2011年9月9日金曜日

母国語。


ほとんどのケニアの人々は3つの言語を話すことが出来る。
42部族ごとの「民族語」
母国語の「スワヒリ語」
公用語の「英語」

小学校から大学まで全ての授業が英語で展開されるため
「学校に通っている=英語が話せる」
「英語が話せない=学校に通っていない、または通えない」といっても過言ではない。

中学の頃からとっくに気付いているが、私の言語習得能力は大変低い。
英語のテストを丸暗記で乗り切っていた学生時代。
ケニアに比べて圧倒的に整った環境で教育を受け、欠席などほとんどせずに学校に通った末の
私の英語力の乏しさは、一体何と説明したらいいものか。

『日本の授業も全て英語だったら、今頃私も英語を自在に操っていたかもしれないのに・・・。』

自分の英語に劣等感を抱く私は、努力不足を棚に上げ、ケニアのように授業での英語の使用頻度を強制的に上げることで習得できる高い英語力を本当にうらやましく思うことがある。

しかし、1年ほど前にスワヒリ語のカレンダーを製作する際に同僚たちに協力を求めた時、彼らの母国語であるスワヒリ語力の低さに驚いたことがあった。たかがヶ月しかスワヒリ語を習っていない私が気付くレベルなのだ。
自分で「正しいスワヒリ語を知らない」という同僚は結構多くいたし、英語⇔スワヒリ語の翻訳が人によって全く違うし、民族語とスワヒリ語の区別がついていない人もいて、非常に手こずった覚えがある。
そしてケニア人が使う英語もまた、ネイティブな友人たちからすると文法的に間違いだらけらしい。

ケニアで生活している私は、いつも場面によってスワヒリ語か英語のうち手っ取り早く伝わる方を選んで話す。
どちらの言語の上達も最も遅くする方法だということは常々実感している。
しかし、この付け焼刃的な言語も2年間限り。

しかし、ケニアの人々にとってはその状況が一生の日常なのだ。

ケニアの授業で英国英語を使用するようになったのは、その昔イギリスの植民地だったから。
現在も自分たちの母国語ではなく、支配していたイギリス人の言語で授業が展開される。

日常生活で最も使用する母国語のスワヒリ語で授業を受けられない。
スワヒリ語の教科以外にスワヒリ語の教科書がない。
となると、英語が苦手な生徒は、他の教科も理解できない。

そう考えると、とても違和感がある。
国語ってなんだろう。
ケニアは本当にこれで独立しているのだろうか。

そうなると敗戦後に完全に日本語を奪わなかったアメリカに感謝の気持ちすら覚えたりする。
「日本語なんて、日本人にしか通じない不便な言語だ」と思ったことも正直ある。

しかし現在は、物語や歌を詠んで、記して、楽しむことで長年受け継がれてきた言葉の文化の重みを感じるし、
歴史と共に創り出された独自の母国語があり、その言語で全ての教育や仕事や生活が自国で完結出来ていることは国の力だと感じる。

四季を表現する言葉に始まり、「奥ゆかしさ」や「わびさび」、「いただきます」や「ありがとう」など。
日本人のあらゆる感情や感覚を細部までズバリと表現できる日本語の素晴らしさ。

逆に考えると、日本語でこそ表現できる繊細な感情や感覚が、日本人の私にちゃんとあるのかとも思う。
感性が鈍いからこそ、不必要であり不使用になっている日本語があふれているようにも思える。

そう思うと、とても乏しい私の日本語と私の感性。
日本語も日本人としての感性も、もっと磨かなければ。

さて、ケニアも日本も、この先どうなっていくのだろう。
そんなことに「想いを馳せ」ながら、「物思いに耽る」日々を送っている。

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