2010年11月28日日曜日

死。

「死」について、初めて意識したのは小学校3年生の頃だったとはっきり記憶している。
それほど衝撃的で、しばらく怯え続けてしまう出来事だったからだ。

そのきっかけは、校長先生が読んでくれた絵本『地獄』

メルヘンな絵本とは大きくかけ離れていて、登場人物の五平という男が地獄で見てきた恐ろしさについて語り尽くす内容で、
話の内容も怖かったが、それ以上に絵巻物の様な不気味なタッチで描かれた
真っ赤な地獄と泣き叫ぶ人々の絵がとにかく恐ろしかった。

「地獄の恐ろしいところは、死ねないことである」
というようなことも書かれていて、
いつまでも石を積み上げては鬼に壊されている子供の絵もあった。



誰もが一度は考える、
死んだら、どうなるんだろう。
なんで死ぬのに、生まれたんだろう。

ということを、当時3年生の私は2週間くらいは毎晩布団の中で、なかなか寝付けずに怯えながら考えていた。もう、それはトラウマのように。


それとは別の話で、中学校1年の時に教室で「夢」について原稿用紙に書いてみようという機会があった。「将来なりたい職業」だったら、小学校の頃から思っていた「教師」と迷わず書いただろうけど、その時は自分の力でどうにも出来ないものという解釈で考えた結果、
「自分の寿命をまっとうして、最後は布団の中で眠るように安らかに死ぬこと。」と書いた。


おそらく小学3年生のその時から、そういった類の話に対して無意識にアンテナを張り続けてきたからだろうけど、その後、高校、大学、就職してからも、幾度となくそういった話を、他の誰かと話す機会に出会ってきた。

ここにいて度々感じるが、そういうことが繋がり続けて今、ここに自分がいる気がしてならない。



「生」や「死」についてとことん考える機会を与えてくれるアフリカの病院に。




先週、パソコンのデータを整理している際に昨年保健の授業に使用したデータを発見した。

「壮年・老年期の健康」という単元を教える際に使用した『死ぬときに後悔すること25』という本を教材として紹介したものである。
 高校生の彼らに、壮年期の健康課題や生きがいについて話したところでなかなか興味もイメージもわかないし、自分がさほど年を取っていないので、ありきたりの言葉で説明しても伝わらない。
ならば、壮年・老年期の人たちが「死」に直面したときに感じることをそのまま伝えて、その逆の「生」や「生きがい」について共に考えよう。という狙いをもっていた。


(以下、引用)

『死ぬときに後悔すること25』 (大津秀一著:緩和医療医)
1000人の死を見届けた終末期医療の専門家が書いた 

1. 健康を大切にしなかったこと 
2. たばこをやめなかったこと 
3. 生前の意思を示さなかったこと 
4. 治療の意味を見失ってしまったこと 
5. 自分のやりたいことをやらなかったこと 
6. 夢をかなえられなかったこと 
7. 悪事に手を染めたこと 
8. 感情に振り回された一生を過ごしたこと 
9. 他人に優しくなれなかったこと 
10. 自分が一番と信じて疑わなかったこと 
11. 遺産をどうするかを決めなかったこと 
12. 自分の葬儀を考えなかったこと 
13. 故郷に帰らなかったこと 
14. 美味しいものを食べておかなかったこと 
15. 仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと 
16. 行きたい場所に旅行しなかったこと 
17. 会いたい人に会っておかなかったこと 
18. 記憶に残る恋愛をしなかったこと 
19. 結婚をしなかったこと 
20. 子供を育てなかったこと 
21. 子供を結婚させなかったこと 
22. 自分の生きた証を残さなかったこと 
23. 生と死の問題を乗り越えられなかったこと 
24. 神仏の教えをしらなかったこと 
25. 愛する人に「ありがとう」と伝えなかったこと 

(以上、引用おわり)



いま、改めて読んでみると、日本人ならではの項目がほとんどだと感じる。

そして、ケニア人だったら、絶対こんな後悔は出てこないだろうなぁ。と感じる項目もある。


ケニア人は、死に直面した際にどんな後悔がよぎるのだろう。








何にしても、後悔のない人生を送りたい。




人生を振り返った時に、微笑んでしまうような人生を、


「自分の寿命をまっとうして、最後は布団の中で眠るように安らかに死ぬこと。」





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