ケニアで実施していた学校巡回を、帰国後も断り切れずに細々と続けている。
本業の合間をぬってのライフワークが、10年以上経過すると結構な回数になった。
性教育、人権教育、多文化共生、国際理解教育、キャリア教育、SDGs、・・・
テーマによって講演の導入部分を変えてはいるが、本質的な部分はどれも変わらない。
『人間関係』の話。
いつも生徒たちの様々な反応を楽しみに、その感想文に多くの気づきをもらって、
そのすべてが次の講演へのモチベーションになる。
また全国にいる先生や外部講師の仲間たちのそれぞれの実践に刺激も受け、
また全国にいる先生や外部講師の仲間たちのそれぞれの実践に刺激も受け、
ああでもない、こうでもないと、毎回の試行錯誤。
生徒たちよりも先に生まれた者として、
生徒たちよりも先に生まれた者として、
知っておいた方がいい知識もそれを伝えられる機会もあるのだから、
何としてもそこだけは伝える。
出来るだけ大人数で、ワイワイガヤガヤと、
多種多様な反応が感じられる安心安全な環境で実施することにもこだわりがある。
肌の色が違う、使う言語が違う、国籍が違うと、
「仕方ないか」と受容できるお互いの「分かり合えなさ」が、
肌の色が同じ、使う言語が同じ、国籍が同じもの同士だと、
「なんでわかってくれないの?!」と受容することが困難になる。
何もアフリカのケニアまで行かなくても、すぐ隣りに異文化はあるから。
それぞれがもつ当たり前の価値観や集合知が放出される機会にしたい。
お互いの違いをまずは知った上で、異を受け入れることの難しさを体感する機会にしたい。
人間は生まれてから死ぬまで「孤独」であるからこそ、
私たち人間にはお互いを思いやり、譲歩し合える力が備わっているのだから、
人間として生きる醍醐味を感じる。それには 他者の存在 が絶対的に必要。
そう書くと、すごく前のめりな印象を持たれがちだけど、
大前提として、他人のセックスなんてどうでもいいと思っている。
" 性 "なんて、教育できるものでも、教育されるものでもない。
そして、他人にコントロールできるものでも、されるものでもない。
それだけ"性"も"生"も、
それぞれが自分と向き合い、ときにパートナーと向き合い、
自分が選び取るしかないことだと感じているから。
そんなスタンスだからか、老若男女、様々な相談もよく舞い込んでくる。
"自分の性" に対して、どれもがみんな真剣だ。
HIVに感染して当事者になればすぐに理解できる基本知識を
感染する前にいかに【じぶんごと】として考えさせるかが講演会の醍醐味。
HIVというツールは、すごい教材だとしみじみ。
HIVは感染力がとても弱いウイルスのくせに『人間関係』のもろさを上手く見つけて、
今日もじわじわと拡大を続けている。
せめて コンドーム "くらい" は、その大前提として知っておいてほしいのだ。
#習うより触って慣れようコンドーム
大勢の同年代がいる学校空間で同性ペアでの「びわこんどーむ指装着ワーク」。
コンドームに触れ、他者に触れることで、初めて気づく自分の固定観念。
騒がしい雰囲気の中にある、微妙な空気とぎこちなさ。
本番って、いつくるのかな?
セックスしたいほどの性的欲望って?
そこに立ち現れる違和感と自分の輪郭。
自己決定できない時/自己選択ができない時ってどんなとき?
あなたの身や心に、何が生じている時か、みんなで想像してみよう。
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