「なんで医者になりたいと思ったの?」
『僕は小さい頃、貧しい家で育ったんだ。
でも、小さい頃から医者になりたかった。
僕は幸運なことに小学校の頃からイタリアのお医者さんからずっと学費の援助を受けられた。
尊敬する彼の生き方に憧れた時から、ずっと彼と同じ医者になりたかった。
僕は今、幸運なことにお金がある。
でもまだまだ足りない。
ケニアの貧困に向き合ったり、僕が育った村に恩返しをするには、まだまだ足りないんだよ。』
すごい循環・・・・。
次はどんな循環を生み出すんだろう。
そういって話してくれたのは、私の所属する組織のトップだった。
帰り道にたまたま会い、家に寄っていくかと誘われ、
「なんで医者になりたいと思ったの?」
という質問から始まり、感動のあまり呆然とする私に、彼が行っている週末のボランティアの様子をまとめたDVDを3時間ぶっ通しで見せてくれた。
しかし、まったく長いと感じなかった。
「ボランティアだから、活動はフリーさ。」
そのビデオには、たぶん皆さんがイメージするケニアの姿が映像として収められていた。
民族衣装を身にまとい、ハエが目や口元にぶんぶん飛んでいて、唇や耳に大きな穴があいていて、叫びながら変な踊りを踊っていて、裸足で歩いている人たち。
しかし、字幕には『2010年7月』と書かれている。
そこの村長と共に、伝統文化の中で残していくべきものと未来のために修正していくべきもの(女子割礼、女性に教育を受けさせない、HIVに対しての差別的烙印など)のレクチャーを真剣な顔で行っている団体の中心に彼が立っていた。
DVDの中の彼は村長が話す聞き覚えのないそれぞれの部族語をスワヒリ語に同時通訳して話していた。
42部族の言葉がだいたい理解できるらしい。
「すごい!」という私に、「勉強しただけのことだよ。」という回答。
はい、ごもっとも・・・。
「土日に働くことが好きなんです。(何それ!?)私もレクチャーがしたい。」
そういって、この活動についていくことにした。
みるからに40代後半の彼に、「息子さんですか?」と聞いた男は彼の兄弟だった。
彼より年上ばかりの部下を従えている彼の年齢は32歳。
聞いたときは衝撃だった。
片言のスワヒリ語で、実習生みたいな動きを続ける私が、
30歳だと知って、私以上に驚いていた彼。
たった2歳違いの、私と彼。
彼は、ケニアを客観的に見ていない。
また一人、活動のキーパーソンを見つけた一日だった。
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