それは「日記を書いておけばよかったじゃん。やっぱりー。」ということ。
毎日書いている人、どれくらいおられるでしょうか?
協力隊に来ることが決まった時、日本の書店で2年間分がまとめて書ける日記帳を
買おうか買わないでおこうか非常に迷ったことがあった。
結局形から入る性質なので、地元ではいまいち気に入るものがなく、都会に出たらそのうちと思い・・・。
このブログは閲覧してくれる皆さんのおかげで奇跡的に続いているが
ここに書くほどでもないけれども、たわいもなく、くだらないことが毎日いっぱい起こる。
日本にいた自分の感覚で日常と非日常の線引きがもう出来ない今の生活を、
帰国後の自分はどう振り返るだろうか。
自分だけのそのメモはきっと何年後でもその時の記憶を鮮明に蘇らせてくれるだろうに。
あー書いときゃよかった~。
ここにきて最近あやふやな記憶が多すぎて困ってしまっているのだ。
あ、これは昔からか?
~今日のたわいもない1日~
今日は久しぶりにCCC(HIV陽性者ケアセンター)に行った。
混雑している待合場所 ラミネート加工の掲示物も 3カ月経過してまだ劣化していなかった! |
なんと!病院のスタッフが自分たちで 新しく診察カード入れを作成していた! 私の作った第1号はもうボロボロだったのです。 |
お昼になると相変わらずファイル(手前)を放って 医者はランチに出かけました。 |
栄養指導を受けている母親。 診療中でも街角でも公共の場で授乳するのは当たり前。 |
行きつけの店で遅めのランチ。 頼むのはいつもマチュンボ(牛の内臓)&ライス これで80シル(約80円)!安い!うまい! |
ランチ後はフェイスブックのゴールデンタイムが 至る所で始まります。 |
病院に貼ってあるポスターに 訪問者が興味を示してくれていました。 |
昨日と今日の2日間で、病院の院長、カウンターパート、ユースグループ、NGO、エスタ議員のところに出向き、2校の学校関係者と連絡をとった。
それぞれの機関でどんな動きがあるか、そこで自分が何を提供できるか。
相変わらず活動はいつもそこから始まる。
A:「見かけないから日本に帰ったのかとおもったよ。どこにいってたんだ。さみしかったじゃないか。」
私:「ずっとナイロビにいたよ。(国外旅行だと正直に答えるとイコール大金持ちとなり後々厄介なことが多々起こる。それを防止するための常套手段がこれ)
帰国するのは今年の3月って(何度も)いってたやん。」
A:「何だって?もうすぐじゃないか!?今度はいつケニアに帰ってくるんだ?
旦那をケニアで見つけてこっちに住めばいいさ。俺が見つけてやる。」
というケニア流の一連のやりとりをもれなく全ての場所で行った。
帰宅後、ナイロビ行きの隊員が急に泊りに来ることになった。
そんな1日が今日も無事終わりを迎える。
0 件のコメント:
コメントを投稿