例えば、世界でも名の知れた億万長者が、
日本で生活する私の暮らしぶりを見たらどう思うだろう。
「随分と不便な生活をしている人間もいるものだ。」と思うかな。
確かに自家用ジェットがあれば便利だし、
金に糸目をつけず好きなものが何でも手に入る生活は夢かもしれない。
お金はあればあるに越したことはないし、
もらえるものがあるなら、何だってもらっておくに越したことはない。
そうやって贅沢できる点をあげればきりのない生活かもしれないが、
当の私は自分自身の貯えの範疇で、けっこう楽しい毎日を過ごしているつもりでいる。
それは何かをあきらめて惰性で生きているのではなく、自分なりの生きがいをもってのこと。
だから、「勝手にそっちの物差しで計らないでね。あなたたちに言ってもわからないだろうけど。」と思うだろう。
それと同じことで、
アフリカでボロボロの服を着た子供たちをみたとき、
一家そろって床で雑魚寝している現実をみたとき、
「途上国にいるけど笑顔が素敵だ」なんて特別なものではない。
途上国にいようがいまいが、人間はうれしいことがあるから笑い、悲しいことがあったら泣く、それだけのこと。
HIVに関していえば「HIV感染率」や「HIV感染者数」などの統計は、現地の人のためのものというより
援助する側がこの問題をみるための物差しとしてしか登場してこないもののように感じる。
ケニアの人々は、自国のHIV感染率が何%なのか、増えているのか、減っているのかなんて知らないし、
日本の保健の教科書に必ず掲載されているアフリカが真っ赤に染まった世界HIV感染マップも
ケニアの人々は見たことがない。
このHIV対策は一体いつ終焉を迎えるのだろう。
それはきっと、問題そのものの解決ではなく、金の切れ目が対策の切れ目というだけのことだと思う。
ケニアで有名なキベラスラムには現在世界各国の136もの団体が援助に入っているらしい。
長年続く援助対象だけれど、キベラスラムは依然スラムのままである。
そしてまた、こういった写真から受け取る印象は、この2年間を経てガラリと変わるだろう。
一概にはいえないけれど、個人の純粋な善意が海を越えて間違った支援となって、
誰かの労働意欲を奪っていることが少なからずある。
そうやって贅沢できる点をあげればきりのない生活かもしれないが、
当の私は自分自身の貯えの範疇で、けっこう楽しい毎日を過ごしているつもりでいる。
それは何かをあきらめて惰性で生きているのではなく、自分なりの生きがいをもってのこと。
だから、「勝手にそっちの物差しで計らないでね。あなたたちに言ってもわからないだろうけど。」と思うだろう。
それと同じことで、
アフリカでボロボロの服を着た子供たちをみたとき、
一家そろって床で雑魚寝している現実をみたとき、
私たちの中に芽生える感情は、どうだろう。
少なくとも日本にいたときの私の感情は「この人たちのために、何かできることはないか」というものであったし、
その写真に載っている人物が笑顔であれば、「アフリカの人々は、貧しい中でも懸命に生きているんだなぁ」と過剰に反応しただろう。
どれも勝手にこちらが援助する側に立ち、その人々を援助する対象として見た結果のもので、
今から思えば、随分と失礼なことだったと思う。
そしてもっと言えば、アフリカの現状として映し出される画は、
先進国に都合のいいように遠いアフリカの貧しい人々の先入観を与え、
少なくとも日本にいたときの私の感情は「この人たちのために、何かできることはないか」というものであったし、
その写真に載っている人物が笑顔であれば、「アフリカの人々は、貧しい中でも懸命に生きているんだなぁ」と過剰に反応しただろう。
どれも勝手にこちらが援助する側に立ち、その人々を援助する対象として見た結果のもので、
今から思えば、随分と失礼なことだったと思う。
そしてもっと言えば、アフリカの現状として映し出される画は、
先進国に都合のいいように遠いアフリカの貧しい人々の先入観を与え、
上記のような感情を抱かせるものが多かったように思う。
服がボロボロだってことが、一体なんだっていうんだろう。
家族みんなで一緒に寝ることの楽しさも知らないくせに。
ここで生活してみると、この人たちが生きているリアルな「日常」が見えてくる。
誰もこれを悲観的になんて思っていないし、
服がボロボロだってことが、一体なんだっていうんだろう。
家族みんなで一緒に寝ることの楽しさも知らないくせに。
ここで生活してみると、この人たちが生きているリアルな「日常」が見えてくる。
誰もこれを悲観的になんて思っていないし、
「途上国にいるけど笑顔が素敵だ」なんて特別なものではない。
途上国にいようがいまいが、人間はうれしいことがあるから笑い、悲しいことがあったら泣く、それだけのこと。
HIVに関していえば「HIV感染率」や「HIV感染者数」などの統計は、現地の人のためのものというより
援助する側がこの問題をみるための物差しとしてしか登場してこないもののように感じる。
ケニアの人々は、自国のHIV感染率が何%なのか、増えているのか、減っているのかなんて知らないし、
日本の保健の教科書に必ず掲載されているアフリカが真っ赤に染まった世界HIV感染マップも
ケニアの人々は見たことがない。
このHIV対策は一体いつ終焉を迎えるのだろう。
それはきっと、問題そのものの解決ではなく、金の切れ目が対策の切れ目というだけのことだと思う。
ケニアで有名なキベラスラムには現在世界各国の136もの団体が援助に入っているらしい。
長年続く援助対象だけれど、キベラスラムは依然スラムのままである。
そしてまた、こういった写真から受け取る印象は、この2年間を経てガラリと変わるだろう。
一概にはいえないけれど、個人の純粋な善意が海を越えて間違った支援となって、
誰かの労働意欲を奪っていることが少なからずある。
誰かの私腹を肥やしていることも少なからずある。
そんな現実を知らないことの罪も、知ることの責任も、どちらも重い。
だったら、私たちはせめて知らなければならない。
カッコいいねぇ~。
そうやって物事の本質を見る目を養わなければ、本当に誰のためにもならない。
途上国と言われる国々が、先進国の手を離れて自立できる日はいつか来るのだろうか。
そんな現実を知らないことの罪も、知ることの責任も、どちらも重い。
だったら、私たちはせめて知らなければならない。
カッコいいねぇ~。
そうやって物事の本質を見る目を養わなければ、本当に誰のためにもならない。
途上国と言われる国々が、先進国の手を離れて自立できる日はいつか来るのだろうか。
4 件のコメント:
すごい!すごい!!すごい!!!
このブログに書いてある内容すごいわ。
援助の本質をこんなにも端的に分かりやすく書いてある文章初めて見た気がする。
こっちに来て漠然と思うけど形になっていない想いががっつりはまった!
がっつ、すごいわぁ。
みなちゃんと同意見!
>MINATOくん
おお。どうしたよ、その興奮ぶり!?笑
残り2カ月ということなので、
今まで整理してこなかった思考を置きにかかってます。
しっかり置いて帰るからあとよろしく~!
あんがとね!
>よーちゃん
以下同文的な 笑
今からでも全然褒めてくれていいからね。
私、褒められて伸びる性質なので。
どうもありがとう!
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