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2012年3月28日水曜日

ゴミをまたぐな。

日本帰国まで1カ月を切っていたある2月下旬のこと。

任地のナイバシャからナイロビへの移動中のマタツで隣の男性が話しかけてきた。


「コンニチワ アナタ ニホンジン?」


ケニア人から、日本語で、しかも会話文で、話しかけられることは滅多にない。

驚いて聞いてみれば、彼は出張で日本に1カ月滞在してきたばかりということだった。




そんな彼の財布には、その記念として「東京フリー切符」が入っていた。

私が1ヶ月後に帰国して到着する東京、の切符。


切符の日付は24.02.02と印字されている。


2002年2月24日って、随分昔の日付じゃないの?


と思いきや、それは2年ぶりにみた日本の平成の日付表示。


彼が訪れた秋葉原や浅草、大相撲の話がマタツの車内ではずんだ。


そして、ふと窓の外に広がるナイロビの街並みを見つめながらその男性がしみじみと言った。


「ケニアは本当にゴミが多い。

 ゴミのない日本に行って初めて気付きました。」


そこで思い出した。


私がケニアに来たばかりの頃、どの道端にもあり過ぎる大量のゴミを見て、


何でもかんでもそこら中に平気でポイ捨てするケニアの人々の姿を見て、


「そもそもケニアの人々はこれらをゴミと認識しているのだろうか?」と、疑問に思ったこと。





「ケニアを去る2年後には、私のゴミへの認識も変わってしまうのだろうか。


 あり過ぎるゴミをみないようにして、どうでもよくなって、


 ゴミを平気でまたぐ習慣がついてしまうんじゃないだろうか・・・・・。」


そんな不安が心の中にあった。


私の好きな言葉「ゴミをまたぐな」


この言葉は確か5~6年ほど前に、俳優の哀川翔さんがTVで紹介していた哀川家の家訓。


特別彼のファンというわけではないけれど、聞いた時からずっと私の中にある言葉。


特に、この2年間のケニア生活で、幾度となくこの「ゴミをまたぐな」という言葉が頭をよぎった。


哀川家ではゴミをまたぐと「半殺しの刑」となるらしい。


それは部屋が散らかるからという、そもそもの理由だけでなく、


“ゴミをまたぐときの心の動き”についての警告。


「ゴミがあるけど、ま、いいか。」


「ゴミがあるけど、見ないふり。」


「ゴミがあるけど、忙しいからまた今度。」


「ゴミがあるけど、誰かが捨てる。」


「ゴミがあるけど、私には関係ない。」



「本当は見えているものを、やり過ごす心の習慣」
への、警告。


日々の生活の中の、無数の「やり過ごす心の習慣」の積み重ねによって


最後にはゴミの存在にすら気付けなくなる。


だから、「ゴミをまたぐな」。


ケニアの職場に初めて向かった朝に見た、道端にある山積みのゴミと


職場にある山積みの課題がリンクした。


この人たちにはこのゴミ(課題)が見えているのか?


見えていて、やり過ごしているのか?


いや、もはや見えてすらいないのか?


見えているのは、私だけなのか?


この人たちの、「心の習慣」はいかなるものか。





毎日、配属先に向かう道中で、多くのゴミをまたぎながら本当によくそんなことを考えた。


ここで2年間過ごすことで、もうどうでもいいや、と思うことが増え、色んなことが見えなくなって、


帰国後の生活に支障が出たりするのだろうか?


そんな不安は的中するかのように思えた。


が、今から思うとそれは逆だったように思う。



ケニアから日本を見た時、


それよりももっと、自分が日本でやり過ごしてきた多くのことに気付くことになった。


国のこと、歴史のこと、文化のこと、宗教のこと、教育のこと、性のこと、


向上心のこと、効率化のこと、政治や組織のこと、文化のこと、貧困のこと、支援のこと、


人間として生きるということ、自分自身を形づくってきた全てのこと・・・。


そう、何よりもまず、自分自身の至らなさに。



そして、2011年3月11日の東日本大震災のあったあの日


日本ではなくケニアにいたことで、それらがより一層大きく膨らんだ。



はるばる海を超えて伝わってきたのは、日本文化の中で育まれた日本人の行動の数々。


日本の至らない部分以上に見えてきたのは、


日本を離れて初めて気付いた


自分の母国の素晴らしさの数々だった。



そういった全ての過程は、私に双方に共通するもの、


国境を越えて尚、人間として大事なものは何なのか、を過分に考えさせる機会をくれた。



大量のゴミの中から、人間として、自分として、


本当にまたいではならないゴミを選択するという視点を与えてくれた。




2年ぶりの東京で聞いたのは


“次の電車は2分の遅れが出ております。お急ぎのお客様には大変ご迷惑をおかけします。”という謝罪のアナウンス。

やたらと丁寧に謝り、きれいな笑顔で接客してくれる店員たちの振る舞い。


電車内のつり革広告に“除染”という文字を見たとき、


今度は目で捉えられないゴミへの対応さえも迫られている窮屈な日本を感じた。


効率化という名のもとに、繰り返し消費され、全てにおいて人間同士の触れ合いが最小限で済む生活を獲得した日本。


果たしてそれらは、本当にまたいではならないゴミだろうか。


もう後戻りできないところまできている日本。


私たちの世代は、大震災だけでなくこの未曽有の課題をどう解決していくのか。




ただ、なぜだろう。そこに落胆はない。



世界が直面したことがない困難にも、人間力や組織力で挑戦し続けてきたのが私たち日本人なのだから。


皆で知恵を絞って、また新たな未来を創造していくだけのこと。


衰退していたら、失われていたら、また再構築すればいい。


新しいものを創造していけばいい。


時間がかかっても、日本だったらやれるから。




アフリカの真っ暗闇でみた満天の星の輝きも、



東京で見た果てしなく広がる夜景の輝きも、



どっちも見ることのできた自分だからこそ気付くことがいっぱいあって、



やっぱり、充実した2年間だったと、



今しみじみと振り返っている。


2012年3月15日木曜日

ジョンの結婚観。

「最近、早く結婚がしたくてしょうがない。」というジョン(25歳)に

「なんで?」と聞いてみたところ、 

「もう手洗いで洗濯するのも、 火をおこして料理するのも、全部自分でやらないといけない生活に疲れたんだ。」

という理由だった。 


とても単純に聞こえたその理由。



日本なら嫁などいなくても

ボタンひとつで済む全自動洗濯機があるし、

食べたいものはいつでもどこでも簡単に手に入るし、

もっといえば、一人でも暇をつぶせる手段が多種多様にある。



そんな日本に住んでいて、それでも「結婚したい!」と思う決め手は・・・、なんだろう?

やはり“愛情”や“独り身の寂しさ”ってことになるのだろうか。 



と思いきや、日本でいつもかわいがってもらっていた大先輩の先生方(愛妻家)には、

「結婚なんて、誰とやってもそんな変わらんで。はよしときや。」

と、度々言われていたことをふと思い出す。



晩婚化がすすむ一方で、「結婚しない」選択をする人々も年々増えている日本。

便利なだけに決断が鈍る社会なのだろうか。 



私にも料理も洗濯も掃除も出来て、たまにカワイイわがままいってくれるパートナーが、

現れないかな。


と、ジョンと同意見の女の私。



国のイメージ。

帰国まで残り5日。 載せてなかったちょっとした小話を、一挙に自動更新してみます。 

毎回のHIV巡回授業でやった生徒たちへの3択問題。

①0.006%
②7.4%
③14.7% 

この中のどれがケニアのHIV感染率でしょう?


正解は②の7.4%。 現在、再び増加していますが、まだ多くの人が自分のHIVステイタスを知らない状況です。

続いて、①0.006%は日本のHIV感染率。 先進国で唯一の増加傾向にあり、ほとんどの人が自分のHIVステイタスを知らない状況です。

では、一番多い③14.7%はどこの感染率でしょう? 


この質問で、ケニアの生徒が真っ先に答える国は決まって・・・・・、どこだと思います? 

それはなんと、「中国!(チャイナ!)」。 


彼らの中にある中国のイメージって、どんなものなのでしょう?

どの学校でも聞いても出てきたこの答え。 これは、不思議でした。 

続いて出てくるのが、南アフリカ共和国やアメリカ合衆国、ウガンダ、タンザニアなど。

この正解はケニアで一番感染率が多いニャンザ地域の感染率14.7%。

2012年2月26日日曜日

日本語弁論大会。

昨今、約1,000名程度のケニア人が日本語を学んでいるらしい。
土曜日にその人々たちによる日本語弁論大会がケニア日本大使館で開催されるということで観覧に行ってきた。


同じ発表者でも学習期間は様々で、中には日本に留学していた人もいてその語学力も素晴らしかった。
今回2位に輝いたケニアッタ大学の女性は流れるような日本語で身ぶり手ぶりと笑いを交えて、
日本での「一番驚いた経験」を紹介してくれた。
≪日本に1年間留学して、1年半日本語の勉強をしている≫とここまでになるんだなぁ。
と感心していたが、
よく考えればそれ以上の環境となる≪ケニアで1年9カ月生活している私。≫ということに気付き、
スワヒリ語の勉強、語学研修の2カ月で終わったしな。という揺るがない事実にまた目を向けることになった。

こうして協力隊にきていると、同じ日本人でも語学力をひとつの能力として使いこなし
色んな世界に挑戦していく多くの人たちと出会う。
「海外留学経験者はみんな英語が達者だ」とあたりまえに思いがちだけど、
母国語でない言語の習得は相当な努力の上にしか成り立たないということをまた当然のことながら感じる。


そしてこの大会の面白さは、その発表者の語学力そのものよりも弁論内容にあった。
落ち着いたゾマホンのような発表者25名が
「好きな日本の言葉」「日本人に伝えたいケニアの○○」「今までで一番驚いたこと」
の3つのテーマに分かれてそれぞれの想いを日本語で披露する。

”9時の講義に学生は9時半に集まります。そして、先生も9時半にきます。”
と元気にケニアの生活を紹介する女性。
「自分を乗せた飛行機が本当に空中に浮いたこと」に驚いた人がいたり、
「8歳のクリスマス時に初めて下着の存在を知った」学生がいたり、
「好きな日本の言葉はトリニクです」という若者がいたり、
一問一答のコーナーで、「賃金はスズメノナミダ程ですが、頑張っています。」と
アドリブで返せる学生もいたりで非常に楽しませてもらった。

なかでも今回優勝に輝いた女性のスピーチはとても印象に残った。
好きな日本の言葉「ありがとう」「すいません」にまつわる多くのエピソードは素晴らしいものだった。

彼女が日本に3年間住んで、どの場面でもつねに登場した「ありがとう」「すいません」の言葉。

どの店に行っても店員さんはお辞儀をしながら「ありがとう」、時間に遅れてもないのに人を待たせると「すいません」、マッサージの勉強のために留学をしていた彼女は仕事として施術しているのに、お金をいただいてるお客さんから毎回「ありがとう」といわれたことにも驚いたと話してくれた。


ケニアではお店で「いらっしゃいませ」とも「ありがとうございました」ともいわれることはない。

でも実際にこの言葉を言われたときのうれしかった経験から、
彼女はケニアに帰った今も積極的にこの言葉を使っていると話してくれた。


スピーチ後の一問一答。

質問者「あなたがケニアで積極的に“ありがとう”“すいません”という言葉を使っていることで、
     周囲のケニア人の反応はどうですか?」

発表者「(日本人的な反応で)う~ん・・・・・、
      たぶん彼らはまったく気づいてないと思います。そして何も感じないと思いますけど。」

質問者の期待していたものをそこに居合わせた日本人も同じく期待していたが、
それとは違う「ケニア人がするであろう本当の反応」に会場は大爆笑で包まれた。

会場に居合わせた“ケニアで過ごしている日本人たち”が共有する同じ感覚の中の「あるある」という部分を
ケニア人の彼女につつかれたことがとても面白かった。

質問者「では逆に、あなたが日本に伝えたいスワヒリ語の言葉は何ですか?」

発表者「え~っと、特にないですかねぇ。う~ん・・・・、
      あ、“Pole Pole”(のんびりゆっくり) っていうのは伝えたいかもしれません。
      いつも日本人はみんな急ぎすきていると感じたので。」



言語を学ぶということはその国の文化を知るということだとよく言われる。

今回の日本語弁論大会では日本語を学ぶケニア人の彼らの中に、
日本人ならではの感覚を多く伺い知れたことが本当に面白かった。


また、ケニアのナイロビにある「日本大使館」は、そこだけが日本のような空間で、
完璧なタイムマネジメントの中に久しぶりに身を置き、
3週間後に迫った日本への帰国に向けて少し身の引きしまる思いがした。


エンターティメント部門では多くの隊員の配属先の生徒たちが
パフォーマンスを披露。
どの学校の生徒たちもとてもいい表情で
日本語の歌を堂々と発表していた。
選曲も素晴らしく、どの歌詞も胸にじーんときた。

2012年2月7日火曜日

14年目の「GKB47」と宗教。

キリスト教徒でもイスラム教徒でも、ケニアの人々の週末はいつも宗教と共にある。
そして週末だけに限らず、教会という場所は私たちが想像する以上に色んな催し物に利用されている。

自分の教会に行き、みんなで同じ聖書を読み、同じ形式で祈りを捧げ、同じ歌を歌い、同じ踊りを踊る。
それが終わると町には帰りにチャイやランチを楽しむ人々や家族、世代を超えて遊んでいる子どもたちがあふれている。

教会に特別行きたいとは思わないけど、宗教について考えたり聞いたりするのは好きである。
そこには私が絶対知らない世界が広がっているから。


そんな彼らをみているといつも思う。

同じ場所に集る彼らは信仰深く神に祈りをささげながら、結局は人間と深く繋がっているんだと。

同じものを信仰しているという安らぎの中で生まれる繋がり。

神様の救いの手というのは実はそこにあるんじゃないかと疑うぐらいに。


家族・友人・地域住民・見知らぬ人々。

そこには会社でも、学校でも、ご近所でもない人間との繋がりが存在している。

そして、それはネット上には存在しえない場所。

正直言って私にはちょっと面倒に感じてしまう。

私自身、近年京都の有名なお寺にいった覚えはあれど、実家が門徒になっている近所のお寺にいった記憶はない。


先日、またもや日本の自殺者数が14年連続で3万人を超えたと警視庁が発表した。

例えば、高校時代までに学年も、学校も、塾も、生活圏も、年代も違う知り合いに囲まれている日本人はどれくらいいるだろうか。

ただでさえ多感なその時期に、あらゆる枠を超えて多種多様な人に揉まれることで、
一生ものの「人と繋がっていくための土台」が作られる。

ケニアの子供たちを見ていると、随分と色んな居場所、色んな世代との繋がりを持っているなぁと感じる。
成績悪くても、イジメにあっていても、笑って過ごせる居場所が他にある。

日本の子供がそのような多種多様な人間関係の中に身を置くことは今やもう極稀な気がする。

そしてそれは、
学校(塾)しかない学生、会社しかない社会人、家とご近所しかない主婦。
ネットの中にしか居場所のない人。
劣等感を常に感じる居場所しかない人。
常に強い自分でいなければならない居場所しかない人。の形成へと繋がっていく気がする。

結局、居場所がひとつしか作れなかった人は、そこで認められなくなると行き場を失う。

そして、矛先を自分に向ける。

1日で約100人もの人が自ら命を絶っている日本。

最後に日本人が神様に祈る時とは、もう周囲に人間がいない時のような気がする。



個人の感覚として、現在の日本では人と繋がるツールに仏教も寺も神社も挙がってこない。



しかし、私はこれからの日本の問題を解決する糸口がここにあるように感じている。




過去関連ブログ「宗教」



たまたま今日、タイムリー過ぎる「GKB47」のニュースをみてまたびっくり。
全体的に人と繋がるための土台(コミュニケーション能力)が十分ではないのに、
「周囲の気付き」や「周囲の支えあい」に頼る日本の自殺対策はとても厳しい。
「本日のニュース記事より抜粋」
日本政府が発表した3月の自殺対策強化月間のキャッチフレーズ「あなたもGKB47宣言!」に決まったことを受けて2012年2月6日、自殺対策に取り組む全国72の民間団体が、このキャッチフレーズの撤回を求め、共同で抗議声明を出した。 GKBとは「ゲートキーパーベーシック」の略。ゲートキーパーとは悩んでいる人に気づいて声をかけ、必要な支援につなげる存在のこと。自殺対策月間の今年度のテーマが『全員参加』ということから、ゲートキーパーの存在を広げていこう、国民全員が取り組んで行こうという意味合いで47(都道府県)を付け足し、「GKB47」となったようだが、人気アイドルグループ・AKB48に引っ掛けたネーミングであることは一目瞭然だ。

2012年1月30日月曜日

神様がもしも・・・。

金曜に訪問したのはキャンボゴプライマリースクール。

前日のマンモス校とは大きく異なる小規模校。

この日はこの地元のユースグループで頑張っているジョンという青年に誘われていった。

この小屋が校舎.
幼稚園から6年生までが通っている。

全校生徒はたった60名程

この日とても印象深かったのは、

どの先生も話の中に「神の話」を入れるということ。

学校方針なのか先生たち自身の信仰深さなのか、

どの話も最後は

「それらはすべて神に委ねられている」

「それらはすべて神のみぞ知る」

で締めくくられる。




この日の対象は小学5年生と6年生の28名。

一緒にいったジョンもHuman Resource Development(人的資源開発とか人材育成)

という分野の授業をするといって張り切って生徒に熱く語りかけていた。

完全にカラ回り系男子の匂いがプンプンするジョン25歳は

先生たちの影響をがっつり受けて

「何をすれば神様は喜ぶか?」

と、生徒たちに問いかけていた。

これと自分の人生を考えることはどう関係するのだろうか。


どうやらその正解は  「歌う・祈る・願う」  ことのよう。


私はキリスト教の教えなるものを全く詳しく知らないけれど

もしも、イエス様が松岡修造のような人物であった場合

「言い訳してるんじゃないですか?
できないこと、無理だって
あきらめてるんじゃないですか?
頑張れ頑張れ できるできる 絶対できる


 頑張れもっとやれるって!!やれる!

 気持ちの問題だ!頑張れ頑張れ そこだ!そこだ! 

 あきらめんな!絶対に頑張れ!

積極的にポジティブに頑張れ頑張れ! 


 北京だって…頑張ってるんだからっ!」

 ~ イエス〈修造〉様の言葉 ~


こんなことが書いてある聖書だったら、

今頃アフリカ諸国はすっごいことになっていたんじゃないだろうか。

向上心ありまくり、挑戦しまくりの強靭な人材の宝庫に・・・。

と、以前同期隊員と話していたことがある。

しかし、宗教とはそこに一筋でも救いを求めるものだから

これほどの拡がり方はしなかっただろうけども・・・。




続いて、HIV/AIDS予防啓発の分野に入るとジョンは

「全く予習してきてません」と言わんばかりのしどろもどろさで

なんと、明らかにかかってきていない電話を、さも、かかってきたかのように振る舞い

バレバレの小芝居と共に教室から逃亡してしまったため(ありえん・・・。)

そのまる投げされたバトンを拾いつつ

私がHIVの基礎知識とその後の人生プラン設計について授業をすることになった。


小規模校&田舎になると生徒は恥ずかしがり屋になる傾向にある。

「恋人が出来たら何がしたい?」の質問に

「車の運転がしたい」

と、とてつもなく小さな声で回答してくれた男子生徒がいて微笑ましかった。


 最後は、信仰深いこの学校で特に力の入る部分。

あなたの人生は、家族が、学校が、国が決定するのではない。

自分の人生を決めるのは、自分でしかない。


ここに「“神”が決めるものでもないんだ」も含めようかと、よっぽど思ったが

学校の方針らしきものを目の当たりにしていることもあり今回はやめておいた。

帰ってきて、何やら真面目ぶってメモをとるジョン。

彼は「心が変われば行動が変わる・・・・・・、人生が変わる」という言葉に


強く感銘を受け、その後しばらく興奮していた。


私から先進国の風を感じたらしい。・・・。
布ナプキン普及も細々とやっておりますよ~。

地元を愛するジョンに連れられ、母校の小学校と高校にも挨拶に行く。

是非、母校にも授業をしてほしいということで来週に来ることがその場で決定した。

長いその道中では地元の全ての人と話がはずむジョン。

地元ユースグループでも活発に活動しているようで、

「僕は地元を愛しているんだ。」「僕が頑張って地元に還元したい。」

この言葉を何度も聞いた。

そして

「今日は僕は自分の力のなさにとてもショックを受けた。

MIHARUの授業を、自分のものにしたい。」

という言葉を聞いた時は、活動終盤ということもありジーンとした。

(後で聞くとジョンは私を自分より年下の22~3歳だと思っていたらしく、
何やらそこがとてもショックだったようだ。
“31歳ですけれど、何か?” といったら、とてつもなく驚き、妙に納得していた。)


情熱と行動力をもつ人物に出会える幸運はケニアでも日本でも同じ。

また面白いことになりそうな予感がした先週だった。


2011年12月17日土曜日

ストライキその後。

皆さん、お久しぶりです。
ここ最近、胃の消化能力の激しい衰えを感じている以外、私は元気にやっております。

前回お伝えしたドクターズ・ストライキは以前決着がつかないまま、
政府からの譲歩案で一旦通常業務に戻るとのこと。

しかし、現場の医師の基本給が月16,000~60,000KSH
(聞く人によって様々だが日本円で13,000~55,000円ほど)と聞くと絶句するのも事実。

ストライキの見方も変わる。

今月行われたエイズ国際会議《International Conference on AIDS and STI’s in Africa (ICASA)》でも
ケニアで行われたNational Human Resources for Health Conferenceでも
アフリカ諸国からの医者の流出が問題になっている。


会議の参加者に理想イメージを映像化したビデオを見せてもらった。
華々しく世界に飛び出した医師たちが、村に戻り多くの人々の生活を支えていくアニメーション。


一度、世界の医療技術・医療機器レベルを知った医師が電気のない村に戻る構図は、
想像しがたいものがあった。

2011年12月6日火曜日

ドクターズ・ストライキ。

ビックリした。

ケニヤ内の公立病院の医師が昨日からストライキにはいっている。

2日目となった今日も病院には人がほとんどいない状態で、
看護師さんや医学生たちが完全に暇を持て余していた。
ぐったりした患者がベンチで寝ている。

想像通りの結果が広がっていた今日の病院内。

院長は来ていたが、患者に直接かかわる医者はみんなちゃんと来ていない。流れに逆らうことなく。
医師たちの強い団結力というかまとまりを、ここにきて初めて見せつけられている気がする。

うっかり通勤してしまうというようなこともなく、
しっかりというか、寸分の狂いなく情報が末端まで行き届いている。

このすんばらしい情報網、他に活かせないものだろうか。


教師のストライキの時もどうかと思ったが、医者のストライキなんてあっていいものか。

政府に給料の300%支払いを要求している模様で、これがいつ解けるのかもわからない。

確かに安月給ではあるけれど、自分達の行動が引き起こす事態など容易に想像できるはず。

数ある職業の中から医者を志した人々の行動なのでしょうか。


私立病院に行く経済力のない人々は、たまたま『運悪く』死を迎える。

新聞にはすでに「ストライキにより患者死亡」という文字が並んでいる。


お金があれば助かる命と、お金がないから助からない命。

世界の縮図のように明暗分かれる、クリスマス前のここケニア。





2011年11月8日火曜日

交通事故には遭ってませんが。

「交通事故」と題して一瞬でも余計な心配をかけてもと思い、こんな題名。
私は変らず元気です。

さて最近は何かと若者たちと活動することが多く、
特にこの週末は土曜日に起きたという交通事故の話題で持ちきりだった。

土曜日の夜8時頃、ナイロビ-ナクルをつなぐ主要道路上であるナイバシャのジャンクションで
大型タンクローリー車と3台のマタツが衝突した。
マタツはぐちゃぐちゃになり、20名の人が一瞬にして命を失う大惨事。
事故現場には身体が切断された人、地面に打ちつけられて圧縮された人など、
原形を全く留めない被害者たちが散らばる非常に惨い現場であったと。
話を聞いているだけで、顔をゆがめるような内容だった。

「交通警官が賄賂目的だから、一向に状況がよくならない。」
「自動車の急激な増加に道路の整備環境、規律が追いついてない。」
「犠牲者はますます増える一方だ。」
その日、平和を願うキャンペーンに参加する若者たちは口々にそう述べあっていた。

保健で教えていた『交通安全の予防』という単元を思い出さずにはいられない。
道路環境要因、人的要因、車両要因の3つの要因がかかわることで事故が発生する。
昭和30年代、日本でも1年間で日清戦争の死者(約17,000人)を上回る交通戦争といわれる時代があった。
その後ガードレールが出来たり、シートベルト違反や飲酒運転の取り締りが強化されたり、
緊急医療が高度化することで、交通事故死者数が1万人を下回ったことが成果であった10年前から
教科書が改訂されるたびにその死者数は減少していき、今では5,000人を下回っている。
もちろん1,000人でも、500人でもなく、交通事故死をゼロすることが目標である。


相変らず多くの隊員がふらりと遊びに来てくれることの多いここナイバシャ。

昨夜一緒に食事をした隊員ともこの話の延長で、
「よく日常の中で交通事故で友人が亡くなったと話しているケニア人に遭遇するよね。」という話題が出た。
不安を煽るわけではないけれど、ケニアに一度でも足を踏み入れた人ならお分かりだろうが、
「これで事故に遭わないほうが不思議だわ」という日常。

今日はそのエイズ対策隊員と消防隊員がうちの病院を見学に来てくれたため
病院内の様々な場所を案内した。

その中で目にしてしまったものは、一昨夜の事故の犠牲者たちの遺体だった。
今日、遺体安置所でかいだ腐敗臭がまだ鼻に残っているような気さえする。
中に入るまで気付かなかったが、ナイバシャで起きた事故なのでここに運ばれてきていて当然である。

人と認識してしまえば見ることは出来なかった。
「ここはひとつ、物体として捉えましょう」と脳が指示を出している。
そして無理に見る必要は全く無いので、すぐに出た。

表情が残っているものもあれば、即死だったんだろうと思えるものもあった。
人数が多いこともあり煩雑に放置されていて、
いくつかのバラバラになった身体が無造作に積まれていた。

人間の肉体はなんてもろいものなんだろう。
だからちゃんと守らなければならない。

その後、日本で消防士として働いていた隊員から日本との色んな違いを教えてもらう。
遺体処理の仕方、死体整復師なるものの存在など細部がどうこうというより、根本的に違う。
いくつもの事故現場を見てきた彼でさえ、
あそこまで変形した数多くの遺体を目にしたことは初めてだったようだ。
血の量からしてすぐに安置所に運ばれてきた遺体だろうという彼の見解だった。

「安置というより、放置やったなぁ。」
「日本の医療だったら、救えた命もあったんやろなぁ。」という彼の言葉が胸に響く。

もちろん医療現場を知らない私ともう一人の隊員は、ず~~っと、どんよりしていた。
一瞬の出来事が脳に焼き付いていて、気を取り直そうにも直せない。
もうあそこには近づかない。

3要因のどれもが低水準で引き起こされる事故。
途上国で起こる事故現場は、多分どこも同じようなものなのだろう。


協力隊のみなさんも、そして日本のみなさんも、自分に出来る最大限の予防を続けましょう。
自分の身にも、誰の身にも起きて欲しくないことのひとつです。



2011年8月22日月曜日

ケニアのイメージと日本人らしさと。

今回、日本から2グループがケニアにきてくれたことを振り返って、
新鮮に映ったことをいくつかまとめ書きしておきたい。

①マラリア対策

アフリカ旅行の情報には必ず記されている感染症の注意喚起。
日本で確認されていないものも多々あるということで、
日本の検疫対策としても渡航者としては必ず知っておかなければならない情報のひとつである。

その中のひとつが、マラリア。

しかし、マラリアの生息地は、ケニアの全土ではない。

ケニアのビクトリア湖のあるニャンザ地域とコースト地域は標高が低いため
年中気温の高いマラリア生息地域とされているが、
観光地として人気の高いマサイマラ・ナクル・ナイバシャ・ナイロビなどは
赤道直下といえど、いずれも標高が高く年中涼しい地域なのでマラリアの媒介であるハマダラ蚊は生息していない。


日本の友人たちの泊まるナイロビのホテルの一室に訪問したときのこと。
そこに一歩足を踏み入れると、鼻を刺激する懐かしいぃ~匂いがした~♪

その原因は・・・・・

蚊とり線香2巻き。
電気蚊とり線香2つ。
腕にも携帯式蚊取り線香。

が、同時にフル稼働。

名付けて「蚊、秒殺部屋」

どれも、日本製だけあって、おそらくその殺虫能力は世界一だろう。

私が蚊だったら、間違ってもこの部屋に迷い込みたくない。

彼女たちの旅の行程にはマラリアが流行っている地域はひとつも含まれてはいなかった。


②水

同級生のスーツケースから、『南アルプスの天然水』1.5リットルが2本でてきた。

合計3Kg。

日本人にも安全に飲めるミネラルウォーターはケニアでいたるところに売っていることを、

ちゃんと事前に伝えておくべきだった。


③オンタイム

7時出発ということは、8時半出発でも9時出発でもなく、

寸分の狂いなく「7時出発」であるということ。

日本らしさを痛感した瞬間だった。


④ウェットティッシュ

主食のウガリやチャパティなど、手で直接食べることの多いケニア。
トイレの水はなくても、手を洗う水はしっかり確保されている店が多く、
各テーブルで手洗い用の水を持ってきてくれるサービスもあり、
ケニア人が石鹸を使って念入りに手を洗う光景はよくみかける。

学校でも給食の配膳を待つ生徒の長い行列は、まず食事ももらう前に手洗い場へと続いている。
日常生活の衛生環境が良好とはいえない分、日本よりも「手洗い」に対する意識は強いと感じる。

今回の旅の中で、友人たちとの食事前、必ず登場したウェットティッシュ。
どれにも「抗菌」「殺菌」「トイレに流せる」などの文字が印字されている日本の製品。

何か、「無敵」な気がした。


誰のカバンにも常備されていて、どれほどのストックがあるのかわからないが
いつも惜しみなく使用させてもらった。
水で手洗いすることも悪くないのだが、いちいち席を立たなくて済むウェットティッシュ。
これは非常に便利な代物だった。

さて、ケニア生活でないものを数えだしたらきりがない。
しかし、なかったら、ないなりの生活をすることはここにいて自然なことである。


日本にもそんな時代があったのだろうな、と思う。
ないなりの生活もしっかり営まれていただろう日本。

その中で現状に甘んじない人たちの便利化、
効率化への探究心と情熱と行動力があり、
少しずつ成長しながら、今に至っている日本。

ケニアにいてよく思うのは、ケニアの人々の生活スタイルは

良くいえば、『ありのままの現状を受け入れている生活』

悪くいえば、『ありのままの現状をあきらめている生活』

どっちなんだろう? と。

コンクリートで完璧に整備された日本の道路環境では決してはかることはできないが
アフリカの荒れ狂ったサバンナの道路でMADE in JAPANの車の真の実力を思い知る。

サファリカーでなく(そのサファリカーでさえも日本車だけど)、
普通車であっても日本製というだけでサバンナの道路を難なく走り続ける。

常に最低最悪を想定したものつくりの完成形をアフリカでみることも多い。

日本製はそれだけでブランドである。

顧客満足を第一に考えて進化し続けてきた日本製品の素晴らしさに改めてというより、

初めて気付かされることも多い。


『ありのままの現状に甘んじない姿勢』

やっぱり日本はすごいんだ。



そのクオリティの追求がケニア全体の需要としてあがってくるのは、

まだまだ先のことだろうけど・・・。




2011年7月26日火曜日

逆カルチャーショック。

先日参加したスポーツイベントで、ちょうど半年前に帰国した先輩隊員と再会した。

日本に帰って半年。
「逆カルチャーショック」なるものがあったかと聞いてみた。



帰国後、ケニアで見たことのない光を発していたもの。
それはコンビニ。
真夜中に営業しているコンビニが眩しすぎて目が開けられなかったとのことだった。
そして、日本人女性の白い肌。
透き通って見えたとのこと。


そして、食パンについて。
ケニア人のチャイの時間によく登場する食パン。

どの食パンも全体的にパサパサして甘くない。
しかし、その中で格段においしいSUPAの食パン。
SUPAの食パンなら日本の食パンと比べて遜色ないとの認識で、
ケニア隊員みんなが好んで購入するSUPAの食パン。

しかし先輩の話によると、帰国後その認識が全く間違いだと気付いたとのこと。
日本で食パンを食べた時、「うん、食パンってこういうことだったよね。」と、驚愕したのだとか。

なんと、あのSUPAクオリティと全く違うらしい。
しっとりとやわらかく、あまい日本の食パン。
そのクオリティの高さは如何に?

・・・いまや、想像がつかない。

そして、いちいち『日本の食パンおいしい!うますぎる!』などの日常の中でのちょっとした感動を
周囲の誰とも分かち合えない辛さが加わるとのこと。

赴任当時から「ケニアって意外にも発展してるなぁ」「日本と変わらんなぁ」という印象で
色んなものに慣らされながら1年経過したが、
このマヒしきった感覚で日本に帰った時、一体どんなことに戸惑うのだろう。

そういや、ここ最近のホンダシの美味さは身に染みて格別である。

いっこうに減ることのない日本製の日焼け止めとすっかり小麦色に染まった肌。
わざわざナイロビの女性たちの洗練された姿と比較せずとも、
明らかに小汚いヘビーローテーションの私服に身を包む毎日。

日本の味を懐かしみつつ、鏡を見るたびにケニアでの月日が確実に流れていることを実感する。

2011年6月24日金曜日

個性。

ナイロビに同期隊員があつめられ中間報告会が行われた。

JICA事務所所長をはじめボランティア調整員さんたちも見に来てくださり、
色んなアドバイスや質問をいただいた貴重な時間となった。




『非常に幅広い活動をしておられますね。』

ほとんどの同期隊員が言われていたコメントの前置きである。


サッカーしたり、日本語教室したり、歌ったり、体操したり、掲示物を作ったり、ケーキ売ったり、
ダンスイベント開いたり、妊産婦に的を絞ったり、たっぷり子供と触れ合ったり・・・・

みんなが様々なバックグラウンドを持ちながら自分の職種の中で、自分なりのアプローチ方法を考え出していて、
どの隊員の個性も色濃く出ていて興味深かった。

今回の中間報告会を振り返り、以前好きでよく見ていたNHKの『爆問学問 日本の教養』という番組の、「個性って何だ?」という回を思い出した。 結局その番組の中では答えが出なかったのだが、爆笑問題と京都大生のやりとりをみながら私なりにも「個性ってなんだ?」と考えた。

「個性は誰にも必ずある、しかし時にないとみなされることもある。

 個性が強いとか弱いとか、あるとかないとか。
 差があるとしたらそれは単に発信力の差ではないだろうか。

 自分の内に秘めたもの(個性)を外部に発信するパワーがあるか、否か。
 自分を表現する術を持っているか、否か。

 そうすると結局個性とは他者に理解されてこそ存在が認められるものになってくる。
 言葉でも文章でも歌でもダンスでも写真でも料理でも・・・。

 世の中にはきっと眠ったままの、どこにも発信されないままの個性がきっと山ほどある。

 学校という枠で見た時、それらを全て引き出し表現させることは到底難しいことで
 目の前にいる生徒の個性や才能を学校の中だけで判断してしまうことの怖さ、
 生徒自身にもそう認識させることの怖さを忘れちゃいけない。

 色んな個性を受け入れるこちらの姿勢も必要になってくるし、
 そうなると発信力や表現力を鍛えるための教育のあり方って・・・・」


と、まぁあれこれ考えていたことを思い出した。



そういった意味で、同期隊員の活動からは大きな発信力と表現力を感じた。

インプットとアウトプットのうまさ。

国内訓練中に感動するほど同期隊員のすごさを実感したが、
派遣されて自分を出していかねばならない生活環境によって、
さらに発信力も表現力も磨かれている感じがした。

ますます個性が強くなっていた。


それが日本社会(日本人男性?)に受け入れてもらえるかどうかは別として。苦笑

いい機会だった。

2011年6月1日水曜日

Sitting Allowance。

本日の午前は、久々にTシャツ屋のおっちゃんの店にいった。

Tシャツ市場から買い占めたらしいネイビーブルーの変わりに、ターコイズブルーとスカイブルーが新登場!
でまさかの3色展開となったチャリティTシャツ。

あらあら?若干イメージとずれるんじゃないの?と思いながらも、
「これでいいのだ。これしかないのだ。ブルーが付いてたらOKとしましょうよ。」
といい聞かせながら、計約500枚のTシャツを2人で数えながら、色んな話をした。

おっちゃんの店は最近ますます忙しくなってきたらしい。

2012年8月にある大統領選挙に向けて、2,000枚を超える選挙活動用のTシャツの注文が昨日入ったとのことで、前面に大きく候補者の顔写真が入ったTシャツを今回も大量生産するらしい。

前回の2007年末の大統領選挙では、開票時に不正の疑惑があり、ケニア全土に暴動が広がった。
それは部族間同士の虐殺のような形でもあり1,000人以上の人々が殺された大きな出来事。

ナイバシャも暴動の大きかった地域であり、街の中心を通るストリートは焼かれた建物や車の廃材と狂気でナタを振り回している人々と死体で埋め尽くされて、家から一歩も出ることは出来ず、おっちゃんの幼馴染もそこで殺されたと話してくれた。

そして、ケニア全土として2度とこのような過ちを犯してはいけないということも。

本当にそうであって欲しいと心から願っている。

しかし日常の中で、ケニア人が自分以外の部族をよく思わない発言をしたり、多くの部族を持たない日本をうらやましがられる場面が多いのも事実。



その後、ユースグループとの活動に向かいHIV予防教育巡回のためのトレーニングの話をした。

最近、頼みの綱だったバイロンがユースグループの活動でめっきり姿を見せなくなった。
外部の活動では一緒になることもあるのだが、タレント活動が忙しいようだ。
ややビックマウスのところはあるが、彼が作り出す雰囲気が色んな活動を後押しする。
彼の存在は非常に大きい。


さて、トレーニングに必要な経費をそろそろまとめようかと改めて聞いてみたところ、

前回の参加者へのお茶&昼食代に加えて、

今回「Sitting Allowance」なるものが登場した。

和訳すると、

トレーニングの講義中
ずっとイスに座っていなければならないことへの日当。





はい、帰ってよ~し!!解散!!

と言いたかったのだけども、

その場にいた11名全員が
「それは要求すべきでしょうよ。」と言った。


ケニア文化っていうか、「文化」で片付けていいのだろうか。





神様ぁ~~~~~~~!(桑原和男風に)
神様、トレーニングを無事に終えたところで、
果たして、
果たしてこの子たちがボランティアで学校を巡回するでしょうか。
Sitting allowancee なるものを真顔で要求するこの子たちが・・・あぁ
私にはとても想像できないのです。

他をあたったほうがいいのでしょうか、神様~。

ども、ご静聴ありがとうございました。

1年経ったというのにこのザマ・・・。
マインドセットチェンジ・・・。

明日は祝日で休みとのこと、ゆっくり寝よう。

2011年5月5日木曜日

夢探し、自分探し。

元生徒が孤児院の子供たちと交流した4泊5日。

子供たちはとても不思議がったそうだ。

「この日本の少年は、なぜケニアに来たのか?」

「夢を探しているんだよ。」

「日本人は夢を探しに、わざわざ外国に行くの?」



これは嫌味ではない。

ケニアの子供達と話してみると

「夢がないことを悩む」

この感覚が、どうも理解出来ないことらしい。


夢があってもなくても、生きるために自分に出来る目の前のことをするのが人生。

貧しい生活の中で、選択肢などない。


ふと、この間行われたフェスティバルでの出来事を思い出した。

その中に、ケニアの子供たちの夢を絵に描いてもらおうというブースがあった。

そこではこちら側の趣旨とは違って

子供たちがみんな揃って「将来住みたい家」か「将来乗りたい車」を描きだした。




日本では当たり前に出てくる

「夢さがし」

「自分さがし」



今まで出会った全てがその材料になる。

材料が足りなければ補充して?


しかし、どれだけ追い求めても自分の外側に答えはみつからない。

「夢」も「自分」も

最終的に答えは自分の内側にあるのだから。

2011年3月22日火曜日

愛国心。

先週受けた英語の授業を担当してくれたケニア人のジャスタスは、世界のことも、ケニアのことも日本のこともよく知っている。JICAのボランティアも長年教えているので、日本人のことも、とてもよく知る先生である。

そのジャスタスが授業の中で、「子供は4人産むのがベストだ。」と、私に言ってきた。

4人以上の子供をもつ家庭が少なくないケニア。その中で、何で特別に「4人」なのか?

理由を聞くと、

「ケニアの年齢別人口分布はきれいなピラミッド型をしているが(年齢が上がるにつれて少なくなる)
 
日本の場合は、つぼ型からコマ型に変わってきている。これは危機的状況だ。

だから日本人であるミハルは日本の未来のために最低4人は産まないと、国が滅びるじゃないか。


たとえ、自分の意志に反していても
日本のために子供を最低4人産むことが当然だ。」とのこと。

「責任も持てないのに“国のために4人産め”なんて無理でしょうよ。
 そして、国のためっていわれても・・・・。
 子供どころか、結婚もしていない人もわんさかいるのに。」と答えると

「今の日本は結婚したくないなんていってられない状況だろう。
 日本のために結婚するんだよ。
 それが愛国心だよ。」との結論。

十分に異国にいるので、異国を感じるのは当然だが、

これは以前「宗教。」について受けた衝撃と同じくらい、ケニア人のいう「愛国心」について衝撃を受けた。

先生が話した内容自体にも驚いたが、何よりそれらの言葉と態度に、一切迷いがなかったことに「強さ」というより「危なさ」を感じた。

ジャスタスにとっては、むしろ今まで出会ってきた日本人のほうが理解できないらしい。

日本人に「日本を愛していますか?」と聞くと、

大抵の日本人は「はい、好きです。外国に住んでから一層、好きになりました。」と答えるので、

「では、日本政府があなたに銃を渡して“他国を倒せ”といってきたら、あなたは日本のために戦えるのですね。」

と聞くと必ず「それは出来ない。」と返ってくる。

そこでいつも、彼らの愛国心とは一体なんなんだろうか。

愛しているなんて嘘じゃないか。と疑問に思うらしいのだ。

彼は小さい頃から学校で国への忠誠を固く約束する授業を毎週一回受けてきて、そこでは何度もその内容を全員で復唱してきた。

「ケニア国は他の何よりも上回る。

 家族より、恋人より、個人より、何より優先すべきはケニア国である」と。

私「それは、本心か?」

ジ「ケニア人でも、特に男性は9割が本心からそう思っているでしょう。」

 私「では、こういう時はどうする?

  ケニア国が戦わなければならない相手が、あなたの友人がたくさんいる“日本”だったら。

  例えば私が目の前にいたとき、あなたは殺せますか?」


私としては究極の質問として彼に問いかけたのだが、彼は実にあっけなく答えた。


ジ「それは、殺すだろう。個人の意志より、国に従うまでだから。」

私「あ、そうですか。」


「ガーン・・・。」とはならなかったが、

ショックを受けるとすればこうした教育が奪ってきたものの大きさにだろうか。

戦争となれば、悠長なことは言ってられないのかもしれない。

しかし、私だったらその相手が知人でなくとも考えるだろう。

ここにいる私と同じように、相手にも大事な家族や友人や恋人がいて、今まで育ってきた大切な故郷があり、守るべき祖国の文化や言語や慣習があるってことを。

もし私が物心がついてから毎週のように、ケニアへの忠誠を誓う授業と、神への忠誠を誓いに教会に行くことをそれぞれ1回ずつ集団で続けていたら、私の思想は今頃どうなっていただろうか。


そんな中で、個々の感性が育つ場所は残されているのだろうか。


日本でも数年前、教育基本法改正のときに話題になった「愛国心」。

愛することに定義などなく、その程度も人それぞれ。

服従させたり、義務づけたりするものでは決してなく、


国民全員が一定であることのほうが不自然である。




現在、日本から発信されている数多くの大震災のニュース。

それに対して寄せられる、懸命に復興活動に従事する人々の様子や、国内外からの支援の申し入れや、被災地を勇気づけるメッセージの数々。


確かにそこには日本への「愛国心」があふれているように私には映っている。




*あくまでも、ここに登場するものは全て個人の意見です。

2011年3月17日木曜日

日本人魂。

今週は語学研修のためナイロビに1週間滞在している。

スワヒリ語と英語のどちらにするか自分で選択できる。


ケニア人は英語を話せるが、ケニア人同士の日常会話では全く使わない。

スワヒリ語に比べると、聞く機会のほとんどない英語。

しかし、学校へのHIV教育や上部機関の人々と対等に話すにはもっと詳細を表現できる英語が必要。

CPにしっかり思いを伝えるには英語が必要。

ただ仕事量を消化する活動ではなく、現地の人々の価値観を揺るがすものを残したい。

少しでも大きい影響力を持っている人と色んな目的を分かち合いたい。

そんな欲求が高まっている私が帰国まで1年間を残し選択した言語は、英語。



以前、スワヒリ語研修でお世話になった語学学校で、新しい先生に英語を習っている。

8時半から15時まで、とにかく自由に色んなトピックについて討論し続ける。

日本の政治から世界の動きまでとても詳しく知っている、物知りのジャスタス先生。

日本で起こった地震のこと、ケニアの教育制度、価値観、愛国心、恋愛事情、性欲解消術、HIV教育、それらの文化との関わりなど。

話せば話すほど、両国に浮かんでくる問題点に共通点が見つかる。

先進国も途上国も関係なく、どの国でも人間同士の繋がりに問題を抱える時代に突入したようだ。

何より話している内容に興味があることばかりで毎回白熱して討論している。

ブログに書き切れないことや書けないことがいっぱいある。

これが、ま~、かなり楽しい。


その中で、ジャスタス先生が私に質問した。

「あなたの2年間の活動の中で、ケニア人の価値観の何%を変えられると思っているか?」

私にとって、厳しい質問だった。

価値観なんて、そうそう変わらないと思っている。

というか、思ってしまっているのかもしれない。

と思い、ハッとした。


「今回の地震について、日本人のあなたがケニアに伝えるべきことは、

被災した人数の多さでも地震の津波の恐ろしさでもない。

それよりもっと大事なことは、この機会に日本の魂を伝えること。

この混沌とした状況の中でさえ、食べ物や水の略奪が起こらないこと。

被災地の住民同士の争いが起こらないこと。

それは、ケニアにいる私には信じられない状況なんだ。

なぜ、盗まないんだ?なぜ、強奪しないんだ?しかも、誰も。

これはケニア人なら、誰もがありえないと感じる出来事だ。

しかし、あなたの国「日本」は十数年前に起きた神戸の時もそうだったように、

人々は誰に言われるでもなく自らの意志で、色んな我慢の中で、

周囲の人々のことと次に起こることを予期して冷静に行動している。

こんな素晴らしい国民はいない。

是非、ケニア人たちに伝えて欲しい。

あなたが日本人として持っている価値観は、必ず彼らの価値観を変える手助けになる。」

普段、当たり前だと思っていることが、当たり前でないということがここにいると確かによくある。



先日行った生徒対象のワークショップで、

60年前に戦争で負けてから、戦後いかにして日本がここまで急速に発展したか?

それまでにどんな絶望があり、どんな決心があり、どんな努力があったか?

それらを支える精神力と人々の結束はいかなるものだったか?

自分が生まれるずっと前の日本の姿を、写真や言葉で聞いた話として伝えてきた。



これから先は、ケニア人だけでなく世界中が知っているこの東北地方太平洋沖地震から色んなことを伝えることが出来る。

私たちにとって当たり前の価値観を、今の私の実感として彼らに伝えることが出来る。

自分がそうであるように、人は全く異なるモノや想像できない出来事に出会ったとき、大きなショックや感動と共に一瞬にして価値観を覆されることがある。


「なぜ私たちが先進国と呼ばれる国にいて、あなたたちの国は途上国と呼ばれるままなのか。」

という問いかけを、行動を通して問い続けたい。

この先は、ケニア文化に溶け込むことよりも、その中に異彩を放ちながらでも、強烈なスタイルを見せ付けてやろうと、また心の中で誓った。


その時はもちろん、洗練された英語と共に・・・・。

2011年2月22日火曜日

夢。

「Mindset Change」のパワフルワークショップを終えて1週間がたった。

何よりも感化されたのは、他でもない自分自身。

超単純な私の頭は、それからの1週間若干の微熱を伴いながら、

さらにヒートアップし続け、やりたいことで溢れかえっている。

まだ、整理しきれない。

普段、音楽を聴く習慣があまりなく、毎週末の長距離移動はもっぱらマタツ内に流れるラジオのみで満足していたが、今回のキシイ行きは初めて大事なipodを連れて行った。

いつも本当にお世話になっていた教員仲間が日本を立つとき餞別に贈ってくれた大事なipod。

じっとケニアの大地を眺めながら聴いていると、大好きな曲がふと流れた。

この曲でさえ、今の私を後押ししてくれていると感じる。

マタツ内で過ごす居心地のいい日曜の午後だった。


そういえば教え子たちの高校の卒業式も、もうすぐ。

新しい出発を控えた彼らの前には、どんな夢が広がっているだろうか。



「夢」          THE BLUE HEARTS

あれも欲しい これも欲しい
もっと欲しい もっともっと欲しい

俺には夢がある 両手じゃ抱えきれない
俺には夢がある ドキドキするような
家から遠く離れても なんとかやっていける
暗い夜に一人でも 夢見心地でいるよ

建前でも本音でも 本気でも嘘っぱちでも
限られた時間の中で 借り物の時間の中で
本物の夢を見るんだ
本物の夢を見るんだ

あれもしたい これもしたい
もっとしたい もっともっとしたい

俺には夢がある 毎晩 育ててる
俺には夢がある 時々 ビビってる
なんだかんだ言われたって いい気になってるんだ
夢がかなうその日まで 夢見心地でいるよ


あれも欲しい これも欲しい
もっと欲しい もっともっと欲しい


あれもしたい これもしたい
もっとしたい もっともっとしたい

2011年2月14日月曜日

Allowance。

今回企画したワークショップは、現在ケニアに19名いるエイズ対策隊員が一同に集まり
2人の特別講師をお招きして2日間かけて行った。


今から振り返っても、日本人だけなら相当楽に進んだであろうこのワークショップ。


しかし今回の大きな目玉は、
各隊員が自分の所属先からケニア人の同僚を1名選んで一緒に参加すること。


というわけで、日本では考えられないことが前日から続出の結果となった。

各隊員が連れてくるケニア人1名の選定基準というのは、
最終的に普段の活動で状況を把握している各隊員の独断である。


各隊員の目から見て、
・最も職場全体への影響力があり、波及効果が期待できる人。
・自分の今後の活動にプラスになる人。


そして、ワークショップのメインテーマが「Mindset Change」というだけあって、
・絶対に考えの変わらなさそうな人。
・どうしようもなく不真面目な人。
という基準も含まれていた。
というわけで、日本人とケニア人がペアになり合計40名程が参加した。

私が選んだパートナーは、HIVケアセンターの所長Ms.エディス(ナース・40代後半・女)。
どの項目とはいわないが、上記の選定基準に数多く重なる存在である。

今回、このエディスと私の間で起こった事柄をざっとリストにして振り返ってみたい。

・予定していた前日の夕方にエディスのホテルチェックインがされておらず連絡し続けるも音信不通。
・その3時間後に、「今日はホテルに行くことが不可能になりました。」と衝撃のSMSが届く。
・ようやく電話が繋がり午後10時にホテル前泊をドタキャン。
・当初から予定されていたかのごとくルートから完全に外れた遠回りになる娘の家に軽く一泊。
・当日の朝は、もちろん遅刻。
・交通費の請求時に娘の家に寄った分のレシートを平気で混ぜる。
・「チャイ(お茶)は、まだでないのか?」と、
 休憩時間に水だけしか供給されなかったことに深い疑問を抱き、怒りをあらわにする。
・早朝から移動したため非常に眠く、午後のセミナーが受けられないかもしれないと相談してくる。
・ホテルをキャンセルしたため食べられなかった朝食分を、夕飯分として食べたいとぬかす。
・Allowance(日当、手当)の額といつ支払いがされるのかをやたら知りたがり、ことあるごとに聞いてくる。
・Allowanceが一日目に出ないと知ると、「今晩何も食べることが出来ないから、お金をちょうだい」とほざく。
・思っていた以上にAllowanceの額が高かったのか、大喜びで超速攻帰る。

皆様、それでも私の顔は笑っていたのですよ。

ま、心ん中では日頃テコンドー部で練習に励んでいる、
回転後ろ跳び蹴りを
何度も脳天にくらわしてやろうかと思いましたがね、ええ。

そして、これは何も私のパートナーに限ったことではない。

程度の差はあれど、そこらじゅうで耳を疑うような発言や目を疑うような行動が蔓延していた2日間。
中間層と呼ばれる程の収入があり、かつ立派な大人であるはずのケニア人の貪欲さを、
存分に魅せつけられた2日間となった。

その貪欲さを、なぜ仕事に活かせぬか・・・。

パートナーが立ち去った後の、各隊員の安堵感といったらない。
どの隊員もまるで、
酔ったら何をしでかすかわからない親戚
を引き連れているような雰囲気で
終始、色んな担当者に謝りながら、気を遣いながらの2日間となった。

「わかる、わかる、その気持ち」
と、心の中で何度もつぶやいた。

どの隊員も顔にはホトケと呼ぶにふさわしい微笑を浮かべていた。
しかし、決して目は笑っていない。

これぞ、途上国の現場で培われた許容力。


ここで、私たちが理解に苦しむことのひとつにAllowanceがある。

ケニアでは資格向上のためのセミナーや今回のようなワークショップでは
食事もお茶も交通費も宿泊費も付いてくるのは当然のこととして、
そこに必ずAllowance(日当、手当)が手渡される。
仕事としてセミナーや出張ばかりいっている私のカウンターパートは、
その度にこのAllowanceを給料とは別にもらっている。

日本のように、参加者が自らのスキルアップのために
参加費や受講料を払って参加することはここでは考えられない。

主要機関で開催されるワークショップに参加するケニア人の多くは、
セミナーの内容そのものではなくこのAllowanceが目的である。
そのために参加の目的であるAllowanceをもらった瞬間に会場を去る参加者も多い。

ある国際機関がひとつの賭けとして、本当にやる気のある人材を集めるために
「Allowanceのないセミナー」をアフリカで開催したところ、
結局参加者は誰ひとり来なかったという前例も聞いたことがある。

今回このワークショップに運営委員として関わる中で、
予算を組む際、このAllowanceの有無が論点になった。
当初は「支払わない」方向だったのだが、各隊員の現場での経験を交えた結果、
最終的に「支払う」ことになった。

当初の「支払わない」ままであったら、どんな修羅場がラストシーンに加えられていたか・・・、
考えただけで恐ろしくなるほど、
ケニア人のモチベーションに直結するAllowanceについて重々知らされたワークショップだった。