2012年3月30日金曜日

ありがとう。全てに感謝して。【最終回】

3月19日16時20分 ナイロビ発(ケニア時間)

3月20日17時30分 成田着

2年間の任期を終え、ケニアから無事帰国しました。

とても貴重な経験をさせていただきました。



と、しかいえない私ですが、

今まで支えてくださった皆さんに本当に感謝しています。



この2年間も新たな出会いが数多くありました。

たった2年間と感じないほど濃いつながりに、

どれもが「縁ってあるんやなぁ。」と、感じるものばかりでした。


最後にこの場をお借りして、

エイズ補完研修で出会った仲間、協力隊として日本で出会った仲間、

二本松訓練所で出会った仲間、ケニアで出会った仲間。

みんなと同じタイミングで、同じ志で、同じ場所にいられたことに感謝しています。

超濃厚でした。

刺激をいっぱいいただきました。

最高でした。

ありがとう。


そしてまた、いつも温かいメールや手紙で励ましてくれた先生方や友達、

はるばるケニアまできてくれた友達と教え子、

自身の頑張りで刺激を与え続けてくれた東高校の生徒や卒業生たち、

いつもそっとブログをチェックしてくれていたそこのあなた、

その存在にどれだけ支えてもらったかわかりません。

ありがとうございました。


そして、最後に家族。

みんなが日本で健康で元気でいてくれたからこそ私の充実した2年間がありました。

いっぱい心配かけました。

それでもいつもじっと見守ってもらえたこと、本当に感謝しています。

ありがとう。 



そして、書き始めてから今日までの間、大変多くの人がこのブログを訪問してくださいました。

ケニアでの2年間、その時々で感じたことは、

今はもう同じ様に語れないことも多く、すでに思い出せないようなことも多いです。

大好きな同期隊員のブログに刺激を受けて、ふと始めたブログでしたが、

帰国してから改めて色んな人々が読んでいてくれたことを知り、

書いてきてよかったと思いました。

本当にありがとうございました。


ケニアのこと、エイズのこと、性のこと、宗教のこと、等々・・・。

このブログから皆さんがケニアを追体験して、

身近に感じて、何かを感じるきっかけとしていただけていたのなら大変うれしく思います。



今回で「MIHARU☆GUTSinKENYA」ブログは終わります。

続きは今度お会いしたときにでも、直接。


4月からはまた日本の高校で保健体育の教諭として現場に復帰します。

ケニアでコントロールしきれなかった青少年の性欲旺盛の実態を

今度は日本の青少年に向けて少子化を食い止める方向にいかしていけたらと思います。(なんつって)


ただ私自身はこの2年間ケニアで生活したというだけで、至って変わらず私のままです。

これからも等身大で精進していきたいと思いますので、

もし勘違いなどしておりましたら遠慮なくブン殴っていただけたらと思います。

驕らず、腐らず、また新しい世界で色んなことに挑戦して、じっくり向き合って、

これからも怒って、泣いて、笑って、いろんなことを感じていけたらと思います。


最後にそんな今後の自分に向けて、

大好きな詩をガツンとひとつ、ここに記しておきたいと思います。      






自分の感受性くらい

                        茨木のり子     



ぱさぱさに乾いてゆく心を      

ひとのせいにはするな      

みずから水やりを怠っておいて      


気難かしくなってきたのを      

友人のせいにはするな      

しなやかさを失ったのはどちらなのか      


苛立つのを      

近親のせいにはするな      

なにもかも下手だったのはわたくし      


初心消えかかるのを      

暮しのせいにはするな      

そもそもが ひよわな志にすぎなかった      


駄目なことの一切を      

時代のせいにはするな      

わずかに光る尊厳の放棄      



自分の感受性くらい      

自分で守れ      

ばかものよ




いつまでも「いまここ」で学ぶ姿勢を忘れずにいたいです。

2年間の貴重な経験をありがとう、ケニア。 

大好きだ!

皆さん、これからもどうぞよろしくお願いいたします。


清水美春

2012年3月30日 31歳

2012年3月28日水曜日

ゴミをまたぐな。

日本帰国まで1カ月を切っていたある2月下旬のこと。

任地のナイバシャからナイロビへの移動中のマタツで隣の男性が話しかけてきた。


「コンニチワ アナタ ニホンジン?」


ケニア人から、日本語で、しかも会話文で、話しかけられることは滅多にない。

驚いて聞いてみれば、彼は出張で日本に1カ月滞在してきたばかりということだった。




そんな彼の財布には、その記念として「東京フリー切符」が入っていた。

私が1ヶ月後に帰国して到着する東京、の切符。


切符の日付は24.02.02と印字されている。


2002年2月24日って、随分昔の日付じゃないの?


と思いきや、それは2年ぶりにみた日本の平成の日付表示。


彼が訪れた秋葉原や浅草、大相撲の話がマタツの車内ではずんだ。


そして、ふと窓の外に広がるナイロビの街並みを見つめながらその男性がしみじみと言った。


「ケニアは本当にゴミが多い。

 ゴミのない日本に行って初めて気付きました。」


そこで思い出した。


私がケニアに来たばかりの頃、どの道端にもあり過ぎる大量のゴミを見て、


何でもかんでもそこら中に平気でポイ捨てするケニアの人々の姿を見て、


「そもそもケニアの人々はこれらをゴミと認識しているのだろうか?」と、疑問に思ったこと。





「ケニアを去る2年後には、私のゴミへの認識も変わってしまうのだろうか。


 あり過ぎるゴミをみないようにして、どうでもよくなって、


 ゴミを平気でまたぐ習慣がついてしまうんじゃないだろうか・・・・・。」


そんな不安が心の中にあった。


私の好きな言葉「ゴミをまたぐな」


この言葉は確か5~6年ほど前に、俳優の哀川翔さんがTVで紹介していた哀川家の家訓。


特別彼のファンというわけではないけれど、聞いた時からずっと私の中にある言葉。


特に、この2年間のケニア生活で、幾度となくこの「ゴミをまたぐな」という言葉が頭をよぎった。


哀川家ではゴミをまたぐと「半殺しの刑」となるらしい。


それは部屋が散らかるからという、そもそもの理由だけでなく、


“ゴミをまたぐときの心の動き”についての警告。


「ゴミがあるけど、ま、いいか。」


「ゴミがあるけど、見ないふり。」


「ゴミがあるけど、忙しいからまた今度。」


「ゴミがあるけど、誰かが捨てる。」


「ゴミがあるけど、私には関係ない。」



「本当は見えているものを、やり過ごす心の習慣」
への、警告。


日々の生活の中の、無数の「やり過ごす心の習慣」の積み重ねによって


最後にはゴミの存在にすら気付けなくなる。


だから、「ゴミをまたぐな」。


ケニアの職場に初めて向かった朝に見た、道端にある山積みのゴミと


職場にある山積みの課題がリンクした。


この人たちにはこのゴミ(課題)が見えているのか?


見えていて、やり過ごしているのか?


いや、もはや見えてすらいないのか?


見えているのは、私だけなのか?


この人たちの、「心の習慣」はいかなるものか。





毎日、配属先に向かう道中で、多くのゴミをまたぎながら本当によくそんなことを考えた。


ここで2年間過ごすことで、もうどうでもいいや、と思うことが増え、色んなことが見えなくなって、


帰国後の生活に支障が出たりするのだろうか?


そんな不安は的中するかのように思えた。


が、今から思うとそれは逆だったように思う。



ケニアから日本を見た時、


それよりももっと、自分が日本でやり過ごしてきた多くのことに気付くことになった。


国のこと、歴史のこと、文化のこと、宗教のこと、教育のこと、性のこと、


向上心のこと、効率化のこと、政治や組織のこと、文化のこと、貧困のこと、支援のこと、


人間として生きるということ、自分自身を形づくってきた全てのこと・・・。


そう、何よりもまず、自分自身の至らなさに。



そして、2011年3月11日の東日本大震災のあったあの日


日本ではなくケニアにいたことで、それらがより一層大きく膨らんだ。



はるばる海を超えて伝わってきたのは、日本文化の中で育まれた日本人の行動の数々。


日本の至らない部分以上に見えてきたのは、


日本を離れて初めて気付いた


自分の母国の素晴らしさの数々だった。



そういった全ての過程は、私に双方に共通するもの、


国境を越えて尚、人間として大事なものは何なのか、を過分に考えさせる機会をくれた。



大量のゴミの中から、人間として、自分として、


本当にまたいではならないゴミを選択するという視点を与えてくれた。




2年ぶりの東京で聞いたのは


“次の電車は2分の遅れが出ております。お急ぎのお客様には大変ご迷惑をおかけします。”という謝罪のアナウンス。

やたらと丁寧に謝り、きれいな笑顔で接客してくれる店員たちの振る舞い。


電車内のつり革広告に“除染”という文字を見たとき、


今度は目で捉えられないゴミへの対応さえも迫られている窮屈な日本を感じた。


効率化という名のもとに、繰り返し消費され、全てにおいて人間同士の触れ合いが最小限で済む生活を獲得した日本。


果たしてそれらは、本当にまたいではならないゴミだろうか。


もう後戻りできないところまできている日本。


私たちの世代は、大震災だけでなくこの未曽有の課題をどう解決していくのか。




ただ、なぜだろう。そこに落胆はない。



世界が直面したことがない困難にも、人間力や組織力で挑戦し続けてきたのが私たち日本人なのだから。


皆で知恵を絞って、また新たな未来を創造していくだけのこと。


衰退していたら、失われていたら、また再構築すればいい。


新しいものを創造していけばいい。


時間がかかっても、日本だったらやれるから。




アフリカの真っ暗闇でみた満天の星の輝きも、



東京で見た果てしなく広がる夜景の輝きも、



どっちも見ることのできた自分だからこそ気付くことがいっぱいあって、



やっぱり、充実した2年間だったと、



今しみじみと振り返っている。


2012年3月18日日曜日

クワヘリパーティー。

同期隊員企画によるお別れ会(クワヘリパーティー)を開いてもらった。

帰国するのは同期現職教員5名と先輩隊次11名。


初めて同期18名が見送る側と見送られる側に分かれる会。


みんなから心のこもった手紙やムービーや言葉を贈ってもらって

ようやく「これはひとつの別れなんだな。」と実感した。


最後にみんなで輪になって大熱唱。

♪世界中に定められた どんな記念日なんかより 
あなたが生きている今日は どんなに素晴らしいだろう 
世界中に建てられてる どんな記念碑なんかより 
あなたが生きている今日は どんなに意味があるだろう 



考え続けた2年間。


その大部分を占めていた活動にも、悔いはなし。


不思議なくらいスッキリとした気持ちでこの日を迎えられたことに感謝している。


多くの必然的な出会いに自分自身が支えられてきたことを

ゆっくり振り返れた時間だった。


みんな、ありがとう。


帰国後はまた対象を変えて考え続ける生活が始まる。

それがまた、とても楽しみ。


Tシャツ隊員最後の活動「同期Tシャツ」

2012年3月17日土曜日

報告会と火鍋会。

今日は帰国報告会だった。

活動報告、ケニア人との生活、JICAやボランティア事業への提言、日本への還元の4点について

なんと15分以内でまとめなければならない。

日本語でしかも15分、油断しないわけがない。

この1年9カ月で飛躍的に向上した「度胸」を基盤に、

詳しくはWeb≪ブログ≫で!(にっこり笑顔)・・・と、いいたいのは山々だったがそうはいかず、

それぞれの項目について1年9カ月活動したからこその意見をしっかり伝えいくつかの質問もしてきた。



夜は久しぶりに会した同期仲間とともに、中華料理の火鍋を食べに行った。

みんな明日のクワヘリパーティー(お別れ会)の準備のためのナイロビ上京。

同期に送られるのは変な感じもするが、集まれば相変わらずの気心知れたメンバー。

鍋を囲み、いつもと同じ役回りで、同じくだりで、同じ雰囲気を楽しみながら、

みんなで確実に過ごした2年間の月日がケニアにあったことを実感する。


前回、同じ店にみんなで行った時も、1年残る任期に向けてみんなで熱く語っていたなぁ。


イベントの度に集って、踊って、笑って、

みんな向上心があって、様々な挑戦をしてきた仲間たち。


気持ちのいい仲間たちだった。




食欲に勝るものなし。

語る男。


3日後に帰国する現職教員5名と3カ月後に帰国する13名。

明日はその13名が幹事としてクワヘリパーティーを企画してくれていて、

それに向けての幹事打ち合わせがちょうど今ドミトリーのベランダで行われている。


明日、全員揃う同期をはじめとする出会った全ての隊員やJICAスタッフのみんなと

長いケニアの夜を満喫しようと思う。





ナイロビの風景。

昨日はケニア日本大使館表敬訪問だった。

帰国に向けて次々に行事が終了していく。

その午前中には以前から行ってみたかったケニヤッタ国際会議場の展望台から、

1年9カ月お世話になったケニアの首都ナイロビを見下ろしに行った。


ナイロビのシンボルであり、お札にも印刷されている建物。



マタツステージ
ケニアJICA事務所のあるビル




犯罪が多く、旅行者立ち入り禁止と紹介されている
ウフルパーク(公園)

1年9カ月生活したケニアの風景は、相変わらず人も車も込み合っていてその日も忙しそうに動いていた。


今現在も政府に対しての労働者による多くのストライキや選挙の度に国民が暴動するケニア。

そこに身を置いたことにより、歴史が変動する空気を確かに感じ、

良くも悪くも人々のみなぎるパワーを感じた。

きっと日本が経てきた国の歴史の変革時なのだろう。

入口なのか、出口なのかは今はわからない。


そんな中で多くの過程をすっ飛ばして容赦なく最先端技術が流れ込んできているケニア。

金があれば飛び越えられる多くの過程。


全体のバランスをとる、最後に責任をとるのは、ケニア人自身。

どこのマネでもない、ケニアスタイルの発展の仕方を追求してほしい。



排気ガスで息のしにくいナイロビの中心部でも、105m上空は空気が澄んでいて気持ちよかった。 








2012年3月15日木曜日

コンドーム測定会。

任地を去る前日は、最後の職場への挨拶まわり。

ユースグループの活動でお世話になった看護師に、これまでに作成した教材などをまとめて渡した。

その中には、出発時に持ってきた日本のエイズ予防財団からもらった「日本製の配布用無料コンドーム」があった。



ケニアでは希少な日本人用の日本製コンドーム。

にも関わらず、

普段からコンドーム装着法のデモンストレーションなどを行っている人々なので興味津々

もらった瞬間に即開封。 


で、結果、大笑いとなった。


そこに居合わせた看護師のおっちゃんはもっと爆笑。

そして、私も結構ビックリして大笑い。


「あれ?日本のコンドームって、こんなだったっけ?」 

(あれ?日本のコンドームって、こんなに小さかったっけ!!?)



いつの間にか目が慣れてしまっていたんですね。

ええ。 2年間見続けたケニアのコンドームに。

そう。ケニア人に合わせて作られたコンドームのサイズに。 



そして、その話をドミトリーで紹介したところ、

男性隊員からは「ゴムなんだし、そんなはずはない!」と、即クレームが付き、

ならば、ということで、みんなで両コンドームのサイズ測定会が始まった。


日本製日本人用J社 ・ O社 と 中国製ケニア人用             


≪結果≫


日本人用  円周 9cm


ケニア人用 円周10cm 長さは日本の+2cm



以上、報告を終わります。

ゴムは伸びるけど、平均的な最小値の差が明らかに。

計測後は、男性隊員も納得してました。




最後のナイバシャ自慢。


♪何でもないようなことが~ 幸せだったとおも~う~(The 虎舞竜) 



帰国が近づいてきたここ最近、野生動物を目の前にするとこの曲がヘビーローテーションで頭の中に流れる。

しかし今のところ、ケニア人を前にしては流れていない。今のところ・・・。 


さて、ケニア生活残り2週間を切った頃、

最後の見納めということで同期現職隊員と 国内旅行に行ってきた。

その旅先のひとつがナイバシャ。 そう、そこは私の任地。

これはナイバシャにあるオロイデン湖

すでに色んな場所をウロウロして知り尽くしている感のあるナイバシャだったけど、旅を終えて一言。
「イチから出直します。」というくらいの驚き様となった。

どんな基準かは定かではないが、
「1日で見ることのできる野鳥の観測種類が世界No.1」だとギネスに認定されているナイバシャ。

しかし、私の友人に野鳥好きが一人もいないので自慢ができない。

けれど、私レベルでも早朝からピーチクパーチク聞こえるので、(おっ、鳥がいっぱいいるな、しかも多種で。) と確かに感じることができる。



ロッジのチェアにもたれコーヒーやアルコールを嗜みながら、








フラミンゴやカバが相変わらずうじゃうじゃいる湖面を見つめ、



庭の水飲み場にやってくるダチョウやイボイノシシ、シマウマ、キリン、ジャッカルなどに微笑みかける。


ロッジに頼めば早朝&夕方&夜になるとロッジのランクルでサファリに連れて行ってくれる。

こんな夢のようなロッジ。


そこは1週間前にHIV授業に行った小学校から車でたった2~3分の場所。

あまりに別世界すぎて、どっちが幻だったのか、もうわけわからん状態に。




さて、今回のナイバシャ旅行の驚愕ポイント。
 

ガゼルを食した後、木の上でゴロゴロするヒョウ。


































驚愕ポイント①ライオンやヒョウやシロサイに出会う


上記は、ナイバシャにいるという前情報が全く無かった動物たち。

そして、ナイバシャサファリでライオンやヒョウが見られるのは超ラッキーだと、
現地ガイドさんが教えてくれた。

この近くで何度かサイクリングサファリを楽しんだことがあったけど、
マジ、喰われなくてよかった・・・。

きっとケニアから去る私たちのためにナイバシャ集合がかかったのでしょう。

長時間、これでもかというくらい魅せてくれました。



驚愕ポイント②セレブ感あふれるロッジの宿泊客たち。


新婚旅行のカップルや世界を又にかけて活躍するおばさまたちの休暇に選ばれたロッジのようで、
ただのんびりしたいだけの旅行の醍醐味を間近で見物。 



“夫は私の車も、私の家も、私の子供も、私の母も守ってくれるいい人なのよ。オホホ。” と、

イギリス在住のおば様は申されてました。

サファリの感動を歌にして聴かせてくれたりもして、洋画の中に舞い込んだ気分になったゲームドライブ。
しかし、ネイティブの英語ってまろやか過ぎてまだ緊張。 



驚愕ポイント③美味し過ぎたコース料理

「シェフはどこ出身で、どこの国で料理の勉強されたのですか?」 と質問したほど、どの料理もおいしかった。

「絶対にケニア人シェフではないはず」という私たちの大方の予想を裏切り、
それがケニア国内の料理学校卒のケニア人シェフだったため、驚き2倍。

塩と油とロイコ(ケニア定番の調味料)だけの食文化から、世界に通じるこの味覚がつくられるなんて!!

その宿泊中は3食ともコース料理のため、あまりに美味しくて残すのがもったいなくて毎食完食していたところ、
2日目の夕飯後、お腹の皮が張り過ぎて身動きがとれなくなり、全て逆流~!!

満腹で吐くって、小学生かーっ!! と、豪華なトイレで思わず自分にツッコんだ。

帰国後の日本食満腹計画in東京が今から心配…。耐えろ、私の胃。 



驚愕ポイント④バラの花束

お風呂にもベッドにも部屋にも廊下にも、至る所にナイバシャで栽培されたバラが飾られていた。

そして、帰り際にスタッフがサプライズな感じで一人にひと束ずつのバラの花束を差し出してくれた。
 

振り返って参加者全員が「ケニアって最高やなぁ。もう一回来たいなぁ。」と、

私の記憶では今まで同期の誰一人からとして聞いたことのなかった言葉を聞いた。(笑)



本当に色々感動させられた私の任地ナイバシャ旅行だった。 

そして、そのロッジから車でたった40分移動して、水&電気なしの我が家に帰宅し現実に舞い戻る。

これがまた我が家なだけにしっくりきた先週末。



HIV新規感染を減らす方法。

HIV感染率を減らすには・・・

1.ケニア全体の電気の供給が整備されて停電がなくなり、

2.各家庭がTVを購入して、

3.ゴールデンタイムと呼ばれる時間帯には面白いドラマやお笑い番組がいくつもあって、

4.それを家族みんなが競ってみる。


そうなると、HIV感染率はガタンと減少するものなのかもしれない。 

そんな話題がでたある日の夕食会。 

もしその効果が実証された場合、上記1-3はやはり海外からの支援でなんとかするのだろうか。 

実際のところ、治療や薬と比べてどっちが費用対効果がでるのだろう? などと考えてしまった隊員生活。

ジョンの結婚観。

「最近、早く結婚がしたくてしょうがない。」というジョン(25歳)に

「なんで?」と聞いてみたところ、 

「もう手洗いで洗濯するのも、 火をおこして料理するのも、全部自分でやらないといけない生活に疲れたんだ。」

という理由だった。 


とても単純に聞こえたその理由。



日本なら嫁などいなくても

ボタンひとつで済む全自動洗濯機があるし、

食べたいものはいつでもどこでも簡単に手に入るし、

もっといえば、一人でも暇をつぶせる手段が多種多様にある。



そんな日本に住んでいて、それでも「結婚したい!」と思う決め手は・・・、なんだろう?

やはり“愛情”や“独り身の寂しさ”ってことになるのだろうか。 



と思いきや、日本でいつもかわいがってもらっていた大先輩の先生方(愛妻家)には、

「結婚なんて、誰とやってもそんな変わらんで。はよしときや。」

と、度々言われていたことをふと思い出す。



晩婚化がすすむ一方で、「結婚しない」選択をする人々も年々増えている日本。

便利なだけに決断が鈍る社会なのだろうか。 



私にも料理も洗濯も掃除も出来て、たまにカワイイわがままいってくれるお嫁さん、

現れないかな。


と、ジョンと同意見の女の私。



空回りマスターの躍進。

ジョンの母校に授業に行った際のこと。

あまりにもジョンが暇そうにしていたため女子生徒60名への布ナプキンの紹介を任せることにした。 

前日に他の学校で私が10分ほどで紹介する様子を見ていたのに、ガッチガチに緊張するジョン。 

「15分で十分かな。」といったのに、実際は55分間もかかってしまった。 

序盤にまさかの「みなさ~ん、何年生から生理になりましたか?」の全体質問で、
完全に女子生徒をドン引かせて砂漠地帯からのスタート。 

沈黙が耐えられない彼は、終始しゃべりまくり。
絶対に必要じゃないと思われる女子生徒に扮した「生理にまつわるショートコント」もふんだんに盛り込み、
さらに静かで暗い所にめり込んでいったジョン。

私はそんな彼を笑顔(半笑い)でただ見守った。 

どこが重要なのか、わからなくなる「布ナプキン」の紹介。
こればっかりは言語が上手でないほうが、言葉少なく選ぶだけに端的にストレートに伝わるなぁ、と思った。
これが彼が空回りマスターと呼ばれた由縁の出来事。 

しかし、ジョンのすごかったところは終了後に私にコメントを求めてきたところ。

 「何分間かかった?
 自分が何話していたか、途中わからなくなってまとまらなくなったんだ。MIHARUから見て、どうだった?」 
と、聞かれたので、

「人に伝えるために一番大事なジョンの熱意は十分伝わった。 話した文章を80%削ればエキスパートになれるかもしれないよ。」と、伝えた。 

それから早1カ月程がたとうとしているが、 その後のジョンの布ナプキン普及活動への積極的な姿勢はブログの通り。 

先週の水曜と今週の月曜には、女性グループやリーダーを集めて講習会を開いたとメールがあった。

「これから布ナプキン講習会を開くよ。 MIHARUが一緒にワークショップをやったおばちゃんたちも先生役で3人来てくれるんだ。」

「無事に終わりました。素晴らしいきっかけをありがとう。」 

提供する側には少なからず経費もかさんでくるこの活動。

自分たちでやりぬく術を見つけながら、 ジョンにはこれからもっと世界を広げていってほしいと願ってやまない。

お断りされた布ナプキン。



どの学校や地域やサポートグループでも、大歓迎を受けた「布ナプキン」。

昨年には2つのプライマリースクール(小学校)では、紹介だけでなく実際に実技指導も行った。

対象は約30名の女子生徒。



学校には針もない、糸もない、

ハサミもない、材料もない、・・・ということで、
布はこちらで全て裁断して持参。

たった15分程で一人で出来る事前準備を怠ると当日は所要時間が5倍程に膨れ上がる。

これをエイズ講座とあわせて行うと

少なくても計4時間はかかってしまうということで、

さすがに心が折れて2回で終了した。



その後の巡回授業では10分間の紹介のみに移行した。


そんな安くてかわいくて大人気の「布ナプキン普及活動」だったのだが、

今までで唯一きっぱりとお断りされた施設があった。


「マダム、うちには支援が十分行き届いていて、

 外国からの支援で使い捨てナプキンもいっぱいあります。

 それよりも私たちに宿泊施設を建設してください。」



実はこれ、以前紹介したエイズ孤児院の所長さんの言葉である。


その施設に支援しているアメリカの団体も

運営している所長も、

「布ナプキン」を紹介しようとしている私も、

多分誰も悪くない。



これには色々考えさせられた。

国のイメージ。

帰国まで残り5日。 載せてなかったちょっとした小話を、一挙に自動更新してみます。 

毎回のHIV巡回授業でやった生徒たちへの3択問題。

①0.006%
②7.4%
③14.7% 

この中のどれがケニアのHIV感染率でしょう?


正解は②の7.4%。 現在、再び増加していますが、まだ多くの人が自分のHIVステイタスを知らない状況です。

続いて、①0.006%は日本のHIV感染率。 先進国で唯一の増加傾向にあり、ほとんどの人が自分のHIVステイタスを知らない状況です。

では、一番多い③14.7%はどこの感染率でしょう? 


この質問で、ケニアの生徒が真っ先に答える国は決まって・・・・・、どこだと思います? 

それはなんと、「中国!(チャイナ!)」。 


彼らの中にある中国のイメージって、どんなものなのでしょう?

どの学校でも聞いても出てきたこの答え。 これは、不思議でした。 

続いて出てくるのが、南アフリカ共和国やアメリカ合衆国、ウガンダ、タンザニアなど。

この正解はケニアで一番感染率が多いニャンザ地域の感染率14.7%。

2012年3月14日水曜日

ありがとう、ナイバシャ。

昨日(3月13日)、ナイバシャを無事に去った。 

その2日前に「ナイバシャクワヘリ(お別れ)BBQ」を後輩隊員が開いてくれた。
ここ最近、おいしいお酒を飲む機会が続いている。

ナイバシャ最後の昨夜は、飲みたくなって、一人ぶらりとヤギ肉を食べに行った。

ナイバシャ飲みおさめ。
いつも相手になってくれる店のお姉さんがいつも通り陽気でお肉もウガリもうまかった。


出発当日は配属先や今まで関わってきた機関に活動総括レポートの提出と挨拶まわり。

赴任当初の挨拶のために持ってきた扇子を今までずっと持ったままだったけど、
このタイミングでお世話になった人々に渡した。

玄関マットのプレゼントをもらう
扇子にも興味津々
赴任当初は余ると思っていた扇子が、すぐに足りなくなった。 

思えば色んな現地の人に助けてもらったケニア生活だった。 

カウンターパートにも渡した。
何だかんだで、一番考えるきっかけをもらったのが私のカウンターパート。

一筋縄ではいかない相手だったが、その日の夜にメールでコメントがきた。
ケニア人ならではなのか、それもまたよくわからないけれど、
その内容はとてもうれしいメールだった。

住んできた国が違っても、立場が違っても、
同じ問題として取り組む同志とならなければ、
国の違いも、価値観の違いも超えて前に進めない。

最後まで、やはり考えさせられる相手だった。

ナイバシャを去る日の病院は、
10日間続いた看護師のストライキがようやく開けた日だったということもあり、
ガランとしていた前日までと違い、 赴任当初に出会った多くの人々総出演といわんばかりの
ほのぼのした一日で、みんなからの言葉がとてもうれしかった。

ストライキが空ける寸前のガランとした小児科病棟。
お金のある人はその間、私立病院へ。
そしてエスタやバイロン、ジョンたちとはその日会えずじまいで終わった。

みんなナイバシャにいなくて、それぞれの活動場所にいたその日。

そんな彼らだったからこそ、私はいつも助けられた。

思い返せば彼らとの最後は、次が必ずあるようないつもと同じ様な別れだった。
電話で別れを惜しみながら、彼らと出会えたことに感謝した。

彼らを含むナイバシャの人々からみれば、たった一人の外国人が自分の地を去っていくという現実。
何も変わらない日常が今日までも明日からも続く。 


いつもいつもイレギュラーで奔走させられたナイバシャの人々とたくさん会った一日だったのに、
乾期に戻った様な晴天の空も相まって心がカラッと晴れた穏やかな一日だった。

いつもと違ったのは、ここを去る身となった自分の心の余裕があったからだろう。



そして、手際のよい後輩隊員たちに手伝ってもらい

ようやくまとめた荷物をケニア風に強引にトラックに積み込み、ナイロビへ出発。


私と共に過ごした家具たちは、ナイロビ周辺の後輩たちの家に無事引き取られていった。











2012年3月4日日曜日

通ってきた道。

この週末で荷造りのほとんどを終えるつもりでいた1日目の今日。
朝早くに起きたにも関わらず、絶対に今しなくてもいいギターを弾き始めてしまった。

そして、ネットも電話もできない状態だったのでカードの購入のために町に出かけることに。
休日に何もないのに家から出ることは稀である。

せっかく行くついでなので、ジョンがタウンにいるならば
去る前に今までの活動のデータと残っていた全てのマテリアルを渡したいと思い
SMSで居場所を聞いてみた。

すぐに電話がかかってくる。
どうやらジョンは本日タウンでセミナーに参加しているらしく、
そこではHIV/AIDSについてのセッションも多く計画されているとのこと。

その後に現像した写真を友人に届けるつもりでもいたので、
「セミナーには参加せず、データを渡すだけにする。」と伝えた。

データを焼くためのパソコンと前回おばちゃんに借りたフリースとジョンに渡すマテリアル、
先日届いたばかりのTシャツ屋のおっちゃんが印刷ミスのために増刷したステッカーがあったので、
セミナーに来ている人たちに配るために取りあえず持っていくことにした。
かなりの大荷物。
会場に到着後、ジョンを呼びだす。
その時点で、会場内に多くの知り合いがいることに気がつく。

病院や配属先の人々ではなく、この1年半で今までそれぞれ別々のフィールドで出会ってきた人たちだった。
「5分でいいから、MIHARUから布ナプキンを紹介してくれない?」と主催者にいわれる。
ジョンにあげるために持っていた講習用のマテリアルは説明するのに十分過ぎるほどだった。

ここはジョンに任せて立ち去ろうと思ったが、午前中にはめずらしく土砂降りの雨が降り始めた。

止みそうにない雨のおかげで、会場に入った私はさて、どう出るべきかとの案をずっと考えていた。

セミナーの内容はかなりHIV/AIDSにフォーカスされたものだった。
思いのほか待たされて1時間半後、セミナーのエンディングにようやく出番がきた私は、
頼まれていた布ナプキンの説明を封印し、
今までの自分の活動を振り返っての課題や改善点を発表する場に勝手に変えた。

運よく、ここ最近は配属先に出すレポートをずっと作り続けていたため、ポイントはかなり絞られている。
配属先のために作った活動のまとめの動画もPCにあるので提示することが出来る。
心強い知り合いも会場に2割くらい居る。

予定外の出来事だったが、どんどん落ち着いていくのがわかる。
こんなチャンスは、今までもこれからもない。

さて、と着ていたTシャツを指さしながら

「Getting to zero in Kenya」(新規感染・差別偏見・エイズによる死亡をゼロにしよう)
あなたにはこれが想像できますか?

こういった問いかけからスタートした。

まず1つ目は、学校巡回を通してみた禁欲教育の限界。
生徒が口々に「恋人が出来たら、まずHIV検査に行きたい」と答える奇妙さ。
リアルに迫れずおろそかになっている学校エイズ教育の位置づけ。
大人である人々の行動を変えることのむずかしさ。
つながりを持とうとしない各省庁。

次の時代を作る生徒たち、次のケニアを作る生徒たち。
最高のファシリテーターは生徒の前にいる教師だということ。

2つ目はナイバシャのコミュニティーで多くのキーパーソンに出会えたということ。
結局、本当に現状を変えられるのは政府でも外国の援助でもなく現場の人間だということ。
ここはもちろん杉下先生の言葉をお借りして、
ケニアのインサイド、ナイバシャのインサイド、あなたのインサイドから変わっていくことが重要だということ。


その後に、これから県病院に新しいシステムが導入されることとコンドマスター君の紹介、
ステッカーとポスターの配布、そして最後に布ナプキンについては
ジョンと以前講習を行ったレッドクロスのリーダーが同席していたため、
その人たちに聞いてくださいといって締めた。

最初は5分間でといわれて、直前に2分間にしてくれといわれ、
結局話し終わった時には15分が経過していた。
ケニアだし、問題ない、ということで最初から守る気なし。

昨日レポートを書いていたときのこと、(何か違うなぁ。)と思って、
「~すべき(Should)」と書いていたところを「~できる(Can)/~できるだろう(will be able to)」に変えてみた。 
すると全体的にぐっと前向きな感じのするレポートに仕上がった。
読みたくなるレポートになった気がした。

今日はそこを心がけて話し、みんなもちゃんと聞いてくれていたと思う。
何人かのパッションにも触れたようで、ガッチリ握手しにきてくれた人もいて素直にうれしかった。

持っていたPCは大活躍、データをシェアするのに役だった。
意外にもジョンがみんなに頼られ、高い評価を得ている男だということが知れたのもよかった。

NGOの人を含むその場にいた人たちがアドレスを聞きにきてくれた。
「もっと早くに会いたかった」そう言われて、少し同感だった。
日本に帰ったらもう連絡することはないだろうけど、
配属先に向けて書いているレポートを送ってみようと思っている。 


レッドクロスのリーダーは、その後布ナプキンの材料をナイロビで揃えケニアに広める準備を進めていると教えてくれた。
ジョンは来週行う布ナプキン講習会の告知をし、何人もの人に場所を聞かれていた。



今日この場に立ち会えて、本当によかった。

どっちの方向に進めばいいのか分からなかった1年半。

毎日精一杯になんて全くなれた気はしないけど、確かに手数だけは多く打ちまくってきた気はする。
取りあえず色んなところに布石を置いてくる活動だった。

気付かないうちに残っていた足跡を、
その間にいた人たちが繋げてひとつの道にしてくれた気がして、
ここにきてようやくふっと力が抜けた気がした。

私にしか見えない道。



そう思いながら、超散らかった部屋に舞い戻り、片付けもせずこうしてブログを書いている。


プレゼントにペニスモデルを。

停電で昨夜も早く寝たので、今日は朝早くから起きていた。

コンドームの達人のおっちゃんから、7時半に電話が来た。

「MIHARU!まだ日本に帰ってないだろうな。
お前にペニス(男性器)モデルとヴァジャイナ(女性器)モデルをプレゼントしたいんだ。
ナイロビでいつ会える?」という内容だった。

「おっちゃん!覚えてくれてたのか、ありがとう!
ヴァジャイナはかさ張るので、ペニスだけでもいいんですけど。」

朝7時半とは思えないこの会話。

決して下ネタではない。


「この間も聞いたけど、黒いアフリカ仕様のものでいいんだな?

なんなら白人仕様でもアジア仕様でも作れるぞ。

俺は国籍を問わず1,000人以上のサンプリングをしてきている。」

おっちゃんの手にかかれば、色もサイズも自由自在らしい。


「では、記念にアフリカ仕様をいただいて帰ります。」

もう一度言うが、決して下ネタではない。


日本にいた時、高校保健の授業で行っていた「正しいコンドームの使用法」の説明。

なるべくリアリティが出過ぎないように透明の試験管を使って行っていたけれど。


帰国後は、アフリカ仕様のリアルペニスモデルで行うことになる。

リアルなんだか、なんなんだか・・・。

モデルの茶色がまさかアフリカ仕様を意味しているとは気付くまい。


日本でペニスモデルやヴァジャイナモデルが使える職業なんて限られているのに、

すっぽりはまったもんだなぁ、としみじみ。


コンドームの達人の情熱を日本の教育界に持ち帰ろう。

さて、ちゃんと受け取れるかな?









2012年3月3日土曜日

停電の中で乾杯を。

ケニア生活で色んなことが終わりを告げていく中、今日は学校巡回が終了した。

ケニアを去る間際だったからというよりも、帰国プログラムの意味合いが強かったかもしれない。
出来るだけ多くの学校を訪問することで4月からの日本での教員生活に向けて徐々に調整を試みた感があるこの巡回授業。

そして、その点に関しては手ごたえは全くない・・・。笑

250名・・・。
昨日はありがたいことに後輩隊員がわざわざ授業を見学に来てくれて写真やら動画やらをいっぱい撮ってくれた。
本日は2校にお邪魔して無事終了。


校長先生や教師の知り合いを伝って渡り歩き、ナイバシャでHIV授業に訪れた学校は13校24授業。
1授業20名~250名まで規模は様々だったけれど、
これはケニアでやっておきたかったことでもあり、やっぱりやってみて大変面白かった。


さて学校巡回を重点的にやったこの3週間ほど、我が家の水道は止まったままだった。
その間、頭がかゆ過ぎて3回も夜中に起きた夜があった。

その理由は、一人暮らしではまず無くなることのない中庭の雨水タンク(1,000L)の水が、
誰に見られているのか知らないけれど、2泊3日でもナイロビに行った途端に容赦なく盗難されるからだ。
そして、これは今に始まったことではなくこの1年7か月の間ずっと続いていたことだったりもする。
中庭のドアの鍵、壊されること3回。
「節約という言葉を知らんのかい?」と思うほど、私の使用量よりハイペースな水の盗難。
一言いってくれればいいものを。
水を盗難されることより何より、中庭から自分の家を色々物色されているのではないかと感じることが気味悪い。
鍵をかけ忘れでもしたら最後。という危機感が常にある、あと2週間のケニア生活。


そして、この1カ月は学校巡回に行くと長距離移動に加え乾燥のため喉がカラッカラになり、
とにかく冷えたビールが飲みたい一心で家に一目散に帰っていた。
家に着いたら手早く食材を切りトースターに放り込み、その間に身体を拭く。

鶏肉、玉ねぎ、ニンニク丸焼き、ジャガイモのチーズ焼き、等々。
おかげでこの1カ月のトースター生活ならぬ、つまみ生活は随分と充実していたように思う。


しかし、この一週間は雨季到来で30分程の短時間に土砂降りの雨が降っていた。
それによって決して水道は復活することはないのだけど、電流が不安定になり停電がしっかり起こる。


停電が起こると私の生活を支える重要アイテムのトースター&電気ポットが使えない。
これはかなり相当な痛手。
真っ暗闇の中で、仕方なくマンゴーかチョコレートを食べて眠りにつく。
で、朝4時過ぎに目が覚める・・・。

こんな生活もあと少しかと、今夜は運よく停電なしの家に無事にたどり着き、
アスパラとウインナーのチーズホイル焼きをつまみに「乾杯!」と、一杯やっている時にまた停電。

暗闇の中で響きわたる「チーーーン!」というトースターのタイマー。
もちろん焼けてない。違う意味で「チーーーン・・・。」


今週末は引き上げのために家の荷物をまとめる予定。
たまったビール缶のあまりの多さに若干自分でも引いている。

水浴びの頻度といい、食事の質といい、身なりといい、振る舞いといい。
女度をとことん下げたこの1カ月(1年9カ月?いや、31年?)だった。
帰国後デビューを目指したい。

来週は任地を離れて、ケニアの自然に触れに行く予定。

その後、再び任地に帰り、任地引き上げの13日直前に配属先にレポートを提出し最後の挨拶をする。






2012年3月2日金曜日

キャンペーン最終日と総括。

野外ライブinケニアッタ大学を終えた次の日の2月18日土曜日。

コンドマスター君と私たちは既に行きつけのナイロビ「BombBlast」で

郷ひろみばりのゲリラライブを決行していた。

ジャジャ~ン!
ダンスマスター・アベダス in コンドマスター!!
こんな踊れるマスター君、見たことないって!

*道頓堀で外国人と着ぐるみが踊っているような規模です。

もちろんお仕事のビラ配りも忘れてはいません。

この日はなんとBGM付き。

ナイロビタウンに響きわたる数々のTRFヒットソング。

小室ファミリー全盛期をよく知るお年頃の私たちがノリノリにならないわけがありません。

コンドマスター君と2人はスキップするかのことく軽快にビラを配ります。

最終日ということもあり、かなりやりたい放題。

♪ボーイ ミーツ ガール
そ~れぞれの~

♪クレイジ~
ゴ~ナ クレイジ~


♪マスカ~レ~ド
燃え尽きそう
♪ずれた間の悪さも~ 
それも君のタイミング~
あ、1曲ブラックビスケッツの名曲が混ざってしまいました・・・。

着ぐるみ文化のないケニア人には、
踊りながら近づいてくる着ぐるみとテンション上がりきっている日本人を
街角で一瞬にして受け入れる度量はなかったようで

単独の歩行者は私たちから視線をそらすことに懸命の様子でした。


これにて7日間(うち参加したのは5日間)のバレンタインVCTキャンペーンは終了。

この期間中に配布したビラの数 10,560枚。

多くの人々の協力なしでは決して成しえなかった数字です。



そして昨日、キャンペーンを一緒にやったLVCT(リバプールVCTという支援団体)からの結果報告メールが送られてきました。
そこには、当初の目標700名を大幅に上回る1146名のHIV検査を実施出来たこと。
その中にはカップルが188組、初めて検査した人が286名が含まれ、陽性結果は13名だったこと。
か記されていました。また宣伝活動レポートには、この1文がありました。

今回クライアントの数を大幅に増やした要因には
日本人チームによる「コンドマスター」とビラの宣伝促進があった。

最終レポート。

数珠が切れた瞬間、本当に起こっていたのかもしれない。
その次の日の朝、立て続けにとてもうれしいメールが2通も届いていた。

メール①:病院に導入予定の患者管理システムをもっているFuturesGroup(アメリカの団体)から

現在ケニアの各病院のHIV/AIDSフィールドでは規模の大小を含めて19団体の作ったソフトが使用されている。
NASCOP(エイズ国家対策)としては、国として使用するソフトを統一するという動きになっていて
その結果が出るまでうちの病院に導入されるのは見送りの状態が続いていた。

・それがようやく3つに絞られ、それにFeuturesGroupの管理ソフトが認定されたこと。
・3月16日の会議を得てナイバシャの病院に導入後、その他の病院にも導入されていくこと。
その会議にはナイバシャのチームも同席してもらうこと。
・うちの病院に建設された大規模な女性専用クリニック内で、母子感染予防のための管理ソフトを導入することが決定したこと。
・ナイバシャへの導入を打診してくれたことへのお礼と、私が去った後の進捗状況もメールで共有してくれること。
が記されていた。

この管理ソフトの導入が軌道に乗れば、多くの患者データが整理されることになる。
そして、コンピューターによって様々なことが簡略化される反面、
瞬時に数値化されることによって今まで表に見えてこなかった多くの課題が浮き彫りになる。

そうなった時にそれに対応できるだけのものが、今の病院や県保健事務所にはない。
管理する病院と、それを監督する県保健事務所と、現場で働くスタッフと、地域で患者をサポートするコミュニティーヘルスワーカー同士をつなぐものがない。

そして、そんな事態をそれに関わっている多くの人々がとっくに気付いている。
今ある体制は書面上のもので、実際はその多くが機能していないこと。
実際に機能させる体制を作るには、多くの労力と根気を必要とすること。
もちろん私のカウンターパートを含める人々が。

カウンターパートは戦う相手ではない。いい負かしたところで、何も生まれない。
それは毎回のこういったやり取りの中で、最終的に行きつくところである。

カウンターパートだけではなく「便利になることは、逆に仕事を増やすことに繋がる」と捉える人々に
「新しいことはやりたくない。このままが一番楽。仕事を増やすな。」と面と向かっていってくる相手に、
戦う相手はこの人ではないから、といつも考えてきた。

その向こう側にいる充実した医療を受けられていない患者たちのために私は動くのだと言い聞かせてきた。
結局は、そこにしか自分のいる意味を見いだせないし、そこにこそ意味を見いだしたいという思いがある。


1週間前に出していたメールの返信をいいタイミングで受け取れた。

ちょうど、最後に配属先に提出するレポートを書いていた最中、この朗報のおかげでようやくまとめる内容が定まった。
いいレポートが書けそうである。







終わりが見えてきた。

水曜日の授業の終わりに「日本の宗教について教えてください」との質問が生徒から出た。

これこれこうこう・・・と一通り説明した後で、毎日身につけている数珠を使って
「ブッダにはジュズというアイテムを使ってこう祈ります」とやって見せた。

この数珠はケニアに来る直前にいつもお世話になりっぱなしだった同僚の先生に連れて行ってもらった
比叡山のお寺のお坊さんからいただいたもの。
本当は手首に2重にして巻くものだけど、首周りにいい具合にフィットするということで首につけている。
普段アクセサリーは付けないし、付けるとすぐ失くしてしまうのに、ケニア生活ではめずらしく毎日つけ続けているこの数珠。
今まで何度もケニア人から「そのネックレスはどこで買ったんだ。私にちょうだい。」といわれてきた。
でも、「これはブッダに祈りをささげる時に私たちが使うアイテムだよ。」と説明した途端、「いらない!いらない!」となる。


祈り方の説明が終わりその数珠を定位置に戻そうとした時だった。

パン!といって数珠のゴムが切れた。
その瞬間、驚いて「あっ」と大きな声で叫んでしまった。

弾けた数珠は教室中に散らばる事態に。

(よりによって、スゴイ瞬間に切れたもんだなぁ。)と思っていると、
生徒たちがあわてて一斉にかき集めて持ってきてくれた。

深い信仰心をもつ生徒たちから見れば、画的にとんでもない大惨事に映ったのだろう。
みんな「Pole(ポーレ)」「Sorry(ソーリー)」と口々にいってくれていた。


1年9カ月、このケニア生活を共にしてきた数珠。

それがプツリと切れて、

ひとつのことが終わりを迎えた気もした。

何かが大きく動いた気もした。

それはとてもいい意味で、そんなことが頭をよぎった瞬間でもあった。



2012年3月1日木曜日

人生における性計画。

今日は以前にも訪問したことのある学校へいった。
今日は午前に1レッスン、午後に1レッスンの2授業。


昼食をはさむので給食のギゼリ(白く甘くないトウモロコシと豆を煮たもの)をいただく。
奥に写っているのは日本に興味津々の校長先生。


生徒たちを相手に授業を行うと、そこでは必ず毎回色んな発言があり、色んな発見がある。

どの授業でも終盤にはみんなで各自の人生のプランを立て、3~4人の生徒に発表してもらう。

「予定は未定。計画は自由だよ~。」との前置きで、本当に自由に書かせる。


今回印象的だったのは、

「75歳になったら自分の妻とピクニックに行きたい。
 最後は自分の妻を看取ってから丘に埋葬して、その後に自分も寿命をむかえたい。」

と発表してくれた男子生徒(13歳)がいたこと。何かジーンときた。

この人生プランを立てる直前までに授業の中で、HIVのこととか性欲のこととかセックスのこととかを話していることもあって、それらを人生プランにそのまま反映させてくる生徒も結構いる。

20歳:キスをする
45歳:セックスをする
50歳:結婚する

なんて書いている生徒もいて、キスからセックスまで何のプランもなく一気に飛び越した25年間を、一体どう想像しているのだろうか。
興味そそるや~ん。っていう。



28歳:結婚する
34歳:第2夫人と結婚する
と書いてくる生徒もいる。

この場合、最初から第2夫人をもらうつもりでいる初めての結婚と
最初は妻は一人だけでいいと思っている初めての結婚とでは、

初めての結婚相手を選ぶ基準というのはどちらも同じなんだろうか。
と、こちらもまあ色々考える。

毎回の授業の終わりに
「家に帰ったら、自分の人生プランの紙をよく見える所に貼って、毎日読むと叶う確率が上がるよ。」
と伝えるんだけども、


22歳:セックスする
と、、、こんな紙が家のよく見える壁に貼ってあったら親はなんて思うだろうか。とも毎回思う。

2012年2月28日火曜日

もうひと勝負やりますか。

任地での活動も2週間を切ってくると、やはり色んなことが美化されてくるもんだとしみじみ感じていたここ最近。
しかし、そんなことを覆す出来事があった。

今日は新しく訪問する学校へ行く日だった。
タクシーでしか行けないような遠い場所なので、わざわざ送迎の車を回してくれるとのこと。
約束の9時になっても、9時半になっても来ないので電話をいれたら
「車が壊れてしまったんだ。何とかするから。」とのことで、
「何とかできるわけないな。というか車自体用意できてないな。」と判断し、
近くでチャイを飲んで「今日は何をしようかなぁ。」と作戦を練る。

もちろん、ここまでのことは想定内。


昨日の朝のこと。
ジョンの村に行く前に配属先に顔を出したらめずらしく県保健事務所長(DMOH)とカウンターパートが
揃っていたので、もうすぐケニアを去ることを告げたところ、「何て早いんだ」と、それはそれは驚かれた。
で、いきなり「活動のフィードバック(振り返り)をしよう」となったので、昨夜、速攻作成した資料を持って事務所にそのまま行くことにした。

今年になって初めて顔を見たDMOHは以前は隣に住んでいて、理解のある男だと思っている。

まずはそのDMOHとフィードバックを行い、1年7カ月かけて自分の目を通して見てきたこと、
やってきた活動を映像でまとめたものを見せながら解説した。
普段、本当に別々にいるためこの活動内容にはかなりびっくりしていた。

そして口頭で、約2年間ナイバシャにいて感じた全てのことをかなりはっきりと伝えた。

オブラートに包み込む必要はない。これは最後のチャンス。
目の前にいる人物こそ、ナイバシャの保健業界に一番影響力を与えられる人物なのだから。

「会議室やセミナーから一歩外に出て、実際の現場に足を運んで住民のニーズをみてほしい。」
というようなこちらの想いも伝わっていたようだ。

その後、
DMOH:「次のボランティアはいつ来てくれるんだ?」
わたし:「この事務所にボランティアはいらないと思うけど。」
DMOH:「この事務所にはボランティアが必要なのに。」
わたし:「じゃあ、例えば今日だったら何をすればいいの?」
DNOH:「じゃあMIHARUがここにあと2年間残ればいい。今日からの2年間は俺はお前を色んなところに連れていくぞ。」

はははは・・・・・。
(そんなことしたら間違いなく、日本社会で再起不能になるわ。)と笑って終了。


そして、次にカウンターパートとのフィードバック。
赴任当初にタイムスリップしたかのような残念さと久しぶりにぶち当たってしまった。

私が見てきた事実は全て全否定。
どんな状況も「現状のままで問題はない。私たちは改善している。」と言い切る。

最近、コミュニティや学校で積極的で情熱的な人々に囲まれていたため、
その人々とのギャップがすごく、自分でも結構ショックだった。

そして最後にはなんと活動への総括コメントを断固拒否。
想像してください。2人の顔は取りあえず終始笑っているのです。だから、逆になんか怖い・・・。
色んなものを吸い取られる気がするのは気のせいか・・・。

「ゼロの人間をイチに変えるより、100の人間を200に引き上げる活動のほうが
周囲に大きな影響力を与えられると思う。そこに力を注ぎたい。
期間が問題ではない。他人のゼロをイチに変えるなんてのは、こちらの奢りだし、
日本でも出来なかったことを、さもケニアだったら出来ると思ってしまってないか?
と自分に何度も問いました。」

と、最後のHAPAで話していたのだが、
その時すでにカウンターパートのことは過去の人となりすっかり忘れてたけど、
また色んなことが蘇ってきてしまった瞬間だった。


私のここでの活動は一体何だったのだろうか。
あー。

本来ならナイバシャを去る直前の、3月11日か12日にやろうと思っていた配属先とのフィードバック。
それが急に本日行うことになって、去るまでの猶予がちょっと出来た。

これはなにか、神の思し召しだろうか・・・、もうひと勝負してこいよと。

行くべきか、行かぬべきか・・・。うーん。



布ナプキンファイナル。

この1週間でナイバシャでのコミュニティと小学校の活動は終了する。

今日はジョンに頼まれて、今度はジョンの村の女性グループに向けて「布ナプキン伝授会」を行った。
前回、干乾びそうになったかなり遠いジョンの村への訪問、今回で3度目となる。

地元の学校訪問以来、俄然やる気のジョンに、
「出来るだけ多くのメンバーを呼んでおいてほしい。」
「洋服屋さんとミシンも準備しておいてね。」
と、ちょっと難易度の高い注文を出しておいた。

マタツを乗り継ぎ、ようやく教会にたどりつくと、そこには結構信じられない光景が広がっていた。

トタン屋根の教会
女性グループに加え、以前訪問した小学校の先生も2名同席。
しかも、ミシンと共に洋服屋さんも来てくれている。

このママたちは英語が全く通じない。
私が話した言葉をすぐにジョンがキクユ語に翻訳する。
まずは洋服屋さんと一緒に説明しながら一通りの手順を見てもらい、
その後、みんなで実際に作ってみた。

紹介したのは、最新バージョンの布ナプキン。
ベースに水を通さない素材を使用したもの。
これにナプキン専用に作ったライナーを挟んだり、
専用のライナーがない場合でもベースさえあればどんな布切れでも挟みこむことが出来る。





洋服屋さんも色んなアドバイスをしてくれて、みんなとても吸収が早く、
途中にケニアの栄養満点のローカルな飲み物「ポリッジ」もふるまってくれて、
ほっこりしながら作業を進めた。


途中に久々の激しい長雨が降り、トタンの教会は爆音が鳴り響いたが、
2時間ほどの間なんやかんやと話しつつ、雨の止むのを夕方まで待った。

「あなたの話を息子から聞いたわよ。ムズングが学校にきて体操を一緒にしたって。」
こんな話も何人かのママから聞くことが出来て、うれしかった。

ママたちは今回の活動を地域の小学校のために継続していってくれるらしい。
ジョンはそのためのプロポーザルをとってくるとやる気になっている。
このプロジェクト名は「MIHARUプロジェクト」とジョンによって勝手に命名された。
名前はなんでもいいし、続くかどうかも定かではないが、何かのきっかけになればありがたい。

雨が止んだので帰路につく。
マタツに乗るまでの長い帰り道を歩いていると
同じく雨が止むのを待っていた多くの生徒と一緒になった。

「MIHARU!コンニチハ!」
「スゴーイ!」
お辞儀をしながら「アリガトウ!」

教えた日本語、覚えてくれてたんやなぁ。

村のママ達からも「よくこんな村まで来てくれた」と、ものすごい歓迎と感謝を受けた。
こういう時、村に自分と肌の色の違う外国人が来たということは、
彼らの記憶の中に強く残ることなんだと再認識する。

標高が高いため雨が降ると一気に冷え込むナイバシャ。
半袖一枚だった私にママが雨の中わざわざ家まで上着と帽子を取りに行って貸してくれた。

「誰にも会わんし、いいや~」とありがたく着て帰ったら、
案の定、後輩隊員と同期隊員と日本から来たその友達とご飯屋さんでバッタリ・・・。
大爆笑されて本日終了。



ただいまー。