“いよいよ本格的な「鬱の時代」がやってきました。”
という一文で始まる「歎異抄の謎」(五木寛之著)をケニアにきて何度か読み返している。
昨年のクリスマスに発行されたこの本は同僚の先生が貸してくださったもので、
返さずに(借りパク!?)なんとなくケニアに持ってきてしまった、唯一の本。
読めば読むほど引き込まれる本。
仏教って、どんな宗教だったっけ?と思うたびに、読み返している。
それほど、仏教とは何かと問われることが多い日常。
この時点で「私は仏教徒です」とはいえないのかも知れないが、
これでも小学校の頃から毎週お寺の日曜学校に通ってお経を読み、お寺巡りも好きで、
親鸞さんや良寛さんや道元さんたちに魅力を感じ一人で永平寺に座禅修行にいった経験もある。
なので、日本人は大部分が無宗教である。という話を最初に聞いたとき、少なからず衝撃を受けた。
(ガイドブックや電子辞書には日本人の大部分が無宗教であることについての英訳例が記載されている)
新年には神社で一年を祈祷し、
神社で子供の成長を祝い、
神前やキリストの前で一生の愛を誓い、
困難に直面した際には寺や神社で祈願し、
葬式のときは仏壇の前でお経を読み、
盆には墓参りをし、等々・・・。
毎年、割と多くの国民が何の疑いもなく繰り返しているのに、
それでも大部分が無宗教に属していると説明される日本という国は、
他の国から見れば間違いなく奇妙な国である。
日本にいて、宗教、信者、教祖、信仰、崇拝ときいて浮かぶイメージといえば、
地下鉄サリン?、詐欺?、洗脳?、危険?、といったところだろうか・・・。
4ヶ月前に初めて任地訪問で職場へ来たときの話。
たった4日間の滞在中に、初対面で多くの人から「宗教は何を信じているのか」と質問された。
今でも変わらないが、ケニアの人たちにとって
「私という人間が何を信仰している人間なのか」ということは、
とても重要な位置を占めることのようだ。
ケニア人に対して「日曜日、何するの?」という質問は、もはや愚問である。
答えは必ず「教会にいってお祈りする。」からだ。それ以外にない。
そして彼らは日曜日だけでなく、毎日神に祈りをささげる。
毎日の数分と毎週の計3~4時間、
ケニア人に対して「日曜日、何するの?」という質問は、もはや愚問である。
答えは必ず「教会にいってお祈りする。」からだ。それ以外にない。
そして彼らは日曜日だけでなく、毎日神に祈りをささげる。
毎日の数分と毎週の計3~4時間、
自分として冷静になれる時間がある人生とは
自分のそれとどう違うのだろう。
ケニアの宗教は約40%がプロテスタント、約30%がカトリックで、その他にはイスラム教、原始宗教などがある。
人によってはアルコールを一切飲まない人もいる。
それは、飲みたいけど我慢している。というような次元ではなく
飲んだこともないし、飲みたいとも思ったことがないということらしい。
その理由はただひとつ「神を信じているから」。
腑に落ちない回答。
ケニアの宗教は約40%がプロテスタント、約30%がカトリックで、その他にはイスラム教、原始宗教などがある。
人によってはアルコールを一切飲まない人もいる。
それは、飲みたいけど我慢している。というような次元ではなく
飲んだこともないし、飲みたいとも思ったことがないということらしい。
その理由はただひとつ「神を信じているから」。
腑に落ちない回答。
ちなみに以前紹介した中年のおっちゃんの医者2人も、
仕事から帰ったらビールではなくソーダを飲むらしい。
まるで小学生の夏休みみたい。
そして、「リッチな日本はうらやましいなぁ。」という話から、
日本が抱えている問題について話が及び
「日本ではもう10年以上、毎年3万人以上が自殺している現状がある。」
という私の説明に、
「そんな話は絶対おかしい。
彼らはなぜブッダに助けを求めないんだ?
そして、ブッダもなぜ彼らを救わないんだ?」
と彼らが憤慨したときに、
「へ~、そこで神様がでてくるんや。」という驚きと共に、
私たちとの神の存在や位置づけの明らかな違いを知り、
そして、「リッチな日本はうらやましいなぁ。」という話から、
日本が抱えている問題について話が及び
「日本ではもう10年以上、毎年3万人以上が自殺している現状がある。」
という私の説明に、
「そんな話は絶対おかしい。
彼らはなぜブッダに助けを求めないんだ?
そして、ブッダもなぜ彼らを救わないんだ?」
と彼らが憤慨したときに、
「へ~、そこで神様がでてくるんや。」という驚きと共に、
私たちとの神の存在や位置づけの明らかな違いを知り、
「宗教を信仰する」ということの意味が少しわかったような気がした。
病院に、いつも本当に笑顔が素敵な高齢のナースがいる。
「ママはいつも素敵な笑顔ね。最高の笑顔だわ。」といった私に、
「私が笑顔でいられるのは全て神のおかげだから、
神には毎日、感謝しているの。
私には神がついているから、私の人生は幸せよ!」
私には神がついているから、私の人生は幸せよ!」
と、喜んで答えるママ。
何の疑いもなく信じられるものが、人間以外にあるということ。
絶対に裏切らない、大きな存在があるということ。
これは、結構、いいことなのかもしれない。
というか、楽なことかもしれない。
日本で自ら命を絶たざるを得なかった毎年3万人の人々が、
信仰する宗教を持っていたとしたら、
救われた人々はどれくらいいたのだろう。
少なくとも、その矛先を自分に当てずに済んだかもしれない。
それでもやっぱり、いざというときに頼れるのが人間でいて欲しいと私は思う。
しかし、自殺、家庭内殺人、無差別殺人、引きこもり、孤独死、無縁死など、
今の日本には、人間の力や医療の力を超える絶対的な「よりどころ」が必要な場面が
数えきれない程あるような気もしている。
救われた人々はどれくらいいたのだろう。
少なくとも、その矛先を自分に当てずに済んだかもしれない。
それでもやっぱり、いざというときに頼れるのが人間でいて欲しいと私は思う。
しかし、自殺、家庭内殺人、無差別殺人、引きこもり、孤独死、無縁死など、
今の日本には、人間の力や医療の力を超える絶対的な「よりどころ」が必要な場面が
数えきれない程あるような気もしている。
1 件のコメント:
すごいなあ ガッツ この表現力。
私もそうそう、そうなんだよ、とうなずきまくりで読みました。
私も含めたくさんの人が、いいたいけど感じているけど言葉にうまくできないことを、100倍肉付けして はっきりとした形で書いてくれたという感じ。
すごいなあ。
そして、そうなんだよ、納得。 同感。
なくなった3万人の人たちは、絶対に信じられるものがなかったんだな。
命を救ってくれるなら、なんにでもすがってしまえばいいと思うのに。
日本ではまるで宗教が悪のような匂いさえただよっているけれど、無条件に信頼できるよりどころがあるってって悪いことでもないと思う。
タイ人も敬虔な仏教徒だけど、その真摯な酢田は尊敬している。
そういう人たちから学んだことがたーくさんある。
いやいやガッツ、ありがとう。
わかりやすくて、おもしろくて、ほんとためになった。
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