2011年11月8日火曜日

交通事故には遭ってませんが。

「交通事故」と題して一瞬でも余計な心配をかけてもと思い、こんな題名。
私は変らず元気です。

さて最近は何かと若者たちと活動することが多く、
特にこの週末は土曜日に起きたという交通事故の話題で持ちきりだった。

土曜日の夜8時頃、ナイロビ-ナクルをつなぐ主要道路上であるナイバシャのジャンクションで
大型タンクローリー車と3台のマタツが衝突した。
マタツはぐちゃぐちゃになり、20名の人が一瞬にして命を失う大惨事。
事故現場には身体が切断された人、地面に打ちつけられて圧縮された人など、
原形を全く留めない被害者たちが散らばる非常に惨い現場であったと。
話を聞いているだけで、顔をゆがめるような内容だった。

「交通警官が賄賂目的だから、一向に状況がよくならない。」
「自動車の急激な増加に道路の整備環境、規律が追いついてない。」
「犠牲者はますます増える一方だ。」
その日、平和を願うキャンペーンに参加する若者たちは口々にそう述べあっていた。

保健で教えていた『交通安全の予防』という単元を思い出さずにはいられない。
道路環境要因、人的要因、車両要因の3つの要因がかかわることで事故が発生する。
昭和30年代、日本でも1年間で日清戦争の死者(約17,000人)を上回る交通戦争といわれる時代があった。
その後ガードレールが出来たり、シートベルト違反や飲酒運転の取り締りが強化されたり、
緊急医療が高度化することで、交通事故死者数が1万人を下回ったことが成果であった10年前から
教科書が改訂されるたびにその死者数は減少していき、今では5,000人を下回っている。
もちろん1,000人でも、500人でもなく、交通事故死をゼロすることが目標である。


相変らず多くの隊員がふらりと遊びに来てくれることの多いここナイバシャ。

昨夜一緒に食事をした隊員ともこの話の延長で、
「よく日常の中で交通事故で友人が亡くなったと話しているケニア人に遭遇するよね。」という話題が出た。
不安を煽るわけではないけれど、ケニアに一度でも足を踏み入れた人ならお分かりだろうが、
「これで事故に遭わないほうが不思議だわ」という日常。

今日はそのエイズ対策隊員と消防隊員がうちの病院を見学に来てくれたため
病院内の様々な場所を案内した。

その中で目にしてしまったものは、一昨夜の事故の犠牲者たちの遺体だった。
今日、遺体安置所でかいだ腐敗臭がまだ鼻に残っているような気さえする。
中に入るまで気付かなかったが、ナイバシャで起きた事故なのでここに運ばれてきていて当然である。

人と認識してしまえば見ることは出来なかった。
「ここはひとつ、物体として捉えましょう」と脳が指示を出している。
そして無理に見る必要は全く無いので、すぐに出た。

表情が残っているものもあれば、即死だったんだろうと思えるものもあった。
人数が多いこともあり煩雑に放置されていて、
いくつかのバラバラになった身体が無造作に積まれていた。

人間の肉体はなんてもろいものなんだろう。
だからちゃんと守らなければならない。

その後、日本で消防士として働いていた隊員から日本との色んな違いを教えてもらう。
遺体処理の仕方、死体整復師なるものの存在など細部がどうこうというより、根本的に違う。
いくつもの事故現場を見てきた彼でさえ、
あそこまで変形した数多くの遺体を目にしたことは初めてだったようだ。
血の量からしてすぐに安置所に運ばれてきた遺体だろうという彼の見解だった。

「安置というより、放置やったなぁ。」
「日本の医療だったら、救えた命もあったんやろなぁ。」という彼の言葉が胸に響く。

もちろん医療現場を知らない私ともう一人の隊員は、ず~~っと、どんよりしていた。
一瞬の出来事が脳に焼き付いていて、気を取り直そうにも直せない。
もうあそこには近づかない。

3要因のどれもが低水準で引き起こされる事故。
途上国で起こる事故現場は、多分どこも同じようなものなのだろう。


協力隊のみなさんも、そして日本のみなさんも、自分に出来る最大限の予防を続けましょう。
自分の身にも、誰の身にも起きて欲しくないことのひとつです。



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