの1人暮らしのための、
料理や、
ギターや、
本や、
絵はがきや、
おいしいお酒など、
孤独や停電に負けない暇のつぶし方もたくさん習得した。

1人の時間を楽しむ余裕も、完璧である。


心強い仲間もたくさんでき、
気合も十分で、
シャワーを浴びる前に衝動的にカットしたコケシの様な前髪も


やはり、完璧である。


明日の出発に向けて、多くのものが整った。





よって、

私にあと足りないものは、語学力のみとなった・・・。

2010年8月15日日曜日

弾き語り。

ケニアの紹介というより、最近もっぱら料理の紹介が中心?になってきたこのブログ。(平穏な日々を送っていると解釈していただけるとありがたいです)

今夜は、水餃子と焼き餃子とスープ餃子とハンバーグの
とても豪華な夕食であった。

ミンチ肉を1キロも購入したためである。

しかし、相変わらずどれも絶品で、久しぶりに皮から作った餃子もなんとか好評に終わり、食後は新しく購入した自分のギターと共に、弾き語り仲間との楽しいひと時を過ごした。

(これからの赴任生活の友となるであろうギター)


明日になれば、ドミトリーで生活している同期隊員7人のうち4人が赴任する。 今回の共同生活でお世話になったお礼に、得意の足つぼを披露。



毎晩の晩酌で肝臓や腎臓が弱っている事などを
足つぼの症状から言い当てて、自慢げな私。

赴任まであと2日。

2010年8月14日土曜日

日本人倶楽部。

ナイロビには日本料理が楽しめるお店がいくつかある。
本日の昼は、私自身2度目となる「日本人倶楽部」という日本料理店へみんなで出掛けた。




生ビールの文字に感動!

ここは正真正銘の日本人の料理人が腕をふるう店である。


前回・・・といってもたった3日前。
その時食べた“かき揚げ丼”や“生姜焼き定食”などがどれも絶品であったための再来店である。
なかでも“かき揚げ丼”は、今まで食べた”かき揚げ丼”の中で1番美味しかったといっても過言ではないほどのおいしさ。みんなが感動して「こんなおいしい“かき揚げ丼”は初めてだ!!」と、連呼していたものの、よく思い返してみると、今まで“かき揚げ丼”なるものを日本で注文したことはない。

ここがケニアであるということが、感動を倍増させるのだ。
本当にどうでもいい話である。

本日は、“鍋焼きかき揚げうどん”を注文した。
うどんなど、アフリカでは滅多に食べられるものではない。

ここの従業員はケニア人がほとんどで日本語をとても上手に話す。



特にウェイターのこの彼は本当に日本語が上手で、注文に対しての返事も「ハイ!」と返答するので笑える。

どれくらい上手いかというと、日本人である私が注文の際に2度も噛んでしまった“鍋焼きかき揚げうどん”を含めた7人分のご注文を、日本語で1度も噛まずに繰り返してくるレベルである。

相当、上手い。といえる。



これが、“鍋焼きかき揚げうどん”

予想通りのうまさ!
最近、料理にはまっているだけに麺やダシの材料がやたら気になる。




寿司もある。
わさびも効いていて、いうことなし!

ケニア人にとっては、生の魚をそのまま食べるという感覚はあり得ないことらしい。しかし、やっぱりおいしい寿司!

そういえば最近、ケニアにいながらケニアン料理を食べた記憶が久しくない。

そして、久々に食べたいとは決して思わない。


カラッとして涼しい、秋晴れのような日曜の昼であった。

赴任まであと3日。

2010年8月13日金曜日

ドミトリー紹介。

ドミトリー生活も4日を過ぎました。

どんな国でも、どんな場所でも、3日過ぎれば住めば都。
すでに4日が過ぎているので、首都並みの住みやすさです。

アフリカにいながらここはアフリカではない!
日本にいるような感覚に陥る場所。
いつかここに協力隊として来る人必見!!

今回は、ケニア協力隊の「ドミトリー」の紹介をします。


ドミトリーの部屋割り表。宿泊するときは、空いている所を確保する。
現在ケニアに派遣されている隊員は92人。
今度来る隊次を入れるとジャスト100人。
「ドミトリー」は、ナイロビに用事があって来る隊員のための共同宿です。


小学生以来の2段ベッド!


これも小学生以来の2層式洗濯機。
アフリカにおいては、超近代的なマシーン!


隊員用ロッカー。1人に1つずつ割り当てられている。


感動!
この白い機械によって、熱湯が結構な勢いで出ます!!
しかし、調節不可能!熱い~~!
アフリカの同期隊員ごめんなさい!


食器も豊富。


調味料も豊富。
醤油もホンダシもある!


最近の日常の風景。



本日は、残り物をアレンジしたリゾットと豚の角煮をいただきました。

この後は・・・、毎晩のように酒を酌み交わしながらの反省会です!
今夜も、飲むぞ~~!!

2010年8月12日木曜日

ドミトリー暮らし。

語学学校からドミトリーに移動して、一番変化したのは食事。
分かりやすく言うと、ケニアに来てから初めての自炊となった。

しかし、最も面倒くさいと思った料理が、今や一番の楽しみ。
ナイロビ市内での買い物も面白いが、とにかく基本的に暇!

残った隊員で、初めて使用する圧力鍋を駆使して日本料理を楽しむ日々。


リスペクト圧力鍋!!
赴任前に、この威力を知れてよかった。

これから先の赴任1年9カ月が花嫁修業になるかも?!
卒業することのないかもしれない修業・・・・。

今回の赴任延期期間も満喫しています。



2010年8月11日水曜日

同期ケニア隊員。赴任開始!

約2カ月お世話になった語学学校の宿舎から同期隊員が赴任先に旅立つ日がやってきた。
10日6名、11日3名、12日3名、16日4名、17日2名、18日1名・・・・。
という具合に次々と赴任先に旅立っていく。初日の今日は早朝からみんなで合唱し、6名を見送った。


17日に出発の私はナイロビ市内のドミトリーに移動し、仲間を見送ることがしばらく続く。
残される方っていうのは、寂しい。



思い返せば4か月前の4月、福島県の国内訓練から始まったケニアメンバー19名。

出身も年齢もバックグランドもバラバラでみんな超個性的なのに、
お互いに気を遣い合える仲間たちとの集団生活は非常に心地よく、心強く。
最近はそんな同志たちとの共同生活を惜しむように、夜飲みながら語り合うことが多く、
協力隊以外の一面に触れることもしばしば・・・。
好奇心旺盛な私にとって、その対象となる人達とのたくさんの出会いが凝縮した4か月。
訓練所生活を通じて、年齢に関係なく尊敬できる仲間が増えた。
その刺激はたまらないものだった。

そんな私たちにとって、赴任はスタート。

ようやく「訓練」の文字が消えて、「活動」に入っていく。
学校で協力隊の意思表明をしてから2年半、訓練に入ってから4か月、長かったなぁ・・・。

しかし、その中で心の支えとなるものをたくさん得ることができた。

不安や困難はあって当然。
弱くてどうしようもない自分を、これから先、どれだけ受け入れて、前を向いていけるかが試される。

起こってもいないことに、不安を抱いていてもしょうがない。
「やるしかない!」


そんな声が聞こえてきそうなみんなの背中。

他の国にはもう赴任して1か月が過ぎた仲間もいる。
日本はもちろん、世界中に同志がいることが何と心強いことか。

さぁ、青年海外協力隊22年度1次隊の力、見せてやろうじゃないか!

2010年8月9日月曜日

ナイロビの週末


ケニアの同期隊員が全員揃う最後の週末。
本日はメンバー4人でゴルフに行った。

競馬場の内円にあるショートコースと聞いて普段着とスニーカーでお気楽に参戦。
しかし、着いてみたら池も多々ありの難易度の高いロングコース!周りには競走馬が走り、茂みからは猿が出てくるし、珍しい自然満載の中で4年ぶりのゴルフを満喫しました。

ハーフで終了し、料金は900KSH(ケニアシリング、日本円で約1,100円)とキャディさんへのチップ、往復のタクシー代を含めて約2,000円。
安い!!
というか、日本が高すぎる!
                               

2010年8月8日日曜日

EMBE☆TARO

最終プレゼンでやったEMBE☆TAROの解説をします。
~スワヒリ語版桃太郎ならぬマンゴー太郎~

おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川に洗濯に・・・


見つけたマンゴーの中から、マンゴー太郎誕生!


スワヒリ鬼がみんなを悩ましている現状を伝える
おじいさんとおばあさん




ケニアの主食「ウガリ団子」をもって仲間を見つける旅に・・・
フラミンゴとキリンと犬が次々に合流!


そしてついに、スワヒリ鬼(左)登場!!
意外に・・・・、貧弱・・・・?!

フラミンゴの回転攻撃!
キリンの頭突き攻撃!
犬のノミ攻撃!

引き続き・・・・。

スワヒリ語を笑い飛ばせと言わんばかりに
全員でアニマル浜口的
WAHAHA10連発攻撃!!

やっつけたと思ったら・・・、
最終ボス(MWITA先生)登場!!
「スワヒリ語なんて簡単だ!」
「スワヒリ語なんて怖くない」
と叫びながら
最終兵器・WAHAHA騎馬戦で
とどめを刺す!
最後は、降参したスワヒリ鬼と友達になり、めでたし、めでたし。
全員で「We are the world」のスワヒリ語替え歌を熱唱!

文章にしてみると、実にくだらない内容ですが、
実際はもっとくだらない!
しかし、私たちは全力で、恥を捨て、日頃のスワヒリ語への熱い思いをこうして形にしました。
そしてまさに、寝る間を惜しんで一晩で暗記しました~、
(または、昨夜シーフードビュッフェに行ってしまいました~)
という雰囲気全開のセリフのたどたどしさを、なんとか
一番力を入れた衣装と小道具と演技力と勢いでカバーし、
周囲の期待を決して裏切ることのない、
終始大爆笑の劇を演じ切りました。みんないい顔してます。

狙い通りに
「笑わせて」いたのか。
または
「笑われて」いたのか。は、定かではありません・・・。

とにかくこうして、1か月に及ぶスワヒリ語の訓練が終了。
いよいよ赴任が近づいてきました。