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2012年3月28日水曜日

ゴミをまたぐな。

日本帰国まで1カ月を切っていたある2月下旬のこと。

任地のナイバシャからナイロビへの移動中のマタツで隣の男性が話しかけてきた。


「コンニチワ アナタ ニホンジン?」


ケニア人から、日本語で、しかも会話文で、話しかけられることは滅多にない。

驚いて聞いてみれば、彼は出張で日本に1カ月滞在してきたばかりということだった。




そんな彼の財布には、その記念として「東京フリー切符」が入っていた。

私が1ヶ月後に帰国して到着する東京、の切符。


切符の日付は24.02.02と印字されている。


2002年2月24日って、随分昔の日付じゃないの?


と思いきや、それは2年ぶりにみた日本の平成の日付表示。


彼が訪れた秋葉原や浅草、大相撲の話がマタツの車内ではずんだ。


そして、ふと窓の外に広がるナイロビの街並みを見つめながらその男性がしみじみと言った。


「ケニアは本当にゴミが多い。

 ゴミのない日本に行って初めて気付きました。」


そこで思い出した。


私がケニアに来たばかりの頃、どの道端にもあり過ぎる大量のゴミを見て、


何でもかんでもそこら中に平気でポイ捨てするケニアの人々の姿を見て、


「そもそもケニアの人々はこれらをゴミと認識しているのだろうか?」と、疑問に思ったこと。





「ケニアを去る2年後には、私のゴミへの認識も変わってしまうのだろうか。


 あり過ぎるゴミをみないようにして、どうでもよくなって、


 ゴミを平気でまたぐ習慣がついてしまうんじゃないだろうか・・・・・。」


そんな不安が心の中にあった。


私の好きな言葉「ゴミをまたぐな」


この言葉は確か5~6年ほど前に、俳優の哀川翔さんがTVで紹介していた哀川家の家訓。


特別彼のファンというわけではないけれど、聞いた時からずっと私の中にある言葉。


特に、この2年間のケニア生活で、幾度となくこの「ゴミをまたぐな」という言葉が頭をよぎった。


哀川家ではゴミをまたぐと「半殺しの刑」となるらしい。


それは部屋が散らかるからという、そもそもの理由だけでなく、


“ゴミをまたぐときの心の動き”についての警告。


「ゴミがあるけど、ま、いいか。」


「ゴミがあるけど、見ないふり。」


「ゴミがあるけど、忙しいからまた今度。」


「ゴミがあるけど、誰かが捨てる。」


「ゴミがあるけど、私には関係ない。」



「本当は見えているものを、やり過ごす心の習慣」
への、警告。


日々の生活の中の、無数の「やり過ごす心の習慣」の積み重ねによって


最後にはゴミの存在にすら気付けなくなる。


だから、「ゴミをまたぐな」。


ケニアの職場に初めて向かった朝に見た、道端にある山積みのゴミと


職場にある山積みの課題がリンクした。


この人たちにはこのゴミ(課題)が見えているのか?


見えていて、やり過ごしているのか?


いや、もはや見えてすらいないのか?


見えているのは、私だけなのか?


この人たちの、「心の習慣」はいかなるものか。





毎日、配属先に向かう道中で、多くのゴミをまたぎながら本当によくそんなことを考えた。


ここで2年間過ごすことで、もうどうでもいいや、と思うことが増え、色んなことが見えなくなって、


帰国後の生活に支障が出たりするのだろうか?


そんな不安は的中するかのように思えた。


が、今から思うとそれは逆だったように思う。



ケニアから日本を見た時、


それよりももっと、自分が日本でやり過ごしてきた多くのことに気付くことになった。


国のこと、歴史のこと、文化のこと、宗教のこと、教育のこと、性のこと、


向上心のこと、効率化のこと、政治や組織のこと、文化のこと、貧困のこと、支援のこと、


人間として生きるということ、自分自身を形づくってきた全てのこと・・・。


そう、何よりもまず、自分自身の至らなさに。



そして、2011年3月11日の東日本大震災のあったあの日


日本ではなくケニアにいたことで、それらがより一層大きく膨らんだ。



はるばる海を超えて伝わってきたのは、日本文化の中で育まれた日本人の行動の数々。


日本の至らない部分以上に見えてきたのは、


日本を離れて初めて気付いた


自分の母国の素晴らしさの数々だった。



そういった全ての過程は、私に双方に共通するもの、


国境を越えて尚、人間として大事なものは何なのか、を過分に考えさせる機会をくれた。



大量のゴミの中から、人間として、自分として、


本当にまたいではならないゴミを選択するという視点を与えてくれた。




2年ぶりの東京で聞いたのは


“次の電車は2分の遅れが出ております。お急ぎのお客様には大変ご迷惑をおかけします。”という謝罪のアナウンス。

やたらと丁寧に謝り、きれいな笑顔で接客してくれる店員たちの振る舞い。


電車内のつり革広告に“除染”という文字を見たとき、


今度は目で捉えられないゴミへの対応さえも迫られている窮屈な日本を感じた。


効率化という名のもとに、繰り返し消費され、全てにおいて人間同士の触れ合いが最小限で済む生活を獲得した日本。


果たしてそれらは、本当にまたいではならないゴミだろうか。


もう後戻りできないところまできている日本。


私たちの世代は、大震災だけでなくこの未曽有の課題をどう解決していくのか。




ただ、なぜだろう。そこに落胆はない。



世界が直面したことがない困難にも、人間力や組織力で挑戦し続けてきたのが私たち日本人なのだから。


皆で知恵を絞って、また新たな未来を創造していくだけのこと。


衰退していたら、失われていたら、また再構築すればいい。


新しいものを創造していけばいい。


時間がかかっても、日本だったらやれるから。




アフリカの真っ暗闇でみた満天の星の輝きも、



東京で見た果てしなく広がる夜景の輝きも、



どっちも見ることのできた自分だからこそ気付くことがいっぱいあって、



やっぱり、充実した2年間だったと、



今しみじみと振り返っている。


6 件のコメント:

MINATO さんのコメント...

ガッツのブログやっぱ好きやなぁ。
むっちゃ分かりやすいし、着眼点やそっからの広げ方とか、すごいなぁと思う事ばっかー。
日本でも続けぇやぁ☆

Miharu Shimizu さんのコメント...

みなちゃん
毎度、身に余るお褒めの言葉をありがとう。

人って期限があるから頑張れるものなんですね。
次回の最終回をもって無事終了という流れです。

ミナトブログ楽しみにしてるからな!

てぃ さんのコメント...

おかえりなさい(^^)

むか~し、コメントさせていただいた、てぃです。
久しぶりの日本はどうですか?たぶん、みはるさんを温かく迎えてくれた事と思います。

みはるさんが、ケニアで2年間過ごされて現地の方のために努力された事を忘れません♪
お疲れ様でしたm(__)m

このブログはもうじき閉じられるとの事ですが、次はまたどこか異国の地からの連絡、お待ちしていますネ (^^)b

COM さんのコメント...

ガッツお疲れ様&お帰りなさい。しかし現職参加は日本に帰ってきてからが本番な気がするな。ガンバレニッポン。ByCOM

Miharu Shimizu さんのコメント...

てぃさん!

ただいま帰りました。
長年住んでいた日本だけあって、一瞬で慣れてしまいました。
ただ、滋賀県が寒すぎます!

そういっていただけると、本当にありがたいです。
T村さんのケニア話はいかがだったでしょうか?

しばらくは、日本の地にしっかり足をつけてやっていきたいと思います。
いつも温かいコメント、本当にありがとうございました。

Miharu Shimizu さんのコメント...

COM様
現職の先輩、COM様~。
どうっすか、そちらの本番は?
そろそろドミ上がります?

ガッツリニッポンで、邁進していこう。
と思ってはいますよ~。そりゃもうね。