2011年10月30日日曜日

近所の動き。

この週末に先駆けて大使館からの安全対策情報の共有として
「手榴弾を発見した際の退避方法」なるものがメールで一斉送信されている。
出回っている手榴弾とはどれくらいの大きさなんだろうか。
メールには大動脈の防御法、神経系の防御法、鼓膜の防御法が記載されていて、
いざという時の応急処置の方法まで添付されている。
“それでは、よい週末を。”で、締めくくられたこの自分宛てのメール・・・。




昨日の買い物の帰りに家に向かって歩いていると後方からクラクションで呼び止められた。
それは私のカウンターパートの上司にあたるドクターの車だった。
同じ敷地内に住んでいて、いざという時にいつも頼りにしている同僚だ。


これから引っ越すということで、家の中はすでにもぬけの殻。
大きなトラックと共にまさに今そこを去ろうとしているところだった。


引越しするなんて、全く聞かされていなかったためかなり驚いた。
「何で言ってくれなかったの?」と聞けば、
「だって、聞かれなかったから。」と彼らは答えるだろう。
でもこういうことは、ケニアのあらゆる場面で本当の本当~によくある。


私と同じ敷地内には医者や警察官など比較的収入の安定した中所得層の人たちが住んでいる。
7月末に4人姉妹のジョイス一家を最近見かけないなぁ、と思ったら引越していたことを随分後に知ったし、
8月末には隣りのルーシーの家が早朝から騒がしいと目覚めたら引越し荷造りが終わり立ち去るところだった。
どちらももう新しい住人が住み始めている。
そして、来月末はまた違う家の住人が続いて引越しをするらしい。


   私「引越しするなんて、何かあったの?」


ドクター「常に電気も水もあってとても綺麗な物件をやっと見つけたんだよ。
     ここは塀も低いし、停電もあるし、何よりも断水が多すぎて不便過ぎるだろ。 
     こんな不便な生活は嫌だって、みんな同じ理由で引っ越していくんだよ。
     それより、MIHARUはこんな環境に満足してるのかい?
     一緒に引っ越してはどうか。よければ俺からJICAにいってやるぞ!」


え??だって、ここケニアやん。これがケニアやーん・・・。


あるに越したことないことはいっぱいあるけど、なくても問題ないこともいっぱいある。
今の家は既にとても居心地がいいし、私には十分な気がしてる。


しかしまぁ「不便と感じる=向上心の種」と捉えれば、
このように不便さを感じられるケニア人の存在というのは貴重なのかもしれない。


ケニアにいながらも貧困や干ばつや紛争のニュースを、
ケニアから遠く離れた日本にいるかのごとく、とても遠くに感じることが本当によくある。

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