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ラベル 布ナプキンの活動 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
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2012年3月15日木曜日

空回りマスターの躍進。

ジョンの母校に授業に行った際のこと。

あまりにもジョンが暇そうにしていたため女子生徒60名への布ナプキンの紹介を任せることにした。 

前日に他の学校で私が10分ほどで紹介する様子を見ていたのに、ガッチガチに緊張するジョン。 

「15分で十分かな。」といっていたのに、実際は55分間もかかってしまった。 

序盤に「みなさ~ん、何年生から生理になりましたか?」のまさかの全体質問で、
完全に女子生徒をドン引かせるところからのスタート・・・。 

沈黙が耐えられない彼は、終始しゃべりまくり。
絶対に必要じゃないと思われる女子生徒に扮した「生理にまつわるショートコント」もふんだんに盛り込み、
さらに静かで暗い所にズンズンめり込んでいったジョン。

私はそんな彼を笑顔(半笑い)でただ見守った。 

話が長すぎて、どこが重要なのかわからなくなる「布ナプキン」の紹介。
こればっかりは言語が達者でないほうが言葉がシンプルになり、
端的にストレートに伝わるなぁ、と思った。
これが彼が空回りマスターと呼ばれた由縁の出来事。 

しかし、ジョンのすごかったところは終了後に私にコメントを求めてきたところ。

 「全部で何分間かかった?
 自分が何を話していたか、途中でわからなくなってまとまらなくなったんだ。
 MIHARUから見て、どうだった?」 と、聞かれたので、

「人に伝えるために一番大事なジョンの熱意は十分伝わった。 話した文章を80%削ればエキスパートになれるかもしれないよ。」と、伝えた。 

それから早1カ月程がたとうとしているが、 その後のジョンの布ナプキン普及活動への積極的な姿勢はブログの通り。 

先週の水曜と今週の月曜には、女性グループやリーダーを集めて講習会を開いたとメールがあった。

「これから布ナプキン講習会を開くよ。 MIHARUが一緒にワークショップをやったおばちゃんたちも先生役で3人来てくれるんだ。」

「無事に終わりました。素晴らしいきっかけをありがとう。」 

提供する側には多少の経費もかさんでくるこの活動だけに、自分たちでやりぬく術を見つけながら、 ジョンにはこれからもっと世界を広げていってほしいと願ってやまない。

お断りされた布ナプキン。



どの学校や地域やサポートグループでも、大歓迎を受けた「布ナプキン」。

昨年には2つのプライマリースクール(小学校)では、

紹介だけでなく実際に布ナプキンの製作指導も行った。

対象は約30名の女子生徒。


学校には針もない、糸もない、ハサミもない、材料もない、・・・ということで、布はこちらで全て裁断して持参する。

1人で15分あれば出来る事前準備を怠ると当日は所要時間が5倍程に膨れ上がり、

これをエイズ講座とあわせて実施すると、少なくても計4時間はかかってしまうということで、さすがに心が折れてこの講座は2回で終了した。

その後に続く巡回授業では、布ナプキンについては紹介だけになった。

経費も掛からずかわいくて、どこの学校でも大人気の「布ナプキン普及活動」だったのだが、

実はこれまでに唯一きっぱりとお断りされた施設があった。



「マダム、うちには支援が十分行き届いていて、

 アメリカからの支援による使い捨てナプキンもいっぱいあります。

 それよりも私たちに宿泊施設を建設してください。」



実はこれ、以前紹介したエイズ孤児院の所長さんの言葉である。

ここを運営している所長も、

ここに支援しているアメリカの団体も、

ここに布ナプキンを紹介しようとした私も、

多分誰も悪くない。

支援の在り方について、これには色々考えさせられた。

2012年3月4日日曜日

通ってきた道。

この週末で荷造りのほとんどを終えるつもりでいた1日目の今日。
朝早くに起きたにも関わらず、絶対に今しなくてもいいギターを弾き始めてしまった。

そして、ネットも電話もできない状態だったのでカードの購入のために町に出かけることに。
休日に何もないのに家から出ることは稀である。

せっかく行くついでなので、ジョンがタウンにいるならば
去る前に今までの活動のデータと残っていた全てのマテリアルを渡したいと思い
SMSで居場所を聞いてみた。

すぐに電話がかかってくる。
どうやらジョンは本日タウンでセミナーに参加しているらしく、
そこではHIV/AIDSについてのセッションも多く計画されているとのこと。

その後に現像した写真を友人に届けるつもりでもいたので、
「セミナーには参加せず、データを渡すだけにする。」と伝えた。

データを焼くためのパソコンと前回おばちゃんに借りたフリースとジョンに渡すマテリアル、
先日届いたばかりのTシャツ屋のおっちゃんが印刷ミスのために増刷したステッカーがあったので、
セミナーに来ている人たちに配るために取りあえず持っていくことにした。
かなりの大荷物。
会場に到着後、ジョンを呼びだす。
その時点で、会場内に多くの知り合いがいることに気がつく。

病院や配属先の人々ではなく、この1年半で今までそれぞれ別々のフィールドで出会ってきた人たちだった。
「5分でいいから、MIHARUから布ナプキンを紹介してくれない?」と主催者にいわれる。
ジョンにあげるために持っていた講習用のマテリアルは説明するのに十分過ぎるほどだった。

ここはジョンに任せて立ち去ろうと思ったが、午前中にはめずらしく土砂降りの雨が降り始めた。

止みそうにない雨のおかげで、会場に入った私はさて、どう出るべきかとの案をずっと考えていた。

セミナーの内容はかなりHIV/AIDSにフォーカスされたものだった。
思いのほか待たされて1時間半後、セミナーのエンディングにようやく出番がきた私は、
頼まれていた布ナプキンの説明を封印し、
今までの自分の活動を振り返っての課題や改善点を発表する場に勝手に変えた。

運よく、ここ最近は配属先に出すレポートをずっと作り続けていたため、ポイントはかなり絞られている。
配属先のために作った活動のまとめの動画もPCにあるので提示することが出来る。
心強い知り合いも会場に2割くらい居る。

予定外の出来事だったが、どんどん落ち着いていくのがわかる。
こんなチャンスは、今までもこれからもない。

さて、と着ていたTシャツを指さしながら

「Getting to zero in Kenya」(新規感染・差別偏見・エイズによる死亡をゼロにしよう)
あなたにはこれが想像できますか?

こういった問いかけからスタートした。

まず1つ目は、学校巡回を通してみた禁欲教育の限界。
生徒が口々に「恋人が出来たら、まずHIV検査に行きたい」と答える奇妙さ。
リアルに迫れずおろそかになっている学校エイズ教育の位置づけ。
大人である人々の行動を変えることのむずかしさ。
つながりを持とうとしない各省庁。

次の時代を作る生徒たち、次のケニアを作る生徒たち。
最高のファシリテーターは生徒の前にいる教師だということ。

2つ目はナイバシャのコミュニティーで多くのキーパーソンに出会えたということ。
結局、本当に現状を変えられるのは政府でも外国の援助でもなく現場の人間だということ。
ここはもちろん杉下先生の言葉をお借りして、
ケニアのインサイド、ナイバシャのインサイド、あなたのインサイドから変わっていくことが重要だということ。


その後に、これから県病院に新しいシステムが導入されることとコンドマスター君の紹介、
ステッカーとポスターの配布、そして最後に布ナプキンについては
ジョンと以前講習を行ったレッドクロスのリーダーが同席していたため、
その人たちに聞いてくださいといって締めた。

最初は5分間でといわれて、直前に2分間にしてくれといわれ、
結局話し終わった時には15分が経過していた。
ケニアだし、問題ない、ということで最初から守る気なし。

昨日レポートを書いていたときのこと、(何か違うなぁ。)と思って、
「~すべき(Should)」と書いていたところを「~できる(Can)/~できるだろう(will be able to)」に変えてみた。 
すると全体的にぐっと前向きな感じのするレポートに仕上がった。
読みたくなるレポートになった気がした。

今日はそこを心がけて話し、みんなもちゃんと聞いてくれていたと思う。
何人かのパッションにも触れたようで、ガッチリ握手しにきてくれた人もいて素直にうれしかった。

持っていたPCは大活躍、データをシェアするのに役だった。
意外にもジョンがみんなに頼られ、高い評価を得ている男だということが知れたのもよかった。

NGOの人を含むその場にいた人たちがアドレスを聞きにきてくれた。
「もっと早くに会いたかった」そう言われて、少し同感だった。
日本に帰ったらもう連絡することはないだろうけど、
配属先に向けて書いているレポートを送ってみようと思っている。 


レッドクロスのリーダーは、その後布ナプキンの材料をナイロビで揃えケニアに広める準備を進めていると教えてくれた。
ジョンは来週行う布ナプキン講習会の告知をし、何人もの人に場所を聞かれていた。



今日この場に立ち会えて、本当によかった。

どっちの方向に進めばいいのか分からなかった1年半。

毎日精一杯になんて全くなれた気はしないけど、確かに手数だけは多く打ちまくってきた気はする。
取りあえず色んなところに布石を置いてくる活動だった。

気付かないうちに残っていた足跡を、
その間にいた人たちが繋げてひとつの道にしてくれた気がして、
ここにきてようやくふっと力が抜けた気がした。

私にしか見えない道。



そう思いながら、超散らかった部屋に舞い戻り、片付けもせずこうしてブログを書いている。


2012年2月28日火曜日

布ナプキンファイナル。

この1週間でナイバシャでのコミュニティと小学校の活動は終了する。

今日はジョンに頼まれて、今度はジョンの村の女性グループに向けて「布ナプキン伝授会」を行った。
前回、干乾びそうになったかなり遠いジョンの村への訪問、今回で3度目となる。

地元の学校訪問以来、俄然やる気のジョンに、
「出来るだけ多くのメンバーを呼んでおいてほしい。」
「洋服屋さんとミシンも準備しておいてね。」
と、ちょっと難易度の高い注文を出しておいた。

マタツを乗り継ぎ、ようやく教会にたどりつくと、そこには結構信じられない光景が広がっていた。

トタン屋根の教会
女性グループに加え、以前訪問した小学校の先生も2名同席。
しかも、ミシンと共に洋服屋さんも来てくれている。

このママたちは英語が全く通じない。
私が話した言葉をすぐにジョンがキクユ語に翻訳する。
まずは洋服屋さんと一緒に説明しながら一通りの手順を見てもらい、
その後、みんなで実際に作ってみた。

紹介したのは、最新バージョンの布ナプキン。
ベースに水を通さない素材を使用したもの。
これにナプキン専用に作ったライナーを挟んだり、
専用のライナーがない場合でもベースさえあればどんな布切れでも挟みこむことが出来る。





洋服屋さんも色んなアドバイスをしてくれて、みんなとても吸収が早く、
途中にケニアの栄養満点のローカルな飲み物「ポリッジ」もふるまってくれて、
ほっこりしながら作業を進めた。


途中に久々の激しい長雨が降り、トタンの教会は爆音が鳴り響いたが、
2時間ほどの間なんやかんやと話しつつ、雨の止むのを夕方まで待った。

「あなたの話を息子から聞いたわよ。ムズングが学校にきて体操を一緒にしたって。」
こんな話も何人かのママから聞くことが出来て、うれしかった。

ママたちは今回の活動を地域の小学校のために継続していってくれるらしい。
ジョンはそのためのプロポーザルをとってくるとやる気になっている。
このプロジェクト名は「MIHARUプロジェクト」とジョンによって勝手に命名された。
名前はなんでもいいし、続くかどうかも定かではないが、何かのきっかけになればありがたい。

雨が止んだので帰路につく。
マタツに乗るまでの長い帰り道を歩いていると
同じく雨が止むのを待っていた多くの生徒と一緒になった。

「MIHARU!コンニチハ!」
「スゴーイ!」
お辞儀をしながら「アリガトウ!」

教えた日本語、覚えてくれてたんやなぁ。

村のママ達からも「よくこんな村まで来てくれた」と、ものすごい歓迎と感謝を受けた。
こういう時、村に自分と肌の色の違う外国人が来たということは、
彼らの記憶の中に強く残ることなんだと再認識する。

標高が高いため雨が降ると一気に冷え込むナイバシャ。
半袖一枚だった私にママが雨の中わざわざ家まで上着と帽子を取りに行って貸してくれた。

「誰にも会わんし、いいや~」とありがたく着て帰ったら、
案の定、後輩隊員と同期隊員と日本から来たその友達とご飯屋さんでバッタリ・・・。
大爆笑されて本日終了。



ただいまー。


2012年2月22日水曜日

布ナプキン伝授会。

先週の月曜日はコンドマスター君の着ぐるみ脱ぎ捨ててナイロビから一旦任地に帰り、
布ナプキンをケニアレッドクロス(赤十字)に紹介するという活動にいった。
(奇しくもその2月13日は、世界コンドームの日だったのだけど)

「どすこい布ナプキン」は迷わずお蔵入りを果たし、その後も紆余曲折を経て実に様々な修正を加えつつ
ようやく最終的な形となってきている。



その最新バージョンをどうにかして伝授できないかと思っていた矢先、
使い捨てナプキン配布のスクールプロジェクトを持っているレッドクロスに紹介する機会を
なんとあのジョンが設定してくれたのだ。

日進月歩で進化している感のあるジョンは、当日には約束の時間通りに現れるという快挙まで成し遂げ、私をレッドクロスの事務所に連れて行ってくれた。

そしてそこには驚くべき光景が・・・。

そこには既にレッドクロスの関係者だけでなく、その他のユースグループのリーダーも集まっていて私たちの到着を待っていてくれた。
しばし歓談した後、その人たちの前で最新型布ナプキンを実際に作って見せる。
無事終了。

メモをとったり、サンプルを欲しがったりと反応も上々。

この再利用できる布ナプキン。
実は私自身は国内訓練所で始めて布ナプキン活動の存在を知った時、大して興味がなかった。

使い捨てナプキンの機能性と、布ナプキンにかかる手間を考えると、
今後自分自身が布の方を選ぶことが考えられなかったし、
自分が選ばないものを他人に勧めるということにも無理がある。

しかし、学校巡回の活動内で「布ナプキン」を紹介した時の先生たちの反応の良さ、
生徒たちの反応の良さを何度も目にすると、何とも無視できないものとなってしまった。

ナプキンがないため学校に行けず、そのままドロップアウトという現実がある。
日々食べるためのお金はあっても、ナプキンを買うには至らない。

家族内で少女のナプキンの優先順位を高くしようなどと声高にいうのはどう考えても無理がある。

レッドクロスは以前にも議員のエスタと共に学校対象に使い捨てナプキン配布などを行っている団体。
その団体が今回、再利用可能な布ナプキンに興味をもってくれた。

大きなアクションを望みたいところではあるが、学校巡回プログラムをもっているレッドクロスだからこそ本当に必要な女子生徒たちに手の届く活動になればいい。

一人でも多く。

ジョン、グッジョブ!


2012年1月31日火曜日

ちょいとそこまで。

さて、昨日紹介したキアンボゴプライマリースクール訪問の時の話。

誘ってくれたジョンとの出会いは実に偶然なものだった。

昨年6月にエスタに誘われて参加したイベント(過去ブログアフリカンチャイルドデー。/飛び入り。)で、
私が活動を宣伝していたことを覚えていてくれたジョンと町ですれ違った折に
「君をずっと探していたんだ。うちの地元にきて是非、空手と布ナプキンと授業をしてくれないか?」
という誘いを受け、実現した学校訪問だった。
(ラジオ体操が彼の記憶の中で空手に変化していた)

5カ月もの間と思うと、随分と長い間覚えていてくれたことになる。

相変わらず、何がどう繋がっていくかわからないこういった活動。
あのイベントがきっかけで訪問した学校はこれで4校目。
本当にありがたい。

いつもは一人で身軽に学校に行くのだけど、今日はジョンと一緒。
ケニア人と待ち合わせをするということは、何の脈絡もなくとりあえず待つということである。

マタツステージに10時集合だったが、案の定40分遅れて登場したジョンは
「これから叔母の家にシャワーを浴びに行かなければならないからついてきてくれ。」
と言いやがったので、非常に冷めた目をして指導してあげた。

こういった情熱のある若者には、時間や約束を守ることは相手の信頼を得る
最低限のマナーなんだということくらいは伝えたい。

シャワーを浴びなければならない身体=イコール結構汚い限界マックスの身体ということで
バツの悪そうな顔をしているジョンを叔母の家に行かせて、少し時間をつぶして再集合。
ようやく準備が出来た11時半のマタツステージに、今回一緒に行くらしいリチャードが加わった。

3人で行くことはこの時初めて知ったのだが、
リチャードはなぜちょうどいいくらいの11時半にここに来たのだろうか。
だったら私にも11時半集合と告げてくれればいいものを・・・。

ケニアではこういったことがよくある。
奥がジョン、手前がエスタと共に仕事しているリチャード
その日は3人で向かった。
「明日は7時に出発だ」と確かにいっていた人々が、
7時には全く姿を見せず8時半に一気に集まりだし出発する。

こういった場合、私に伝えられる時間ももちろん7時。
「で、本当は何時なのよ??」と聞いても、「7時だって。」としか返答はない。

しかし、ここで油断は禁物。

たまーーーに、「7時」といっていた人々が本当に「7時」に集まってくる光景も2度ほどみている。

ケニアン時間を待つことには慣れてはいるが、ケニアン時間を読むにはまだまだ。

さて、その後マタツで30分行ったところから
学校まで「少し歩く」
と聞いていたが、


その「少し」が1時間半だと
誰が思うだろうか。


飲み水もない炎天下の中、坂を上に上にと登っていく。


右の写真の奥に見えるのがロンゴノット山。
マタツから降りたときに遠くに見上げていたロンゴノット山を
遠くに見下ろしている位置まで取り敢えず歩くと。


「ここから残り半分だ!」
と勢いづくジョン。
この道を大抵毎日歩いているらしい。




途中で村に水を運んでいる
バイクとも遭遇。


乾季中のナイバシャでは、
水を運ぶロバもよく見かける。

下校中の生徒たち。
サトウキビを食べる人々もよく見る光景。

     帰りには現在世界で大活躍中の
ケニア勢マラソンランナーのジョギングにも遭遇。
   大会で賞金を稼ぎ、地元に還元する。
そんな選手が多いとか。
帰りは別ルート2時間の徒歩・・・。
行きより30分増えるってどうゆうことよ?
また登り坂・・・、干乾びる・・・。
キリマンジャロより苦しい・・・。

炎天下の中、頭がクラクラし始めたころ
ようやくマタツの走るメインロードに到着し命拾い。


すぐ着たマタツに乗り込むと
過去に貼った初代ステッカーが私を迎えてくれた。
ナイバシャで確実に流れている時間を感じながら

「おいムズング(白人)!!
タウンに着いたぞ!
起きろって!」

と、みんなにゆり起こされるまで爆睡して帰った金曜日だった。

次回は水2リットルもっていこう。

2012年1月30日月曜日

神様がもしも・・・。

金曜に訪問したのはキャンボゴプライマリースクール。

前日のマンモス校とは大きく異なる小規模校。

この日はこの地元のユースグループで頑張っているジョンという青年に誘われていった。

この小屋が校舎.
幼稚園から6年生までが通っている。

全校生徒はたった60名程

この日とても印象深かったのは、

どの先生も話の中に「神の話」を入れるということ。

学校方針なのか先生たち自身の信仰深さなのか、

どの話も最後は

「それらはすべて神に委ねられている」

「それらはすべて神のみぞ知る」

で締めくくられる。




この日の対象は小学5年生と6年生の28名。

一緒にいったジョンもHuman Resource Development(人的資源開発とか人材育成)

という分野の授業をするといって張り切って生徒に熱く語りかけていた。

完全にカラ回り系男子の匂いがプンプンするジョン25歳は

先生たちの影響をがっつり受けて

「何をすれば神様は喜ぶか?」

と、生徒たちに問いかけていた。

これと自分の人生を考えることはどう関係するのだろうか。


どうやらその正解は  「歌う・祈る・願う」  ことのよう。


私はキリスト教の教えなるものを全く詳しく知らないけれど

もしも、イエス様が松岡修造のような人物であった場合

「言い訳してるんじゃないですか?
できないこと、無理だって
あきらめてるんじゃないですか?
頑張れ頑張れ できるできる 絶対できる


 頑張れもっとやれるって!!やれる!

 気持ちの問題だ!頑張れ頑張れ そこだ!そこだ! 

 あきらめんな!絶対に頑張れ!

積極的にポジティブに頑張れ頑張れ! 


 北京だって…頑張ってるんだからっ!」

 ~ イエス〈修造〉様の言葉 ~


こんなことが書いてある聖書だったら、

今頃アフリカ諸国はすっごいことになっていたんじゃないだろうか。

向上心ありまくり、挑戦しまくりの強靭な人材の宝庫に・・・。

と、以前同期隊員と話していたことがある。

しかし、宗教とはそこに一筋でも救いを求めるものだから

これほどの拡がり方はしなかっただろうけども・・・。




続いて、HIV/AIDS予防啓発の分野に入るとジョンは

「全く予習してきてません」と言わんばかりのしどろもどろさで

なんと、明らかにかかってきていない電話を、さも、かかってきたかのように振る舞い

バレバレの小芝居と共に教室から逃亡してしまったため(ありえん・・・。)

そのまる投げされたバトンを拾いつつ

私がHIVの基礎知識とその後の人生プラン設計について授業をすることになった。


小規模校&田舎になると生徒は恥ずかしがり屋になる傾向にある。

「恋人が出来たら何がしたい?」の質問に

「車の運転がしたい」

と、とてつもなく小さな声で回答してくれた男子生徒がいて微笑ましかった。


 最後は、信仰深いこの学校で特に力の入る部分。

あなたの人生は、家族が、学校が、国が決定するのではない。

自分の人生を決めるのは、自分でしかない。


ここに「“神”が決めるものでもないんだ」も含めようかと、よっぽど思ったが

学校の方針らしきものを目の当たりにしていることもあり今回はやめておいた。

帰ってきて、何やら真面目ぶってメモをとるジョン。

彼は「心が変われば行動が変わる・・・・・・、人生が変わる」という言葉に


強く感銘を受け、その後しばらく興奮していた。


私から先進国の風を感じたらしい。・・・。
布ナプキン普及も細々とやっておりますよ~。

地元を愛するジョンに連れられ、母校の小学校と高校にも挨拶に行く。

是非、母校にも授業をしてほしいということで来週に来ることがその場で決定した。

長いその道中では地元の全ての人と話がはずむジョン。

地元ユースグループでも活発に活動しているようで、

「僕は地元を愛しているんだ。」「僕が頑張って地元に還元したい。」

この言葉を何度も聞いた。

そして

「今日は僕は自分の力のなさにとてもショックを受けた。

MIHARUの授業を、自分のものにしたい。」

という言葉を聞いた時は、活動終盤ということもありジーンとした。

(後で聞くとジョンは私を自分より年下の22~3歳だと思っていたらしく、
何やらそこがとてもショックだったようだ。
“31歳ですけれど、何か?” といったら、とてつもなく驚き、妙に納得していた。)


情熱と行動力をもつ人物に出会える幸運はケニアでも日本でも同じ。

また面白いことになりそうな予感がした先週だった。


2011年11月17日木曜日

予定変更三昧。

以前お世話になったシニアボランティアの入澤さんが監督を務めていたケニア女子バレー代表が
日本でおこなわれているワールドカップで日本と対戦することを早朝のニュースで知った。

昨年、ナイロビで練習を見学させていただいたことを思い出した。(過去ブログ「入澤監督の言葉。」)
「活動に遠慮はいらない。やってみたいこと全てやればいい。
 みんなは何やったっていいんだ。言葉が通じなくったってやればいい。
 文句いわれたって、失敗したって、JICAや勤務先に嫌われたって、たかが2年。
 2年間で終わる。
 帰国する時に自分で編集した素晴らしいDVDに満足して終わるために
 協力隊やってるんじゃないんだ。 絶対に遠慮しちゃダメだぞ。」

あれから、もう1年もたったのか。
今でも、ことあるごとによく思い出し、その度に私に力をくれる入澤親分の言葉。

今日は「一発かましてやろう。」と考えていたことがあり、そんな一日の始まりにそのニュースを知ったことで、
「今日という一日はもしかして大きな転機になっちゃうんじゃないかしら!?」と、多くの期待をしながら、
背中から湯気でも立ってるんじゃないか?と思うくらい意気揚々と玄関を出た。

その目的は第2回目のユース代表会議で世界エイズデー(12月1日)の企画をするという願ってもないチャンス。

さて、、、、そもそも世界エイズデーって何なんでしょう。

よくよく考えれば、悲しい日だと思えなくもないこの日。
でも、ユースのメンバーは『Celebration!』なんていってる始末・・・。
祝っている場合ではないし、お祭りでもない。
あんたたち、陽気にうかれてる場合じゃないってマジで。

しかし、ケニアのイベントといえば日本とは比べ物にならないくらい誰も聞いていない中で
何人もの来賓がしこたまスピーチし、集まった関係者だけが歌って踊ってドラマしてポエム読んで楽しんで・・・。
というものだということはすでに承知済み。

これって、ケニア文化で済ませていいのだろうか?
と、いう部分にここはひとつ迫ってみようということで、

ありとあらゆる自分の思いの英訳を英辞郎大先生に完全に頼りつつ、
昨夜作成した「ケニア式イベントへの問題提起&改善点」の文書をPCごと持参した。

開催する目的の明確な設定、
誰のためのイベントなのか、
ターゲット層をどこに絞るか、
お祭り感覚の今までのイベントとの差別化、
無関心層を集客するためのアイディアはあるか、
当日のVCTカウンセラーの数、コンドームの配布数など、
「今こそ言うべき時が来た!!」となったときに、それらしくビシッと言えるようにブツブツ反復練習。

事務所についてもベンチでブツブツ、ブツブツ、ブツブツ、・・・・・・・。
前回最初に来たメンバーは30分遅れだったけど、今日はまだ誰も来ないなぁ。と、催促の電話をしたら

「延期になったんだよ。Facebookでいってたじゃーん!」
と教えていただけた。

「Oh My Goodness!! But That's Life!!」と、納得。

いやいや、今日は少々気合いが入っていただけで、何も特別なことではない。私、キレてなーい。

何やら大規模なユースメンバーの2日間のトレーニングがお隣りの教会で急に?開かれることになったらしく、そっちを訪れてみると100人規模のユースが集まっており、よく見ると前回代表会議で出会った11名のメンバーも所長もしっかりそこに出席していた。

恐るべしFacebookの浸透力。ぱねぇ・・・。

そして、午後の布ナプキン教室も延期。(詳細は割愛)

ということで、持っていたPCと共に半日カウンターパートの隣りで仕事してみる。

制作しようか迷っていたステッカーのスワヒリ版を、この際作ってみるかー。と訳し始めたら、
「見ちゃいられない。」と、これが功を奏し、カウンターパートと事務所スタッフ3名が「あーでもない、こーでもない」と、総がかりで ” 聞く人によってコロコロ変わるスワヒリ語の翻訳 ” を3名共に納得するまで考えてくれた。

これは非常に、非常にありがたかった。
こうして、スワヒリ版ステッカーも無事に完成!

さて、今後はいつ開催されるかわからない次のユース代表者会議にも呼んでもらえるように、
こまめなFacebookのチェックとこまめなSMS送信を心がけたい。

2011年6月19日日曜日

アフリカチャイルドデーイベントジャック。

さて、アフリカチャイルドデーのイベントの日。

予定していた布ナプキンの配布が不可能とわかった朝。


実は、即効、家に帰った。

ならば一度、やってみたいことがあった。

以前、同期隊員ブログで紹介されていた

「ラジオ体操」である。



今日は多くの来賓と学校関係者、支援団体、約700名の生徒が集まり、音響設備も整った大イベント。

それをやる絶好のチャンス到来!

そう思ったが最後、道端のケニア人たちにジロジロ見られながら家まで爆走してかえり、

大急ぎで「ラジオ体操 英語版」の音源をCDに焼付けて、また爆走して会場に戻った。


15チームの発表や数々の来賓の挨拶が延々と続く当日のプログラム。


しかし、私は知っている。

当日のプログラムなどあってないようなもの。

なぜなら、ここはケニアだから。

今日はそれを逆手にとって

「日本の有名なエクササイズを、子供たちに紹介したいんだけど5分もらえない?」

との、いきなり主催者に交渉した結果、あっけなくOKがでた。

素人名人会の飛び入りさんのごとく「おっしゃ~!」と、気合を入れて

「元気ですかぁ~!!?」
乏しいスワヒリ語力を満面の笑みと
ビックボイス&ビックマウスでごまかしながら登場。
 
今日という特別な日のために
ナイバシャ市の子供たちの健康を願って
日本の体操を紹介にやってきましたよ~!
HIV教育や布ナプキンなんかもやっております!
みんな!日本のお姉さんと一緒に体操しようよ!

かかとも最高点まで上げて

上体も限界まで下げて

指先も目線も大空いっぱいに
もちろん終始
スマイリーキクチ顔負けの
笑顔全開で!
連絡待ってま~す!さよなら~!

発表者の中で唯一、来賓にお尻を向け続けてしまったが、外国人ということでOK。

唯一の外国人というだけでもインパクトは大きく
なんと終了後には、3校の学校関係者、2つの孤児院、1つのNGOから
「出張ラジオ体操」&「HIV教育&布ナプキン紹介」のオファーをゲット!

多くの生徒からは握手と電話番号を求められ、
「押すな、押すな。」と、しばしのスター気分で勘違いしながら帰宅。

手ごたえ十分の達成感があった。


しかし、夕方から足に違和感、、、、次の日は筋肉痛に襲われ・・・。

まさか、昨日のラジオ体操が・・・。

ああ、体育教師の面影は何処へ・・・。

ラジオ体操にも準備体操が必要な年齢に差し掛かった。

2011年6月17日金曜日

アフリカンチャイルドデー。

本日はアフリカンチャイルドデーのイベントがあった。

昨日作った布ナプキンの説明用紙と、
配布用のプリントと、サンプルを持って家を出発。

9時半開始と聞いていたので10時半にいったら、
やはりまだ準備中だった。

まだ、読みがあまいようだ。

そして、衝撃の事実が待っていた。

「今日は布ナプキンの配布はなしになったのよ。」

と、朝一番におばちゃんがいったのだ。

「なんやて~~!?」

どうやら昨日会議があり、その中で決定したらしい。
しかも、
今日のイベントにはエスタは公務で来られないとのこと。


しかし、今日のイベントの様子を見て納得した。

今日のイベントはナイバシャ内の各学校から選抜された
約700人ほどの生徒たちが多くの来賓の前で、
歌や踊りや詩を披露するというものだった。
そう、そこには「あなたパンツちゃんとはいてるの?」
なんてことは、間違っても聞いちゃいけないような
お嬢たちが大勢集まってきていたのだった。

結局このイベントに向けて作られた
200枚を超す布ナプキンは今回は活動紹介だけして、
日を改めて布ナプキン&どすこい大相撲ナプキンを
本当に必要とする村の子供たちに届けることが決まったらしい。

これには、私も同感だった。


が、
本日集まったこの女子たちには政府から
使い捨てナプキンとパンツの親切パッケージセット
なるものが贈られるようで・・・・

この子達に  
あげる必要なくね!?
せめてパンツだけでも
村の子供にまわしたって~

と、コンマ2秒後には思ったが、何とか自分の中で収めた。

政府や援助団体や学校のゴチャゴチャした関係の中で、そうなっているのだろう。

貧しいこと、病気であること、HIVであること、瀕死の状態にあることは

援助してもらえる十分条件ではない。

援助や支援を受けるためには能力、コネクション、環境など色んな条件が必要になってくるのだ。

さて、本日のイベントで各学校から披露された芸は多くの練習を積んできたのが伺えて、
どれも本当に素晴らしいものだった。

このままでステージを一周
マーベラス!

ケニア式は最初から
立ったまま組み立てます。
しゃがむことがない。
土台がえらいことになってる


みんなでお歌の披露
ケニア人にとっても
マサイのダンスは伝統的パフォーマンス




来賓テントに向かってのクライマックス!
子供たちの発表を見つめる来賓の方々。
中央に座っている女性は、なにやらとても険しい表情。
と思ったら、あ、、これ私のカウンターパートでした。

こういった公務で事務所にいないことが多い彼女。
保健省からのレターを読んでいるところ。
この後、即帰っていった。
















さて、実はここからが今日一番の衝撃である。

合計15チームほどのパフォーマンスが行われた中で終盤に呼ばれたチーム。

「さて~、お次はナイバシャボーイズ!! 
 ストリートチルドレンのみんなだ~~!!」

って明るいMCに続き、本当に出てきたし。

確かに普段町で見かける顔が勢ぞろいしてる。

あんたらこんなとこで何やってんの!?
って、普段もよく感じてるけど・・・。
この赤いタンクトップの兄ちゃんが
ほとんど1人で話して歌ってます
彼らは本日集合して初めて打ち合わせた風の出し物(主に入退場)をして
最後に「今日は招待してくれてありがとう!」と
来賓に向かってこの赤い兄ちゃんがお礼を述べていたのが印象的だった。

観客が割りとよく笑っていたのは、彼のアドリブになのか、完成度の低さになのか、
はっきりと判断できず、それもなんとも言えぬ違和感があった。

その後、水をもらって彼らはやっぱり町に帰っていった。

多くのストチルの子供たちは援助団体によって学校に入学させることができても、
すぐに逃げてしまい町の生活に戻っていくらしい。
そっちのほうが1日20シルでも自分でお金を稼ぐことができるし、自由だからとのこと。

自分で選んでいるんだとしたら、この子達は本当の人生の楽しさを知らずに生きていくことになる。

シンナーやボンドで脳を麻痺させなくても、自分には困難を乗り越える力が備わっていることを知らず。

それを乗り越えた時の喜びや仲間は何ものにも変えがたいことを知ることもなく。


ストチルになった入り口はそれぞれ違うと思うが、町で生きていけるからって彼らは決して強くない。



今日は、アフリカンチャイルドデー。

「ただ生きる」のではなく、「どう生きる」のか。

アフリカだけでなく、

世界の全ての子供たちが

そう考えられるようになるのはいつだろうか。





今日の自分の活動については、また次回。 
明日は中間報告会、来週は健康診断でナイロビに行ってきます。