2011年1月30日日曜日

母の選択。

HIV陽性者の母親から産まれてくる子供は、100%HIV陽性者になるか?


答えは、NO。

AIDSとは後天性免疫不全症候群のことである。
先天性ではない。
分娩時の出血、授乳においてのみHIV感染の危険性がある。

日本では投薬治療と帝王切開と粉ミルクにより、HIV母子感染の確率は死産の確率を下回る。

ケニアでは帝王切開のできる環境を得ることさえ難しい。
また、清潔な水を手に入れることが難しい環境では、
粉ミルクに使用される水により感染症や病気になって死ぬ確率の方がHIVに感染して死ぬよりも高い。
そのため子供に免疫力をつけるために、
病院側も母親に生後6ヶ月は母乳で育てることを推奨している。

 そして現在ケニアでは、HIVに感染した幼児の2人に1人が死亡する。
HIVに感染した幼児の50%が短い人生を終える。


それでも、ケニアの母親は産む。

「陽性者でもHIV感染確率を最小にして子供を産むことができる。」

その方法を知ってか知らずか。

陽性者である自分の経験を踏まえてのことなのかどうなのか。

夫との綿密なる家族計画の結果なのかどうなのか。


生後6ヶ月の子供をつれてHIV検査に来る母親をみて、

とてもかわいい顔をしてスヤスヤと眠る子供をみて、

彼女たちに子供を産まない前の「子供をつくらない」・「拒否」という選択肢があったのだろうか。

と、考える。


自分の妻に、自分の子供を多く産ましてなんぼのケニアの男性社会。

男の性欲を満たすための対象として女性がいる。その印象があることは否めない。

病院内の同僚を見ても、シングルマザーの占める割合の高さに驚く。


そして、夫の希望、夫の家族の希望で、自分の意思に反して産まねばならない状況がある。



女性が自分の人生を選択することが難しい。


この環境の中で、HIVの新規感染者を減らすためにできることとは何だろうか。

HIV/AIDSを取り巻く問題は複雑である。

2011年1月29日土曜日

モンバサ旅行。〔寝台特急編〕

さて、みなさんお待ちかねのモンバサ旅行小出しシリーズです。

まず首都ナイロビからインド洋沿いのモンバサへの移動手段は3つあります。

飛行機で1時間、バスで8時間、寝台列車で14時間の所要時間。

私たちは今回の旅の思い出に、行きも帰りも寝台列車を利用してみました。
時間の贅沢とは、こういうことですね~。

1899年に開通したケニヤ鉄道。
鉄子でなくても、初めての寝台列車に心が弾みます。

2日かけて列車が往復するため、ナイロビからモンバサ行きの列車は一日おきに出ています。
 

私たちは4人部屋の2等クラスの予約チケット(1人約2500円ほど)を購入。





駅の構内は多くの人々が旅の始まりをワクワクした雰囲気で待ってます。

両サイドに2段ベッドがある4人部屋。
水道も付いてて快適。しかし、蚊が多いのが難点。
 

トイレは各車両に4つも付いてる!
しかし、ボットン便所!?

よって、行き先は・・・・、線路の上。
停車中はなるべく使用しないようにと、
注意書きがされてます。

この方のおケツが大きいのではなくて
通路が狭いのです。

 




 



2等クラスの夕食は夜10時半から
今回のプランは、夕食と朝食付き
































食堂車で充実の食事



ぐっすり眠って、朝6時過ぎ、走る電車から見るサバンナの夜明け。



朝もやの中を走り抜ける列車。
ツァボ国立公園を横断するため、運が良いと野生のゾウが見られるそうです。


線路脇には多くの子供たちが「お菓子を投げてくれ!」と叫ぶ姿。




ゴミの山なんかも見えます。


モンバサに近づくにつれ、多く目にするバオバブの木。
2時間ほど遅れて午前11時頃、モンバサに無事到着。


そして、帰りも寝台列車を利用しました。

帰りは予定時刻から8時間遅れてナイロビに到着。

しかし、これに対して特にみんなが騒いだりということはなく、

全く普通~に8時間遅れました。

何が起こっていたのかは未だ不明。

無料サービスの追加ランチがしっかり出てきたあたりをみると

想定の範囲内のことだったのでしょう。

午前9時頃の到着予定が

結局約22時間乗車し続けて

午後5時にナイロビに到着しました。

が、ここはケニア、

半年ここで暮らしている私たち日本人にも、ほとんど支障はありませんでした。


しかし、到着予定時間から行きは2時間、帰りは8時間遅れたわけですが、

そもそも滅多にしか実現しない最速の到着予定時間を常に提示しておく必要性があるのでしょうか。

最初から到着予定時間を9時から12時に変更しておくだけで

「ケニアなのに電車1時間も早く着いた!寝台列車はえ~!」

って感覚にもなり得ます。

提示の仕方ひとつで、受け取る印象も変わると思うのですが・・・。



でもまぁ、何時に着くかは着いてからのお楽しみ。

日をまたがなければ、OK。

こんな醍醐味を十分味わえた寝台列車でした。




2011年1月28日金曜日

強くなりたい?

どうやったら、かっこいい跳び後ろ廻し蹴りの技が習得できるのだろう・・・・。





そんなことを真剣に考えてしまった、今日のテコンドー部の活動。

ナショナルチーム所属の超熱血コーチがそこだけなぜか日本語で

「気合いっ!!!!!!!」

と、毎回要求してくるので、1時間半絶叫しっぱなしの、跳びっぱなし。

途中で何度もふくらはぎがつるかと思った。

もう人生において、スクワットもバービーも腹筋もガチでやりたくない年頃なのに・・・。

でも、なんか頑張ってしまう。

みんなが必死で取り組んでいることもあるが、

何よりも教えてくれているコーチがとてもいい目をしているからだ。

選手からの信頼も厚く、とてもフレンドリーなのに

練習の開始時には、ピアスやブレスレットや指輪をつけている選手に

しっかりはずすように指導するコーチ。


これだけで、何か通じるものがあり、信頼がおける。

ザ・体育会系。


どうせやるなら、それなりにモノにしたい願望が多少なりとも出てきている。

2011年1月27日木曜日

紙ふうせん。

郵便物は家のポストに届く。
しっかり送り先に届く。

そんなことは当たり前だと思っていたが、
今では、なんて素晴らしいシステムが確立されていたのかとつくづく思う。

ケニアだけでなく日本以外の多くの国では、
受け取り先は郵便局の私書箱(Post Office BOX)しかない。

よって私は、所属先の病院のP.O.BOXを使わせてもらっている。
しかし、これはまだ恵まれているほうで、多くの協力隊員はその確実性からも
首都にあるJICA事務所のP.O.BOXを使用していることがほとんどである。

現地で暮らしている人々の多くはどこにも所属していなかったりする。
その人たちは、手紙や荷物を受け取ることが一生ないのだろうか。

さて、そのBOXの大事な鍵を職員が昨年の12月に紛失したおかげで、
ただでさえ遅い郵便物がまったく届かない事態がずっと続いていたのだが、
昨日ようやく新しい鍵を受け取ることが出来た。

そして、私にその鍵が託されることになった。
これから、いつでも自分の都合に合わせてP.O.BOXの中がのぞける。

行ってみると、昨日はとってもうれしい郵便物が二つも届いていた。

ひとつは実家から届いたEMS。
国際スピード便ということで、日本からたった1週間で届いたものだった。
ケニア、やればできるやん。

中身は今年の正月に私がケニアにいることを
知っている人からも、知らない人からも、届いた年賀状たち。

近年例年のように結婚の報告あり、婚約の報告あり、第1子、第2子の誕生の報告あり、等々・・・。
幸せな報告や写真であふれている。

とてもほほえましいのだが、時に、自分の住んでいる世界とは全く別の世界のことのように映るのは気のせいだろうか・・・。
自分の家庭をもち、母になり、子育てをしている友人たちを、本当に尊敬する。


こんなとき
「世界平和のためにどんなことをしたらいいですか?」
と質問した人に、マザーテレサが答えた言葉を思い出す。

「家に帰って家族を大切にしてあげてください。」

う~ん、・・・深い。


そしてそして、もうひとつは高校の同級生たちから。

今年の正月に30歳の節目ということで、初めて高校時代の同窓会が開かれた。

私はもちろんケニアにいるため参加できなかったのだが、
その時に友人が寄せ書きしてくれたこの紙ふうせん。

懐かしい名前から、みんなの笑っている顔が簡単に目に浮かぶ。
この粋なプレゼントに本当に素敵な仲間に恵まれていたもんだなとしみじみ思った。

みんな、ありがとう。
日本でも、ケニアでも、私たちは共に前を向いて歩いていこう。 
まだまだ、これからだね!

そして、日本での再会を、私も楽しみにしています。

みんなありがとう。
本当にありがとね!

2011年1月26日水曜日

布ナプキン。

昨日出会ったエスタのところに、今日はさっそく布ナプキンの普及活動の説明とサンプルを持っていった。
多くの支援団体に支えられながら、多くの学校に生理用ナプキンを渡しているエスタの活動を昨日知ったからである。
その配布されているナプキンは、日本で一般的に使用されているものと同じ、ナイロンの使い捨て商品である。

ケニアではナプキンが買えないために生理の期間は学校に行けない生徒までいる。
よってナプキンの無料配布は、各学校からとても感謝されている活動なのだ。

しかし、この使い捨てナプキン。
全て使い終わったら、また同じ問題に突き当たることも目に見えている。

ということで昨日、
「彼女たちにとって、ナイロンナプキンよりもっといいものがあるよ」
という提案をして今日の布ナプキンの紹介に至ったわけである。

以前、布ナプキンの作り方や指導法を先輩隊員から教えてもらう機会があった。
この布ナプキン。
布で出来ているので肌がかぶれたりすることがなく匂いなどもない。
日本では洗濯の手間などもかかるため、全く普及はしていないが、
一度使ってみるとこれが想像以上にいいものだということに気づく。

この布ナプキンなら古着やケニアの伝統的なカンガ布を利用することで肌にやさしく、
低コストで簡単に作れるうえ、何度も洗って使えるので経済的にも非常にオススメなのだ。

昨晩あわてて作成したサンプルにも非常に興味を示してくれて、
一緒になって作り方も伝授した。


ナイバシャ内の全ての学校を対象に活動しているエスタ。
とにかくこの人は、行動力がある。

来週から布ナプキンとエイズ教育とストップ割礼の活動を合わせた活動が彼女と共にはじまる。

エスタに連れられて昨日挨拶をしにいったおっちゃんに、本日また挨拶に行った。
気さくなおっちゃんと思って気楽に話していたが、
この人が市長だったということに本日気がついた・・・。

入部。

本日、バイロンに誘われるがままにテコンドー部に入部した。

夕方5時からホールのイスをすべて片付けて、その辺に生えている草をホウキ代わりにゴミ掃除。

この時期のナイバシャは、雨が一切降らず、非常に乾燥して町中がホコリだらけ。


場所を整えた後、各自がそれぞれ念入りにウォームアップ。

どのメンバーも非常に真剣な顔つきで、話しかけることも出来ない雰囲気である。

いったん集合した後、全員で何週もランニングやジャンプを繰り返した後、


連続往復ダッシュと





腹筋を組み合わせたトレーニングが延々続く・・・




 その後、股割りで絶叫。


キックで失笑。


しかし、場の空気を読みヘナチョコキックに笑えない状況。


とにかく、常に絶叫していないと、しんどさに気づいてしまう。


皆さん、忘れてはなりません。ここは標高2000mです。

生きているだけで、高地トレーニング・・・。


う~~ん。でも、久々の運動は、とにかく楽しかった。

練習後に生まれる連帯感は、言葉の壁を簡単に超える。

いいもんだ。

仮入部のつもりが、案の定、最後のシメに新メンバーとして自己紹介をさせられた。



女30歳。
ケニアにてテコンドー部入部。


今日つくづく感じたことは、

私、テコンドーのセンスね~な~

ってことと、



私、必死にどこに向かってんだろう?!

ってこと。


終わってから、みんなが声の大きかったことと最後まで付いてきたことをとてもほめてくれた。

そして、一番うまかったメンバーが「センスあるよ」と、一言くれました。


300シリング払ったらこのテコンドー部に半永久的に所属できるとのこと。

とりあえず、明日も行くつもりはしている。

2011年1月25日火曜日

TV出演。

ナイバシャに現在も数多く残っている女子割礼(女性器切除)。

以前紹介した、男子割礼はHIV感染率60%減の効果が報告され推進運動がされる中、
女子割礼に関しては、撲滅運動が展開されている。

【以下、ウィキペデアより抜粋】
女子割礼とは、主に女性器の外性器(主にクリトリス)を切除することである。
場合によっては、膣の入り口を縫合し狭小化または封鎖するという処置も行われる。
その際、尿や月経血を出すための血さな穴を残し、少女の両足をしっかり縛って数週間傷が癒えるまで固定する。主に4~8歳の少女に行われるが、生後数日に行われた例もある。
 この割礼によって、結婚まで純潔・処女性を保つと信じられ、外性器を失わせることで、女性の性欲をコントロールできると信じられているためである。
 一般に母親や親族の女性に足を押さえつけられながら、その地域の伝統的助産師に麻酔なしで切り取られる。しかしその結果、さまざまな感染症を引き起こし、後遺症としては排尿痛、失禁、性交時の激痛、性行為への恐怖、月経困難症、難産による死亡、HIV感染の危険性などが挙げられている。

その撲滅活動をバイロンが個人的に他の機関と一緒に行っているということで、ついていくことにした。
なんでもコメディアン枠の参戦とあって、女性割礼撲滅に関してメッセージ性のあるドラマを、
相方のダニエルと共に演じるらしい。
バイロン、こいつは一体何者なんだろうか。


ジャパニーズコメディアン風に。
ダニエル・私・バイロン
どちらも、明らかにおもろい顔をしている


しかし、午後の2時に集合と聞いていたのに10時に「今からすぐに来るように!」
といきなりの電話がかかり、ひと仕事終えてからマタツで40分ほどの場所へ向かった頃には、
活動は全て終わった後だった。
バイロンたちも非常に観客にウケたのだろう、すでに満足そうな顔をしていた。

そして、そこにテレビ局が取材に来ていた。

イベント終了後にふらりと登場した私は、全く何の活動もしなかったのに、
日本人というだけで話題性があるため、カメラの前でインタビューに答えるよう即され、
責任者の女ボスと2人でカメラの前に立ち、
終始笑顔で活動の重要性をスワヒリ語で答えたのだった。

取材後すぐにTVクルーの車に乗せてもらい
さっき40分かけて来た道を戻り、今日初めて会った女ボスの事務所に行った。
キバキ大統領と握手している写真から始まり、多くの紙面に登場している女ボス。
非常に元気がよく、みんなからの信頼も厚そうだ。
自分の活動が掲載された新聞記事と共に。
記事の左が女ボス・エスタ&右がオバマ婦人

女児から女性まで、あらゆる女の立場改善に取り組んでいる人らしい。
今後、自分がやりたい活動とも一致している点が多いため、
その打ち合わせに再度明日もお邪魔することになった。

Dr.杉下と出会ったその日、
「メディアを何とか巻き込んで旋風を巻き起こしたいもんだ。」
と、同期隊員と話していた矢先、

昨日のマタツでたまたま両隣りに乗り合わせたのがテレビの編集者で話を聞いてもらうことができ、
それに引き続き今日もTVのディレクターに話を聞いてもらうことが出来た。

ケニア旋風。
何かしらやってやろうと考え中である。



以上、現場からシミズがお伝えしました~!












2011年1月24日月曜日

最先端はここにある。

「アフリカは貧困・エイズ・病気の地域」「永久に発展途上の地域」「多くの援助が必要な地域」

「アフリカは所詮アフリカ」
「アフリカは、この先もずっとアフリカだ」

こんな風に、世界が共通認識している。
思い込ませられて、思い込んでいる。
誰の仕業か?!

当の本人の、アフリカの人々も含めて。
「アフリカだから仕方ないじゃない」
「私たちは、貧困なんだから。」
「お金持ちの国とは、違って当たり前なのよ。」

これでは、やる気も向上心も生まれない。

ケニアにきて、実感することのひとつ。
日本にいたときに見ていたアフリカの情報が、いかに偏ったものであったか。
特に、アフリカの現状をそれほど欲していない人々に伝わるニュースのほとんどが。
無意識に受け取る情報のほとんどが。

確かに、裕福ではない。
しかし、実際に見たアフリカに住む人々の生活は、そんなに悲惨ではない。
日本人と同じく個性がある人々たちが、それぞれに、それなりに生活を楽しんでいる。
明るい人も暗い人も、真面目な人も不真面目な人も、当たり前にいる。

これも、まだ半年で実感しているだけのこと。
まだ、知らないことが眠っているアフリカの素顔。


ということで、今回はJICA専門家のDr.杉下先生との最終打ち合わせで、
HIV/AIDSプロジェクトチームの運営委員4人がキスムの中華料理店に集まった。
私たちが先生に直接会うのは2回目。

「もう一度会って話を聞きたい」という思いが一人残らず一致した結果である。

そう思える人との出会いの数が、年を重ねるごとに多くなってきている気がする。

そして、大学時代にお世話になった教授と話したことを実感する。
人生とは出会いそのもであることや、
言葉に宿る魂「言霊(ことだま)」のもつパワーについて。

言葉にしてみること。
言葉にして発し続けること。
言葉にして誰かと共有すること。

これによって、実現する可能性が大きくなること。
それを、また実感させてもらえた夜だった。

この杉下先生の言葉、これがどれも心に深くしみる。
というか、衝動に駆られる。

「何かやってやろう。自分がやらねば、誰がやるんだ。」

という、普段自分が心の中に持ってはいるけれど、
なかなか表立って発することのない気持ちやアイデアを突き動かされてしまうのだ。

「協力隊員こそ、世界の最先端。
 
 いま、あなたたちの目の前にいる
 カウンターパートが変わることこそが
 世界を変える、大事な最初の一歩なんだよ。



 日本の中でどれだけ一生懸命働いても、
 世界は何も変わらない。
  
 だからThink Grobally, Act Locally.なんておかしい。
 
 いうならば Think Locally,Act Grobally.だ。
 
 いかに地域の抱える問題に対して考え、
 いかに世界的に動くか。
  
 ここに迫れるのが、協力隊員。



 目の前にいるカウンターパートを変えることこそ、
 世界を変える最初の仕事だ。」  

何も、日本で働くことが無意味ということではもちろんない。

ただ、世界に対して興味を持ち、日本を一歩踏み出した私たちにとっては
ポンっ(いや、ドーン)と背中を押してくれる言葉がたくさんあった。

今回、私たちが企画するワークショップの大目玉は、マインドセットチェンジ。
「心のあり方を根底から変えよう」
「今までの価値観をぶち壊し、新しい価値観と出会う。」というような意味。



今回作成したワークショップのポスター

各エイズ対策隊員が同僚と共に参加する
ワークショップで、主役はケニア人。

「日本モデル」でも「アメリカモデル」でもない、
「アフリカモデル」を創造する。

どんなワークショップになるか、
どんな変化に繋がるか、
または全く変化しないか。

とても、楽しみである。 


そして、終盤はアフリカの医療と切っても切り離せない
妖術の話にまで及び、

今もアフリカにある呪いの世界や魔術師の存在、
パワースポットにいるヒーラーの話なども聞き、

ならば翌日いってみようということで、
急にパワースポットに行くことになり、
宇宙人と遭遇するという・・・。













まぁ、とにかく楽しい週末だった。

BANANA。

最初の行き先は、マタツで1時間ほどの隣町ナクル。
ここで活動するエイズ対策関連の先輩隊員のところへバイロンを連れて行った。

マタツに乗ってすぐノートを取り出したバイロンは、
おもむろに新しいページの1行目に "BANANA" と書き出した。
目の前にはマタツ乗り場に並ぶ果物市場の大量のバナナがある。
買い物リストでも作るのかと思えば、それはなんと詩の題名だった。
朝から笑えるバイロン。

この"BANANA"については、3行ほど書き終えた頃に
マタツの揺れに耐えられなくなり断念していたが、急に頭に浮かんでくるらしい。
こうして、日々、次々に新作を生み出しているバイロン。
「MIHARUの詩も既に浮かんでいる!」
とのことなので、出来上がりがとても楽しみである。

その日も朝の4時半に起床したバイロン。
まだまだ暗い中、じっと星を眺めたりするのが好きなんだという。
彼は、根っからのロマンチストだ。
その他には、詩を作ったり、筋トレをしたり、聖書を読んだりして時間を過ごし、
就寝時間は1時で、毎日たった3時間の睡眠しかとらないとのこと。
毎日やることがいっぱいあって
とにかく自分をハードに追い込むことに日々挑戦しているらしく、時々頭痛がするらしい。
大丈夫かいな・・・。

他にも、バイロンが平日の夜9時までの3時間に子供を集めて勉強を教えていることや、夕方はテコンドーとラグビーの活動に日替わりで参加していることや、効果的なトレーニングの話など、いろいろ聞きながらあっという間にナクルに到着した。

先輩のオフィスを訪ね、近くのカフェに移動する。
海外で生活していた経験をもつこの先輩隊員。
とにかく超頼りになる。
そしてなんとこの先輩の活動している機関というのが、今回私たちが作成しようとしているプロポーザルを最終的に選考審査する機関なのだ。
その先輩が直接プロポーザルの書き方を教えてくれる。
なんという幸運だろうか。

ということで、先輩がバイロンにプロポーザルの概要やいいものを書く際の注意点などを
流暢な英語で細かく丁寧に説明してくれている間中、横でずっとニヤニヤが止まらなかった。

そしてそれ以上に喜んで、いろんなことをメモっていくバイロン。
彼は、予想通りの賢い青年で、時より質問をしながらとても深く納得していた。

HIV/AIDSの予防啓発につながるユースグループの活動の第一歩として、
いいスタートを切った感じがした。

バイロンとサヨナラした後、その日は専門家さんとのプロジェクトの打ち合わせをするべく、
そこから3時間半のキスムという町まで移動した。

2011年1月21日金曜日

ユースグループ。

今日は、ユースグループの会議に参加した。
最近とても活動が盛んになり、今月に入ってもう4回目である。

昨日紹介したバイロンがリーダーのこのユースグループ。
みんな積極的に意見を言い合える、素晴らしいメンバーたちである。

このグループに対しての私の目的は、メンバーたちにHIV/AIDS教育の知識・指導力をつけ、
即戦力としてナイバシャ内の学校に講師として送り出し、教育でHIV/AIDSの問題を解消していこうというものである。
そのために彼らが専門的な知識や指導を学ぶための講師を見つけ、
講習会を設定していくための準備を昨年末から始めている。
彼ら自身が若いのと、関わるのが子供たちとあって、今後の発展も大いに期待できる。

ということで、

今回は、前回集まった際に牛の糞を利用して作った
環境にやさしいエコ燃料の試作品を燃やしてみよう。という活動であった。


・・・はい、エイズと全く関係ございません。

そして、うまく燃えずに失敗に終わった。

そしてそして、今度の日曜にまたみんなで作り直しとなった。



というように毎回、会議ではさまざまなトピックが出てきて、

何かと興味があるメンバーゆえ、色んな活動に手を出しているのだ。

来たるバレンタインデーには、
入院患者にカードとバラの花をプレゼントするという企画も本日決まった。

面白そうなものはどんどん取り入れて、地域や周囲に還元していくというスタイルのようである。

その中で私は日本人ということで、ハイテクノロジーの知識を伝授してくれだの、
WEBサイトのプログラミングを伝授してくれだのと求められることもしばしば。

「ミハル!出し惜しみしないで、俺たちに教えてくれよ!」

と、ちょくちょく意見を求められるのだが、出し惜しみなんてしてない。
未だかつて牛の糞を燃料として使ったこともないし、
ハイテクノロジーの恩恵を受けて育ってはきたがその構造は全く知らないし、
その前に民族語とスワヒリ語の会議自体が理解できていないんだよ。サマハーニ。(ごめん。)
という残念な事態が起こっている。

しかし、活気に満ちている彼らとの活動は本当に楽しい。
毎回活動の最初と最後には、全員で神に祈りをささげる。

「今日はミハルが代表をやってくれ」
というので、心をこめて日本語で代表を務めた。

「神様、このメンバーたちとの出会いに私はとても感謝しています。
 彼らはとてもいい子たちです。
 私たちの活動が成功に終わることを私は心から願っています。
 そして、日本にいる教え子たちがセンター試験を終え2次試験に向かってがんばっています。
 彼らが自分の目標を見失わず、最後まであきらめずに己と戦いきることにができますように。
 神様も応援をお願いします。ありがとう。」

後半は全く彼らに関係なく、この場を借りてしまった感があるが、
私以外の誰一人として意味をわからないので、みんなしっかり祈り、満足してくれた。
声に出して神に祈る経験は、初めてだったかもしれない。

明日はバイロンを連れて、活動支援基金をもらうためのプロポーザルの書き方を教えてもらいに
マタツで1時間のNAKURUという町まで行く。

朝8時にマタツステージに集合なので、バイロンに
「明日の朝大丈夫?いつも何時におきてるの?」
ときいたら



「4時。」
と即答された。
こいつ只者じゃない。

なにやら筋トレや詩の朗読など、いろいろ忙しいようだ。

その後はそこから3時間のKISUMUという町に向かい
エイズ対策プロジェクトに向けての打ち合わせを前回紹介した専門家さんとする予定だ。

楽しみである。

 《本日の活動の様子》


材料の牛糞・灰・練炭のクズ・砂・水をこねて丸めて乾燥させて出来上がり。

燃料を火にかける準備

乾燥しているためすぐに燃え出した

釜に入れる

すぐに火が消えてしまい今回は失敗

2011年1月20日木曜日

バイロン。

12月1日に世界ワールドエイズデーで刑務所のイベントに参加した。(ブログ「世界エイズデー」参照)
そのとき記録用に1台だけ持ち込みを許されたカメラで撮影したデータが本日、手元に届いた。

ネットに公開してもいいかな?とユースグループのメンバーに聞いたら、
 「俺、もうFace bookに載っけてるけど、いいんじゃね!?」
 と力強いGOサインをいただいたので、躊躇なく載っけることにする。

楽しそうに踊る服役囚たち。
住む場所と食事さえ確保できれば、
この人たちは悪事に手を染めることがない人たちなんだろうか。
とまたまた考えつつも・・・、

今回は、
この日とにかくすごかったバイロンという青年を紹介したい。(ブログ「世界エイズデー」参照)
ユースグループ一番のエンターテイナーである彼が
3千人あまりの人々の前で自作の詩を絶叫している写真から、
少しでも彼のすごさが伝わればいいと思う。

バイロン(21歳) 
趣味は詩を書くこと。ダンスも得意。

前半はダンス!ダンス!ダンス!
注:左から2人目のバイロン以外、全て服役囚です。

彼は、恐らく刑務所内の
一番のエンターテイナーでしょう。
そんなオーラがありました。



わかりやすく説明すると、
シマウマ服=服役囚
 それ以外=ユースグループ
両者入り乱れておりました。

服役囚たちによるドラマ(演劇)
飲んだくれて理性を失う演技、リアリティがありました。


ここからは、バイロン押しで!

ポエムを唱えながら、歩くバイロン!


たまに立ち止まるバイロン!

絶叫するバイロン!
走るバイロン!

希望を語るバイロン!


夢を語るバイロン!

人生を語るバイロン!


ケニアを語るバイロン!





あれ?バイロンがいない。
バイロンはどこへ行った???
と、みんなが探し出した頃

ひょっこり現れたラストバイロン。

世界を語るバイロン!
 
30分ほど続いたこの状況、、、少しでも伝わったでしょうか?

これには後日談がありまして、バイロンにはなんとアンコールのオファーが刑務所からかかり、

2週間後、担当看護士さんと二人出かけていきました。

MIHARUwithユースグループの活動も、バイロンを中心に始まっています。