2010年11月2日火曜日

援助。

例えばの話。

2015年、全ての先進国がケニアに対しての全ての援助を止めてみる。

そうすると、この国はようやく自力で活動し始める。
国民も自らの手で住みよい国を造ろうと懸命に働き始める。

・・・・・ だろうか?

そんなことを、ふと考えてしまった今回のナイロビ滞在。

JICAのボランティアとして、訓練・活動をしてきて半年経過。
その間に、何度か「援助慣れ」という言葉を耳にしている。

医療の現場にいると、様々な機材にUSJAPANの文字。
HIVに関しては、テストキットから治療薬まで全てアメリカから無料支給されている。
資金援助なくしては回らないケニアの医療。エイズ対策活動。

ナイロビに移動した日、NASCOP(日本の厚生労働省感染症対策課のようなところ)に
ケニアでのHIV対策活動についての概要を聞きにいった。
ここでもJICA専門家が活躍している。
ケニアでは国の主要機関に多くの他国機関が介入していることが通常。

ケニア人の平均所得からすれば超高級となるナイロビのレストランやデパートには、
私たち日本人を含めた多くの外国人の姿がある。
アフリカの開発のため企業や国際機関で働いている人たち。
環境の整ったインド人経営の店も多々ある。


JICA」が請負って建てられた隣町の病院。
JICA」のシールが貼ってあるうちの病院の精密検査の機械、薬を保存する冷蔵庫、などなど。


先日配属先に呼び出されて、ずっと整理されていない山積みの資料(日本の比ではなく、大量)の前で、
「資料を入れるためのコンテナをJICAのお金で買ってもらえないか」と頼まれた。

JICA」の資金とは。
「真面目な日本人が汗水働いて収めた税金」であることは、一時期話題になった事業仕分けでもご存知の通り。

まず、資料とゴミの選別。整理整頓。掃除。新しいスペースを生み出す。等々。
コンテナ購入までに出来ること、めちゃくちゃある。

ケニア人のこういった思考回路をつくってしまったのは、誰だろう?

お金がない中でただ生き延びていく術をこの国の人たちは持っている。

しかし、お金がない中で進化・発展していく術をこの国の人たちは持っていない。


必要なのは将来を見据えた計画性と実行力、工夫と知恵。努力、忍耐・・・。

先進国の長年の援助は単に国際社会に対する見栄ではなかったか。


その援助の積み重ねが、

ケニア人の援助への依存心だけを高め、

思考をめぐらし知恵をしぼる機会をことごとく奪ってきたのかもしれない。

それに付随する達成感も加えて。


日本の教育も同じ。

子供に与え過ぎることで、考える機会を奪う。

親の見栄?

自立できない子供?

達成感のない人生?

共通するというより、要は「人間」というくくりの話。


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