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2011年4月30日土曜日

エイズの島。

フェスティバルが終わった後、近くにある同じエイズ対策の同期ハナ隊員の任地を訪問した。


おそらくケニアに派遣されているエイズ対策隊員の中で、最もHIV感染率の高い地域であるビタ。

ビクトリア湖の湖畔にあるこのビタには、マタツとフェリーを乗り継いでいかねばならない。

想像していた10分の1くらいの大きさの、それでも立派なフェリーに乗って彼女の任地にお邪魔した。

漁業が盛んで、緑の豊富な美しい地域だった。

多くの漁師が立ち寄る港には、その身を休める宿と体を売る女がいる。

話に聞いていた通りのHIV感染が広がりやすい環境がそこにあった。


今回の目的は、そのビクトリア湖に浮かぶ島に行ってみること。

漁師のおっちゃんからボートを一艘貸し切って、約1,800名ほどの住民がいるその島に到着した。

島の長が迎えてくれる。

「皆さんのことを彼は歓迎しているんですよ」とにっこり笑顔で説明する漁師のおっちゃんの言葉とは反対に、島長と呼ばれるその男は終始ムスッとしかめっ面を通していた。

英語もスワヒリ語も通じないと思われる島長は、終始持っていた針金をぐるぐる折り曲げて遊んでいる。通訳らしき男が横にいたが、まったく意味を成していない。

この状況には結構な衝撃を受けたが、もっと衝撃を受けたのは、

「この島のHIV感染率は何%ですか?」と質問したときの、キンと張り詰めた空気だった。


「はて、何のことかしら。」
「この島にはHIV感染者などいないことになっていますから、何%なんてわかりません。」
「あなた、禁断の質問をしてしまいましたね。」

というような雰囲気。

HIV感染者が大勢いる前提で聞きたい質問が山ほどあったが到底無理な状況であった。

その後、その実態を知るべく島にひとつある診療所へ。

小さな島なのに、病人や妊婦が登るにはしんどいであろう険しい坂の続く頂上にその診療所は立っていた。

眺めはいいが、何でわざわざこんな場所に立てたのだろうか。

しかも出来て5年も経っていない綺麗な建物だった。

疑問点が多い。

この診療所のスタッフは全部で4名、そのトップは看護師の青年であった。

1日に平均4名ほどの来院患者、1ヶ月に平均3名ほどの子供が生まれている。

HIV感染の検査を受けに来る人の数は1日約10名程度。

そのうちの7~8名が陽性。

HIV治療薬は隣の島からたまにしか送られてこない。

これらの情報を聞き出した。

壁に貼ってあった人口統計データがふと目に止まる。

約1,800人の島民のうち、15歳以下の子供たちが約1000人を占める。

若者といわれる層から上の人口が大幅に減っている。



医療の行き届かない場所で、確実にエイズで人が死んでいるのだ。

エイズであることを隠したままで。



感染していると知ったところで、治療を受けることができない島。

知ったところでどうなるのか。



だったら、今が楽しめればいいじゃん。

だったら、今夜に満足できればいいじゃん。

子供が多けりゃ楽しいじゃん。

中途半端な支援なら、放って置いてくださいな。



そんな声が島から聞こえた気がした。
 
HIV/AIDSを語ることが自然になってしまっている私には、とても貴重な経験となった。


ビクトリア湖畔の風景


















湖の水は貴重な生活用水
町でよく見かけるスタイル
湖上で漁師さんに会う


本日の収穫はボチボチ



携帯の数=スタッフの数
職場の電源で携帯の充電をする。
ケニアではどの職場でも見られる光景
 


多くの子供達に見送られながら島を後にする

母子感染を考えると、HIV陽性の子供が多いだろうことは十分予測できる。

エイズの脅威にさらされない時代はとっくに来ているのだ。

この子達に正しい教育が行き届きますように。





2011年4月29日金曜日

Tシャツ隊員活動。

しばらく休んでいる間に、書ききれないほどの出来事が起こっておりますが、私は元気です。
少しずつ振り返りながら、書くこととします。

去る4月16日、キスムというケニア第3の町にあるミュージアムで、先輩隊員が企画したケニアの子供達を対象にした環境と未来をテーマにしたイベントが開催された。
ケニアに派遣されている50名以上の協力隊も各地から集まり、準備や当日の運営を分担した。
子供たちが楽しめるように工夫されたお絵かきやスポーツや化学実験教室や日本紹介や夢を語るブース、メインステージでは歌にダンスにファッションショーありという、500人以上のケニアの子供達が参加したビックイベントとなった。

そんな中私は、その前日に日本から到着したばかりの日本人3名(元生徒、同期隊員の姉、友人)を引き連れて、任地ナイバシャからマタツで6時間の移動。


任地が遠いこともあり、準備にはほとんど関わってこなかったこのイベントだったが、私としては当日に向けての大仕事があった。
それは以前企画した「がんばれ日本!チャリティTシャツ」で注文のあった157枚のTシャツを当日に間に合わせること。

この一点のみ。

そう、レッドリボンズキンちゃんTシャツを担当してくれたあのおっちゃんとの勝負である。
「早くて、雑」が売りのこのお店。
Tシャツプロジェクトが始動して以来、今や誰よりも頻繁に電話をする仲である。

結局、任地出発の3日前に余裕で出来上がるはずだったこのTシャツ157枚は、
任地出発の直前のおっちゃんからの「あと1時間後には持っていくから!」という電話から
5時間後にようやく手元に届いた。

いや、むしろ、届いたことが奇跡。


ということで当初の予定の午前11時を大幅に過ぎた午後4時半に任地出発。

キスムには午後9時過ぎに到着した。

せっかく日本から来たばかりの皆さんに移動中のケニアのきれいな風景を見せたかったが、真っ暗闇で隣に座ったケニア人の顔さえも見えない中での移動となった。


しかし、何とか間に合ったTシャツは、イベント当日には多くの参加者の皆さんに着てもらうことができ、その景色に感動した。
おっちゃんにも見せたかった。

今回たった157枚でケニアのTシャツ市場からネイビーブルーのTシャツを買い占めたと豪語していたおっちゃん。

油断をするとすぐに数をごまかしたり、質を下げるので、毎回かなり念入りにチェックしている。

そのため正確にTシャツを揃えるのに一苦労ということらしい。

おっちゃん、それ、日本では普通やから。

そして、フェスティバルが無事終了して新たに入っている追加注文数は

約300枚・・・・。

今回の注文の2倍・・・。
各国のたくさんの人々の大きな愛と共に、大きな盛り上がりを見せているこのプロジェクト。

若干、枚数が増え続けることが恐ろしくもある。



おっちゃんには是非アフリカ全土のネイビーブルーTシャツを視野に入れて、

これからも現在のざっくばらんなスタイルで頑張っていただきたい。
 
イベントを終始盛り上げた
悪役【タカタカン〈ゴミの意味〉】とヒーロー【リサイクルマン】


子供から大人まで多くのケニアからのメッセージ
みんな自らすすんで書いてくれます
多くの交流も生まれます

恒例のソーラン節も披露

運営委員のみなさん本当にお疲れ様でした。
素晴らしいイベントをありがとう。

2011年4月15日金曜日

お出迎え。

昨夜、ナイバシャの町中が停電した3時間。

真っ暗闇の中、日本からのお客様達が無事到着した。

計画停電ではなく、通常停電。

そういえば、昨日は国際空港が停電していた。

ただ停電しているだけで、他は何も変わらない。

誰も騒がない。

停電バージョンに切り替わるだけ。

真っ暗闇の中、行きつけのケニアレストランも通常通り営業中。

真っ暗闇にキャンドルのように灯る明かりを囲んで、出会って20分後にはみんなで楽しく食事していた。


家に帰っても、現在の日本の状況、実際のケニアの生活。

尽きることがない話。

サーファー、看護師、教え子、高校教師。

楽しい夜だった。

今週末はキスムで開催される隊員主催のイベントに参加するためマタツで5時間の移動。

その後、同期隊員の任地を転々とするためブログはしばらくお休みします。

皆さん、よい週末をお過ごしください。



うれしいカレー粉の差し入れ!
 


日本人の皆さんの心遣いに感動です。
ありがたい。
恋しい日本食、大事にいただきます。



朝からモリモリ食べて、みんな元気です☆



2011年4月14日木曜日

ヤツが来た。

予定時刻から遅れること約2時間。

待っている間、様々な不安が襲った。

ジョモケニヤッタ国際空港の到着ゲートのガラス越しに、

どう見ても挙動不審の日本人発見。

彼の姿を遠巻きに発見したとき、力がふっと抜けた。



「ケニアに来てみれば?」

「行きます!!」


このやり取りから1ヶ月。

ついに奴がやってきた。

本当にきた。


4月13日、若干18歳の我が教え子、ケニア無事入国。

これから彼との約1ヶ月間のケニア暮らしが始まる。


出来る限りの「放置プレイ」。


全身でケニアを感じろ。

日本ではない国を感じろ。

色々悩んで、考えて、ここに来た彼。

人生をかけて向き合えるモノを見つけるかもしれない。

し、

何も見つからないかもしれない。


なんだっていい。

知ったつもりでいるよりずっといい。

アフリカに、ケニアに、ここに今いる、ということをまず大事に。



そして、彼自身が捉えるケニアを私も感じたい。




到着当日は、私の任地ナイバシャまでマタツで移動。

本日は朝7時半から、活動を共にした。

初めての断水(只今4週間目突入)の中で、風呂と洗濯を経験。


そして、そこに加え本日初めてお会いする日本からのお客様が2名(同期隊員の姉と友人)

我が家に宿泊予定。

それぞれが初対面の3名、と私。

この4名、どんな夜になるかとても楽しみ。

初マタツ乗車。
大音量の音楽に「テンション上げんとヤられますね!」と
言いつつも、この後ナイバシャまで2人で爆睡。

知り合いのおばちゃんがサトウキビをご馳走してくれました。

みどり。

昼は牛肉を塩でいただく。
500gで210シル

2011年4月13日水曜日

茶の町。

今週の月曜日には同期の企画するサッカーイベントがあるということで、ケリチョ男子更生院に行ってきた。
このケリチョはお茶の名産地であり、日本でいう静岡みたいなところ。
至るところにしっかり整備された茶畑があり、「住みたい町NO.1」にも輝く緑であふれた美しい町である。

サッカーはまったく出来ないが、この手のイベントには出来る限り参加することにしている。
同期の任地をこの目で見られるいい機会だし、スポーツイベントがもつ雰囲気がとても好きだから。
今回はフレンドマッチに2試合参加させてもらった。

目標は、とにかくケガをしないこと。それに尽きる。
今回も目標は達成された。


奈良公園の若草山のように傾斜がきついボッコボコのグランドだったが、青空の下、爽快だった。

更生院に入ってくる生徒のほとんどは英語を全く知らないため、スワヒリ語は必須となる。
なので、そこに派遣されている隊員は、国内訓練から既にスワヒリ語を習う。

それにしても、生徒の前でスワヒリ語をペラペラ話す同期隊員には今回もとても驚かされた。

このケリチョ更生院に収容されている日本の小学校1~4年生にあたる彼らはとても無邪気でかわいかった。
彼らのほとんどは盗難で更生院に入ってくるとのこと。
盗難がみつかり、捕まり、3年間の更生院暮らしが決定する。

色んな境地で、色んな選択肢の中で、彼らは今ここにいるのだ。

貧困とは、選択肢がないこと。
裕福とは、選択肢があること。

彼らが行った「盗む」の反対側には選択肢はあったのだろうか。
あるとしたらそれは、一体なんだったのだろうか。
「死」だったのかもしれない。

安心して住む場所と、食べる物さえあれば彼らは悪事に手を染めることはなかったのかもしれない。
更生院に行く度にそう感じる。

この日の彼らも充実した日々を過ごしているように見えた。

テキパキと生徒たちに指示を出す同期隊員



敵は子供達ではなく年齢。己と戦うアラサー軍団。


前半と後半の負荷が明らかに違う。緩やかな斜面。

歯ぐきも腫れることなく、いい一日でした。

2011年4月10日日曜日

親知らず抜歯。

前回治療してもらった歯が痛むような気がするということで、本日9時に歯医者予約。

確認したらその痛みの原因はその横に生えている、親知らずが原因とのこと。

「どうする?」と聞かれ、

以前、親知らず抜歯を決行したケニア同期から聞いていた数々の情報が頭をよぎった。

予約必要、手術台、手首に注射、全身麻酔、調整員付き添い、半日かかる、10万円近い出費・・・。


しかし話を聞くと、「今からすぐ抜けるよ。」とのこと。

「おいくら万円でしょうか、先生。本日私、お金がないのですが・・・・。」

「1本4000シリングだから、上下あわせて8000シリング。1日2本まで抜けるからね。」

なんと!同期から聞いていた10分の1ほどの値段。

「全身麻酔が恐ろしいのですが・・・・。」

「親知らずに全身麻酔なんて使わないよ~。日本はそうなのかい?笑」

同期は一体どこで、誰に、抜歯してもらったのだろうか。


ということで、本日親知らず上下2本抜歯完了。

所要時間たった15分。

抜歯した歯もお土産にもらい、厚いガーゼを噛み締めながらマタツに乗ってナイバシャに帰った。

前回と同じ歯科医さんは本日、なぜかサッカーのユニフォームとジーンズ姿で非常にカジュアルであり、

白衣を着ることがなかったのが最後まで謎であった。

今のところ全く腫れる様子もなく順調。


明日は、月曜日に行われるサッカーイベントに向けて同期隊員のうちに移動して前泊予定。


親の心、子知らず。

という言葉をふと思い出した。

いつも心配かけてすいません。私は変わらず元気です。

2011年4月8日金曜日

種まき完了。

本日は予定通り朝9時からモリンガの種植えを決行。


10時に向けてパラパラと人が集まり最後には8名となった。


病院にクワとスコップをかりて、病院の大きな畑に移動する

その畑を管理しているのが、シャンバボーイのジファニャ。


この青年が毎朝野菜に水やりをしてくれるということで、
一気に心強くなった。


とりあえず大きな石を除きながら、渇ききった畑を耕す。

「さぁみんな!
まずは雑草とROCKを取り除くように!」
と、はりきって指示を出す私。


それを聞いて笑いが止まらないメンバー。

「STONE(ストーン:石)はあるけど、
 ROCK(ロック:岩)は見当たりません!」


たぶん気付いてないだけで、こういった間違いを今までも散々しているのだろうが、

いつも温かく聞き流してくれているメンバーたちと、とっても残念な私。

シャンバボーイのジファニャは手際よく、作業を進めていく。

「よっ!オーナー!」「よっ!プロフェッショナル!」と終始呼び続けたため、彼はとてもうれしそうだった。
そこにはもちろん「モリンガの今後の行方は、あんたに任せたで!!」というプレッシャーも十分込めている。



すぐに遊びだすメンバーのために、各自にきっちり役割を割り振った。

「土をならす係、穴を開ける係、種を植える係、最後に土をかけ係が順に並んで効率よく作業するように!
 こっからここがあなたの担当で、こっからは・・・・」と気が付くと指示を出しまくっている私。
















彼らも、MIHARUが持ってきたモリンガの種だからMIHARUの言うことを聞くのが一番だと思って、
モリンガの植え方が詳しく書かれた紙を見ようともしない。

そして、「MIHARUはさすが日本人だ。この効率的なやり方はまさにトヨタ式だ!俺は知っているぞ!」
と喜んで作業してくれた。

携帯大好きケニア人
気を抜くと雑になるメンバーに「はいはい、みんな集中して!!」と声をかける私。

「MIHARU!そういいながらアンタ、
 タマネギの芽、踏み潰してますから!」

と笑いながら教えてくれるメンバーたちと、とっても残念な私。

足元には完全にくたばったタマネギの芽・・・、すまない、モリンガしか見えてなくて・・・。

シャンバボーイのジファニャも苦笑い。


なんだかんだで最後はしっかり水をやり、本日の種植えは無事終了した。

午前中、カラッと晴れた空の下でいい時間だった。

1週間後には芽が出る予定のモリンガたち。


 成長に向けての期待をみんなで共有できたことが、今日一番の収穫だった。


最近なにやら急に忙しくなった。

その後はユースグループと今後の方向性について話し、院長とも今後の改善に向けて話し、エスタと会って健康について話し、Tシャツ会社に行きデポジットを払い7時前に家に着いた。

いつも、ユース対象のVCT検査を行っているテント


2011年4月7日木曜日

モリンガ。

「生命の木」、「魔法の木」とよばれ世界では有名な植物がある。

それが「モリンガ」。

ケニアではモリンガーZと呼ばれる偉大なエイズ対策の先輩隊員がいてくださるおかげで、
総会やイベントなどのあらゆる機会に、
JICA事務所やドミトリーなどのあらゆる場所で、
お茶や石鹸やパウダーなどのあらゆる製品となって、
ことあるごとに自然に視界に入ってくるモリンガに興味をもたないわけがないのだ。

「モリンガ」が前途のような異名をもつ所以は、葉っぱの先から根っこの先まで全て利用できる付加価値の高さと、
非常識とまでいわれる高い栄養素である。

ギャバ(γ‐アミノ酪酸)⇒玄米の60倍・発芽玄米の12倍以上、食物繊維⇒ごぼうの5倍、
カリウム⇒トマトの11倍、カルシウム⇒小松菜の3倍、亜鉛⇒にんにくの7倍、
鉄分⇒ホウレンソウの3倍、マグネシウム⇒玄米ご飯の16倍、 ビタミンA⇒ホウレンソウの13倍、
ビタミンB1⇒豚肉の4倍、ビタミンB2⇒まいわしの50倍、 ビタミンB3⇒ピーナツの50倍、
ビタミンE⇒アーモンドの2倍、β‐カロテン⇒人参の3倍、イノシトール⇒トマトの8倍、
ポリフェノール⇒赤ワインの8倍

☆モリンガ「葉」「茎」「花」「根」「種」全てにある様々な効能300種類
詳しくはこちらのHP参照(http://activegroup-jp.com/index.html

うん、たしかに非常識だ。何やらとてつもなくスゴイということは伝わってくる。

地球上の食物の中で最高級の栄養価ということらしいが、何よりもこの「モリンガ」、苦く、マズい。

以前、種をそのまま食べられると聞いてうっかり食べたが、半日中気分が悪くなったことがある。

最高級の前に、果たして食物として分類されるべきものなのか?という疑問がまだ拭えない。

しかし、東南アジアやアフリカを中心に貧困を救う木としてとても期待されているモリンガ。

健康食品としても生活習慣病や精神疾患、精力減退にわたり効能効果があり、化粧品オイルや水質浄化成分なども持っているとのことで、日本でもとても注目されている。


今日はユースグループとの定例会議の日だったため、最近少し雨も降るようになってきたし、
植物が育つのに適したこの時期にユースグループと共にモリンガを植えようということで
昨晩から水に浸して準備しておいた大量の種を持っていった。
彼らのほとんどはモリンガのことを知らない。

以前、常夏のモンバサから来た同期隊員がスーパーの袋いっぱいに持ってきてくれたモリンガの種。
ケニアでも気温の高い地域でよく見られるモリンガは、ナイバシャのような高地でみることは稀である。
育つかどうか、やってみるべし!ということで今回の試みとなった。

今回で実は2回目である。

1回目は、ひどい乾季で水源が確保できなかったこともあるが、一番の原因はメンバーが会議中に種を8割以上食べてしまったためである。これから植えると説明している種をなぜあんなに勢いよく食ってしまうのか。
どうやら、彼らにとっても「健康にいい」という文句はとても魅力的で、さらに「イケル」味だったらしい。

結局今日の会議はいつも通り非常に長引き、種まきは明日の朝へと持ち越しになったが、1年間でなんと3~5mにもなるモリンガを、ついに明日みんなで植えられるかと思うと非常にワクワクしている。

大量の種を水に浸して一晩放置。
「何か効果がある気がする」ということで、この茶色の水を保存。
しばらくこの水で洗顔を続けてみることにしよう。

2011年4月6日水曜日

どや顔。

この日をどれだけ待ちわびたことか・・・。

衝撃のサンプルを見てから2週間。その後の手直し3回。

本日、ついに!レッドリボンずきんちゃんTシャツの完成品を手にすることが出来ました。

青年海外協力隊の文字もバッチリ

3度目の正直。ようやく本物に出会えた。

予定では商品受け取り時間午後6時。

しかし、7時前に「ナイロビを今出たよ。」という連絡。

結局、Tシャツ屋のおっちゃんがナイバシャについたのが8時。

その時間帯、あたりは真っ暗なので今日は無理かな・・・、と思っていた矢先。

おっちゃんが「MIHARUの家まで届けるぞ!」というので、待つことに。

Tシャツ屋のおっちゃんピキピキ(バイクタクシー)に乗って登場。

そこで全ての枚数を確認したところ、全てのサイズが2割ずつ枚数足りていない。

それはまだ乾いていないので明日持ってくるつもりとのこと。

「なぜ、少し置いてきちゃったの?」という疑問は、今回置いといて・・・。




本日のメインは、先日お伝えしたチャリティTシャツのサンプルのチェック!!

大変早くて雑な仕事ぶりを前回たっぷり見せていただいたので、今回もある意味期待していたのですが、


再来週に大きなイベントがあるので、それに何としても間に合わせたいということで、

説明の段階から、「デザインはこのままを使ってね。」「この色は明るい色を使ってね。」

「しっかりメモをとってね。」「出来るだけ安くしてね。」「とにかく集中してね。」と何度も呪文のように繰り返した結果。


できてるや~ん!!
なんと、一回目でちゃんと出来ていてビックリ。

発色をよくするための2色刷りという技も駆使していて、なかなかのクオリティです。


思わず日本語で「おっちゃん、やるやんか~!」と、
肩をバシバシ叩き大きな感動を伝えました。


よく考えたら、日本では当たり前のことなんですが・・・。


夜8時過ぎに私の家で輝きを放つ
おっちゃんの「どや顔」
日本語でいうサ行のかつぜつが非常に悪いこのおっちゃん。
電話では、何言ってるかさっぱり分かりません。
しかし、毎回、にくめない。


 念入りにチェックした後、ズボンにシャツインする人のためにも

プリントの位置を少し上にズラしてもらうようにリクエストして本日は終わりました。


明日はインクの匂いが充満し続けているこのサンプルを着て、宣伝に出かけます!



2011年4月4日月曜日

案の定。

「弱音なんて吐いてる場合じゃないだろうが!!」

と、昨日のブログを更新して以来、自分に突っ込みまくっている。

つべこべ言わず、やるしかないのだ。

出来ることをやるしかない。


そんな中この週末は、病院長との会議のための資料作りをせっせとやっていた。

A4サイズ5枚分にしこたま書き切った改善案。

最後は、

「Imagine that.」
みなさん、想像してください。
 「You could do it if you would.」
やる気さえあれば、出来るのです。


この言葉で締めくくった。

よし!これで行こう!

そして、本日2時からの会議に向けて、資料が何部必要か確認の電話をした。


「今日はみんな都合がつかないってことで、
 来週に延びたのよ。」


はい、こういうことなんですよね~。


病院長との会議の優先順位、低っ!!!!

ということで、会議は来週に持ち越しとなった。

来月になってもいいさ、来年にならなければ。


まさに、「あきらめたら、そこで試合終了。」という世界。

だったら、あきらめなければいい。


先週、同期隊員が教えてくれた情報。

なんとケニアにデフォルターZEROの町があるらしい。

3月中にも新たに80名のデフォルターを生み出した我がセンターとの違い。

しかも、これをカウントして把握しているのは私だけ。

目標を立てる際の第1段階、「現状把握」が難しい。


参考になる部分がたくさんありそう。

その取材記事を加えてA4資料をあと2枚増やし、改善案から改革案に変えて

次の会議に向けてさらにパワーアップすることに決定。


ガツンと一発かます。

2011年4月3日日曜日

弱気。

日本の同僚のメールからもあわただしさが伝わってくる。

日本では年度の始まりでもあり、色んなことがめまぐるしくスタートするこの時期。

今日は毎回楽しみに読んでいる同期隊員のブログの紹介から。
(☆タイ/養護教諭のブログ☆)

今回の彼女のブログはニジェールがボランティア事業を撤退したことについて書かれている。

彼女は自分の弱いところにもしっかり向き合えるとても強い女性である。

そしてそれは、私にないものである。

毎回、読みながら応援したり、じ~んときたり、はっとしたり。


任地で9ヶ月が経ち、色んなことが見えてきた。

それだけ、心が折れそうになる時期なのかもしれない。

と、私自身も実感する。


特に自分の弱さがよく見えてきた。

とても嫌な部分が見えてきた。

最近の私。

心が小さく、狭くなってきるんじゃないか?

と、不安になることがいっぱい。本当に。


ケニアはとても好きな国。
何気なくそこに居て、生活することはたやすい。


しかし、自分としての成果を求めたときに

お金とか、欲とか、あきらめとか、いろんなことがベールに包まれずにマザマザと渦巻いている世界に直面する。

自分の頭で整理できないことを相手の責任にしようとしたり。

そこで相手の気持ちまでコントロールするつもりでいる自分の間違いにうんざりする。


自分が赴任したときに重要視していた現地の住民と共にある活動。

たまに自分は何に向かって活動しているんだろう?と考えることもしばしば。

もっとシンプルに考えなければ。と、あせることもしばしば。


きっと、来るべき場所に来て、向き合うべきものに向き合っている。

自分が試されている。

前を向こうとしているからこそ。と思いたい。


言葉で説明できない漠然とした不安感。

救いがあるとすれば、それでもまだ半分以上残っている派遣期間。

ここが分かれ目。ここが勝負どころ。

しかし、それを超えられる絶対的なものがまだないことに気づいている自分。

ここまでの勢いや元気や正義感だけでは、根本的な解決につながらない。


そんな中で迎えた、先日の誕生日。

多くの友人や同僚、協力隊仲間、懐かしい教え子からお祝いと応援メッセージをもらった。

頑張っている様々な近況に、私ももっと頑張らなければと感じた。


そこに「特に送って欲しいものはない」と、といつも伝えている母から届いた初めての小包。

私の活動のためにと日本で販売されている布ナプキンの大量の製品と、ほんだしと、ひじきご飯の素。

そこに添えられた誕生日のメッセージには「頑張り過ぎないように」の文字があった。


色んな人々に支えられていることに、改めて気づいた誕生日。

ひとつの節目として、弱気な自分も確かにいることをここに綴っておきたい。

2011年4月1日金曜日

誕生日。

誕生日だった今日は、訳あって朝7時から夜8時までたっぷりとケニア人と一緒に過ごした。

来年の誕生日は帰国も研修も済ませて、日本人に囲まれながら4月1日から始まる新学期を控え相当ビビッている頃だろう・・・。

そう、今年の誕生日は、ケニアで最初で最後の誕生日。

といっても、特にこれといって特別な予定もなく。
帰ってゆっくりビールでも飲むか!というくらいの予定。

たまたま今日は年に一回2週間かけて行われている巡回型学校診療所のプログラム最終日だということだったので連れて行ってもらった。

まずは本日の診察のために期限の切れた薬のビンを再利用するため適当に洗うお手伝い。

朝7時半に定員13名の車に16名がギュウギュウに乗り込む。

車に余裕があれば連れて行ってほしいって聞いたのに・・・・、申し訳ないほどの窮屈さ。
この写真にその後さらに3名追加。
  


気がつけば、このアングルで写真が撮れる正真正銘の「お誕生日席」に。

この席からナイバシャの僻地で見られるキリンやバッファローを10頭ほどみた。

贅沢な誕生日だ。

31歳になった私を入れてしまえば、16名中11名がおばちゃんだったのだが、うちの病院の他の科で働くこのおばちゃんたちはとても面白くてかなり頼れる人たちだ。

この日も学校に到着するなり、教室のひとつを診療所にしてバリバリと仕事をこなす。


一校目のプライマリースクール

2校目も大盛況
薬を渡すゾーンは常に長蛇の列
病気の生徒と近所に住む妊産婦&子供連れの母親の全てを対象にした無料診療所。

人数がとても多い印象を受けた。

元気そうに見える生徒も多かったが、風邪の症状をうったえて、鼻水止めや咳止めの薬をもらっていた。 


結局今日は、6時過ぎまで学校で活動し、それから40分かかる道をまたみんなでギュウギュウになって帰る。

「あと10分で到着する!たっぷり働いて、今夜はおいしいビールが飲めるぞ~!!」

と思った瞬間、タイヤからスーーーーーーーーーーーーーっと聞こえて車が止まった。

パンクだった。


 この車に16名では、無理もないかと・・・・。

待ち時間に写真撮影
地面がコンクリートじゃない場所でのタイヤ交換は困難なようで1時間ほどかかり、結局家に着いたのは暗くなった8時過ぎ。

でも、楽しい一日だった。

診察の後片付けをしているとき、なんとみんなが「Happy Birthday」を3番?まで熱唱してくれた。

テンション高く、最高の笑顔で踊ってくれて、うれしかった。

車のパンクとおばちゃんたちの歌。

最初で最後のケニアの誕生日は、思い出に残る形で終了した。

この一年もまた、いい歳を重ねたい。

31歳スタート☆
同期隊員のかわいいユミちゃんが送ってくれました。
がんばるにゃ~~!!BY猫ミハル