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2012年3月15日木曜日

お断りされた布ナプキン。



どの学校や地域やサポートグループでも、大歓迎を受けた「布ナプキン」。

昨年には2つのプライマリースクール(小学校)では、

紹介だけでなく実際に布ナプキンの製作指導も行った。

対象は約30名の女子生徒。


学校には針もない、糸もない、ハサミもない、材料もない、・・・ということで、布はこちらで全て裁断して持参する。

1人で15分あれば出来る事前準備を怠ると当日は所要時間が5倍程に膨れ上がり、

これをエイズ講座とあわせて実施すると、少なくても計4時間はかかってしまうということで、さすがに心が折れてこの講座は2回で終了した。

その後に続く巡回授業では、布ナプキンについては紹介だけになった。

経費も掛からずかわいくて、どこの学校でも大人気の「布ナプキン普及活動」だったのだが、

実はこれまでに唯一きっぱりとお断りされた施設があった。



「マダム、うちには支援が十分行き届いていて、

 アメリカからの支援による使い捨てナプキンもいっぱいあります。

 それよりも私たちに宿泊施設を建設してください。」



実はこれ、以前紹介したエイズ孤児院の所長さんの言葉である。

ここを運営している所長も、

ここに支援しているアメリカの団体も、

ここに布ナプキンを紹介しようとした私も、

多分誰も悪くない。

支援の在り方について、これには色々考えさせられた。

2012年3月4日日曜日

通ってきた道。

この週末で荷造りのほとんどを終えるつもりでいた1日目の今日。
朝早くに起きたにも関わらず、絶対に今しなくてもいいギターを弾き始めてしまった。

そして、ネットも電話もできない状態だったのでカードの購入のために町に出かけることに。
休日に何もないのに家から出ることは稀である。

せっかく行くついでなので、ジョンがタウンにいるならば
去る前に今までの活動のデータと残っていた全てのマテリアルを渡したいと思い
SMSで居場所を聞いてみた。

すぐに電話がかかってくる。
どうやらジョンは本日タウンでセミナーに参加しているらしく、
そこではHIV/AIDSについてのセッションも多く計画されているとのこと。

その後に現像した写真を友人に届けるつもりでもいたので、
「セミナーには参加せず、データを渡すだけにする。」と伝えた。

データを焼くためのパソコンと前回おばちゃんに借りたフリースとジョンに渡すマテリアル、
先日届いたばかりのTシャツ屋のおっちゃんが印刷ミスのために増刷したステッカーがあったので、
セミナーに来ている人たちに配るために取りあえず持っていくことにした。
かなりの大荷物。
会場に到着後、ジョンを呼びだす。
その時点で、会場内に多くの知り合いがいることに気がつく。

病院や配属先の人々ではなく、この1年半で今までそれぞれ別々のフィールドで出会ってきた人たちだった。
「5分でいいから、MIHARUから布ナプキンを紹介してくれない?」と主催者にいわれる。
ジョンにあげるために持っていた講習用のマテリアルは説明するのに十分過ぎるほどだった。

ここはジョンに任せて立ち去ろうと思ったが、午前中にはめずらしく土砂降りの雨が降り始めた。

止みそうにない雨のおかげで、会場に入った私はさて、どう出るべきかとの案をずっと考えていた。

セミナーの内容はかなりHIV/AIDSにフォーカスされたものだった。
思いのほか待たされて1時間半後、セミナーのエンディングにようやく出番がきた私は、
頼まれていた布ナプキンの説明を封印し、
今までの自分の活動を振り返っての課題や改善点を発表する場に勝手に変えた。

運よく、ここ最近は配属先に出すレポートをずっと作り続けていたため、ポイントはかなり絞られている。
配属先のために作った活動のまとめの動画もPCにあるので提示することが出来る。
心強い知り合いも会場に2割くらい居る。

予定外の出来事だったが、どんどん落ち着いていくのがわかる。
こんなチャンスは、今までもこれからもない。

さて、と着ていたTシャツを指さしながら

「Getting to zero in Kenya」(新規感染・差別偏見・エイズによる死亡をゼロにしよう)
あなたにはこれが想像できますか?

こういった問いかけからスタートした。

まず1つ目は、学校巡回を通してみた禁欲教育の限界。
生徒が口々に「恋人が出来たら、まずHIV検査に行きたい」と答える奇妙さ。
リアルに迫れずおろそかになっている学校エイズ教育の位置づけ。
大人である人々の行動を変えることのむずかしさ。
つながりを持とうとしない各省庁。

次の時代を作る生徒たち、次のケニアを作る生徒たち。
最高のファシリテーターは生徒の前にいる教師だということ。

2つ目はナイバシャのコミュニティーで多くのキーパーソンに出会えたということ。
結局、本当に現状を変えられるのは政府でも外国の援助でもなく現場の人間だということ。
ここはもちろん杉下先生の言葉をお借りして、
ケニアのインサイド、ナイバシャのインサイド、あなたのインサイドから変わっていくことが重要だということ。


その後に、これから県病院に新しいシステムが導入されることとコンドマスター君の紹介、
ステッカーとポスターの配布、そして最後に布ナプキンについては
ジョンと以前講習を行ったレッドクロスのリーダーが同席していたため、
その人たちに聞いてくださいといって締めた。

最初は5分間でといわれて、直前に2分間にしてくれといわれ、
結局話し終わった時には15分が経過していた。
ケニアだし、問題ない、ということで最初から守る気なし。

昨日レポートを書いていたときのこと、(何か違うなぁ。)と思って、
「~すべき(Should)」と書いていたところを「~できる(Can)/~できるだろう(will be able to)」に変えてみた。 
すると全体的にぐっと前向きな感じのするレポートに仕上がった。
読みたくなるレポートになった気がした。

今日はそこを心がけて話し、みんなもちゃんと聞いてくれていたと思う。
何人かのパッションにも触れたようで、ガッチリ握手しにきてくれた人もいて素直にうれしかった。

持っていたPCは大活躍、データをシェアするのに役だった。
意外にもジョンがみんなに頼られ、高い評価を得ている男だということが知れたのもよかった。

NGOの人を含むその場にいた人たちがアドレスを聞きにきてくれた。
「もっと早くに会いたかった」そう言われて、少し同感だった。
日本に帰ったらもう連絡することはないだろうけど、
配属先に向けて書いているレポートを送ってみようと思っている。 


レッドクロスのリーダーは、その後布ナプキンの材料をナイロビで揃えケニアに広める準備を進めていると教えてくれた。
ジョンは来週行う布ナプキン講習会の告知をし、何人もの人に場所を聞かれていた。



今日この場に立ち会えて、本当によかった。

どっちの方向に進めばいいのか分からなかった1年半。

毎日精一杯になんて全くなれた気はしないけど、確かに手数だけは多く打ちまくってきた気はする。
取りあえず色んなところに布石を置いてくる活動だった。

気付かないうちに残っていた足跡を、
その間にいた人たちが繋げてひとつの道にしてくれた気がして、
ここにきてようやくふっと力が抜けた気がした。

私にしか見えない道。



そう思いながら、超散らかった部屋に舞い戻り、片付けもせずこうしてブログを書いている。


2012年1月26日木曜日

援助への違和感。



例えば、世界でも名の知れた億万長者が、

日本で生活する私の暮らしぶりを見たらどう思うだろう。

「随分と不便な生活をしている人間もいるものだ。」と思うかな。



確かに自家用ジェットがあれば便利だし、

金に糸目をつけず好きなものが何でも手に入る生活は夢かもしれない。

お金はあればあるに越したことはないし、

もらえるものがあるなら、何だってもらっておくに越したことはない。

そうやって贅沢できる点をあげればきりのない生活かもしれないが、

当の私は自分自身の貯えの範疇で、けっこう楽しい毎日を過ごしているつもりでいる。

それは何かをあきらめて惰性で生きているのではなく、自分なりの生きがいをもってのこと。


だから、「勝手にそっちの物差しで計らないでね。あなたたちに言ってもわからないだろうけど。」と思うだろう。




それと同じことで、

アフリカでボロボロの服を着た子供たちをみたとき、

一家そろって床で雑魚寝している現実をみたとき、



私たちの中に芽生える感情は、どうだろう。



少なくとも日本にいたときの私の感情は「この人たちのために、何かできることはないか」というものであったし、

その写真に載っている人物が笑顔であれば、「アフリカの人々は、貧しい中でも懸命に生きているんだなぁ」と過剰に反応しただろう。

どれも勝手にこちらが援助する側に立ち、その人々を援助する対象として見た結果のもので、

今から思えば、随分と失礼なことだったと思う。


そしてもっと言えば、アフリカの現状として映し出される画は、

先進国に都合のいいように遠いアフリカの貧しい人々の先入観を与え、

上記のような感情を抱かせるものが多かったように思う。


服がボロボロだってことが、一体なんだっていうんだろう。

家族みんなで一緒に寝ることの楽しさも知らないくせに。


ここで生活してみると、この人たちが生きているリアルな「日常」が見えてくる。


誰もこれを悲観的になんて思っていないし、


「途上国にいるけど笑顔が素敵だ」なんて特別なものではない。


途上国にいようがいまいが、人間はうれしいことがあるから笑い、悲しいことがあったら泣く、それだけのこと。


HIVに関していえば「HIV感染率」や「HIV感染者数」などの統計は、現地の人のためのものというより

援助する側がこの問題をみるための物差しとしてしか登場してこないもののように感じる。


ケニアの人々は、自国のHIV感染率が何%なのか、増えているのか、減っているのかなんて知らないし、

日本の保健の教科書に必ず掲載されているアフリカが真っ赤に染まった世界HIV感染マップも

ケニアの人々は見たことがない。


このHIV対策は一体いつ終焉を迎えるのだろう。


それはきっと、問題そのものの解決ではなく、金の切れ目が対策の切れ目というだけのことだと思う。


ケニアで有名なキベラスラムには現在世界各国の136もの団体が援助に入っているらしい。


長年続く援助対象だけれど、キベラスラムは依然スラムのままである。





そしてまた、こういった写真から受け取る印象は、この2年間を経てガラリと変わるだろう。



一概にはいえないけれど、個人の純粋な善意が海を越えて間違った支援となって、


誰かの労働意欲を奪っていることが少なからずある。

誰かの私腹を肥やしていることも少なからずある。


そんな現実を知らないことの罪も、知ることの責任も、どちらも重い。


だったら、私たちはせめて知らなければならない。


カッコいいねぇ~。



そうやって物事の本質を見る目を養わなければ、本当に誰のためにもならない。


途上国と言われる国々が、先進国の手を離れて自立できる日はいつか来るのだろうか。

過去関連ブログ《援助。》

2011年11月15日火曜日

必要とされる日本人でありたい。

「活動任期は2年間」と限定されていることが、
活動の中で足を引っ張ったり、逆に救いになったり。

何の責任もなく自由であることが、
毎日をとても軽快にしたり、ひどく苦痛にしたり。

“何としてもアフリカのエイズ対策活動に関わりたい”
“よし。人生の中の2年間をこの活動に捧げよう。”

自分のしたいことが書かれている配属先からの要請票をJICAのHPで初めて見たとき、
他の誰でもなく自分が呼ばれている気がした。

プリントアウトした紙一枚の要請票だけが自分を欲している配属先との唯一の架け橋。

日本から持っていたほうがいいものはあるか。コミュニケーションはちゃんと取れるか。
特に訓練が始まるまでは何度も何度も読み込んで、そこで働いている自分をイメージした。

そして、赴任してみるとびっくりするほど需要のない場所での生活が始まる。
5分前に来ていないと「何かあったのか?」と電話で確認されるような日本の生活から、
1週間やそこら、いや1ヶ月、半年?家に引きこもっていても職場に迷惑はかからない生活へのシフト。
来るまでに何度も耳にしてきた「それが協力隊」「日本とは違う」という言葉で片付けられてきた事態が
現実に目の前に広がっている。

それに耐え抜いてこその協力隊というところだろうか。

でも、普通に考えたら何で?
この忍耐は果たして本当に必要なものか?

職場の人々は、ただ彼らの日常を生きている。
もちろん日本人らしくとは違って、ケニア人らしく生きているだけなのだ。

この要請は各配属先と話し合った上で本当に精選されたのだろうか。
そもそも要請書が作成されたとき、本当にここに需要はあったのだろうか。
日本人だけの価値観の押し付けや実績数の確保などで上がってきた要請ではないだろうか。

赴任してすぐに湧き出るこのような疑問の数々だが、追求することさえ無駄だということもすぐに実感する。

もうここに来ているのだから。

こちらも「自分探し」のためにわざわざ2年間かけて途上国に来たんじゃないから。

活動をしにきたのだからこそ、職場に需要がないなら外にも出て、何かしらやろうと試みる。
何もでかいことを成し遂げたいのではない。
でも、熱くなってやり始め、この活動の目的は一体何なのかとなったとき
結局それは現地の人の需要ではなく、ただ自分が固執しているだけのものではないのかという感覚に陥る。
これまでに「しんどかったけど、やってよかった!!」という大きな達成感があった時というのは
大抵周りに同じ協力隊のメンバーがいて一緒になってやり遂げた活動であることが多い。

ここにきて、出来たことに目を向け続けていればいいっていうのは、やっぱり何か違う。
協力隊としてここに来ている自分を、常に冷静に見続け、分析している自分がいる。

「援助のあり方を問うている自分という存在自体は、果たして無駄じゃないのか?」


そう、責任があるとすれば、それは日本に向けて。

研修費・訓練費・生活費・交通費など協力隊員を一人派遣するのに
2年間で約1千万円以上の税金が使われているといわれている。
書くだけでも恐ろしくなる額。

費用対効果。

「無駄」といわれても言い返せない。
普通の感覚を持つものとして、どのようにしてこんな体制が長年継続されてきたんだろう?という疑問もでてくる。
イチ納税者としても「事業仕分け」や「経費削減」という言葉に、決して悪い印象は生まれない。

これほどの金額を投入してもらってこれでいいのか?と、正直思わない日はない。
単なる努力不足といわれても仕方ないが、お金の大切さをいつもにも増して感じる現場にいればなおのこと。

確かに2年間ものアフリカでの暮らしは帰国後の教師生活に活かせるものを数え切れないほど与えてくれている。
そして、同じ時期に同じ思いをもって海外に飛び出した隊員仲間たちとの出会いはすでにかけがえのないものになっている。
活動の中で、同じ思いを共有できるケニア人にも会うことが出来た。

しかし、「そう、それでいいじゃないか。」とは思えない。

ここにきて、なお。
やっぱりまだまだしっくりこないのだ。というより、ますますしっくりこないのだ。

納得いかない部分や違和感を、今はケニアより日本に感じる。
世界の舞台でどうであるかというより、こういった現状は日本の国民にどう説明されているのだろう。
国際協力の末端にいる者が感じる違和感は、一体どこまで遡って広がっているのだろう。

そして、そうやって矛先を外部に向けて過ごすのは
随分と勿体無いことだと気付くのに十分な時間もここにはある。

これからの活動にこだわりを持つとすれば、エイズに関わり続けること。

「今日がケニアでの最後の活動だとしたら、何をしようか?」
そう考えて、出来るだけ感覚を敏感にして、自分なりの行くべき方向に家を出る毎日。

私は明日も、やっぱり自由だ。

そうやって最近、任期が残り少なくなってきた中で、任期短縮や任期延長の話を聞いたり、
配属先の後任要請について事務所と話をするにつれて、
何かこの循環をいい方向に導くものはないものかと考えることが多い。
多くの協力隊が通った同じ道だとも思えるからこそ、同じことの繰り返しではなく次の「要請」を改善できるものを伝えていきたい。

『必要とされる日本人でありたい』という、JICAの広告に現在使われているキャッチコピーを見て、
『必要とされる日本人でありたいわっ!!』と叫びながら、
色々整理しようにも、やっぱり自分のなかにストンと落ちないっていう辛気くさ~い話でした。


2011年11月1日火曜日

突然の植樹。

本日は待ちに待ったナイバシャユース代表会議だった。


たまたま話したユースメンバーがこの会議に出席しているということで、参加させてもらう約束をしていた。
こんな重要な会議が月一回開かれていると先々週知ったときは「今更感」が大きく結構ショックだった。


今までユース層へのアプローチや学校教育の必要性を色んなところでアピールしてきたが、
「だったら、○○に行けばいい情報が得られるよ」とか
「だったら、○○さんに会えばスムーズだよ」などのプラスαの情報は、
昨日のブログでも書いた通り、かなり具体的にこちらから聞かないと教えてもらえない。

「会議がある」ことも「会議が延期になった」ことも、その他の有益になるような情報も
彼らはわざと教えないのではなく、ただ聞かれないから言わないだけなのだ。

しかし、会議に行ってみると、このタイミングでよかったと思えるものにもなった。(That'sポジティブ思考)
ユース活動を管轄するオフィサーはかなりやり手の女性で、
メンバーたちが書いてきた月間レポートを不十分だとして突き返していた。
会議開始から日本人に近い目線で会議開始の30分の遅れ、援助資金に対する責任感のなさ
などをガンガン指摘していて何かとても気持ちよかった。
“責任感のない人がボランティアを名乗ることほど、迷惑なものはない。”という言葉を思い出す。

続く議題はいつも私が考えているユース層へのアプローチ法や、コンドーム使用の普及、
ドラッグユーザーへの効果的なアプローチ、世界エイズデー(12月1日)にむけての計画だったため、
私も勢いよく挙手して日頃の活動の中で考えている問題点やもっとこうしてみてはどうかという点を述べた。

いつも通り「私の英語は聞き取りにくいですから、みんなしっかり集中して聞いてください。」から始まり
「会議の中で話していても何も変りません。人々にきっかけを作ることが大事。
 みなさんの現場での具体的な行動こそが、この状況を変えることができるのです。」
という、どっかのドラマで聞いたことあるような台詞を、それはそれは熱く語った。
イメージアップの具体例として紹介した「ズキンちゃんシール」もみんな気に入ってくれて
携帯に貼ったりしてくれて嬉しかった。


さて会議も無事終わり、エスタの事務所に寄るため通りかかった広場に人だかり。
それは故ワンガリ・マータイさんの追悼イベントの一環で
ケニア国内を自転車で回りながら植樹活動をしている人たちだった。
ナイバシャから車で6時間はかかるカカメガからきているらしい。
その人々の中心に来賓のエスタがいた。

会も終盤だったようだが急遽参加することになり、そこからさらに30分以上の長い来賓のお話を聞く。
そしてようやく植樹開始!となった時、話の一番長かったおじさんに呼ばれた。

多くの人々に見守られつつ、写真を何枚も撮られつつ、誘導されて、
なんとその一番大きい記念樹を私が代表して植樹することになった。

とりあえず遠慮もしつつ、2度ほど「私でいいのでしょうか?」と聞いてみたが、
バッグを肩からさげたままの私が水をやり終えるまで
誰も異論を唱えることなくじっと見守ってくれていた。

(なんじゃ~、この展開・・・。)

30分前までただの通行人だった私が、なぜ皆々様を代表して植樹しているのか実に謎だった。

そして最後にみんなで記念樹を手をつないで囲み、マータイさんの始めた植樹活動の成功への祈りをささげた。
故人となってより一層、ケニアや世界中の人々に受け継がれる意志や活動を残したマータイさんの偉大さを改めて感じた出来事だった。


「最後まであきらめちゃいけない。あなたの意志をこの地にしっかり根付かせなさい。」

もしかしたら今日の出来事は、会えなかったマータイさんからのメッセージだったのかもしれない。


木々たちもナイバシャの地にしっかり根を張って、大きく育ってほしい。
さぁ、明日もがんばろう。


2011年10月10日月曜日

エイズ陰謀説。

「現実にHIV/AIDSを完治させる薬が発明されたら、その発明者は暗殺されるのではないだろうか。」

「実は、もうとっくに出来てたりして。」

こんな話を以前ケニアの医者や語学の先生と話したことがある。

治療薬が出来たことに「喜ぶ人の数」と、「喜ばない人の数」、さてどっちが多いのだろうか、と。


エイズの起源は世界諸説あるが最も有名なのはチンバンジー説だろうか。

その中に「エイズ陰謀説」というものがある。

HIVの爆発的な感染拡大には人の手が加えられていたという説。

欧米の科学者が人口増加を防ぐためにアフリカ(黒人)にばら撒いた生物兵器としてのHIVウイルスだとか、

欧米の製薬会社が、高価な薬を売りつけるためにばら撒いたウイルスだとか。

「HIV感染しても、正しい治療と薬の服用を一生続けることで生きていくことが出来るエイズという病気」

ケニアだけでなく、世界のHIV感染者の3分の2がいるサブサハラアフリカの各国はその対策の全てを欧米や日本などの先進国からの援助で行っている。

HIV/AIDSとは「援助する側」と「援助される側」の上下関係を絶対的なものにし続ける道具なのかもしれない。

先日お亡くなりになったマータイさんもノーベル平和賞受賞の席上でエイズ陰謀説に賛成するコメントを残していた。

ケニアの医療現場で目の当たりにしている現状は、そういった考えを容易に想像させることも確か。

それだけアフリカのエイズ対策は、検査も治療も薬も予防も教育も援助資金なしでは回らないようになっている。

対策という名で、わざわざお金がかかる方法を指し示している気もする。

陽性者には無料のコンドームを渡すのではなく性行為禁止か、コンドーム購入かの選択肢を。

陽性の母親には、まず子供を作らないという選択肢を。


赴任当初から同期のエイズ対策隊員とよく話すこと。

・エイズは特別な病気なんだろうか。
・ただ周りが騒ぎ過ぎているだけでは?
・糖尿病や高血圧症と同じ慢性疾患と位置づければここまで騒ぐものでもないのでは?
・ケニアの人にとって、エイズってどんな位置づけなんだろうか?

・予防教育は絶対必要だと感じているが、その上で自らの意志で予防しない人、検査しない人、治療しない人たちは、いっそ放っておいてもいいのではないか。彼らは選択しているのだから。
・長い目で見れば、自然に任せて彼らに考える機会を作ってあげるほうが一番かも。


エイズの起源にしてもこういった話にしても、推測の域を出ないのだけど、エイズについてま~あれこれ考えます。



2011年10月1日土曜日

無料コンドーム配布。

エイズ対策隊員として普段の活動からコンドーム、コンドームと言いまくっているが、

コンドームなしの性交渉でHIV感染する確率は0.1~1%といわれている。

え!?たったそれだけ!!?と思った人も多いはず。

もちろん確率なのでその1%が何回目に訪れるかは誰にもわからないし、

その他の性感染症に罹患していたり、

接触する性器(陰茎・膣・肛門・口腔など)の組合せによってその確率は増減する。


しかし、この統計をもとに

HIVウイルスをセックスによって感染拡大させるためにはどうすればいいのか?

と逆に考えたとき、

100~1000回セックスしてたった1回しか感染しないHIVウイルスということは、

3日に1回やっても1年で100回、そのペースで10年間継続してもようやく1000回にしかならず、

それで少なく見積もって1回の感染、多く見積もって10回の感染にしかならないとなると、


絶対条件としてまずは無防備のままとにかくヤりまくること、何度も何度もセックスして

パートナーは1人に絞らず出来るだけ多くの人数ととにかく回数をこなして、


さらに感染する確率を上げるためには他の性感染症などを併発しておくことがより効果的となる。


そう考えると、他人にHIVを感染させるのってけっこう大変だなぁ。と思うのだが、


それをこなせる人々が確実にいすぎるおかげで今日も確実にHIVの感染は拡大している。

アッパレ人類・・・。


タウンやマタツステージで予防啓発活動をしていると、

必ずといっていいほど『無料コンドームはないのか?』

『配布してくれよ!じゃないと、使わないぞ!』とまで言われる。

最初に無料コンドームの配布やりはじめた奴、誰やねん。と、思う。

自分の性行為の安全性までも援助に頼るのか。と、思う。


とりあえず「ちゃんと自分で買いなさいよ。」と毎回返事をしている。


無料のコンドームを配布するよりも自分の意志でコンドームを買わせることのほうが、

きっかけを自分が作っているという点で実際に使用する率は上がると思う。


昨日紹介した夫婦のように陽性となってから初めて大事なことに気付き、

後悔し、苦しんでいる人の存在を知ってもらいたいものだ。

そういいながらも、昨日の夫婦は、診察の帰り際に無料コンドーム1箱100個入りを手渡されていたわけで・・・、

そこには施設からの“泣いているから、特別に1箱サービスしてあげるよ感”が漂っていて、

「てか、どないやねん!」と、やっぱりわけがわからなくなった。




2011年6月17日金曜日

アフリカンチャイルドデー。

本日はアフリカンチャイルドデーのイベントがあった。

昨日作った布ナプキンの説明用紙と、
配布用のプリントと、サンプルを持って家を出発。

9時半開始と聞いていたので10時半にいったら、
やはりまだ準備中だった。

まだ、読みがあまいようだ。

そして、衝撃の事実が待っていた。

「今日は布ナプキンの配布はなしになったのよ。」

と、朝一番におばちゃんがいったのだ。

「なんやて~~!?」

どうやら昨日会議があり、その中で決定したらしい。
しかも、
今日のイベントにはエスタは公務で来られないとのこと。


しかし、今日のイベントの様子を見て納得した。

今日のイベントはナイバシャ内の各学校から選抜された
約700人ほどの生徒たちが多くの来賓の前で、
歌や踊りや詩を披露するというものだった。
そう、そこには「あなたパンツちゃんとはいてるの?」
なんてことは、間違っても聞いちゃいけないような
お嬢たちが大勢集まってきていたのだった。

結局このイベントに向けて作られた
200枚を超す布ナプキンは今回は活動紹介だけして、
日を改めて布ナプキン&どすこい大相撲ナプキンを
本当に必要とする村の子供たちに届けることが決まったらしい。

これには、私も同感だった。


が、
本日集まったこの女子たちには政府から
使い捨てナプキンとパンツの親切パッケージセット
なるものが贈られるようで・・・・

この子達に  
あげる必要なくね!?
せめてパンツだけでも
村の子供にまわしたって~

と、コンマ2秒後には思ったが、何とか自分の中で収めた。

政府や援助団体や学校のゴチャゴチャした関係の中で、そうなっているのだろう。

貧しいこと、病気であること、HIVであること、瀕死の状態にあることは

援助してもらえる十分条件ではない。

援助や支援を受けるためには能力、コネクション、環境など色んな条件が必要になってくるのだ。

さて、本日のイベントで各学校から披露された芸は多くの練習を積んできたのが伺えて、
どれも本当に素晴らしいものだった。

このままでステージを一周
マーベラス!

ケニア式は最初から
立ったまま組み立てます。
しゃがむことがない。
土台がえらいことになってる


みんなでお歌の披露
ケニア人にとっても
マサイのダンスは伝統的パフォーマンス




来賓テントに向かってのクライマックス!
子供たちの発表を見つめる来賓の方々。
中央に座っている女性は、なにやらとても険しい表情。
と思ったら、あ、、これ私のカウンターパートでした。

こういった公務で事務所にいないことが多い彼女。
保健省からのレターを読んでいるところ。
この後、即帰っていった。
















さて、実はここからが今日一番の衝撃である。

合計15チームほどのパフォーマンスが行われた中で終盤に呼ばれたチーム。

「さて~、お次はナイバシャボーイズ!! 
 ストリートチルドレンのみんなだ~~!!」

って明るいMCに続き、本当に出てきたし。

確かに普段町で見かける顔が勢ぞろいしてる。

あんたらこんなとこで何やってんの!?
って、普段もよく感じてるけど・・・。
この赤いタンクトップの兄ちゃんが
ほとんど1人で話して歌ってます
彼らは本日集合して初めて打ち合わせた風の出し物(主に入退場)をして
最後に「今日は招待してくれてありがとう!」と
来賓に向かってこの赤い兄ちゃんがお礼を述べていたのが印象的だった。

観客が割りとよく笑っていたのは、彼のアドリブになのか、完成度の低さになのか、
はっきりと判断できず、それもなんとも言えぬ違和感があった。

その後、水をもらって彼らはやっぱり町に帰っていった。

多くのストチルの子供たちは援助団体によって学校に入学させることができても、
すぐに逃げてしまい町の生活に戻っていくらしい。
そっちのほうが1日20シルでも自分でお金を稼ぐことができるし、自由だからとのこと。

自分で選んでいるんだとしたら、この子達は本当の人生の楽しさを知らずに生きていくことになる。

シンナーやボンドで脳を麻痺させなくても、自分には困難を乗り越える力が備わっていることを知らず。

それを乗り越えた時の喜びや仲間は何ものにも変えがたいことを知ることもなく。


ストチルになった入り口はそれぞれ違うと思うが、町で生きていけるからって彼らは決して強くない。



今日は、アフリカンチャイルドデー。

「ただ生きる」のではなく、「どう生きる」のか。

アフリカだけでなく、

世界の全ての子供たちが

そう考えられるようになるのはいつだろうか。





今日の自分の活動については、また次回。 
明日は中間報告会、来週は健康診断でナイロビに行ってきます。




2011年6月9日木曜日

布ナプキン作り。

 今日は午後から、来週16日の「アフリカンチルドレンデー」のイベントに向けて、布ナプキンを大量生産する作業がはじまった。そのイベントに集まる多くの女学生達に配布するとのこと。

エスタ率いるグループメンバーと共に、初めての作業。

メンバーとは今日初めて会ったが、エスタから何度か私が作ったサンプルを見せてもらっていたようで、
 「あなたがあの布ナプキンのミハルなのね!」と、会うのをとても楽しみにしてくれたようだ。

(なんじゃそりゃ~)

以前エスタと共にナイロビにあるケニアのチャリティ団体の事務所に出向いてこの布ナプキン活動への資金援助のお願いに行ったことがあった。TV出演した際のDVDなどもばっちり持参して。
 
その結果、なんと20万円もの資金がこの活動におりた。

エスタのアピールのうまさ、行動力にはいつも感心する。

そして、私の使い方もとにかくうまい。

注目の集め方や他機関からの信頼のもらい方など、そのどれをとっても、
ただでさえ目立つムズング(スワヒリ語で白人の意味)である上に、JICAという大きな機関に属している私を、どちらの活動にもプラスになるようにうまく使ってくれるのだ。

私はこれにいつも助けられている。

先輩隊員から教えてもらったこの布ナプキンの材料も、エスタなりに出来るだけ紹介したものに近い素材を格安で探してくれたようで、毛布やカバーなどを含めてたっぷり用意してくれていた。

みんなが持ち帰って、とにかく16日までに作れるだけ作るとのこと。

今日はその作り方を、「あの布ナプキンのミハル」が直々に伝授するというわけである。

みんな、かなり真剣に取り組んでいる☆

遊ぶ、エスタ。
ミシンを使ったことがないエスタ。
ヤラセの一枚。

こちらは本物。洋裁職人のメンバー。



「笑うと魂抜かれる」とでも思っているのでしょうか…。
カメラを向けると一切笑わなくなるメンバー達。

今日は少々集まりが悪かったということで、もう一度日を改めて集合するということに。

ということは・・・・・、ついにあれの出番か!?

試行錯誤の上、考案した新型モデル「パンツがなくてもOK!もれない!ズレない!新型布ナプキン☆」!!


想像してみてください。

パンツがなくてもOKな布ナプキン。


「こんなのどうよ!!」って、いいの浮かんだら、是非教えてくださいね。


次の機会、このアイデアを思い切って紹介してみようと考えている。

2011年3月31日木曜日

コンドーム。

「性行為を行う際にコンドームの使用することは、最低限の予防法です。

 HIVを含む性感染症に関しても、望まない妊娠に関しても。」

日本で保健体育の教師として8年間、保健の授業を通して生徒に話してきたことである。


今から8ヶ月前に初めて任地訪問でうちのセンターに来た時、半日HIV陽性患者への診察を見学した。

HIV陽性の患者さんたちが診察の最後に、希望するだけ無料配布のコンドームを持って帰る。

30~50歳くらいのおばさんたち。(たまたま私が見たときは若者はいなかった)

ガサッと両手で30個ほど、ポケットに忍ばせた黒いビニール袋に一気に詰め込む。

その遠慮のなさと、希望するコンドームの量の多さに驚いた。

HIV陽性者は性行為をしてはいけない、というわけでは決してないので、

とても語弊のある言い方だが、

「HIV陽性者なのにやる気満々じゃねえか。」と思ってしまった。


冒頭で述べた「コンドームは最低限の予防法」という言葉が、この行為にも当てはまる。

HIV陽性者の人々にとっては、HIVを他の人に感染させないための手段としてあるコンドーム。

ゴム一枚の向こう側に、HIV感染源として最も危険性の高い精液か膣分泌液がある。

「コンドームってすごいんやな。」と、しみじみ感じた。




昨日紹介したソフィは現在メルーという町で、 Discordant(カップルや夫婦間で片方がHIV陽性、片方がHIV陰性)の調査をしている。

現在12組のDiscordantカップルに定期的にインタビューを行ったり、治療に向けてのアドバイスなどを行ってその実態調査の結果をまとめている。

そのカップルたちでさえもなかなかコンドームを使用しないらしいとのこと。

片方がHIV陽性者だと分かっていてさえも。


そんな人たちに、これ以上予防について言及する必要はあるのか。

彼ら自身でHIV感染確率の高い方を選択しているのだ。


HIVに感染するということは、その人たちにとってなんなんだろうか。

私たちが海外からわざわざきて防止する程のものなんだろうか。と、頭が痛くなる。


ならHIV感染したときに海外援助の無料治療や無料治療薬に頼るなよな。と、思ってしまう。


しかし、感情にまかせて腹を立てていてもしょうがない。

そのカップルや夫婦から産まれてくるかもしれない新しい命には全くその責任はないのだから。


新規感染者を一人でも多く生み出さないために。
今までも、これからも、それでも予防教育を地道にやっていくしかない。

2011年3月8日火曜日

第2回エイズ教室inニャフルル

この週末は、なんと自称チェ・ジウを名乗る同期、ヨウコ隊員のいるニャフルルにエイズの授業&スポーツ大会に参加してきた。滞在中の3日間、私は実家にいるかのごとくダラダラさせていただきながら、モテる女とはこうあるべきだという見本のようなものをこのヨウコ隊員から教わった。
今後の参考にしたい。

今回訪れた学校は、ニャンダルア・ボーディング・プライマリー・スクールである。

ケニアにはこのボーディング(寮制)をもった学校が非常に多く、特に両親共に働いて裕福な暮らしをしている家庭の子供はこういった寮完備の学校に預けられている。

ここでの初日は、7年生(中学2年生あたり)の3クラスに対してのエイズの授業3コマ。

2回目となる今回は、内容ももちろんバージョンアップ。

HIV教育とは、自分が感染する前に自分の問題として捉えさせること。

ここにどれだけ迫れるか?

前夜を含めて何度も話し合いを持ちつつ当日を迎えた。


前回からの変更点は、グループワークを3つ入れた点。

①性的ネットワークでHIV感染があっという間に広がっていく擬似体験
②性的にアクティブな人物の立場でどのように感染を回避していくかのディスカッション
③結婚、出産、死を含めて自分の人生プランを立てる

ということを含めた結果、授業をする側の私たちも興味の尽きない授業となった。

興味深かったのは、③の人生プラン。

乳児死亡率が高いため、平均寿命が51歳のケニア。

子供たちが何歳までのプランを立てるかが非常に興味深かった。

結果、ほとんどの子供たちは将来なりたい職業を含めて90~100才までの人生を見積もってプランを立てた。

実はこの人生プラン、日本の高校の保健の授業でもやったことがある。

「一生独身がいい。」「子供はいらない。」「70年も生きれば十分、あまり長生きしたくない。」

などの、少数ではあるが日本の高校生が描くプランはケニアの14歳にはみられなかった。

年齢の違いだけではない気がする、この違い。

ケニアの子供たちと日本の子供たちの捉える現実にはどんな違いがあるのだろう。


そして、将来何人の子供が欲しいか?

一番多かった答えが、「2人」。

しっかりとした教育を受けるためには、子供一人当たりにかかる養育費がどれほどのものかよく周知している印象をここの子供たちから受けた。

スラムの子供たちに聞けば、どのような回答がでるだろうか。これも興味深い。


そして今回の最後の締め括りは、エンカレッジ!!

自分の人生は自分次第で変えられる。

何にでも挑戦できる。

結婚も妊娠も、女性の人生にとって一大イベント。けれど、それが絶対ではない。

それすらも含めて、みんなは全て選択できる。

HIVに限らず自分の人生を、自分のために、相手のために大切にして欲しい。

60年前に感染症が蔓延していた頃の日本と同じ状況の現在のケニア。

まだまだ平均寿命が51歳のこのケニアを君達自身で変えていって欲しい。



君が変わればアフリカが変わり、アフリカが変われば世界が変わる。

すべては、あなたから。


そんなメッセージを込めた。

真剣な眼差しで話を聞いてくれた子供たち。

ケニアに来て、ものすごく実感させらること。

教育の大切さ。

援助に頼る習慣を身に着けた大人たちを変えることの難しさ。

夢を見ないフリ、夢を持たないフリをしていると、そのうち本当に夢が見れなくなってしまう。

いい意味で何も知らない子供たちに、感じてもらうこと、意識してもらうこと、挑戦してもらうこと。

この子たちが、これからのケニアを作り、これからのケニアを盛り上げていく。

この子供たちの純粋さや元気さに、多くの力をもらった。


そして何より今回うれしかったのは、何人もの先生が私たちの授業を見に来てくれたこと。

そして、目を輝かせて聞いてくれたこと。

私たちに興奮して感想を伝えてくれたこと。

この先生たちの存在こそが、今後のエイズ教育の継続を確かなものにしてくれる。

子供たちに確かなきっかけを与えてくれる。


たった1校のたった1学年に行った授業。

けれど、この小さな一歩がなければ何も変わらない。

自分達が出来ることへの可能性を感じた今回のニャフルルだった。

さらにパワーアップした次につなげたい。

(今回の模様を、他の隊員もブログに書いています!是非ご覧ください!☆をクリック!
 招待してくれたヨウコ隊員のブログ☆ いつも私と双子に間違われる美人のマリ隊員のブログ☆)

空手を入れて心と体のウォーミングアップ!

今回は、最新プロジェクターを導入!
プリントが印刷できなくても、大丈夫!
感染予防のために何をすべきか?みんなで話し合い。

じっくり自分の人生プランを練ります
40歳と60歳の欄には、「お年寄りを大切にする」とある
とってもいい瞳をしている彼ら。
ケニアの未来は君たちにかかっている!

2011年3月3日木曜日

発言。

月一回行われるユースグループの会議内において、昨日は熱く語った。

支援してもらう団体が見つからないからという理由で全く進まない学校への巡回教室。

巡回に行くための指導法を学ぶために、講師を招いて5日間トレーニングを行うという計画。

それにかかる資金を、どこかの援助団体にお願いしようとしている。

その申請のために作成するプロポーザルに必要な見積りがいつになっても手元に来ないので、
「いつになったら来るんだ?」と聞いたら超適当にその場で概算する彼ら・・・。

そして、それによってはじき出された合計金額のうち、2割が講師代、
8割が参加者25人分の5日間の昼食代・・・。

ふざけんじゃない。
「この参加者の昼食代とジュース代っていうのは、いらないんじゃない?」
と、代表のナースに聞いたところ

「セミナーに昼食は必要よ。こっちで用意しないと
 ランチに出かけたっきりみんな戻ってこなくなるからね。」
との回答。

は?は?は?
みんなって、この子たちですよね!?
わたくし、非常に理解に苦しむんですけど・・・。

普段、ロクに昼食を食べてないのに、なんでこの時ばかり食う気満々やねん?!
(ケニア人の多くは1日1~2食とチャイしか飲まない人が非常に多い。1日3食は稀。)

そして、そんな意識の低いやつらに講座を開く意味なんてあんのか?!

と、あっという間に多くの疑問でいっぱいになった。

と、ここまでは、前回の会議。

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そして、昨日の会議。

同期のエイズ対策隊員たちでHIV巡回教室のために制作した数々のお手製グッズを持参。
会議が始まる前に、メンバーにすべてを披露。

完成度の高さに、かなり興味津々のメンバーたち。

その中でも小学校の子供達に向けて作ったクイズの答えを知り、かなり驚いた様子だった。

特に、世界のHIV陽性者の60%がサブサハラ以南のアフリカに集中しているという事実。
これをどのメンバーも知らなかったらしい。
「60%のHIVがアフリカにあるなんて!!」と驚く彼ら。これは、大変意外だった。

そして、会議が始まりいつもの「活動資金がない」という話になった。

「MIHARU、何かアイディアはない?」と聞かれる。
今まではプロポーザルについての提案をしていた。
しかし、今日は違った。なにやら、とても我慢できなかった。

「活動資金がないなんて、全く理由にならない。
 私は資金援助に頼った活動をすることは、好きではない。
 援助がもらえないと決まれば、結局活動もしないのか? 
 今日みんなに見せたグッズは1000シルもかかってないもの。
 私が伝えたかったのは、意欲とアイディアさえあれば今からでもすぐに活動は始められるってこと。
 そして、私達は巡回教室をするための特別なトレーニングなんて受けていない。
 色んな機関にいって参考になる資料をいっぱい借りて、自分自身でHIVについて勉強した。
 それらは、すべてタダ。
 こんなにHIVが多い環境の中で、HIV教育を受けてきたあなた達のほうが知ってることは多いはずだ。
 お金が先で、活動が後ではなく。活動が先で、援助は後からついてくるもの!
 すでに動いている団体はそうしている。

 本気でやろうと思えば、なんだってやれる!自分達から変えていける!」
 (全体的に下手な日本語訳みたいになりましたが・・・。)

ということを伝えたら、とっても
しーん。と、静まりかえった。

後半は、自分がDr.杉下先生になったかのようだった。
そして、大変すっきりした。

昨日は、バイロンをはじめとする幹部2名がいなかったけれど、何かしら伝わっていればいいなぁ。と、淡い期待を抱いて今日の会議は終了した。

さて、いよいよエスタ議員との学校訪問が始まる。
そして、週末は同期隊員の任地にワークショップに出かける。

何が起こるか楽しみだ。

2011年2月28日月曜日

なぜだ、なぜなんだ?

もしHIVに感染しても、

海外からの非常~に手厚い援助があるため薬や治療は生涯無料。

偏見や差別だってなくなってきてるし、

毎日やや面倒ではあるけれど、しっかり投薬さえすれば楽しい人生だって送れちゃう!?


だからといって、

HIVに感染する確率が非常に高いこの国で

「コンドームを使わなくってもいいや。めんどうだし!」

「コンドーム嫌いなんだよね。買う金もないし!」

「恋人のこと信じてるから、使わないよ!」

って、なるのがわからん。

意味がわからん。


スラムの若者は、

「コンドームは100%の予防にはならない!だから使わない!」

と主張していたし・・・。

君、その知識はあるんだね。非常に偏った解釈の仕方だこと・・・。


意味がわからん。

ただの、アホか?

太く短く生きる主義なのか?


これならば、

HIV/AIDSは治療費と治療薬代に莫大な金がかかる病気。

よって、一度感染してしまうとどうにも出来ない死に直結する恐ろしい不死の病である。


という、脅しを効かせたほうが新たな感染は減少するかもしれない。

ま、根本的な解決には繋がらないが・・・。


もう一度そんな若者に出会ったら、今度は徹底的に問い詰めてやろう。

その答えから、次の戦略を導きたい。

2011年2月23日水曜日

スラムへ。

今日はナイバシャにあるスラム、通称KCCにいってきた。

Health Campが開催されている情報をキャッチし付いて行ったら、
以前一緒にアウトリーチに行ったことのあるうちの病院のスタッフがそこで活動していた。

最近は病院の外で活動することが多い。
興味の赴くままに色んな団体との接触を持っているが、
巡り巡って行き着いた違う施設で、改めて知っている人に出会うことも多くなってきている。
少しずつ活動の焦点が絞れてきている兆候だといいのだけれど。

今回のCampは簡単にいうとスラムへの出張診療所。
結構大きな規模で海外のボランティアや寄付により、治療から薬まで全て無料で振舞われていた。

その中で、若者の男性に向けてHIV/AIDSについてのヘルストークが行われていた。
学校に行っていない若者も多くいるスラムで、正しいHIVの知識を伝える目的で行われている。
今回は主にコンドームのつけ方を、バナナとコンドームを使って学習するというものだった。

ヘルストークの様子


コンドームの使い方を説明するUKボランティア



使う気ゼロの彼ら、半分は英語が通じない














完全に面白半分で参加している彼らに、
「実際今までにコンドームを使ったことあるの?」と聞いたところ、
「俺は今まで一回も使ったことないね。」という、非常に想像通りのコメントだった。

「それよりあんた、次のSEXでコンドーム使う気あるの?」と聞いたところ、
「使うわけない。俺はコンドーム使うの嫌いなんだ。」という、これもまた非常に想像通りのコメントだった。

ディスカッションの中で、「なぜHIVネガティブ同士なのにコンドームを使う必要があるんだ!?」
と少々怒り気味の発言もあり、これが現実なんだなとしみじみ感じた。

約7.4%のHIV感染率を示しているケニア。
約0.1%以下という日本の状況で無関心なのとは、またわけが違う。

教育が必要。それに尽きる。
しかし、教育が浸透するためにはその基盤となる教養が必要であることも実感した。

こいつらによって、またやる気が掻き立てられた。

指導者のケニア人が連呼していた言葉、

「 あなたの彼女も彼氏も、妻も夫も、家族でさえも、決して信じてはいけません。

  信じられるのは自分自身のみ!あなた自身のみ!

  自分のためにコンドームを必ず使うのですよ。 」 と・・・。


彼らは自分の人生というものをどう捉えているのだろうか。
日本なら「人生80年」のところを、何年間と見積もるのだろうか。

わざわざ海外から肌の色の違う人間がケニアのHIV予防教育をしにやってきている。
この状況は、彼らにどう映っているだろうか。
彼らの行動変容には、何が効果的か。
せめて、彼らの選択肢の中に「コンドームを使う」を入れたい。

彼らがつい真似したくなるような方法は何か。
何かセクシーでクールでスタイリッシュな方法はないものか。

スラムの住居

テレビのアンテナが伸びる家もちらほら

お手製のサッカーボール


兄弟の子守をしている子供を多く見かける

 
絶叫の予防接種


体重測定

医者の出した処方箋にしたがって、薬が支給される
本日最も多かったのは、上気道感染症の症状。
うちで調べてみると「かぜ」のことだった。

カーテンで囲われたVCTテント
この中で、HIV検査が出来る


受付に並ぶスラムの住民たち


診察や遊びに来ている子供たち