2010‐2012年の2年間、青年海外協力隊(ケニア・エイズ対策隊員)として活動した記録です。現在の日本の活動はこのブログ内の別ページをご覧ください。
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- 教え子と友人たちがケニアにやってきた (10)
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- 任国外旅行 (5)
2010年9月30日木曜日
新隊員歓迎。
職業病。
2010年9月29日水曜日
お医者さんごっこ?
2010年9月28日火曜日
ひらけた。
ユニフォーム。

2010年9月26日日曜日
オーダーメイド家具。


2010年9月25日土曜日
マイパートナー。
2010年9月23日木曜日
アクティブ。
しかし、昨日は彼女の動きがいつもと明らかに違っていた。
昨日は患者を待たせまいと俊敏な動き。
月・日付・曜日がそれぞれあり、半永久的に使えるアレだ。
しかし、ケニア人は日常的にそこら中にゴミを捨てるので、まず芝生がきれいに掃除されているということに気付いてはくれない。
上記のことを通してだけでも、色んな会話と交流が生まれている。
同僚からこんな言葉までいただき、本当にうれしかった。
今は言語もままならず、ひと手間を加える作業しか出来ないのも事実だが、これからもちょいちょい手をかけてはいろんな報告が出来る活動にしたい。
2010年9月22日水曜日
ヒョウ。
2010年9月20日月曜日
成長。
2010年9月18日土曜日
HIV/AIDS。
「日本では1日に約4人がHIVに感染している」
「日本は先進国の中で唯一、新規HIV感染者が増加し続けている」
いまいちピンとこない、この文句。
そう思うのも、無理はない。
HIV検査にいったこともないし、HIVなんて他人事。
そう思うのも、無理はない。
HIV検査率自体低すぎるのでこれも氷山の一角だろうが、
報告されている日本のHIV感染者率は人口の0.01%以下である。
20~30代では異性間性行為で感染者が増えている事実があっても
日本の感染者の95%は男性同性愛者だと知ったら
なおさら他人事だと思う人が大部分だろう。
今から29年前の1981年。
世界で初めてエイズの発症が確認された。
今から27年前の1983年。
その原因となるHIVウィルスが発見された。
そして現在、世界で報告されているエイズによる累計死者数=約25,000,000人。
昨年度報告された世界の現時点でのHIV感染者数=約33,400,000人(推定)。
保健の教科書に記載されているこの内容。
より一層ピンとこない、のも無理はないだろう。
それが日本に住んでいる私たちの感覚だ。
しかし、
世界中のHIV感染者の3分の2が住むサハラ以南アフリカ地域の
ケニアという国の小さな町の病院のHIVケアセンターにいるとどうだろう。
毎日入れ替わるHIV陽性者を約50人前後見ていると
この人たちの体内に棲みつくHIVウィルスというのは、
本当に30年前に地球上に存在しなかったウィルスなのか?
という疑問がフツフツと湧いてくる。
それほど日常的にHIVが存在する世界が目の前にある。
短時間でのここまでの世界的な感染拡大を誰が予測できただろうか。
そして、あまりにもHIVに対して無関心な日本の現在の姿が重なる。
予測できなかったからこそ多くの死者を出し、各国の平均寿命を縮め、自国の発展に危機感を感じるまでに至った。
完全に対策が遅れた!と気づいたところで、ようやく始まったエイズ予防教育。
ケニアにいると、子供から大人までのHIVに関する知識の高さと
3ヶ月ごとにHIV検査をするという若者の意識の高さに驚く。
遅い。だったら何でもっと早く手を打たなかったのか?という想いも湧いてくる。
しかし、ここにきてそれがようやく実を結び出して、
いまやアフリカのエイズ患者とHIV感染者数は少しずつではあるが確実に減少してきている。
年々増加し続けている日本とは違って。
ケニアでは約10人に1人が陽性者。
世界で一番感染率の高い国スワジランドでは約3~4人に1人が陽性者。
身近になったからこそ、政府が動き、人々が関心を持ち、教育が行き届いた。
日本は何ができるだろうか。
まだまだ身近でない今、何ができるだろうか。
身近でない中で、政府は動かない。
身近でない中で、人々に関心を持たせ、教育を行き届かせる。
ここに、何とかして迫りたい。
感染したら必ず知る、HIVの正しい知識。
感染したら考える、愛する恋人や家族のこと。
感染したら気づく、自分の命の尊さ。
感染したら感じる、健康の大切さ。
自分でなくても、身近な人が感染したら見えてくること・・・。
教育とは「感染する前に」自分のこととして捉えさせること。
そんな教育には、どんな工夫が必要か。
ケニアにいることで日本に何ができるか。
ケニアにいたことで日本で何ができるか。
これからも、とことん考えていきたいと思う。
そして、このブログをみてくれている私にとってとても大切な皆さんに。
多くの先生方やお医者さんや教え子や親になる人なった人、愛する家族や恋人がいる人、感染率の高いアフリカ・アジア地域に派遣されている協力隊仲間たち。
周囲に影響力のある人は私が知っているだけでもたくさんおられます。
これをきっかけに一人でも多くの人にあなたの感じたことを伝えていただけたらと思います。
HIVは感染力の弱いウィルス!
正しい知識と行動で必ず予防できる感染症!
小さいけれど、
確実な一歩であることを信じて。
では、皆様よい週末を!
2010年9月16日木曜日
うんち。
日本では見たことがない。
たまに出くわすことがあっても、たかが小さいペットの犬のうんち。
想像の範疇である。
しかし、ケニアでは毎日見る。
軽く想像を超えてくる大きさと量。
中でも大きい牛のうんちはバケツ一杯の泥をひっくり返したような感じで、
転がっている、というより、盛られている。
家から病院までの往復の道のりは
転ばずに目的地に到着することと
動物のうんちを確実に避けて歩く
ということが目的である。
(うんちの画像ではありません)
動物達はうんちのためにわざわざ停止するということをしないのか
とにかく罠のようにうんちが一帯にバラ撒いてある。
本日は、病院に救急車が何台も運ばれてきて騒然となった。
道路を横断する牛を、45人乗りのバスが避けきれずに横転したためだ。
牛は大きなケガを負ったようだが、乗客は大きなケガにはつながらなかった。
運ばれてきたのは、もちろん人間のほう。
信号がないこの町では、車を運転するのに他車と人間と動物の動きを常に予測しなければならない。
訓練所でよく言われる「~かもしれない運転」の徹底である。
とにかく毎日、牛にヤギにロバに羊に鶏にと、
うんちの種類と数の分だけ色んな動物が散歩しているのをみる。
そして今日、帰宅してみると私の家の庭のど真ん中に牛のうんちがひとつ。
いや、・・・ひと盛。
きれいに整備している私の庭なので、
つい牛も、ほっと一息ついてしまったのだろう。
しかし、決して悪気はないにしろ
一人暮らしの自分の庭に
あの大きさのうんちというのはなかなかショッキングな画だ。
ここ最近毎日雨だが、とにかく完全に乾くのを待つことにする。
油断している自分の庭で、間違っても踏まないように心がけたい。 (犯人画像?)
2010年9月15日水曜日
ムエアチャリティマラソン。
無事にモデムが復活。
そして携帯も新しくなって、引き続きデジカメも新しくなりそうな事態・・・。
で、先週末はナイロビからマタツで2時間ほどいったところで開催された
ムエア・チャリティマラソンに参加してきた。
このムエア地区は古くから日本と交流があり、ケニアでも有名な稲作の盛んな地域。移動中のマタツから見える景色は見渡す限りの水田。
水の豊富さが伝わってくる。
どことなく、懐かしい雰囲気の漂う道中。
今回で第2回の開催となるこのムエアチャリティマラソンの大会委員長は、
世界陸上で2度の優勝とソウルオリンピックの銀メダリストである
ケニアの星☆ダグラス・ワキウリ選手。
「ケニアでワキウリ選手に会いたい!」というのが、そもそもの参加動機であったため、会場でしっかり記念写真を撮ってもらった。
目は閉じているが、この大会に参加した目的のほとんどを果たした瞬間である。
今大会は10km、ハーフマラソン、フルマラソンの3レース。
ケニア人というだけで十分速そうな集団が、整備されていない道をシューズや裸足で駆け抜けていく。今回の私の参加はランナーとしてではなく、JICAブースのお手伝い。
日本文化の紹介ということで「おりがみ」のお手伝いをさせてもらった。
「おりがみ」の制作過程はそこそこに、最後に登場した色とりどりのクレヨンに一層眼を輝かせる子供たち。
制作した折り紙のシャツを1色には塗りつぶさずに、全ての色を使いたい欲求から線ごとに色を変えてストライプ柄やチェック柄を描いていく。
そして気が付くと、明るい原色のクレヨンが持っていかれて無い。それどころか、折り紙の本など開始早々無い。
果てしなく貪欲で向上心のあるケニアの子供たち・・・。
JICAブースはその他にも廃材を利用した竹とんぼや凧などの遊び道具作りや、浴衣、植物の紹介など常に満員御礼であった。
特に各自が持参した昼食(主に菓子パン)を食べている休憩時間中は、多くの人垣が私たちを取り囲み食べ物と口元だけをじっと見つめられ続けるという緊迫した状況・・・。
「ひとくちだけちょうだい!」
意を決したように一歩前進して沈黙を破ったのは、なんと一人の中年男性だった。
おっちゃん…、子供が見てますから…。
その勇気、他の事に使ってください。
他のブースには、VCT(モバイルHIV検査)のテントやダンスや劇、テコンドーの大会もあり、イベントの面白さとパワーを存分に実感できた一日だった。
2010年9月10日金曜日
SO NO GO.
Ima, net cafe ni kiteimasu.
Shibaraku kousin dekimasen.
Kono syuumatuha MWEA CHARITY MARATHON ni sankasite kimasu.
HAVE A GOOD WEEKEND!!
2010年9月7日火曜日
パソコン故障。
急に画面が真っ暗になったと思えば、何度スイッチを入れても起動しない・・・。
いわゆる最後の手段、リカバリーというやつを使いました。
よく言えば、新品の状態に戻りました。
し~ん、・・・。
(画面にとっても切ない私の姿が確認できます)
しかし、本当に不思議なことに。
虫の知らせというのでしょうか、
その前日の夜、外付けのHDDに初めてバックアップを作成しておいたのです。
バックアップって、いつも学校では習慣的に作成していましたが、
素晴らしい働きを使用するのは今回が初めて。
そのBACK UPぶりに感動しています。
特に、UPのほう。
これを読んでらっしゃる、隊員の皆様。
悪いことは言いません。
とにかく早くバックアップの作成を!
是非この感動を、いつの日か、共有いたしましょう!
2010年9月6日月曜日
一夫多妻。
家に遊びに行った。彼女はすでに2人の子供を持つシングルマザーである。
彼女の実家には母親が2人いて、合計16人の兄弟がいる。
一方の母親が9人、もう一方が7人生んだとのことで、
どちらの母親も、毎年毎年妊娠中であったとのこと。
そして、すでに父親は他界しており、残された2人の母親は一緒に住んでいるらしい。
さて、この状況は一体、どう解釈すべきだろうか。
嫁姑でもなく、嫁小姑でもない、この状況。
お互いが、夫の愛した女性と共に暮らしていくというこの状況。
とても、想像しがたい。
そして彼女の友達で、現在の夫の第一夫人であるという女性も遊びに来てくれた。
実際のところ第二夫人とは仲良くやっていけるものなのか聞いてみたところ、
女ならではの実に微妙な返事であった。
「嫌いではない。」とのこと。
「やはりな。」と思った。
日本にこの制度があれば、確実に昼ドラの材料になっているであろう。
家庭ひとつをとっても日本と大きく違うケニアである。
2010年9月5日日曜日
手打ちうどん。
止みそうにないため急遽予定を変更し、余っている小麦粉を利用して手打ちうどんを作ることにした。
就職してからの8年間、実家暮らしにどっぷり浸かっている間は
微塵も見せることのなかった料理への情熱は未だケニアで衰えるところを知らない。
このブログをみて、誰よりも驚いているのは私の家族であることは間違いない。
今日の昼で三日三晩食べ続けたカレーはようやく終わりを迎えた。
家族には嫌がられた香辛料のやたらと効いたカレー。
もちろん最後までおいしくいただけた。
食の充実を貪欲に求めるがあまり、1人暮らしが始まってからというもの毎日胃がもたれている状態である。なんとか体重の現状維持に努めたい。
思い返せば小学生のころから教師になりたいと一筋に思っていたが、2度ほど数日ではあるが将来の夢が変わったことがある。
中学校の頃に専業主婦を夢見たのと、高校生の時に料理人を夢見たことだ。
思い返せば、懐かしい過去の夢。
今から思えば、一番簡単になれると思っていた専業主婦が一番難しい・・・。
高校時代の友人と讃岐うどん食べ歩き旅行で香川県に行った際に、
金毘羅さんの麓で教えてもらったうどんを作る技術が、
まさかケニアで役立つとは思いもしなかったが、記憶をたどり作ってみた。
足で何度も踏み、しっかり寝かして、切り、大量の湯で茹であげる。
ナイロビの韓国食材店で購入した麺つゆにつけていただいた。
大変コシも強いうどんでおいしく頂くことができた。
こうして家でのんびり生活していると、ケニアの同年代(25~30歳ほど)の女性たちが家庭を持ち、すでに2~3人の子供を待っている現状が理解できる。その第一子はすでに小学校高学年や中学生であることも少なくない。
ケニアの田舎に住む人々は裕福ではないうえに、お金を使う場所もなく、その使い道も数多くない。
言い方はとても悪いが、結婚して子育てをする他にすることがない。
日本は、本当にやれることが溢れているなぁ。としみじみ感じる。
2010年9月3日金曜日
キッチンガーデン。
日本の教え子たちは今頃、大学受験に向かっていいスタートを切っているだろうか。
隣りのルーシーも来週から学校が始まるということで、朝から出発していった。
また会えることだし、「いってらっしゃ~~い!」と爽快な感じで送り出した。
(左がルーシー、右が姉のモーリス!)
仕事も休みの本日は、なぜか朝6時に目覚めてしまい、雨のため伸ばし伸ばしにしていた畑作りに没頭した。今週一週間が本日のための温存期間だったのかと思うくらい、本日の午前中の畑作りは全体力を投入して取り組んだ。
この写真がうちの中庭である。
この奥に映っている木の根元に畑を作っている。
大きな石が、ゴロゴロと出てくる。
しかし、畑を作る!と決めた以上やり抜く!
電球に電池にプラスチックのコップに動物の骨にカミソリに・・・と色んなものが出てくる庭。袋いっぱいに集まった前住居者のゴミの数々・・・。
先週ルーシーと作った焼却炉で再び枯れ草を燃やす。
そして、おそらくいつも近所で見かける牛たちからのご餞別。庭にある大量の牛フンと、この灰で畑の肥料を作る。
ということで、今回はこの狭いスペースに玉ねぎ、トマト、トウガラシ、コリアンダー、パセリ、ニンジンの種を蒔いてみた。説明書によると2~3カ月もすれば収穫の時期が訪れるということだ。
これだけ蒔いておけばどれかひとつくらいは上手く育つだろう。
収穫がとても楽しみである。
職場案内③
相変わらず待ち時間の長い中、仲良くしているおばちゃんナースに「ちょっとこっちにおいで」と待合室に手招きされた。何だろう?といってみると
「はい。今日はこのお姉さんがみんなと一緒に遊んでくれますよ~。芝生に移動しましょう!」という完全な無茶ぶり。
教師経験を買われてのことであるが、相手は専門外の2歳から12歳までと幅広く、みんなスワヒリ語か民族語しか話せない。
変な緊張感の中、とにかく言葉がなくても楽しめるアルプス一万尺やら手品やらの手遊びと、腕相撲やカバンに忍ばせておいた折り紙でなんとかしのいだ。解散した後も自慢げに折り紙で作った「だまし舟」や「カメラ」で遊び続ける彼らを見てほのぼのとした。
来週はもっと盛り上がるものを用意してやろうと思っている。
(小学校隊員の皆さん、何かいいアイデアがありましたら是非!)
本日、周りのスタッフに絶句されたこと。
「日本ではHIV陽性者の幼児に対して、どんなケアがされているの?」
という、質問に対し、
「日本でHIV陽性者の幼児を見たことがありません。」
と、私が答えたことに対しての絶句。
それと、チャイの時間に
「MIHARUはうちの娘(19歳)と同世代だわ。仲良くしてあげてね!」
という、ナースの言葉に対して
「私は、30歳ですが。」
と、私が答えたことに対しての絶句。
そして、本日、私が絶句したこと。
この1週間この施設を参考にするため視察に来ている他の機関の職員に(年配の男性2人)Dr.デイビッドがソリティア(パソコンゲーム)の方法を丁寧に教えていたこと。
ま、色んなことが起きてます・・・。
2010年9月2日木曜日
職場案内②
集まってきた同僚たちがみんな種を欲しい欲しいというので(Dr.デイビッドも含む)分けてあげた。
希少な日本の花の種ならともかく、近くのスーパーナイバスで購入した「アフリカンデイジー」という名の種だと説明したのに、みんな大事そうに紙に包んでカバンにしまっていた。20代の女性から55歳のおっちゃんまで、かわいい。
相変わらず、同僚との職場トークは充実している。
日本では昼過ぎの休憩時間に、10分程度うたた寝している人をよく見かけたものだが、よく考えるとこちらでうとうと昼寝をしている人を見かけたことがない。 どの人を見ても、慢性疲労がたまっているような人はいない。
まるで女子高生の昼休みのように、たわいもない会話が一日中、延々と続く。
よくいえば、人とのコミュニケ-ションをみんなとても大事にしている。
今日はDr.デイビッドが日本語を教えてくれというので、ひらがなと数字を教えた。
日本にはこんなおっさん、絶対いない。
「日本人って、本当によく働くなぁ。」としみじみ感じる。
そして今日は、日本映画が大好きでよく見ているという別の医師から
日本の忍者について詳しく教えて欲しいと言われた。
え。。。忍者について?!しかも、詳しく!!?
私、忍者についての引き出し、持ってないんですけど・・・。
とりあえず、彼らが活躍していたのは現在ではなく大昔の武家時代のことなのでよくわからないし、忍者自体が秘密組織なのでなおさらよくわからない、ただ彼らは忍術を使うんだ、ということを説明した。
この施設では唯一の若手医師(30代後半)だっただけに、
忍者に対してあまりにも無知な自分を悔やんだ。
(忍者に詳しい方がおられましたら、是非ご一報を。)
そして引き続き、ショー・コスギと藤岡弘についても教えてくれといってきた。
その名前がケニア人の口から出てきたことにビックリする。
私が見たことのある日本映画には一切出演していなかった彼らが、
彼の見る日本映画にはレギュラー出演しているようだ。
ショー・コスギの息子はケイン・コスギであり、藤岡弘は初代仮面ライダーなのだよ。という、彼に対していったところで全く意味のない私の知識は、披露しないという判断に落ち着いた。
とにかく「彼らはすでに年寄りだから、よくわからん。」と伝えたら、
それに思いがけず衝撃を受けていた。
一体、どの時代の映画を見ているのだろうか。
このような感じで、いつも思いもよらぬところから切り込まれてくる日本に対しての様々な疑問に楽しまさせてもらっている。
ケニアから一度も出たことがない彼らが、遠く離れた日本にこうして興味を持ってくれていることが、単純に嬉しい。