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2011年8月22日月曜日

ケニアのイメージと日本人らしさと。

今回、日本から2グループがケニアにきてくれたことを振り返って、
新鮮に映ったことをいくつかまとめ書きしておきたい。

①マラリア対策

アフリカ旅行の情報には必ず記されている感染症の注意喚起。
日本で確認されていないものも多々あるということで、
日本の検疫対策としても渡航者としては必ず知っておかなければならない情報のひとつである。

その中のひとつが、マラリア。

しかし、マラリアの生息地は、ケニアの全土ではない。

ケニアのビクトリア湖のあるニャンザ地域とコースト地域は標高が低いため
年中気温の高いマラリア生息地域とされているが、
観光地として人気の高いマサイマラ・ナクル・ナイバシャ・ナイロビなどは
赤道直下といえど、いずれも標高が高く年中涼しい地域なのでマラリアの媒介であるハマダラ蚊は生息していない。


日本の友人たちの泊まるナイロビのホテルの一室に訪問したときのこと。
そこに一歩足を踏み入れると、鼻を刺激する懐かしいぃ~匂いがした~♪

その原因は・・・・・

蚊とり線香2巻き。
電気蚊とり線香2つ。
腕にも携帯式蚊取り線香。

が、同時にフル稼働。

名付けて「蚊、秒殺部屋」

どれも、日本製だけあって、おそらくその殺虫能力は世界一だろう。

私が蚊だったら、間違ってもこの部屋に迷い込みたくない。

彼女たちの旅の行程にはマラリアが流行っている地域はひとつも含まれてはいなかった。


②水

同級生のスーツケースから、『南アルプスの天然水』1.5リットルが2本でてきた。

合計3Kg。

日本人にも安全に飲めるミネラルウォーターはケニアでいたるところに売っていることを、

ちゃんと事前に伝えておくべきだった。


③オンタイム

7時出発ということは、8時半出発でも9時出発でもなく、

寸分の狂いなく「7時出発」であるということ。

日本らしさを痛感した瞬間だった。


④ウェットティッシュ

主食のウガリやチャパティなど、手で直接食べることの多いケニア。
トイレの水はなくても、手を洗う水はしっかり確保されている店が多く、
各テーブルで手洗い用の水を持ってきてくれるサービスもあり、
ケニア人が石鹸を使って念入りに手を洗う光景はよくみかける。

学校でも給食の配膳を待つ生徒の長い行列は、まず食事ももらう前に手洗い場へと続いている。
日常生活の衛生環境が良好とはいえない分、日本よりも「手洗い」に対する意識は強いと感じる。

今回の旅の中で、友人たちとの食事前、必ず登場したウェットティッシュ。
どれにも「抗菌」「殺菌」「トイレに流せる」などの文字が印字されている日本の製品。

何か、「無敵」な気がした。


誰のカバンにも常備されていて、どれほどのストックがあるのかわからないが
いつも惜しみなく使用させてもらった。
水で手洗いすることも悪くないのだが、いちいち席を立たなくて済むウェットティッシュ。
これは非常に便利な代物だった。

さて、ケニア生活でないものを数えだしたらきりがない。
しかし、なかったら、ないなりの生活をすることはここにいて自然なことである。


日本にもそんな時代があったのだろうな、と思う。
ないなりの生活もしっかり営まれていただろう日本。

その中で現状に甘んじない人たちの便利化、
効率化への探究心と情熱と行動力があり、
少しずつ成長しながら、今に至っている日本。

ケニアにいてよく思うのは、ケニアの人々の生活スタイルは

良くいえば、『ありのままの現状を受け入れている生活』

悪くいえば、『ありのままの現状をあきらめている生活』

どっちなんだろう? と。

コンクリートで完璧に整備された日本の道路環境では決してはかることはできないが
アフリカの荒れ狂ったサバンナの道路でMADE in JAPANの車の真の実力を思い知る。

サファリカーでなく(そのサファリカーでさえも日本車だけど)、
普通車であっても日本製というだけでサバンナの道路を難なく走り続ける。

常に最低最悪を想定したものつくりの完成形をアフリカでみることも多い。

日本製はそれだけでブランドである。

顧客満足を第一に考えて進化し続けてきた日本製品の素晴らしさに改めてというより、

初めて気付かされることも多い。


『ありのままの現状に甘んじない姿勢』

やっぱり日本はすごいんだ。



そのクオリティの追求がケニア全体の需要としてあがってくるのは、

まだまだ先のことだろうけど・・・。




2011年8月21日日曜日

ケニア旅行記。

今回はるばる日本から来てくれた2グループのケニア旅行。

マサイマラ国立公園、ナクル国立公園のサファリには同行できませんでしたが、


ナイバシャのヘルズゲート国立公園とナイロビ観光はたっぷりと一緒に楽しまさせていただきました。

これで私の観光業としての役目は終わり、笑 

もうネタバレもないということで2グループの写真と共に今回のケニアの旅を紹介します。



まずは『サファリパークホテル』


ここは生ライブやケニアンダンス&アクロバットショーを見ながら、


色んな種類の炭火焼の肉がおいしくいただけるスポットです。

現在ケニアではカメラを首からさげた中国人の団体ツアー御一行様が、どの観光地にもあふれています。

例外なくここにも多くの中国人観光客の姿。


そのため生ライブも断然中国語の歌が多く、定番曲に異常に盛り上がる中国人グループに少々圧倒されながら、

しかし、周囲からみれば私たちも中国人だと思われているのだろうと感じながら、


そんなことはお構いなしで、おいしい肉料理を堪能しました。





クロコダイルの肉も
大変おいしゅうございました。
次から次へとシェフが切り分けてくれるので、
食べているのが何の肉なのが途中でわからなくなります。




























最後は皆で記念撮影。
とっても気軽に応じてくれます。


高校時代の同級生グループとは、キベラスラムでのチャリティマラソンに出場し(過去ブログ:スマイルアフリカチャリティラン)


4人のうち3人が高校の理科教師。
石の色や形など注意深く観察してました。
地学専門の先生にはたまらないスポットだろうな~。


同僚の先生グループとは、ナイロビからの日帰りで、以前紹介したナイバシャのヘルズゲート国立公園にサイクリングサファリに行きました。
(過去ブログ:ヘルズゲート国立公園。)


多くの草食動物を横目に、自転車に乗りながらアフリカの大地を駆け抜けた贅沢な時間でした。


渓谷ツアーでは約2時間かけて、河川水が作り上げた岩をよじ登ったりしてアドベンチャー気分に浸りました。




温泉も湧いています


これはまさに、ビバリーヒルズ青春白書ですね


近年まれにみる大雨(異常気象レベル!?)の翌日ということもあり、
渓谷内の水量は今まで訪れた中で一番多かったですが、
みんな靴が濡れないように滑らないように慎重に何とか歩ききり大満足で公園をあとにしました。


しかしその3時間後・・・。


帰りのマタツを降りてしばらく歩いたところで、急に土砂降りの雨に降られ


私は暗闇の中を小走りでみんなを引き連れて道を大きく間違えるという痛恨のミスを犯してしまい。


最後には水たまりを避けるという行為すらバカらしいと思えるほどパンツまでずぶ濡れになり、


“やってもうた感”満載。


オシャレなカフェがある目的のデパートについた頃にはトイレに駆け込み


服を脱いで絞るしかない状態にまで追い込まれました。


というか、大切なお客様を私が追い込みました。


大きなデパートでカフェをあきらめ、
濡れたままの服でお土産を購入する様子。
本当にすいませんでした。
しかし、ナイロビらしい寒い夜だったにもかかわらず、


次の日には誰一人風邪を引くことなく、朝早くから一日中お土産を買いに出掛けても、


みんなが大変丈夫でいてくださり本当に救われました。


そして結果として大雨に全身打たれたことによるアイシング効果のおかげか、


ハードだったサイクリングの筋肉痛やダルさが翌日残らなかったのは不幸中の幸いでした。


(はい、すいません。)




続いて、ゾウとサイの孤児院。


小象が並んで登場してくる様子は、とてもかわいかったです。


でも、雄大なサバンナで生きる象の姿に勝るものはありません。

早く元気になってサバンナへ帰るんだゾウ。








お次はキリンの孤児院、ジラフセンターへ。
直接、エサもあげられます。










 ナイロビのタウン内の問屋街にて、布製品のお買い物。


ケニアの伝統布製品キコイやカンガ、マサイブランケットがところ狭しと並びます。


みんな短時間でも、しっかりお好みの布をゲットしてました。



協力隊にはお馴染みのサイザルバック屋さん。

職人さんたちがその場でオーダーメイドのお好みのバックを作ってくれます。

ケニアに来た人をここに連れて行くたびに、

待っている間職人さんたちとしゃべっているので最近はもうすっかり顔見知りになりました。

計8名の日本人が一人当たり5~7個のバックを注文したので結構な総数です。

かさ張るバックを帰国時に詰め込むのに、みんな一苦労してました。


土台となる大量のカゴの山から
イメージに合うものを探してもらっています。
オーダーが次々と完成していく様子。
取っ手の数だけ、バックが出来上がっています。
エチオピア料理のインジェラも食べました。
しかも、この夜はエチオピアから来ていた同期隊員の詳しい解説付き。
締めのエチオピアンコーヒーまでしっかり堪能しました。


ナイロビにはムード満点のオシャレなイタリアンレストランが何店もあります。
「ケニアとは思えない。むしろ滋賀を超えている。」といいながら、
おいしいお酒と料理で最後まで語り合い久々の再会を楽しみました。
見送りの空港で最後の窓越しショット。
16:40ナイロビ発
ドバイでの乗り継ぎ4時間待ちを経由しながら
計20時間のフライトを経て
翌日の17:10には関西空港到着。


どちらのグループも6泊7日のケニア弾丸ツアー。




みんな帰国した翌日から通常勤務に戻ったとのことで、


慌しい日本の生活をしばし忘れて、


夢の中にいたようなケニア旅行だったとメールをもらいました。



遠くて案外近いアフリカにあるケニア。

みんなの目に映ったケニアはどんなものだったのでしょう。

同じアフリカでもケニアでも、みる切り口によって大きな違いがあり、それぞれにまた様々な捉え方が生まれます。


私も全てを知りません。


しかし、みんなに見てもらったどれもがアフリカの姿であり、ケニアの姿です。



そしてこの8月にはアフリカ他国の協力隊員がケニアを訪れてくれました。


その協力隊員たちがケニアにきて驚いているのと同じく、


私たちもケニア以外のアフリカの国に行ったときに多くの驚きがありました。


同じアフリカといっても、本当に様々な顔をもっています。



残されている半年のケニア生活の中でも、出来るだけ多くの側面をみていくことが、


世界や日本をまた違う切り口でみることにつながります。


そんな中で自分としての心の置き方を模索し続けたいと思う毎日です。



最近、自分の体感するケニアを上手く表現する方法が見つからないことばかりで、


その度にもどかしさと自分の表現力の乏しさを痛感します。


そんな中で実際にケニアに遊びに来てくれたみんなと、この先もずっと今回の思い出と共に


ケニアの話、アフリカの話ができることに本当に感謝しています。



実現できると思ってもみなかったケニアでの再会、各グループの幹事さん本当にありがとう。



みんなも忙しい中、調整して会いに来てくれてありがとう。


本当にうれしかったです。


次のステージ日本での再会を楽しみにあと少しがんばります。




2011年8月19日金曜日

日本食祭り。

皆さん、ご無沙汰しております。

先ほど同期隊員と共にドミトリーで昼食をとりました。
本日のメニューは、

・納豆パスタ
・タラコパスタ
・さば味噌煮込
・さんま蒲焼
・なめこ汁
・麦みそ汁

どうですか、皆さん。
特にアフリカにいるそこのあなた。
そんなあなたに向けて私は今、自慢しています。

この贅沢日本食祭り。
昨夜なんて、ベビスターラーメンを5袋も皆で食べてしまいましたからね。
今日の夜は、梅酒と共に柿ピーとイカのあたりめを食べたいと思います。

というのも、昨日までの7日間、第3弾となる日本からのお客様が遊びに来てくれてました。
夏休みといえど忙しい毎日を過ごしておられる滋賀県の教師仲間4名。

今頃は無事に日本に到着して、ぐっすりと眠りについておられることと思います。
それよりもずぶ濡れになった靴は、今頃乾いているでしょうか。

旅にトラブルは付き物、とはよく言ったもので・・・。

みんなの許容範囲の広さ、いや日本の教師としての懐の深さと表現したほうがいいかもしれませんが、
ハードな日程の中で誰一人体調も崩さず、「全てひっくるめて旅の思い出だ」と笑って振り返ってもらえたみんなの笑顔に救われました。
「日本から持ってきて欲しいものって何?」って聞かれたら
あなたならなんと答えるでしょうか?

私の答えは、キネシオテープとコーヒードリッパー
余裕があれば梅酒と柿ピーでした。

しかし!こんなにも多くの日本食材が手元に!
もう、感動しか生まれない光景です。

ケニアでの再会、本当にうれしかったです。

第1弾教え子、第2弾同級生、第3弾同僚。
日本からのお客さんを迎えるのは、今回で最後のはずですが、
日本でも、ケニアでも、素敵な仲間に支えてもらっている私は本当に幸せ者だとつくづく実感しています。
Y先生がレッドリボンズキンちゃんの消しハンと
Tシャツを作ってくださいました☆
パーマン2号のブービーみたいなお猿さんもかわいいっす!
ありがとうございます☆
















剣道部のS先生と新聞部のS先生。
新婚生活をスタートしたM先生。ご結婚おめでとうございました!
皆さん、心のこもったプレゼントありがとうございました。

8月に入ってからは隊員総会2日間、エイズ対策会議3日間、他国隊員との再会、日本の友人との再会など多くのことがありました。
ぼちぼち振り返りながら、このブログに記していこうと思います。たぶん・・・。

2011年5月14日土曜日

生ヤギ。

先日、マサイ村を訪問した。

ここでは歓迎ダンス、ジャンプ競争、火おこしなどの体験をさせてくれる。

ジャンプ大会

その中のひとつ、『ヤギをさばく』。


とどめを刺す

さっきまで生きていたヤギの血を飲む。

採れたて
口の中にヤギの体温を感じつつ、ドロっとした舌触りにギョギョッ!!としながら。


コップの衛生状態が保たれているのか、保たれていないのか。

ヤギの血がうまいとか、まずいとか、という問題ではない。




ザ・根性試し。
 

目玉のオヤジ
引き続き、ヤギの生腎臓と生肝臓にもカブリつく。

甘みと共にほのかに感じた塩味は、ヤギのものなのか、さばいてくれたおっさんのものなのか。

わからないし、考えたくない。
 
いただきます
ゴマ油プリーズ!!塩プリーズ!!

欲をいえば、もっと冷えていれば・・・

ああ、生ビールがあれば・・・


日本の焼肉屋のレバ刺しが恋しい。


血の生臭さは一日中、口の中から消えることはなかった。

何よりも「ヤギはご馳走だ」といっているマサイ族自身が、

最後、若干無理して血を飲み干していたような気がしたことが印象に残った。






2011年5月7日土曜日

折り返す。

本日、教え子(高2の時の担任が私)のケニア旅が幕を閉じた。

彼の乗った航空機がナイロビ空港を飛び立った。

普段から、たくまし過ぎる協力隊仲間に囲まれすぎているせいか、
18歳の彼がとても小さく見えた1ヶ月。

機上からアフリカの大地を見つめながら、彼はこのケニアでの日々をどう振り返っているだろうか。

『彼の目にはどう映るか?』

そんなことを考え続けたこの1ヶ月は、正直とても疲れた。


しかし、その分、楽しかった。


自分の人生の中のほんの2年間をアフリカで協力隊として過ごすと選択した人たちに、一度にたくさん出会った彼。

東日本大震災から1か月後に日本を出発し、ケニアという国で、多様な人々との出会いの中で、様々な人生観に触れた約1ヶ月だったと思う。

何かひとつでいい。

何年かかってもいい。

これからの彼の人生の中で何かしらの形になれば嬉しい。


この1ヶ月間、なるべく多くの仲間の配属先に彼を放置した。

とても貴重な経験をさせてくれた更生施設のユウヘイ、孤児院のリサちゃん、

同じ時期に日本から来て本当にお世話になったナナちゃん、マリのお姉ちゃん、

彼にたくさんの話をしてくれた協力隊のみんな、ありがとう。

また幾度もメールをいただき、かえって多くの気を遣わせてしまった彼のご両親へも

本当に感謝の気持ちでいっぱいである。




気つけば今日はケニア生活の折り返し地点。

ケニアに来て319日。帰国まで319日。

ケニアという場所で、自分自身のために全てを使える貴重な時間を過ごしていることを

教え子の存在が改めて教えてくれた。




またここから、自分の前半の日々に負けない日々を積み重ねていきたい。


ケニア生活、後半戦のはじまり。

2011年5月5日木曜日

夢探し、自分探し。

元生徒が孤児院の子供たちと交流した4泊5日。

子供たちはとても不思議がったそうだ。

「この日本の少年は、なぜケニアに来たのか?」

「夢を探しているんだよ。」

「日本人は夢を探しに、わざわざ外国に行くの?」



これは嫌味ではない。

ケニアの子供達と話してみると

「夢がないことを悩む」

この感覚が、どうも理解出来ないことらしい。


夢があってもなくても、生きるために自分に出来る目の前のことをするのが人生。

貧しい生活の中で、選択肢などない。


ふと、この間行われたフェスティバルでの出来事を思い出した。

その中に、ケニアの子供たちの夢を絵に描いてもらおうというブースがあった。

そこではこちら側の趣旨とは違って

子供たちがみんな揃って「将来住みたい家」か「将来乗りたい車」を描きだした。




日本では当たり前に出てくる

「夢さがし」

「自分さがし」



今まで出会った全てがその材料になる。

材料が足りなければ補充して?


しかし、どれだけ追い求めても自分の外側に答えはみつからない。

「夢」も「自分」も

最終的に答えは自分の内側にあるのだから。

人間inマサイマラ。

先日、マサイマラ国立公園に行った。


動物が活動する時間帯に合わせて朝方と夕方に行われるゲームドライブ。

朝日や夕日に照らされた果てしなく広がるサバンナの中をサファリカーで爽快に走る。


プライドと呼ばれる集団をつくり、列を成して堂々と歩くライオンたち

小鳥たちを背中に乗せてのんびり歩くクロサイ

朝日に照らされながら獲物を捜すチーターの親子

木に登り捕らえた獲物にかぶりつくヒョウ

黙々と草原で食事を続けるインパラやバッファローの大群

おびえながらチョコチョコと走るイボイノシシたち

母親同士で仲良く子供たちを囲みながらのんびり歩くゾウの親子



なんて贅沢な時間だろうか。



マサイ族のガイドさんが色んな話をしてくれる。


『世の中で一番奇妙な動物は何だと思う?』



『…… 人間?』

『正解。』


他の動物たちは自然に背くことはないから。

人間は時折?いつも?理解できない行動をする。


人間が自然のままに生きるって、どんな状態を指すのだろう。

人間の習性、進化の過程、現時点では何を指すのだろう。


ヒトとヒトの”間”が影響し合い、紡ぎだされる不自然の連続。

だから”人間”はとても難しく、とても面白いのだけど。



実物以上でもなく、実物以下でもない。

ありのままの自分を受け入れること。

難しいことだろうか。



大自然の圧倒的な存在感の前で、ちっぽけな存在の私は、

色んなことに思いを巡らさざるを得ない。

ただ、ただ、生かされている自分に気付く。


言葉で伝えられない、感動がある。







2011年5月3日火曜日

大きくなれ。

彼はもう高校生ではない。

高校を卒業した社会人である。


教室の中での教師と生徒だった1対大勢の関係ではなく、

人間同士として1対1のどんな再会が出来るかとても楽しみにしていた。


しかし、いうならば「家族旅行の子供枠」のような感覚で、元生徒がケニアに来てしまった。

関西空港から飛行機を乗り継いでナイロビに来た時点で、彼の冒険は終わったのかもしれない。

それからというもの彼の目には常にケニアではなく、私、が映っている。

そう気付くのに2日もかからなかった。



今からちょうど一年前に、訓練所に入った4月を思い出した。

常に思考回路の中に「生徒たち」がいる日常から離れて、

自分だけのことに時間を使える贅沢さと常に自分が主体となって動ける身軽さを感じた。

そしてそれ以上に、自分との真っ向勝負を突きつけられる毎日に厳しさも感じた。


他人の成長を心から期待して喜べるのが教師かもしれない。


そういった意味では、数多くいる元生徒の中でも、

教師だった頃の自分の感覚を呼び覚ますのに十分過ぎる彼がやってきてくれた。

手がかかるヤツほどかわいい。

未熟な彼に、完全に眠っていたと思われる私の教師魂は十分かき立てられた。



「さて、どんな環境を用意しようか。」


あれこれと説明してわかるようなことを習得するために彼はケニアに来たのではない。

たっぷり感じてもらわなければ。


これまで完全に観光一色だった前半戦は終了。

そんなわけで先日、彼と寝台列車に乗ってモンバサに移動した。

そこで同期隊員の活動先の孤児院にお願いして彼を置いてきた。

日本人は誰一人いない孤児院での4泊5日のボランティア生活。


最初からかかってきても対応しないと決めた電話は、2日目からはもう鳴らなくなった。

彼の孤児院生活は明日でいよいよ最終日を迎える。

彼との再会が楽しみでならない。

2011年4月15日金曜日

お出迎え。

昨夜、ナイバシャの町中が停電した3時間。

真っ暗闇の中、日本からのお客様達が無事到着した。

計画停電ではなく、通常停電。

そういえば、昨日は国際空港が停電していた。

ただ停電しているだけで、他は何も変わらない。

誰も騒がない。

停電バージョンに切り替わるだけ。

真っ暗闇の中、行きつけのケニアレストランも通常通り営業中。

真っ暗闇にキャンドルのように灯る明かりを囲んで、出会って20分後にはみんなで楽しく食事していた。


家に帰っても、現在の日本の状況、実際のケニアの生活。

尽きることがない話。

サーファー、看護師、教え子、高校教師。

楽しい夜だった。

今週末はキスムで開催される隊員主催のイベントに参加するためマタツで5時間の移動。

その後、同期隊員の任地を転々とするためブログはしばらくお休みします。

皆さん、よい週末をお過ごしください。



うれしいカレー粉の差し入れ!
 


日本人の皆さんの心遣いに感動です。
ありがたい。
恋しい日本食、大事にいただきます。



朝からモリモリ食べて、みんな元気です☆