2011年11月30日水曜日

エイズを通して、何を伝えるか。

HIV/AIDSといっても、数ある病気の中のただひとつの病気に過ぎない。
授業の中でHIV/ AIDSの正しい知識を教えることが最終目標ではない。
大事なのはHIV/ADISの正しい知識を通して、どのように自分の人生をとらえるか。
自分の人生を考えていく手段のひとつとして、HIV/AIDSに触れること。

教育とは教室の中で完結するものではなく、教室の外でこそ活きていくものにしたい。

大事なのは、「エイズ教育を通して、何を伝えるか。」


ケニアでも日本でも、生徒の前に立つと、そんなことを変わらず思う。

先週までの2週間でナイバシャ内の8校の学校にHIV/AIDSの授業に行った。
その間に授業を通して出会った生徒数は約1000名。

以下は、その授業の一部。

生徒たちに自分の人生計画表を作成してもらう。

見たこともないだろう「Nintendoスーパーマリオ」の
ジャンパーを着こなしているひょうきんな彼。
「何歳まで生きたいかな?何歳まで生きられるかな?」
「子供は何人欲しいかな?」
「いくつで結婚しようかな?」
「どんな職に就こうかな?」
「どこの大学に入ろうかな?」

「129歳まで生きたい。」
「2人の女性と結婚し、20人の子供を産ませる。
そして75歳で3人目の妻をみつける。」
「26歳になったらセックスして子供作る。」
「相手の男性は自分より2歳上までとする。」
「パイロットになる。」
「ジョモケニヤッタ大学に入学する。」

生徒たちはそれぞれの人生計画を具体的な年齢と共に自由に紙に記入していく。

記入が終わったら、“自分が結婚する年齢”をマル◎で囲んでもらう。

24歳、27歳、30歳、35歳、40歳、・・・と、もちろんこれも様々。

『ハイ、ここでみんなに質問があります。
 あなたはその年齢まで禁欲できるって断言していますが、
 実際できますか?』

そう質問すると、今まで無心に言い放ってきた「結婚までは絶対禁欲」という言葉が一気に色づく。

その言葉と自分が書いた具体的な年齢が結びつくことで、一気に自分の現実問題となる。

コントロールが難しい性欲や性行動が自分の人生にも存在するものなんだ、と認識する瞬間。
と、なるかどうかの分かれ目。

「さて、私はみんながよく知っているナイバシャ県病院で働いています。

その病院にあるVCT(HIV検査)ルームで、私は今まで何人ものHIV検査に立ち会ってきました。

そこでは自分がHIV陽性と知った人々の何人かが“神さま・・・”とつぶやいて、涙を流していました。
 
 “なんで私が??”
 “自分だけは、大丈夫だと思ってた。”
 
 “どこで感染したんだろう?”
 “コンドームをつければよかった。”
 “もっと早くに検査すればよかった。” 

って、きっと感じてると思います。

でも、その人たちもみんなと同じくHIV教育を受けてきた人たちです。

“禁欲こそ最大の予防”だということをちゃんと知っている人たちです。」

「さぁ、自分の人生計画、もう一度見てみよう。

あなたは、どんな風に生きたいんだろう。

結婚だって出産だって、みんなバラバラ。

そして、結婚や出産でさえ自分がしたくないっておもえば、しなくてもいいんだよ。

それほどみんなの人生は自由なんです。あなたの人生だから、あなたが決めていいんです。


それと同じく、HIV感染を予防することも、しないことも、あなた自身で選べるんです。

だって、それもあなたの人生だからね。

禁欲で終わらせない。その先を、ちゃんと考える

恋に落ちてどうしても欲求が抑えられなくなったときには、

コンドームというアイテムを使う選択肢も、ちゃんと持っておいてください。」

その後には、現在31歳である私のバラ色(?)の人生計画ももちろん披露する。


“ 私は今31歳です。自分の目標だった教師になって、ボランティアになって、ケニアに来て、
今も計画通りに独身で、毎日をとても楽しく送っています。

そして、私もいずれは結婚して子供も産んでみたいなぁって思っています。
でも、これからも自分の理想を実現するには相手がいることなので、
・・・・・かなりの努力が必要だということだけは自覚しています。”

こう話すとケニアの生徒たちは一斉に笑う。たぶん、日本の生徒たちの場合はとても気を遣う。

伝えたいのは、目の前にいるムズング(白人)が、自分と同じ生身の人間であること、

そして、自分で決めてケニアにまで来て自分のやりたいこととして

今日ここに来ているんだ、ということを生徒たちに印象付けたい。


良くも悪くも、自分の人生を生きている1人の人間のモデルとして、元気に伝える。

そういって引き続き、好きなことを披露している画
語弊のある言い方かもしれないが、普段の活動に比べると教室という場所は対象がハッキリしていて、
聞いてくれる人が最初からそこにいてくれるという点ではとても楽である。
関心のある生徒からも無関心の生徒からも、その場で反応がすぐ得られることが大きな刺激となる。

そして、その対象がまだ性行動の確立していない子供たちであり、
ケニアの未来を担っていく存在であると意識した時、
自分の発する言葉に一層の責任感が生まれ、それがまた自分を奮い立たせる。
自分の中に大きな力が湧く。


今回嬉しかったのは、年度末ということもあり(年度末大忙しの日本とは違って)、
自由な時間を持て余す多くの先生方がこの授業を見学に来てくれたこと。
常に2~4名の先生が見学し、サポートにも入ってくれた。


















お昼をご馳走になることもしばしば。
そして複数の先生が授業後に、

「彼らに人生を考える貴重な機会を作ってくれてありがとう。
学校を出た後のことなんて普段聞くこともなかったから。」

「人生の全体像から、エイズのことや未来を考えるという手法は
とても新しく素晴らしいものだった。」

「彼らが生きたいと思う年齢まで夢を実現させながら生きるには
どうすればいいのか、僕も考えさせられた。」

と、わざわざ感想を言いにきてくれた。
これは本当に嬉しかった。

そういった観点で授業をみてくれたことと、そういった先生方に出会えたことにも感謝したい。

そしてまた、こういった先生たちの紹介で、次のタームにも訪問する学校が決まった。
それが本当に活動のラストスパートとなりそうだ。


そしてまた、新たに加わった課題についてはまた別の機会に書きたい。


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