任地での活動も2週間を切ってくると、やはり色んなことが美化されてくるもんだとしみじみ感じていたここ最近。
しかし、そんなことを覆す出来事があった。
今日は新しく訪問する学校へ行く日だった。
タクシーでしか行けないような遠い場所なので、わざわざ送迎の車を回してくれるとのこと。
約束の9時になっても、9時半になっても来ないので電話をいれたら
「車が壊れてしまったんだ。何とかするから。」とのことで、
「何とかできるわけないな。というか車自体用意できてないな。」と判断し、
近くでチャイを飲んで「今日は何をしようかなぁ。」と作戦を練る。
もちろん、ここまでのことは想定内。
昨日の朝のこと。
ジョンの村に行く前に配属先に顔を出したらめずらしく県保健事務所長(DMOH)とカウンターパートが
揃っていたので、もうすぐケニアを去ることを告げたところ、「何て早いんだ」と、それはそれは驚かれた。
で、いきなり「活動のフィードバック(振り返り)をしよう」となったので、昨夜、速攻作成した資料を持って事務所にそのまま行くことにした。
今年になって初めて顔を見たDMOHは以前は隣に住んでいて、理解のある男だと思っている。
まずはそのDMOHとフィードバックを行い、1年7カ月かけて自分の目を通して見てきたこと、
やってきた活動を映像でまとめたものを見せながら解説した。
普段、本当に別々にいるためこの活動内容にはかなりびっくりしていた。
そして口頭で、約2年間ナイバシャにいて感じた全てのことをかなりはっきりと伝えた。
オブラートに包み込む必要はない。これは最後のチャンス。
目の前にいる人物こそ、ナイバシャの保健業界に一番影響力を与えられる人物なのだから。
「会議室やセミナーから一歩外に出て、実際の現場に足を運んで住民のニーズをみてほしい。」
というようなこちらの想いも伝わっていたようだ。
その後、
DMOH:「次のボランティアはいつ来てくれるんだ?」
わたし:「この事務所にボランティアはいらないと思うけど。」
DMOH:「この事務所にはボランティアが必要なのに。」
わたし:「じゃあ、例えば今日だったら何をすればいいの?」
DNOH:「じゃあMIHARUがここにあと2年間残ればいい。今日からの2年間は俺はお前を色んなところに連れていくぞ。」
はははは・・・・・。
(そんなことしたら間違いなく、日本社会で再起不能になるわ。)と笑って終了。
そして、次にカウンターパートとのフィードバック。
赴任当初にタイムスリップしたかのような残念さと久しぶりにぶち当たってしまった。
私が見てきた事実は全て全否定。
どんな状況も「現状のままで問題はない。私たちは改善している。」と言い切る。
最近、コミュニティや学校で積極的で情熱的な人々に囲まれていたため、
その人々とのギャップがすごく、自分でも結構ショックだった。
そして最後にはなんと活動への総括コメントを断固拒否。
想像してください。2人の顔は取りあえず終始笑っているのです。だから、逆になんか怖い・・・。
色んなものを吸い取られる気がするのは気のせいか・・・。
「ゼロの人間をイチに変えるより、100の人間を200に引き上げる活動のほうが
周囲に大きな影響力を与えられると思う。そこに力を注ぎたい。
期間が問題ではない。他人のゼロをイチに変えるなんてのは、こちらの奢りだし、
日本でも出来なかったことを、さもケニアだったら出来ると思ってしまってないか?
と自分に何度も問いました。」
と、最後のHAPAで話していたのだが、
その時すでにカウンターパートのことは過去の人となりすっかり忘れてたけど、
また色んなことが蘇ってきてしまった瞬間だった。
私のここでの活動は一体何だったのだろうか。
あー。
本来ならナイバシャを去る直前の、3月11日か12日にやろうと思っていた配属先とのフィードバック。
それが急に本日行うことになって、去るまでの猶予がちょっと出来た。
これはなにか、神の思し召しだろうか・・・、もうひと勝負してこいよと。
行くべきか、行かぬべきか・・・。うーん。
2 件のコメント:
勝負しないなんて選択肢、先生にあるんですか? 最後までブログを通して、楽しませてもらいます (笑)
れいちゃん
敵はこの人じゃないんだしねぇ。
地域のために何が一番影響を与えられるか
無い知恵振り絞って最後までやってみます。
ありがとう。
コメントを投稿