乗車すると
「おはようございます。カードが入っていません。」
「目的地をマイクに向かって話してください。」
と、流暢な日本語で話し続けるトヨタ純正のカーナビ。
2003年版のCD-ROM版カーナビにはアフリカ地図も英語表示も網羅されているはずはなく、ディスプレイに表示される日本語は、ケニア人にとってまったく見当のつかない文字。
この設定を「音声通知なし」に変えてあげたのが最初の出会いだった。
この設定を「音声通知なし」に変えてあげたのが最初の出会いだった。
それからというもの、たまに病院から家まで車に乗せてもらい、その度にスワヒリ語と英語で必死になって話している。
彼のお父様はナイロビ大学(日本の東大)の教授で、彼はIT学部の学位を持っている。
簡単にいうと、彼はボンボンである。
いつも清潔感のある服を着こなしている彼。
私の言語力の乏しさをよく知っていて、いつも簡単な言葉を選んで話してくれる。
「日本語ほど難しい言語を使えるほうがすごいよ。僕は日本語話せないから。」
などと、真顔で語る彼。
良い悪いの話ではなく。
彼と話していると、お金を持っている人の心の余裕を感じてしまう。
裕福さと豊かさとも感じとれる余裕。
以下、会話文。
彼:「MIHARUは、ケニアで何を学んでいるの?」
私:「私はアフリカ・ケニアのHIV/AIDSについてあらゆることを自分の目で見て学び、経験し、確かめたいと思ってここにきている。そして、HIVを通して貧困や教育のことも学びたい。そして2年後に日本に帰った時、それを多くの日本人に伝えたい。まだ、1ヶ月しかたってないけど、毎日学ぶことばかりだよ。」
彼:「ケニアは貧困・政治・教育、どれをとっても問題ばかりだ。貧困は特に深刻。」
私:「私はナイロビで物乞いをする子供たち、病院で貧困のために衰弱しきっている人をたくさん見た。その人たちの前に立つと、いつも自分の心の整理がつかなくなる。でも、これからもずっと考えていきたい。」
彼:「それは、“Mercy”だね。」
私:「“Mercy”?」
すかさず、電子辞書で調べる。
Mercy=「慈悲、寛容、親切、哀れみ、情け、寛大な行為」
私:「う~ん、どれも当てはまらない。」
彼:「それじゃ、Sympathy?」
Sympathy=「同情、思いやり」
私:「なにか違うなぁ。今は言葉にできないのかも。
でも、彼らが私に多くのことを考えさせてくれる対象であることは違いないな。」
ケニア人の彼は、ケニアに数多くあるスラムに行ったことがない。
スラムに住んでいる友達もいない。
「危険だから行かないほうがいい」と忠告もしてくれる。
住む国が同じでも、住む環境が違うため、接点がない。
会話していて感じたこと。
彼が貧困に対して持っているイメージと、
彼はケニア人でありながら、ケニアの問題をとても客観的に見ていること。
どこか切なさを感じると同時に、
自分自身は地球人でありながら、地球の問題をとても客観的に見ていることへの気づき。
日本人でありながら、日本の問題を客観的に見ていることへの気づき。
接点がないのではなく、接してこなかったということ。
そして、貧困を目の前にしていつも感じること。
ケニアにきて初めて私の目の前に広がっている現実は、いつも考える材料になるだけで、感情が湧き上がる対象になっていないこと。
「10シル(約10円)ちょうだい。」
と、声をかけられて、いまだに自分としてどう振る舞うべきかの根拠がまるで見つかっていない。今はただ、全員に対して同じことが出来ないから、という理由でお金をあげたことはない。
しかし、その言い寄ってくる人間に対しての感情が自分で見えない。
病院では毎日のように午後の時間に、色んな医者をつかまえては質問攻めにしている。
「なんで医者になりたいと思ったの?」
「貧困について」「HIVについて」
みんなちゃんと答えてくれる。
気の済むまで、色々聞いてみたい。
ここに身をおいているうちに。
簡単にいうと、彼はボンボンである。
いつも清潔感のある服を着こなしている彼。
私の言語力の乏しさをよく知っていて、いつも簡単な言葉を選んで話してくれる。
「日本語ほど難しい言語を使えるほうがすごいよ。僕は日本語話せないから。」
などと、真顔で語る彼。
良い悪いの話ではなく。
彼と話していると、お金を持っている人の心の余裕を感じてしまう。
裕福さと豊かさとも感じとれる余裕。
以下、会話文。
彼:「MIHARUは、ケニアで何を学んでいるの?」
私:「私はアフリカ・ケニアのHIV/AIDSについてあらゆることを自分の目で見て学び、経験し、確かめたいと思ってここにきている。そして、HIVを通して貧困や教育のことも学びたい。そして2年後に日本に帰った時、それを多くの日本人に伝えたい。まだ、1ヶ月しかたってないけど、毎日学ぶことばかりだよ。」
彼:「ケニアは貧困・政治・教育、どれをとっても問題ばかりだ。貧困は特に深刻。」
私:「私はナイロビで物乞いをする子供たち、病院で貧困のために衰弱しきっている人をたくさん見た。その人たちの前に立つと、いつも自分の心の整理がつかなくなる。でも、これからもずっと考えていきたい。」
彼:「それは、“Mercy”だね。」
私:「“Mercy”?」
すかさず、電子辞書で調べる。
Mercy=「慈悲、寛容、親切、哀れみ、情け、寛大な行為」
私:「う~ん、どれも当てはまらない。」
彼:「それじゃ、Sympathy?」
Sympathy=「同情、思いやり」
私:「なにか違うなぁ。今は言葉にできないのかも。
でも、彼らが私に多くのことを考えさせてくれる対象であることは違いないな。」
ケニア人の彼は、ケニアに数多くあるスラムに行ったことがない。
スラムに住んでいる友達もいない。
「危険だから行かないほうがいい」と忠告もしてくれる。
住む国が同じでも、住む環境が違うため、接点がない。
会話していて感じたこと。
彼が貧困に対して持っているイメージと、
彼はケニア人でありながら、ケニアの問題をとても客観的に見ていること。
どこか切なさを感じると同時に、
自分自身は地球人でありながら、地球の問題をとても客観的に見ていることへの気づき。
日本人でありながら、日本の問題を客観的に見ていることへの気づき。
接点がないのではなく、接してこなかったということ。
そして、貧困を目の前にしていつも感じること。
ケニアにきて初めて私の目の前に広がっている現実は、いつも考える材料になるだけで、感情が湧き上がる対象になっていないこと。
「10シル(約10円)ちょうだい。」
と、声をかけられて、いまだに自分としてどう振る舞うべきかの根拠がまるで見つかっていない。今はただ、全員に対して同じことが出来ないから、という理由でお金をあげたことはない。
しかし、その言い寄ってくる人間に対しての感情が自分で見えない。
病院では毎日のように午後の時間に、色んな医者をつかまえては質問攻めにしている。
「なんで医者になりたいと思ったの?」
「貧困について」「HIVについて」
みんなちゃんと答えてくれる。
気の済むまで、色々聞いてみたい。
ここに身をおいているうちに。
2 件のコメント:
GUTSの日記を読むと元気でます!
色んな話をして、色んなこと知って
色んなことやってみて、色んな経験積むことが
自分のしたいこと
その国に対してやりたいこと
を見つける近道になるのかなと最近思い始めた
とりあえず色々やってみるわ!
今日も元気もらった!ありがとう☆
>モロ章光さん
えっと、最初に言っておきます。
誰かわかりませんでした 笑
名簿で確かめて、判明。
私も、何度あなたのブログ見て元気をもらっていることか。
写真も大好きです。
目の前の生徒が笑ってる。
それだけで意味はあるんだろうけど、
それ以上を求めるのが、私たちやもんね!
やってみよう。
こちらこそ、ありがとう。
コメントを投稿