活動の中で足を引っ張ったり、逆に救いになったり。
何の責任もなく自由であることが、
毎日をとても軽快にしたり、ひどく苦痛にしたり。
“何としてもアフリカのエイズ対策活動に関わりたい”
“よし。人生の中の2年間をこの活動に捧げよう。”
自分のしたいことが書かれている配属先からの要請票をJICAのHPで初めて見たとき、
他の誰でもなく自分が呼ばれている気がした。
プリントアウトした紙一枚の要請票だけが自分を欲している配属先との唯一の架け橋。
日本から持っていたほうがいいものはあるか。コミュニケーションはちゃんと取れるか。
特に訓練が始まるまでは何度も何度も読み込んで、そこで働いている自分をイメージした。
そして、赴任してみるとびっくりするほど需要のない場所での生活が始まる。
5分前に来ていないと「何かあったのか?」と電話で確認されるような日本の生活から、
1週間やそこら、いや1ヶ月、半年?家に引きこもっていても職場に迷惑はかからない生活へのシフト。
来るまでに何度も耳にしてきた「それが協力隊」「日本とは違う」という言葉で片付けられてきた事態が
現実に目の前に広がっている。
それに耐え抜いてこその協力隊というところだろうか。
でも、普通に考えたら何で?
この忍耐は果たして本当に必要なものか?
職場の人々は、ただ彼らの日常を生きている。
もちろん日本人らしくとは違って、ケニア人らしく生きているだけなのだ。
この要請は各配属先と話し合った上で本当に精選されたのだろうか。
そもそも要請書が作成されたとき、本当にここに需要はあったのだろうか。
日本人だけの価値観の押し付けや実績数の確保などで上がってきた要請ではないだろうか。
赴任してすぐに湧き出るこのような疑問の数々だが、追求することさえ無駄だということもすぐに実感する。
もうここに来ているのだから。
こちらも「自分探し」のためにわざわざ2年間かけて途上国に来たんじゃないから。
活動をしにきたのだからこそ、職場に需要がないなら外にも出て、何かしらやろうと試みる。
何もでかいことを成し遂げたいのではない。
でも、熱くなってやり始め、この活動の目的は一体何なのかとなったとき
結局それは現地の人の需要ではなく、ただ自分が固執しているだけのものではないのかという感覚に陥る。
これまでに「しんどかったけど、やってよかった!!」という大きな達成感があった時というのは
大抵周りに同じ協力隊のメンバーがいて一緒になってやり遂げた活動であることが多い。
ここにきて、出来たことに目を向け続けていればいいっていうのは、やっぱり何か違う。
協力隊としてここに来ている自分を、常に冷静に見続け、分析している自分がいる。
「援助のあり方を問うている自分という存在自体は、果たして無駄じゃないのか?」
そう、責任があるとすれば、それは日本に向けて。
研修費・訓練費・生活費・交通費など協力隊員を一人派遣するのに
2年間で約1千万円以上の税金が使われているといわれている。
書くだけでも恐ろしくなる額。
費用対効果。
「無駄」といわれても言い返せない。
普通の感覚を持つものとして、どのようにしてこんな体制が長年継続されてきたんだろう?という疑問もでてくる。
イチ納税者としても「事業仕分け」や「経費削減」という言葉に、決して悪い印象は生まれない。
これほどの金額を投入してもらってこれでいいのか?と、正直思わない日はない。
単なる努力不足といわれても仕方ないが、お金の大切さをいつもにも増して感じる現場にいればなおのこと。
確かに2年間ものアフリカでの暮らしは帰国後の教師生活に活かせるものを数え切れないほど与えてくれている。
そして、同じ時期に同じ思いをもって海外に飛び出した隊員仲間たちとの出会いはすでにかけがえのないものになっている。
活動の中で、同じ思いを共有できるケニア人にも会うことが出来た。
しかし、「そう、それでいいじゃないか。」とは思えない。
ここにきて、なお。
やっぱりまだまだしっくりこないのだ。というより、ますますしっくりこないのだ。
納得いかない部分や違和感を、今はケニアより日本に感じる。
世界の舞台でどうであるかというより、こういった現状は日本の国民にどう説明されているのだろう。
国際協力の末端にいる者が感じる違和感は、一体どこまで遡って広がっているのだろう。
そして、そうやって矛先を外部に向けて過ごすのは
随分と勿体無いことだと気付くのに十分な時間もここにはある。
これからの活動にこだわりを持つとすれば、エイズに関わり続けること。
「今日がケニアでの最後の活動だとしたら、何をしようか?」
そう考えて、出来るだけ感覚を敏感にして、自分なりの行くべき方向に家を出る毎日。
私は明日も、やっぱり自由だ。
そうやって最近、任期が残り少なくなってきた中で、任期短縮や任期延長の話を聞いたり、
配属先の後任要請について事務所と話をするにつれて、
何かこの循環をいい方向に導くものはないものかと考えることが多い。
多くの協力隊が通った同じ道だとも思えるからこそ、同じことの繰り返しではなく次の「要請」を改善できるものを伝えていきたい。
『必要とされる日本人でありたい』という、JICAの広告に現在使われているキャッチコピーを見て、
『必要とされる日本人でありたいわっ!!』と叫びながら、
色々整理しようにも、やっぱり自分のなかにストンと落ちないっていう辛気くさ~い話でした。
毎日をとても軽快にしたり、ひどく苦痛にしたり。
“何としてもアフリカのエイズ対策活動に関わりたい”
“よし。人生の中の2年間をこの活動に捧げよう。”
自分のしたいことが書かれている配属先からの要請票をJICAのHPで初めて見たとき、
他の誰でもなく自分が呼ばれている気がした。
プリントアウトした紙一枚の要請票だけが自分を欲している配属先との唯一の架け橋。
日本から持っていたほうがいいものはあるか。コミュニケーションはちゃんと取れるか。
特に訓練が始まるまでは何度も何度も読み込んで、そこで働いている自分をイメージした。
そして、赴任してみるとびっくりするほど需要のない場所での生活が始まる。
5分前に来ていないと「何かあったのか?」と電話で確認されるような日本の生活から、
1週間やそこら、いや1ヶ月、半年?家に引きこもっていても職場に迷惑はかからない生活へのシフト。
来るまでに何度も耳にしてきた「それが協力隊」「日本とは違う」という言葉で片付けられてきた事態が
現実に目の前に広がっている。
それに耐え抜いてこその協力隊というところだろうか。
でも、普通に考えたら何で?
この忍耐は果たして本当に必要なものか?
職場の人々は、ただ彼らの日常を生きている。
もちろん日本人らしくとは違って、ケニア人らしく生きているだけなのだ。
この要請は各配属先と話し合った上で本当に精選されたのだろうか。
そもそも要請書が作成されたとき、本当にここに需要はあったのだろうか。
日本人だけの価値観の押し付けや実績数の確保などで上がってきた要請ではないだろうか。
赴任してすぐに湧き出るこのような疑問の数々だが、追求することさえ無駄だということもすぐに実感する。
もうここに来ているのだから。
こちらも「自分探し」のためにわざわざ2年間かけて途上国に来たんじゃないから。
活動をしにきたのだからこそ、職場に需要がないなら外にも出て、何かしらやろうと試みる。
何もでかいことを成し遂げたいのではない。
でも、熱くなってやり始め、この活動の目的は一体何なのかとなったとき
結局それは現地の人の需要ではなく、ただ自分が固執しているだけのものではないのかという感覚に陥る。
これまでに「しんどかったけど、やってよかった!!」という大きな達成感があった時というのは
大抵周りに同じ協力隊のメンバーがいて一緒になってやり遂げた活動であることが多い。
ここにきて、出来たことに目を向け続けていればいいっていうのは、やっぱり何か違う。
協力隊としてここに来ている自分を、常に冷静に見続け、分析している自分がいる。
「援助のあり方を問うている自分という存在自体は、果たして無駄じゃないのか?」
そう、責任があるとすれば、それは日本に向けて。
研修費・訓練費・生活費・交通費など協力隊員を一人派遣するのに
2年間で約1千万円以上の税金が使われているといわれている。
書くだけでも恐ろしくなる額。
費用対効果。
「無駄」といわれても言い返せない。
普通の感覚を持つものとして、どのようにしてこんな体制が長年継続されてきたんだろう?という疑問もでてくる。
イチ納税者としても「事業仕分け」や「経費削減」という言葉に、決して悪い印象は生まれない。
これほどの金額を投入してもらってこれでいいのか?と、正直思わない日はない。
単なる努力不足といわれても仕方ないが、お金の大切さをいつもにも増して感じる現場にいればなおのこと。
確かに2年間ものアフリカでの暮らしは帰国後の教師生活に活かせるものを数え切れないほど与えてくれている。
そして、同じ時期に同じ思いをもって海外に飛び出した隊員仲間たちとの出会いはすでにかけがえのないものになっている。
活動の中で、同じ思いを共有できるケニア人にも会うことが出来た。
しかし、「そう、それでいいじゃないか。」とは思えない。
ここにきて、なお。
やっぱりまだまだしっくりこないのだ。というより、ますますしっくりこないのだ。
納得いかない部分や違和感を、今はケニアより日本に感じる。
世界の舞台でどうであるかというより、こういった現状は日本の国民にどう説明されているのだろう。
国際協力の末端にいる者が感じる違和感は、一体どこまで遡って広がっているのだろう。
そして、そうやって矛先を外部に向けて過ごすのは
随分と勿体無いことだと気付くのに十分な時間もここにはある。
これからの活動にこだわりを持つとすれば、エイズに関わり続けること。
「今日がケニアでの最後の活動だとしたら、何をしようか?」
そう考えて、出来るだけ感覚を敏感にして、自分なりの行くべき方向に家を出る毎日。
私は明日も、やっぱり自由だ。
そうやって最近、任期が残り少なくなってきた中で、任期短縮や任期延長の話を聞いたり、
配属先の後任要請について事務所と話をするにつれて、
何かこの循環をいい方向に導くものはないものかと考えることが多い。
多くの協力隊が通った同じ道だとも思えるからこそ、同じことの繰り返しではなく次の「要請」を改善できるものを伝えていきたい。
『必要とされる日本人でありたい』という、JICAの広告に現在使われているキャッチコピーを見て、
『必要とされる日本人でありたいわっ!!』と叫びながら、
色々整理しようにも、やっぱり自分のなかにストンと落ちないっていう辛気くさ~い話でした。
まったく共感できるお話ですね。
返信削除でもとりあえず、何かかしらするっきゃないからね。
明日も、とりあえず玄関を開き、考えながらも、元気に行くっきゃないからね~
まだまだケニア半年にも満たない若輩者ですが、がっつがこのブログに記した気持ちすっごい共感できる。
返信削除そして何より、この気持ちを文字にしてここの残せることがすごい。
僕はここまで文章にまとまりません、多分。
僕らは今日も税金を使いながらケニアで生きてるんやもんねぇ。毎日毎日、日本で誰かが働いて納めた税金を食べてるわけだ。
明日も努力を惜しまずいい1日にしよう。その積み重ねが1千万の価値に繋がると信じて。
そー思えました。
ありがとう。
ビューティフルMARIさん
返信削除玄関のドアがとてつもなく重い時があるんだけどね。
しかし、行くっきゃないでしょうよ!
女には腹を決めてかからねばならない、そういう時があるのだ!
みなちゃん
返信削除赴任当初の思いがまだまだ続くんやーってところに驚きながらも、
ここに記すことで、またひとつ自分の中を整理して強く動くきっかけにしようかと。
言葉や活字にすると壊れそうな気もしたけど、
日々の生活の中で鍛えられてるんでしょうね。いけるわ。笑
そして、ブログでたくさんの人から反応をもらってまた力になりました。
こちらこそ、いつもありがとな!
で、今度いつ来るよ!?
みはるGUTS!!
返信削除ホントにホントに、、、共感。。
あたしはモヤモヤ考えてたけど、文章にするってすごいわ。
あたしもあの広告を見て、ガッツと同じこと思ったよ!笑
また手紙書いて送るね~**
無事に届けーー!!!
あやちゃん
返信削除こんな誰も楽しめないようなブログ書くのもどうかと思ったんだけど、
今ここにいる者として実感していることを、自分の言葉として
ここに記しておくのも大事かなと思って。
任期終了に向けていい思い出が膨れ上がっていくのは何となく想像できるしねぇ。
みんな、なんだかんだで前を向いてがんばってるもんね。
私も手紙書くし!!
美春先生が後々日本に帰ったときに、そのケニアでの経験を多くの人に伝えていくことにも価値があると思います。
返信削除先生が伝えていくことで、日本の生徒が問題意識を持ち、一人ひとりが自分の将来を考える上での大きなきっかけになればいいなって感じます。
例えば、先生の話によって問題意識を持った人が、現地のリアルな状況を肌で感じたいと思い、実際行ってみて、エイズ等の課題解決に使命感を覚えて、その方面で社会に貢献していきたいと思うようになる、その人が将来のキャリアを考えるにあたって、そこで先生が大きなロールモデルになると思います。
ケニアの人のために直接大きな費用対効果があるわけではないとしても、より大きな視点で日本のために価値があるのかなって考えました。
高校にとって大学受験が大切なのは当然ですが、生徒が将来の夢やしたいことを考える場でもあってほしいと思いました。
よういち
返信削除将来に向けて大学受験が通過点であるのと同じく、協力隊も私の人生のイチ通過点。
ひとりの人間として「いまここ」にちゃんと向き合って前に進むことこそが
帰国後に生徒の前に立ったときに活きる気がしてます。
色んな自分と向き合わざるを得ないこの環境に感謝して、残りの期間もがんばります。
あなたの気持ち、とても嬉しかったです。
コメントありがとう。